乙女川定吉
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乙女川 定吉(おとめがわ さだきち、1897年5月20日[1][2] - 没年不明)は、大正・昭和時代の大相撲力士。浦風部屋所属[1][2]。本名は宮城 定吉[1][2]。最高位は十両6枚目[1][2]。
経歴
[編集]秋田県秋田市出身[1][2]。浦風部屋に入門し、1914年1月、初土俵を踏む。1925年1月、「羽後錦」の四股名で十両に昇進したが、2勝4敗と負け越し[3]、幕下に落ちた。「乙女川」に改名後の1928年1月再十両。同年5月、10月と5勝6敗に終わり、再び幕下に落ち、1929年3月に廃業した[2]。
成績
[編集]- 通算在位:36場所
- 十両在位:4場所
- 十両成績:17勝21敗1分
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1914年 (大正3年) |
(前相撲) | x | (前相撲) | x | ||
1915年 (大正4年) |
西序ノ口20枚目 – |
x | 西序二段91枚目 – |
x | ||
1916年 (大正5年) |
西序二段86枚目 – |
x | 西序二段46枚目 – |
x | ||
1917年 (大正6年) |
西序二段20枚目 – |
x | 西序二段15枚目 – |
x | ||
1918年 (大正7年) |
西三段目33枚目 – |
x | 東三段目9枚目 – |
x | ||
1919年 (大正8年) |
東幕下42枚目 – |
x | 東幕下48枚目 – |
x | ||
1920年 (大正9年) |
西幕下29枚目 – |
x | 東幕下14枚目 3–2 |
x | ||
1921年 (大正10年) |
西幕下7枚目 2–3 |
x | 西幕下21枚目 – |
x | ||
1922年 (大正11年) |
東幕下34枚目 – |
x | 西幕下15枚目 1–4 |
x | ||
1923年 (大正12年) |
東幕下31枚目 – |
x | 東三段目4枚目 – |
x | ||
1924年 (大正13年) |
東幕下32枚目 – |
x | 東幕下9枚目 4–2 |
x | ||
1925年 (大正14年) |
西十両14枚目 2–4 |
x | 西幕下6枚目 3–3 |
x | ||
1926年 (大正15年) |
西幕下6枚目 2–4 |
x | 東幕下27枚目 – |
x | ||
1927年 (昭和2年) |
東幕下13枚目 4–2 |
東幕下13枚目 3–3 |
西幕下4枚目 4–2 |
西幕下8枚目 3–3 |
||
1928年 (昭和3年) |
西十両7枚目 5–5 1分 |
東幕下7枚目 3–2[4] |
西十両6枚目 5–6 |
西十両6枚目 5–6 |
||
1929年 (昭和4年) |
東幕下2枚目 0–3–3 |
東幕下2枚目 引退 0–0–6 |
x | x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
- 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。
改名歴
[編集]- 矢叫 定吉 - 1914年1月場所 - 1917年5月場所
- 羽後錦 定吉 - 1918年1月場所 - 1921年5月場所
- 矢叫 早之介 - 1922年1月場所
- 羽後錦 定吉 - 1922年5月場所 - 1926年5月場所
- 乙女川 定吉 - 1927年1月場所 - 1929年3月場所
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 相撲レファレンス 羽後錦
- 相撲レファレンス 乙女川
- 相撲レファレンスでは「羽後錦」の分と「乙女川」の分が分離登録されている。