下市口駅
下市口駅 | |
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駅舎 | |
しもいちぐち Shimoichiguchi | |
◄F51 大阿太 (2.4 km) (1.7 km) 越部 F53► | |
所在地 | 奈良県吉野郡大淀町下渕875[1] |
駅番号 | F52 |
所属事業者 | 近畿日本鉄道(近鉄)[1] |
所属路線 | F 吉野線[1] |
キロ程 |
17.0km(橿原神宮前起点) 大阪阿部野橋から56.7 km |
電報略号 | シモ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗車人員 -統計年度- |
1,505人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1912年(大正元年)10月25日 |
下市口駅(しもいちぐちえき)は、奈良県吉野郡大淀町下渕にある、近畿日本鉄道(近鉄)吉野線の駅[1]。駅番号はF52。
駅名は吉野川(紀の川)を挟んだ下市町に由来する(詳しくは後述した#駅名由来を参照)。大淀町、下市町はもとより、その南に位置する黒滝村、天川村へのバスが発着し、公共交通機関における、黒滝・天川村への玄関口ともなっている。
開業当初は近隣の山林から産出される材木輸送などの貨物が重要な位置を占めていた[1]。
歴史
[編集]年表
[編集]- 1912年(大正元年)10月25日:吉野軽便鉄道の吉野口 - 吉野(現在の六田)間開通時に開業[2]。
- 1913年(大正2年)5月31日:社名変更により吉野鉄道の駅となる[3][4]。
- 1929年(昭和4年)8月1日:大阪電気軌道が吉野鉄道を合併、大阪電気軌道吉野線の駅となる[2]。
- 1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道と参宮急行電鉄の合併により、新発足した関西急行鉄道の駅となる[2]。
- 1944年(昭和19年)6月1日:戦時統合により関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身。後に再独立)と合併、近畿日本鉄道吉野線の駅となる[2]。
- 2003年(平成15年)3月6日:当駅始終着の定期列車が一旦消滅。
- 2007年(平成19年)4月1日:PiTaPa使用開始[5]。
- 2010年(平成22年)3月19日:当駅始終着列車が復活。
駅名の由来
[編集]駅名は吉野川(紀の川)をはさんで南の対岸に位置する下市町に由来する。下市は古くから奥吉野への入口として商業が発達しており、吉野における商業の中心地でもあった。現在、当駅と下市町とを結ぶ千石橋は、江戸時代から木造の橋が架けられ、一日千石ともいわれる物資が行き交っていた(千石橋の由来)。明治時代には堅牢なトラス鉄橋が架けられていた。一方で、当駅のある大淀町は当時は村で、鉄道が通るまで農業が主体であった。駅が開設されると当駅から千石橋にかけて、今の下渕商店街が形成され大いに賑わい、下市をも凌ぐようになった。その後、林業の衰退などで下市町の人口が減少の一途を辿ったのに対して、大淀町内では住宅開発が行われ人口が増加し、今日では大淀町の方が規模が大きくなっている。一方で、下渕商店街は、自動車の普及と、また大型店舗が大淀町内でも駅より離れた場所に作られるなどして衰退している。なお、今のところ駅名変更の運動などはない。
駅構造
[編集]島式・単式の複合型2面3線の行違い可能な地平駅。ホーム有効長は4両長。駅舎は南側(上り用の単式3番ホーム側)にあり、島式の下りホーム(1・2番ホーム)とは構内踏切で連絡している。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1・2 | F 吉野線 | 下り | 吉野方面[6] |
3 | 上り | 大阪阿部野橋方面[6] |
- 2番線は下り本線、3番線は上り本線、1番線は待避線となっている。
特徴
[編集]駅設備・営業面
[編集]- 駅長が置かれ、吉野口駅 - 吉野駅間の各駅を管理している[7]。
- 特急券および定期券は駅窓口にて購入可能である[8]。
- 自動改札機は導入されておらず、PiTaPa・ICOCAは専用の簡易改札機による対応となっている。
- トイレは改札内および駅前に設置されている。
ダイヤ面
[編集]- 特急列車を含めた全定期旅客列車が停車する[9]。
- 過去には2003年3月6日ダイヤ変更以前と、2010年3月19日ダイヤ変更時点では当駅始発・終着の定期列車が設定されていた。 また、2021年7月3日のダイヤ変更で平日のみ当駅着の特急が1本設定されていたが、2024年3月16日のダイヤ変更で廃止された。
- 下市口駅 - 吉野駅間で保守点検による運休時には、当該時間帯の全列車が当駅発着で運転される。その際に橿原方面からの列車は1番線または2番線を降車ホーム、3番線を発車ホームとし、1・2番線で降車扱い後に一旦橿原方面にバックで戻り3番線に改めて入ってから乗車を行う。
当駅乗降人員
[編集]近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り[10]。
- 2023年11月7日:2,028人
- 2022年11月8日:2,153人
- 2021年11月9日:2,172人
- 2018年11月13日:2,341人
- 2015年11月10日:2,814人
- 2012年11月13日:3,177人
- 2010年11月9日:3,203人
- 2008年11月18日:3,493人
- 2005年11月8日:3,989人
利用状況
[編集]- 下市口駅の利用状況の変遷は下表の通り。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す[11]。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1954年(昭和29年) | 493,140 | ←←←← | 486,543 | 979,983 | |||
1955年(昭和30年) | 515,640 | ←←←← | 497,604 | 1,013,244 | |||
1956年(昭和31年) | 561,180 | ←←←← | 488,755 | 1,049,935 | |||
1957年(昭和32年) | 611,700 | ←←←← | 526,134 | 1,137,834 | |||
1958年(昭和33年) | 641,340 | ←←←← | 550,938 | 1,192,278 | |||
1959年(昭和34年) | 666,330 | ←←←← | 528,851 | 1,195,181 | |||
1960年(昭和35年) | 761,760 | ←←←← | 557,212 | 1,318,972 | |||
1961年(昭和36年) | 789,600 | ←←←← | 575,088 | 1,364,688 | |||
1962年(昭和37年) | 879,000 | ←←←← | 609,343 | 1,488,343 | |||
1963年(昭和38年) | 924,120 | ←←←← | 570,414 | 1,494,534 | |||
1964年(昭和39年) | 1,022,940 | ←←←← | 596,903 | 1,619,843 | |||
1965年(昭和40年) | 954,030 | ←←←← | 553,176 | 1,507,206 | |||
1966年(昭和41年) | 1,160,730 | ←←←← | 519,078 | 1,679,808 | |||
1967年(昭和42年) | 1,119,840 | ←←←← | 510,141 | 1,629,981 | |||
1968年(昭和43年) | 1,096,830 | ←←←← | 454,995 | 1,551,825 | |||
1969年(昭和44年) | 1,061,850 | ←←←← | 465,325 | 1,527,175 | |||
1970年(昭和45年) | 1,029,390 | ←←←← | 451,836 | 1,481,226 | |||
1971年(昭和46年) | 972,690 | ←←←← | 433,202 | 1,405,892 | |||
1972年(昭和47年) | 960,090 | ←←←← | 435,039 | 1,395,129 | |||
1973年(昭和48年) | 963,540 | ←←←← | 475,692 | 1,439,232 | |||
1974年(昭和49年) | 1,014,840 | ←←←← | 499,279 | 1,514,119 | |||
1975年(昭和50年) | 999,360 | ←←←← | 506,878 | 1,508,238 | |||
1976年(昭和51年) | 977,940 | ←←←← | 490,281 | 1,468,221 | |||
1977年(昭和52年) | 932,880 | ←←←← | 494,503 | 1,427,383 | |||
1978年(昭和53年) | 967,590 | ←←←← | 492,646 | 1,460,236 | |||
1979年(昭和54年) | 982,500 | ←←←← | 488,712 | 1,471,212 | |||
1980年(昭和55年) | 976,170 | ←←←← | 485,290 | 1,461,460 | |||
1981年(昭和56年) | 963,360 | ←←←← | 466,732 | 1,430,092 | |||
1982年(昭和57年) | 921,990 | ←←←← | 450,531 | 1,372,521 | 11月16日 | 6,568 | |
1983年(昭和58年) | 919,800 | ←←←← | 458,248 | 1,378,048 | 11月8日 | 6,586 | |
1984年(昭和59年) | 900,900 | ←←←← | 427,514 | 1,328,414 | 11月6日 | 6,864 | |
1985年(昭和60年) | 893,730 | ←←←← | 410,603 | 1,304,333 | 11月12日 | 6,295 | |
1986年(昭和61年) | 890,100 | ←←←← | 407,408 | 1,297,508 | 11月11日 | 6,035 | |
1987年(昭和62年) | 900,480 | ←←←← | 387,154 | 1,287,634 | 11月10日 | 5,884 | |
1988年(昭和63年) | 871,230 | ←←←← | 372,720 | 1,243,950 | 11月8日 | 5,619 | |
1989年(平成元年) | 859,500 | ←←←← | 384,815 | 1,244,315 | 11月14日 | 6,005 | |
1990年(平成2年) | 847,590 | ←←←← | 379,661 | 1,227,251 | 11月6日 | 6,050 | |
1991年(平成3年) | 852,990 | ←←←← | 383,129 | 1,236,119 | |||
1992年(平成4年) | 818,820 | ←←←← | 368,542 | 1,187,362 | 11月10日 | 5,524 | |
1993年(平成5年) | 809,370 | ←←←← | 365,121 | 1,174,491 | |||
1994年(平成6年) | 807,810 | ←←←← | 356,765 | 1,164,575 | |||
1995年(平成7年) | 777,510 | ←←←← | 339,060 | 1,116,570 | 12月5日 | 4,897 | |
1996年(平成8年) | 733,680 | ←←←← | 325,437 | 1,059,117 | |||
1997年(平成9年) | 694,050 | ←←←← | 304,180 | 998,230 | |||
1998年(平成10年) | 701,760 | ←←←← | 288,538 | 990,298 | |||
1999年(平成11年) | 677,670 | ←←←← | 280,511 | 958,181 | |||
2000年(平成12年) | 677,310 | ←←←← | 266,689 | 943,999 | |||
2001年(平成13年) | 645,540 | ←←←← | 259,936 | 905,476 | |||
2002年(平成14年) | 627,600 | ←←←← | 242,941 | 870,541 | |||
2003年(平成15年) | 612,180 | ←←←← | 229,268 | 841,448 | |||
2004年(平成16年) | 608,760 | ←←←← | 209,369 | 818,129 | |||
2005年(平成17年) | 598,500 | ←←←← | 199,079 | 797,579 | 11月8日 | 3,989 | |
2006年(平成18年) | 587,010 | ←←←← | 182,316 | 769,326 | |||
2007年(平成19年) | 582,450 | ←←←← | 176,923 | 759,373 | |||
2008年(平成20年) | 561,090 | ←←←← | 173,064 | 734,154 | 11月18日 | 3,493 | |
2009年(平成21年) | 535,110 | ←←←← | 159,730 | 694,840 | |||
2010年(平成22年) | 518,280 | ←←←← | 155,037 | 673,317 | 11月9日 | 3,203 | |
2011年(平成23年) | 521,730 | ←←←← | 148,273 | 670,003 | |||
2012年(平成24年) | 508,170 | ←←←← | 146,702 | 654,872 | 11月13日 | 3,177 | |
2013年(平成25年) | 511,320 | ←←←← | 146,849 | 658,169 | |||
2014年(平成26年) | 489,270 | ←←←← | 141,462 | 630,732 | |||
2015年(平成27年) | 474,870 | ←←←← | 140,524 | 615,394 | 11月10日 | 2,814 | |
2016年(平成28年) | 449,190 | ←←←← | 135,359 | 584,549 | |||
2017年(平成29年) | 423,300 | ←←←← | 136,290 | 559,590 | |||
2018年(平成30年) | 410,100 | ←←←← | 129,241 | 539,341 | 11月13日 | 2,341 | |
2019年(令和元年) | 427,920 | ←←←← | 122,994 | 550,864 | |||
2020年(令和2年) | ←←←← | ||||||
2021年(令和3年) | ←←←← | 11月9日 | 2,172 | ||||
2022年(平成4年) | ←←←← | 11月8日 | 2,153 | ||||
2023年(平成5年) | ←←←← | 11月7日 | 2,028 |
駅周辺
[編集]駅前
[編集]周辺
[編集]- 厚生労働省大淀労働基準監督署
- 近畿農政局南近畿土地改良調査事務所
- 奈良家庭裁判所吉野出張所
- 吉野簡易裁判所
- 奈良県立奈良南高等学校(旧奈良県立大淀高等学校)
- 奈良県吉野警察署
- 町立大淀病院
- 大淀町文化会館(あらかしホール・町立図書館)
- 大淀町役場
- 大淀町中央公民館
- 大淀町平畑運動公園
- 南都銀行大淀支店
- エルトピア南和(南和労働会館)
- 近畿労働金庫吉野出張所
- オークワ 大淀西店
バス路線
[編集]最寄停留所は、駅前および駅前を通る道路を挟んだ反対側にある下市口駅となる。以下の路線が乗り入れ奈良交通により運行されている。
- 駅前乗り場
- [2]:洞川温泉行(始発 - 16時台の便)
- [4]:笠木行
- [7]:中庵住行
- 東側乗り場
- このほかに大淀町よどりバス(幹線ルート・巡回ルート)、大淀町よどりタクシー(乗合型デマンド交通)が大淀町役場や大淀町西部に向けて運行されているが、後者の利用は登録済みの大淀町住民に限られる。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 栗栖健 (2014年9月23日). “近鉄100年物語:下市口 帰郷や再出発の扉に”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b c d 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 3号 近畿日本鉄道 2、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月29日、26-27頁。ISBN 978-4-02-340133-4。
- ^ 近畿日本鉄道株式会社『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年12月、847頁。全国書誌番号:21906373。
- ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』では同年5月13日。
- ^ 『平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります』(pdf)(プレスリリース)近畿日本鉄道、2007年1月30日 。2016年3月6日閲覧。
- ^ a b “駅の情報|下市口”. 近畿日本鉄道. 2021年7月8日閲覧。
- ^ 『HAND BOOK 2010』、近畿日本鉄道総合企画部編、2010年9月
- ^ “近畿日本鉄道|駅の情報|下市口”. www.kintetsu.co.jp. 2022年2月5日閲覧。
- ^ 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.232 - p.258・p.388 - p.413
- ^ 駅別乗降人員 吉野線 - 近畿日本鉄道
- ^ 奈良県統計年鑑
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 駅の情報|下市口 - 近畿日本鉄道