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大心昇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八雲潟から転送)
大心 昇
基礎情報
四股名 長葉山 留男 → 八雲潟 → 長葉山 → 大心 昇 → 長田
本名 長田 留雄 → 長田 留男
生年月日 (1937-08-02) 1937年8月2日
没年月日 (2012-03-20) 2012年3月20日(74歳没)
出身 北海道山越郡長万部町
身長 179cm
体重 115kg
BMI 35.89
所属部屋 高嶋部屋吉葉山相撲道場宮城野部屋
得意技 右四つ、寄り、蹴手繰り
成績
現在の番付 引退
最高位前頭8枚目
生涯戦歴 343勝321敗11休(74場所)
幕内戦歴 49勝69敗2休(8場所)
優勝 十両優勝1回
幕下優勝1回
序二段優勝1回
データ
初土俵 1956年9月場所
入幕 1965年7月場所
引退 1969年3月場所
引退後 相撲料理店経営
備考
2013年9月2日現在

大心 昇(だいしん のぼる、1937年8月2日 - 2012年3月20日)は、北海道山越郡長万部町出身で宮城野部屋(入門時は高嶋部屋)に所属した大相撲力士。本名は長田 留雄(ながた とめお)→長田 留男( - とめお)。最高位は東前頭8枚目(1966年9月場所)。得意手は右四つ、寄り、蹴手繰りなど。現役時代の体格は179cm、115kg。

来歴

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18歳の時上京し、高嶋部屋に入門。1956年9月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の横綱大鵬(当初、納谷)や小結沢光(同、沢向)などがいる。翌年1月場所にて、「長葉山」の四股名序ノ口に付いた。同場所では5勝3敗と勝ち越し、上々の「大相撲デビュー」となったが、2勝目は納谷から挙げている(因みに納谷(大鵬)との対戦は、同場所以降、2度と叶わなかった)。

その後、元横綱・吉葉山が開いた「吉葉山道場」に移った(元吉葉山が年寄宮城野を襲名した1960年以降は、「宮城野部屋」へと所属が変更している)。

1964年11月場所にて4年半に及ぶ長い幕下生活を経て、27歳で十両へと昇進。そして、1965年7月場所で新入幕を果たした。同場所では、2日間の途中休場がありながら、8勝を挙げて見事勝ち越している(その他、幕内では同年11月場所と翌年7月場所でも勝ち越したが、いずれも成績は8勝7敗である)。幕内在位は8場所に終わり、1967年11月場所以降は関取に復帰する事も叶わなかった。

現役晩年は幕下41枚目まで番付を落とし、1969年3月場所後、31歳で廃業(なお、廃業時の四股名は、本名でもある「長田」であった)。

廃業後は東京都足立区西新井で、相撲料理店「大心」を営んでいた。なお、次男の真一(しんいち、1971年4月19日生まれ)も明治大学卒業間際に角界入り(父と異なり、立浪部屋に入門)したが、こちらは関取になれなかった。

2012年3月20日、心不全のため東京都内の病院で逝去した[1]。74歳没。

主な成績・記録

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  • 通算成績:343勝321敗11休 勝率.517
  • 幕内成績:49勝69敗2休 勝率.415
  • 現役在位:74場所
  • 幕内在位:8場所
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1966年5月場所)
    • 幕下優勝:1回(1964年9月場所)
    • 序二段優勝:1回(1957年9月場所)

場所別成績

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大心 昇
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1956年
(昭和31年)
x x x x (前相撲) x
1957年
(昭和32年)
西序ノ口22枚目
5–3 
西序二段98枚目
5–3 
東序二段63枚目
4–4 
x 西序二段46枚目
優勝
8–0
東三段目63枚目
5–3 
1958年
(昭和33年)
西三段目47枚目
3–5 
東三段目51枚目
6–2 
東三段目27枚目
4–4 
東三段目23枚目
3–5 
東三段目29枚目
4–4 
西三段目27枚目
5–3 
1959年
(昭和34年)
東三段目18枚目
4–4 
東三段目13枚目
4–4 
東三段目13枚目
5–3 
西三段目6枚目
5–3 
東幕下79枚目
4–4 
東幕下73枚目
3–5 
1960年
(昭和35年)
東三段目5枚目
3–5 
東三段目7枚目
6–2 
西幕下66枚目
4–4 
西幕下64枚目
5–2 
東幕下50枚目
2–5 
西幕下56枚目
3–4 
1961年
(昭和36年)
西幕下63枚目
4–3 
東幕下58枚目
3–4 
東幕下73枚目
4–3 
東幕下64枚目
4–3 
西幕下57枚目
5–2 
西幕下40枚目
2–5 
1962年
(昭和37年)
西幕下51枚目
5–2 
東幕下42枚目
4–3 
東幕下38枚目
4–3 
東幕下32枚目
3–4 
西幕下33枚目
2–5 
東幕下43枚目
4–3 
1963年
(昭和38年)
西幕下38枚目
4–3 
東幕下33枚目
4–3 
東幕下31枚目
4–3 
東幕下27枚目
6–1 
東幕下12枚目
3–4 
東幕下16枚目
3–4 
1964年
(昭和39年)
東幕下19枚目
2–5 
西幕下31枚目
3–4 
東幕下37枚目
6–1 
西幕下14枚目
5–2 
西幕下6枚目
優勝
7–0
東十両11枚目
8–7 
1965年
(昭和40年)
東十両7枚目
5–10 
西十両11枚目
9–6 
西十両4枚目
10–5 
東前頭15枚目
8–5–2[2] 
東前頭11枚目
7–8 
西前頭11枚目
8–7 
1966年
(昭和41年)
西前頭9枚目
5–10 
東前頭15枚目
6–9 
東十両5枚目
優勝
12–3
西前頭13枚目
8–7 
東前頭8枚目
5–10 
東前頭14枚目
2–13 
1967年
(昭和42年)
東十両8枚目
11–4 
西十両3枚目
7–8 
西十両9枚目
6–9 
東十両13枚目
9–6 
西十両8枚目
2–13 
東幕下5枚目
2–5 
1968年
(昭和43年)
西幕下18枚目
3–4 
東幕下22枚目
5–2 
東幕下12枚目
2–5 
東幕下24枚目
5–2 
西幕下13枚目
2–5 
西幕下25枚目
5–2 
1969年
(昭和44年)
西幕下14枚目
0–5–2 
東幕下41枚目
引退
0–0–7
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青ノ里 2 2 朝岡 1 0 浅瀬川 0 4 天津風 1 1
荒波 3 2(1) 追風山 1 1 扇山 1 1 小城ノ花 2 2
海乃山 0 1 開隆山 2 3 金乃花 1 1 北ノ國 1 2
君錦 2(1) 1 清國 1 0 麒麟児 1 2 高鐵山 2 3
大豪 0 3 大文字 0 1 大雄 2 2 玉嵐 0 1
鶴ヶ嶺 2 1 天水山 1 0 栃王山 0 1 豊國 1 2
花光 3 1 福の花 1 3 房錦 2 0 藤ノ川 0 1
前田川 2 0 義ノ花 2 0 若杉山 3 2 若秩父 1 5
若天龍 0 3 若浪 2 2 若鳴門 1 4 若乃洲 2 3
若二瀬 1 2 若見山 0 2
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

改名歴

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  • 長葉山 留男(ながばやま とめお)1957年1月場所 - 1959年9月場所・1960年1月場所 - 1964年3月場所
  • 八雲潟(やくもがた)1959年11月場所
  • 大心 昇(だいしん のぼる)1964年5月場所 - 1968年1月場所
  • 長田(ながた)1968年3月場所 - 1969年3月場所

脚註

[編集]
  1. ^ 元幕内大心、長田留男氏が死去 サンケイスポーツ 2012年3月21日閲覧
  2. ^ 右足第 4指関節脱臼により3日目から途中休場、6日目から再出場

参考文献

[編集]

関連項目

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