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乙女川定吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

乙女川 定吉(おとめがわ さだきち、1897年5月20日[1][2] - 没年不明)は、大正昭和時代の大相撲力士浦風部屋所属[1][2]。本名は宮城 定吉[1][2]。最高位は十両6枚目[1][2]

経歴

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秋田県秋田市出身[1][2]。浦風部屋に入門し、1914年1月、初土俵を踏む。1925年1月、「羽後錦」の四股名で十両に昇進したが、2勝4敗と負け越し[3]幕下に落ちた。「乙女川」に改名後の1928年1月再十両。同年5月、10月と5勝6敗に終わり、再び幕下に落ち、1929年3月に廃業した[2]

成績

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  • 通算在位:36場所
  • 十両在位:4場所
  • 十両成績:17勝21敗1分

場所別成績

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乙女川 定吉
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1914年
(大正3年)
(前相撲) x (前相撲) x
1915年
(大正4年)
西序ノ口20枚目
 
x 西序二段91枚目
 
x
1916年
(大正5年)
西序二段86枚目
 
x 西序二段46枚目
 
x
1917年
(大正6年)
西序二段20枚目
 
x 西序二段15枚目
 
x
1918年
(大正7年)
西三段目33枚目
 
x 東三段目9枚目
 
x
1919年
(大正8年)
東幕下42枚目
 
x 東幕下48枚目
 
x
1920年
(大正9年)
西幕下29枚目
 
x 東幕下14枚目
3–2 
x
1921年
(大正10年)
西幕下7枚目
2–3 
x 西幕下21枚目
 
x
1922年
(大正11年)
東幕下34枚目
 
x 西幕下15枚目
1–4 
x
1923年
(大正12年)
東幕下31枚目
 
x 東三段目4枚目
 
x
1924年
(大正13年)
東幕下32枚目
 
x 東幕下9枚目
4–2 
x
1925年
(大正14年)
西十両14枚目
2–4 
x 西幕下6枚目
3–3 
x
1926年
(大正15年)
西幕下6枚目
2–4 
x 東幕下27枚目
 
x
1927年
(昭和2年)
東幕下13枚目
4–2 
東幕下13枚目
3–3 
西幕下4枚目
4–2 
西幕下8枚目
3–3 
1928年
(昭和3年)
西十両7枚目
5–5
1分
 
東幕下7枚目
3–2[4] 
西十両6枚目
5–6 
西十両6枚目
5–6 
1929年
(昭和4年)
東幕下2枚目
0–3–3 
東幕下2枚目
引退
0–0–6
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。

改名歴

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  • 矢叫 定吉 - 1914年1月場所 - 1917年5月場所
  • 羽後錦 定吉 - 1918年1月場所 - 1921年5月場所
  • 矢叫 早之介 - 1922年1月場所
  • 羽後錦 定吉 - 1922年5月場所 - 1926年5月場所
  • 乙女川 定吉 - 1927年1月場所 - 1929年3月場所

脚注

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  1. ^ a b c d e 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、161頁。
  2. ^ a b c d e f 『昭和の大相撲 資料編』 307頁。
  3. ^ 大相撲星取表 大正14年春場所
  4. ^ 7・8日目の成績不明。

参考文献

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  • 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
  • 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年

関連項目

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外部リンク

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