中村和夫 (実業家)
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(中村畜産から転送)
なかむら かずお 中村 和夫 | |
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生誕 |
1927年3月18日[1] 日本 北海道[1] |
死没 | 2017年12月2日(90歳没)[2] |
職業 | |
肩書き | 有限会社中村畜産 代表取締役 |
配偶者 | 中村 正子[1] |
子供 |
中村 和夫(なかむら かずお、1927年3月18日[1] - 2017年12月2日[2])は、日本の競走馬生産者、馬主。
北海道新ひだか町(旧三石町)にある有限会社中村畜産代表取締役を務めた。ケイアイファーム取締役で一口馬主クラブのロードホースクラブ元代表の中村伊三美は長男[3]。
経歴
[編集]1927年、北海道出身[1]。1946年、自営業として木材運搬業を開業し、1953年より家畜商、1964年に中村畜産を設立した[1]。競走馬生産者としては、日本に種牡馬としてミルジョージを導入した[3]人物として知られる。「種牡馬は血統と馬体が良ければ成功する可能性がある」と語り[3]、重賞未勝利の種牡馬ゴールドヘイローから重賞4勝馬のトウケイヘイローを生産した。
馬主活動
[編集]日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は緑、桃二本輪、桃袖緑二本輪、冠名には札幌市東区にあるモエレ沼公園に隣接する自らが経営する札幌モエレ健康センター、およびホッカイドウ競馬の存続を願って「燃えろ(れ)」の意味も込めているとされる[4]「モエレ」を用いた。競り市では高額馬も厭わずに落札し、「日高のドン」と呼ばれていたという[5]。またホッカイドウ競馬の衰退による馬産地の影響を危惧し、所有馬の多くをホッカイドウ競馬よりデビューさせていた[5]。
1970年代には、ハギノカムイオーを日隈広吉と、同時期に活躍したサルノキングを猿丸進晤、橋本善吉と共有していた。
主な所有馬
[編集]重賞競走優勝馬
[編集]- イーグルシャトー(1986年戸塚記念、1987年ファーストレディー賞、クイーン賞、1988年報知グランプリカップ、クイーン賞、関東盃、東京盃、1989年小倉日経賞、スワンステークス2着)
- グレイドショウリ(1992年東京ダービー、東京王冠賞)
- ブライトサンディー(1995年サファイヤステークス、エリザベス女王杯2着、1996年函館記念)
- モエレエスポワール(2003年札幌2歳ステークス)
- モエレアドミラル(2004年サンライズカップ、北海道2歳優駿)
- モエレトレジャー(2004年しらさぎ賞、戸塚記念、埼玉新聞杯、彩の国浦和記念、2008年摂津盃、姫山菊花賞)
- モエレジーニアス(2005年函館2歳ステークス)
- モエレソーブラッズ(2005年兵庫ジュニアグランプリ、全日本2歳優駿3着)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『現代人物事典』出身県別 東日本版 92頁
- ^ a b 平成30年7月10日発行札幌馬主協会 「北の蹄跡」(通巻第62号)24頁 会員の異動「おくやみ」欄より (PDF)
- ^ a b c “偉大なるホースマン中村和夫の夢の結実=地味血統トウケイヘイローが良血打倒だ”. スポーツナビ (2013年10月22日). 2022年2月15日閲覧。
- ^ “道営競馬で北のモエレ軍団が今年も燃える”. 北海道日刊スポーツ (2006年3月31日). 2006年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月15日閲覧。
- ^ a b 後藤正俊 (2006年4月1日). “道営競馬を支えるモエレ軍団”. 馬産地往来. 一般社団法人日本競走馬協会. 2023年12月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 『現代人物事典』出身県別 東日本版(サン・データ・システム、1980年6月)