八本松町宗吉
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八本松町宗吉 | |
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大字 | |
川上弾薬庫入口 | |
北緯34度27分16秒 東経132度40分43秒 / 北緯34.45444度 東経132.67861度座標: 北緯34度27分16秒 東経132度40分43秒 / 北緯34.45444度 東経132.67861度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 広島県 |
市町村 | 東広島市 |
人口情報(2024) | |
人口 | 941 人 |
世帯数 | 369 世帯 |
面積(2020) | |
3.349037859 km² | |
人口密度 | 280.98 人/km² |
郵便番号 | 739-0145 |
市外局番 | 082 |
ナンバープレート | 広島 |
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八本松町宗吉(はちほんまつちょうむねよし)とは、広島県東広島市の大字。全域で住居表示未実施である[1]。
概要
[編集]八本松地区北西部に位置しており、町内には在日米軍川上弾薬庫を擁する。そのため、実際の面積に対して一般人が立ち入れる領域は極めて狭い。また町域が二つに分かれており、飛地状態となっている。
南北朝時代に宗良親王がこの地に至り、難を逃れたことが町名の由来とされている。かつては川上村に属した[2]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。賀茂郡宗吉村他4村が合併し、川上村が発足する。宗吉村は「宗吉」として川上村の大字となる[2][3]。
- 1940年(昭和15年)- 海軍が町内の中心部ほとんどを買収し、弾薬庫を設置する[注釈 1]。これにより51戸が立ち退き[2]。
- 1956年(昭和31年)9月1日 - 賀茂郡川上村、吉川村、原村が合併して八本松町が発足する。宗吉は八本松町の大字となる[2][3]。
- 1972年(昭和47年)4月20日 - 八本松町が周辺3町と合併し、東広島市が発足。宗吉は「八本松町宗吉」として東広島市の大字となる[2][4]。
- 1996年(平成8年)12月2日 - 町内の一部が分離され、八本松飯田となる[5]。
- 2011年(平成23年)10月31日 - 町内の一部が分離され、八本松西となる[5]。これに伴い町域が南北に分断される。
交通
[編集]鉄道
[編集]バス
[編集]町内を走るバス路線はない。なお芸陽バスにある「宗吉」「宗吉東」バス停は町内ではなく、八本松西に位置する[6](ただし至近距離にあるため利用可能である)。
道路
[編集]一般国道
[編集]主要地方道
[編集]施設
[編集]- 川上弾薬庫
- ひがしひろしま霊苑
学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下のようになる[7]。
世帯数・人口
[編集]2024年(令和6年)10月末時点での世帯数は369世帯、人口は941人である[8]。
面積
[編集]2020年時点での面積は3.349037859km2である[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “住居表示未実施区域一覧(地区別)” (PDF). 東広島市. 2024年12月6日閲覧。
- ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1987, p. 808-809.
- ^ a b 地名情報資料室 1990, p. 231.
- ^ 地名情報資料室 1990, p. 654.
- ^ a b “住居表示実施区域一覧” (PDF). 東広島市. 2024年12月6日閲覧。
- ^ “芸陽バス路線図”. 芸陽バス株式会社. 2024年12月6日閲覧。
- ^ “東広島市立小・中学校の通学区域/東広島市ホームページ”. 東広島市. 2024年12月6日閲覧。
- ^ “2024(令和6)年10月大字別人口” (Excel). 東広島市. 2024年12月6日閲覧。
- ^ “広島県東広島市八本松町宗吉 - 人口総数及び世帯総数”. 人口統計ラボ. 2024年12月6日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 34(広島県)、角川書店、1987年3月。ISBN 4-04-001340-9。
- 地名情報資料室 編『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年9月。ISBN 4-490-10280-1。