畝傍御陵前駅
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畝傍御陵前駅* | |
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西側駅舎 | |
うねびごりょうまえ Unebigoryomae | |
◄B40 八木西口 (2.3 km) (1.0 km) 橿原神宮前 B42► | |
所在地 | 奈良県橿原市大久保町455[1] |
駅番号 | B41 |
所属事業者 | 近畿日本鉄道(近鉄)[1] |
所属路線 | B 橿原線**[1] |
キロ程 |
22.8km(大和西大寺起点) 京都から57.4 km |
電報略号 | ウネヒ |
駅構造 | 地上駅(地下駅舎) |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
2,037人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1923年(大正12年)3月21日[1] |
備考 | ** この他小房線(1952年廃止) |
畝傍御陵前駅 配線図 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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畝傍御陵前駅(うねびごりょうまええき)は、奈良県橿原市大久保町にある、近畿日本鉄道(近鉄)橿原線の駅[1]。駅番号はB41。
歴史
[編集]- 1923年(大正12年)3月21日:大阪電気軌道畝傍線(現在の橿原線)平端 - 橿原神宮前(初代)間の開通時に畝火山駅(うねびやまえき)として開業[1][2][3]。
- 1924年(大正13年)11月:畝傍山駅(うねびやまえき)に改称[3][4]。
- 1937年(昭和12年)3月:神武御陵前駅(じんむごりょうまええき)に改称[4]。
- 1939年(昭和14年)7月28日:八木西口 - 橿原神宮前(初代)間が、八木西口 - 橿原神宮駅(久米寺から改称、現在の橿原神宮前駅(2代目))間の新線に切り替えられたため、新線上の現在地に移動し、畝傍御陵前駅(うねびごりょうまええき)に改称[2][3]。当駅から橿原神宮駅駅まで並行することになる吉野線(1941年に当該区間は小房線と改称)にも駅が設けられる[4]。
- 1941年(昭和16年)3月15日:参宮急行電鉄との会社合併により、関西急行鉄道の駅となる[2]。
- 1944年(昭和19年)6月1日:会社合併により、近畿日本鉄道の駅となる[2]。
- 1945年(昭和20年)6月1日:小房線の旅客営業休止[4]。
- 1950年(昭和25年)7月1日:小房線休止(その後、1952年(昭和27年)9月1日に正式に廃止)[4]。
- 2007年(平成19年)4月1日:PiTaPa使用開始[5]。
駅構造
[編集]相対式ホーム2面2線の地上駅。ホーム有効長は6両分。上下線のホームは少しずれている。駅舎(改札口)は地下、ホームは地上にある。改札口は1ヶ所のみ。出入口は東西双方にある。
大和八木駅管理の有人駅で、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。
1939年から1952年まで、当駅から橿原神宮前駅(当時は橿原神宮駅駅)まで、小房線が並走し、当駅で分岐していた。下り線路の脇(東側)にいくらかスペースがあるのが、その跡地である。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
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1 | B 橿原線 | 下り | 橿原神宮前方面[6] |
2 | 上り | 大和西大寺・京都方面[6] |
利用状況
[編集]畝傍御陵前駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す[7]。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(畝傍御陵前駅) | |||||||
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年度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果:人/日 | 特記事項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1982年(昭和57年) | ←←←← | 11月16日 | 4,256 | ||||
1983年(昭和58年) | ←←←← | 11月8日 | 4,381 | ||||
1984年(昭和59年) | ←←←← | 11月6日 | 4,339 | ||||
1985年(昭和60年) | ←←←← | 11月12日 | 4,189 | ||||
1986年(昭和61年) | ←←←← | 11月11日 | 4,590 | ||||
1987年(昭和62年) | ←←←← | 11月10日 | 4,054 | ||||
1988年(昭和63年) | ←←←← | 11月8日 | 3,924 | ||||
1989年(平成元年) | ←←←← | 11月14日 | 3,845 | ||||
1990年(平成2年) | ←←←← | 11月6日 | 4,174 | ||||
1991年(平成3年) | ←←←← | ||||||
1992年(平成4年) | ←←←← | 11月10日 | 3,868 | ||||
1993年(平成5年) | ←←←← | ||||||
1994年(平成6年) | ←←←← | ||||||
1995年(平成7年) | ←←←← | 12月5日 | 3,945 | ||||
1996年(平成8年) | ←←←← | ||||||
1997年(平成9年) | ←←←← | ||||||
1998年(平成10年) | ←←←← | ||||||
1999年(平成11年) | ←←←← | ||||||
2000年(平成12年) | ←←←← | ||||||
2001年(平成13年) | ←←←← | ||||||
2002年(平成14年) | ←←←← | ||||||
2003年(平成15年) | ←←←← | ||||||
2004年(平成16年) | ←←←← | ||||||
2005年(平成17年) | 343,680 | ←←←← | 359,426 | 703,106 | 11月8日 | 3,734 | |
2006年(平成18年) | 334,860 | ←←←← | 351,611 | 686,471 | |||
2007年(平成19年) | 342,630 | ←←←← | 364,062 | 706,692 | |||
2008年(平成20年) | 359,910 | ←←←← | 389,530 | 749,440 | 11月18日 | 3,793 | |
2009年(平成21年) | 335,220 | ←←←← | 366,690 | 701,910 | |||
2010年(平成22年) | 334,470 | ←←←← | 362,116 | 696,586 | 11月9日 | 4,126 | |
2011年(平成23年) | ←←←← | ||||||
2012年(平成24年) | ←←←← | 11月13日 | 3,686 | ||||
2013年(平成25年) | ←←←← | ||||||
2014年(平成26年) | ←←←← | ||||||
2015年(平成27年) | ←←←← | 11月10日 | 3,872 | ||||
2016年(平成28年) | ←←←← | ||||||
2017年(平成29年) | 368,940 | ←←←← | 396,521 | 765,461 | |||
2018年(平成30年) | 360,480 | ←←←← | 387,505 | 747,985 | 11月13日 | 4,043 | |
2019年(令和元年) | 368,040 | ←←←← | 377,384 | 745,424 | |||
2020年(令和2年) | ←←←← | ||||||
2021年(令和3年) | ←←←← | 11月9日 | 3,272 | ||||
2022年(平成4年) | ←←←← | 11月8日 | 3,487 | ||||
2023年(平成5年) | ←←←← | 11月7日 | 3,504 |
駅周辺
[編集]- 東口
- 西口
- 大久保町公民館
- 奈良県立橿原考古学研究所
- 橿原考古学研究所附属博物館
- 奈良県立橿原公苑
- 奈良県立橿原公苑体育館
- 奈良県立橿原公苑陸上競技場
- 奈良県立橿原公苑野球場
- 橿原市分庁舎
- 橿原市保健センター
- 市保健センター内休日夜間応急診療所
- 橿原神宮[1]
- 神武天皇陵 - 別名が「畝傍御陵」で、駅名の由来となった[1]。
- 綏靖天皇陵
- 畝傍山[1](大和三山)
隣の駅
[編集]かつて存在した路線
[編集]- 近畿日本鉄道
- 小房線
- 小房駅 - 畝傍御陵前駅 - 橿原神宮駅駅(現・橿原神宮前駅)
旧線時代(新線切り替え直前)
[編集]- 大阪電気軌道
- 畝傍線
- 八木西口駅 - 神武御陵前駅(現・畝傍御陵前駅) - 橿原神宮前駅(初代)
- 現在の橿原神宮前駅(2代目)は、当時は「久米寺駅」という別の駅として存在していた。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l 矢追健介 (2015年3月3日). “近鉄100年物語:畝傍御陵前 駅や線路、複雑に変化”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b c d 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 3号 近畿日本鉄道 2、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月29日、11-13頁。ISBN 978-4-02-340133-4。
- ^ a b c 近畿日本鉄道株式会社『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年12月、683頁。全国書誌番号:21906373。
- ^ a b c d e 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 8 関西1、新潮社、2008年、27-28頁。ISBN 978-4-10-790026-5。
- ^ 『平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります』(pdf)(プレスリリース)近畿日本鉄道、2007年1月30日 。2016年2月28日閲覧。
- ^ a b “駅の情報|畝傍御陵前”. 近畿日本鉄道. 2021年6月17日閲覧。
- ^ 奈良県統計年鑑
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 駅の情報|畝傍御陵前 - 近畿日本鉄道