中野遼太郎
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
カタカナ | ナカノ リョウタロウ | |||||
ラテン文字 | NAKANO Ryotaro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1988年6月13日(36歳) | |||||
出身地 | 東京都西東京市 | |||||
身長 | 177cm[1] | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 両足[2] | |||||
ユース | ||||||
2001-2003 2004-2006 2007-2010 |
小平八小アベリアFC JACPA 東京FC FC東京U-15 FC東京U-18 早稲田大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2011 | ポンメルン・グライフスヴァルト | 16 | (10) | |||
2012 | アルカ・グディニャ | |||||
2012 | ポンメルン・グライフスヴァルト | |||||
2013-2015 | BFCダウガフピルス | 79 | (33) | |||
2016 | FKイェルガヴァ | 24 | (2) | |||
2017 | チョンブリー | 29 | (0) | |||
2018 | FKイェルガヴァ | 19 | (0) | |||
2019 | タイ・ホンダFC | |||||
代表歴 | ||||||
2003-2005 | 日本 U-15/16/17 | |||||
2006 | 日本 U-18 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年2月18日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
中野 遼太郎(なかの りょうたろう、1988年6月13日 - ) は、東京都西東京市出身の[3]元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。
来歴
[編集]4歳でサッカーを始め[2]、中学・高校時代はFC東京の下部組織に所属した[3]。高校3年時には背番号10を背負う[4]主将として[5]チームを牽引。ゲームをコントロールする役割を担った[6]。同期には吉本一謙、森村昂太、権田修一、稲葉基輝らがいた[3]。
高校卒業後には、複数のJリーグクラブからオファーを受けたが[7]FC東京トップチームを目指していたためこれらを断り[8]早稲田大学に進学、2007年よりア式蹴球部に所属した。1年時に鈴木修人の代役として抜擢されると[9]武器と語る視野の広さと中盤での展開力[7][4]を発揮し大榎克己監督から絶賛された[9]。鈴木の復帰後も出場機会を得、同年の全日本大学サッカー選手権の優勝に貢献した[10]。
しかし大榎は同年限りで退任。後に、使われないのは分かっていたと語るほど[7]後任の今井敏明監督からは冷遇され、出場機会が激減。4年時には古賀聡監督から司令塔として[7]背番号10を託されたものの、目立った活躍はできなかった[4]。
2011年に大学を卒業。ドイツへ渡り、メクレンブルク=フォアポンメルン州のフェアバンツリーガ (en) (Fußball-Verbandsligaは6部リーグに相当)に所属するFCポンメルン・グライフスヴァルトに加入[4]。チーム2位となる10得点を挙げ[11]2011-12シーズン前期の首位に導いた。
2012年、ポーランドの1.リーガ (en) (2部リーグに相当)に所属するアルカ・グディニャの入団テストを受け[12]合格。シーズン終了(6月30日)までの契約を結んだ[1]。同年7月、ドイツ北東部のオーバーリーガ(5部リーグに相当)に昇格したFCポンメルン・グライフスヴァルトと再契約を結んだ[4]。
2013年1月末、突如グライフスヴァルトとの契約を打ち切られたため[4]、同年4月よりラトビア・1.リーガ (en) (2部リーグ相当)のBFCダウガヴァに加入。26得点を挙げて得点王・最優秀選手に選出される活躍で[4]クラブのリーグ優勝に大きく貢献した[13]。2014年からはヴィルスリーガ(1部リーグ)でプレー。第36節FCユールマラ戦ではハットトリックを記録[14]。
2016年、FKイェルガヴァへ移籍[15]。2015-16のラトビア・カップに優勝し、ヨーロッパリーグ予選出場権を獲得。同年クラブは史上最高位となるヴィルスリーガ2位で終え、中野もベストイレブンを受賞した[16]。同年末、イェルガヴァとの契約を1年延長し一時帰国[16]。
帰国中にチョンブリーFCから破格のオファーが届き[16]、2017年1月に同クラブへ完全移籍。同シーズンを持ってチョンブリーFCを退団。
2018年、FKイェルガヴァ復帰。
2019年、タイ・ホンダFCに加入。同年9月1日、現役引退を表明[17]。
2020年から古巣FKイェルガヴァからのオファーを受諾し、コーチに就任。ラトビアでサッカー指導者としてのキャリアをスタートさせる決め手となったのは欧州での指導が可能なUEFAライセンスの取得にあると述べている[18]。
2023年からアカデミー時代に所属していたFC東京に復帰しFC東京U-15むさしのコーチに就任した[19]。
所属クラブ
[編集]- ユース経歴
- 小平八小アベリアFC[20]
- JACPA 東京FC[20]
- 2001年 - 2003年 FC東京U-15
- 2004年 - 2006年 FC東京U-18 (東京都立小金井北高等学校[21])
- 2007年 - 2010年 早稲田大学ア式蹴球部 (早稲田大学スポーツ科学部)
- プロ経歴
- 2011年 FCポンメルン・グライフスヴァルト (de:FC Pommern Greifswald)
- 2012年 アルカ・グディニャ
- 2012年7月 - 2013年1月 FCポンメルン・グライフスヴァルト
- 2013年4月 - 2015年 BFCダウガヴァ / BFCダウガフピルス (BFC Daugavpils)
- 2016年 FKイェルガヴァ
- 2017年 チョンブリーFC
- 2018年 FKイェルガヴァ
- 2019年 タイ・ホンダFC
- 指導者経歴
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2011-12 | グライフスヴァルト | 24 | フェアバンツリーガMV | 16 | 10 | - | - | 16 | 10 | ||
ポーランド | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2011-12 (en) | グディニャ | 24 | 1.リガ | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
2011-12 | IIグディニャ | 4.リガ | |||||||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2012-13 (de) | グライフスヴァルト | NOFVオーバーリーガN | 12 | 1 | |||||||
ラトビア | リーグ戦 | リーグ杯 | ラトビア杯 | 期間通算 | |||||||
2013 (ru) | ダウガフピルス | 8 | 1.リーガ | 26 | 26 | - | 0 | 0 | 26 | 26 | |
2014 (en) | ヴィルスリーガ | 31 | 5 | 2 | 1 | 2 | 1 | 35 | 7 | ||
2015 (en) | 22 | 2 | 1 | 0 | 23 | 2 | |||||
2016 (en) | イェルガヴァ | 6 | 24 | 2 | 3 | 0 | 27 | 2 | |||
タイ | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2017 (en) | チョンブリー | 7 | T1 | ||||||||
通算 | ドイツ | NOFVオーバーリーガN | 12 | 1 | |||||||
ドイツ | フェアバンツリーガMV | 16 | 10 | - | - | 16 | 10 | ||||
ポーランド | 1.リガ | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||||
ラトビア | ヴィルスリーガ | 77 | 9 | 6 | 1 | 83 | 10 | ||||
ラトビア | 1.リーガ | 26 | 26 | - | 0 | 0 | 26 | 26 | |||
タイ | T1 | ||||||||||
総通算 |
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
UEFA | UEFA EL | |||
2016-17 | イェルガヴァ | 6 | 6 | 0 |
通算 | UEFA | 6 | 0 |
- 2014年3月23日:ヴィルスリーガ初出場 - 第FKスパルタクス・ユールマラ (Kauguru vidusskolas stadions)[22] 4節 vs
- 2014年7月12日:ヴィルスリーガ初得点 - 第21節 vsFKリエパーヤ (Daugava Stadium (Liepāja)) [23]
- 2017年2月12日:T1初出場 - 第1節 vsブリーラム・ユナイテッドFC (ニュー・アイモバイル・スタジアム)[24]
タイトル
[編集]- ナイキプレミアカップジャパン (2002年)
- 日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会 (2003年)
- イギョラカップ (2006年)
- 全日本大学サッカー選手権大会 (2007年)
- 1.リーガ (2013年)
- ラトビヤス・カウス (2015-16)
個人
[編集]- メニコンカップ クラブユース東西対抗戦 敢闘賞 (2003年[25])
- 1.リーガ得点王 (2013年[4])
- 1.リーガ最優秀選手 (2013年[4])
- ヴィルスリーガ ベストイレブン (2016年)
代表・選抜歴
[編集]- U-15日本代表
- 2003年 U-15日韓競技力向上親善試合
- U-16日本代表
- 2004年 ミルクカップ (5位)、第5回豊田国際ユースサッカー大会 (3位)、第4回北海道国際ユースサッカー大会 (優勝)、AFC U-17選手権2004 (グループリーグ敗退)
- U-17日本代表
- 2005年 サニックス杯国際ユースサッカー大会 (3位)
- U-18日本代表
- 2005年 候補合宿
- 2006年 第4回仙台カップ国際ユースサッカー大会 (3位)
- 東京都選抜
指導歴
[編集]脚注
[編集]- ^ a b Nakano w Arce. Wilczyński w Bytomiu, Ziętarski w Kotwicy. 2012.02.20
- ^ a b 関東大学サッカー注目選手リレーインタビュー 第27回 早稲田大MF中野遼太郎選手(4年) ゲキサカ 2010.11.25
- ^ a b c “FC東京U−18 選手紹介 (2006年度)”. 2007年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月18日閲覧。 FC東京
- ^ a b c d e f g h i 中野遼太郎に聞く (365日FC東京/東京ぴーぷる) SOCCER KING (2013年12月17日)
- ^ Jユースサハラカップは森本世代の集大成 All About 2006.12.18
- ^ 【Jユースサハラカップ2006 準決勝 F東京 vs 名古屋 】試合後の朴才絃監督(名古屋)コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2006年12月17日)
- ^ a b c d “【第5回】中野遼太郎 浮沈の経験を糧に”. 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月5日閲覧。 早稲田スポーツ 2010.06.23
- ^ 新戦力 Vol.7 中野遼太郎 (cache) 早稲田スポーツ 2007.05.20
- ^ a b “JR東日本カップ2007 関東大学リーグ 9月17日 神奈川・平塚競技場”. 2013年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月5日閲覧。 早稲田スポーツ 2007.09.21
- ^ 昨年の悔しさを糧に早稲田大学が日本一に輝く!第56回全日本大学サッカー選手権大会決勝戦レポート 日本サッカー協会 2008.01.16
- ^ GREIFSWALDER FUSSBALLREPORT (PDF) FCポンメルン・グライフスヴァルト
- ^ Japończyk Ryotaro Nakano na testach w Arce Gdynia sport.pl 2012.01.11
- ^ Pirmā līgaラトビアサッカー連盟
- ^ BFC Daugavpils vs. FC Jūrmala 4 - 2 SOCCERWAY (2014年11月8日)
- ^ Jelgava piesaista Smirnovu, Nakano, Ļitvinski un Zalaku FCイェルガヴァ (2015年12月22日)
- ^ a b c “裏”海外組 中野遼太郎の蹴球奮闘記 第1回「ラトビア奮闘記のはずが急転直下、タイ移籍決定」 SOCCERKING (2017年1月19日)
- ^ @ryotaronakano15 (2019年9月1日). "引退します。気にかけてくれた全ての皆様ありがとうございました⚽️💙". X(旧Twitter)より2020年3月18日閲覧。
- ^ 中野遼太郎 (2020年3月18日). “ラトビアでサッカー指導者を志す。ELに辿り着いた男のシンプルな選択。”. Number. 2020年3月18日閲覧。
- ^ @ryotaronakano15 (2023年2月21日). "選手として恋焦がれたクラブに、コーチとして帰ってくることが出来ました。未来の青赤戦士に、僕の持っている全てを伝えます!#fctokyo". X(旧Twitter)より2023年6月1日閲覧。
- ^ a b JFAテクニカルニュース第4号 (PDF) 日本サッカー協会
- ^ 選手データ 関東大学サッカー連盟
- ^ Spartaks vs. BFC Daugavpils 0 - 1 SOCCERWAY
- ^ Liepāja vs. BFC Daugavpils 2 - 1 SOCCERWAY
- ^ Buriram United vs. Chonburi 2 - 2 SOCCERWAY
- ^ 過去の大会記録 - メニコンカップ メニコン
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 中野遼太郎 (@ryotaronakano15) - X(旧Twitter)
- 中野遼太郎 (@ryotro_nakanao) - Instagram
- 中野遼太郎オフィシャルブログ - Global Athlete Project
- プロフィール - アルカ・グディニャ
- プロフィール - BFCダウガフピルス
- プロフィール (2016年) - ウェイバックマシン(2016年9月19日アーカイブ分) - FKイェルガヴァ
- プロフィール - チョンブリーFC
- 中野遼太郎 - UEFA主催大会成績
- 中野遼太郎 - 90minut.pl
- 中野遼太郎 - Soccerwayによる個人成績
- Player Profile Nakano Ryotaro - ラトビアサッカー連盟