君錦利正
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君錦 利正(きみにしき としまさ、1937年7月6日 - 2013年7月16日)は、千葉県木更津市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は五味 利正(ごみ としまさ)。現役当時の体格は177cm、125kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭3枚目(1963年5月場所)[1]。
来歴・人物
[編集]立浪部屋の元十両力士・桐ノ花[2]の勧誘を受けて、地元の中学校を卒業後に角界入り。1953年(昭和28年)5月場所にて15歳で初土俵を踏み、翌9月場所、「房州山」の四股名で序二段に付いた(その後、「千葉ノ浪」を経て「君錦」に改名している)[1]。
以来、徐々に番付を上げてゆき、1960年(昭和35年)3月場所で十両に昇進。そして、1961年(昭和36年)7月場所に於いて、24歳で新入幕を果たした[1]。
右四つからの寄りを得意としたが、勝ち味が遅かったことがたたり、幕内上位では余り活躍できなかった[1]。横綱・大関陣との対戦圏内には2度進んだが、いずれも大敗している。三役からの白星は、自己最高位の東前頭3枚目で迎えた1963年(昭和38年)5月場所にて、小結・富士錦から挙げた1勝のみである。
1968年(昭和43年)5月場所を以って30歳で廃業し、その後は故郷の木更津市内で、相撲料理店「君錦」を営んだ[1]。2008年(平成20年)、店を閉店。
2013年(平成25年)7月16日、76歳で永眠[3]。
主な成績・記録
[編集]- 通算成績:504勝469敗1分24休 勝率.518
- 幕内成績:138勝168敗9休 勝率.451
- 現役在位:81場所
- 幕内在位:21場所
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1966年3月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
1953年 (昭和28年) |
x | x | 新序 2–1 |
x | 東序二段48枚目 6–2 |
x |
1954年 (昭和29年) |
西序二段19枚目 4–4 |
東序二段3枚目 4–4 |
西三段目71枚目 6–2 |
x | 東三段目50枚目 6–2 |
x |
1955年 (昭和30年) |
西三段目32枚目 4–4 |
西三段目23枚目 4–4 |
西三段目19枚目 5–3 |
x | 西三段目4枚目 4–4 |
x |
1956年 (昭和31年) |
東三段目2枚目 4–4 |
東幕下65枚目 4–4 |
東幕下63枚目 5–3 |
x | 西幕下58枚目 5–3 |
x |
1957年 (昭和32年) |
西幕下48枚目 3–5 |
西幕下52枚目 5–3 |
西幕下41枚目 4–4 |
x | 西幕下41枚目 6–2 |
西幕下27枚目 6–2 |
1958年 (昭和33年) |
東幕下18枚目 5–3 |
東幕下13枚目 3–5 |
東幕下18枚目 3–5 |
東幕下22枚目 5–3 |
東幕下18枚目 6–2 |
西幕下7枚目 3–5 |
1959年 (昭和34年) |
東幕下10枚目 4–4 |
東幕下10枚目 4–4 |
東幕下10枚目 5–3 |
西幕下7枚目 5–3 |
東幕下7枚目 5–3 |
西幕下3枚目 6–2 |
1960年 (昭和35年) |
西幕下2枚目 5–3 |
西十両16枚目 8–7 |
東十両11枚目 8–7 |
東十両11枚目 8–7 |
東十両7枚目 7–8 |
東十両8枚目 9–6 |
1961年 (昭和36年) |
東十両5枚目 6–9 |
西十両7枚目 8–7 |
西十両5枚目 11–3 (引分1) |
西前頭12枚目 7–8 |
西前頭12枚目 4–11 |
東十両5枚目 10–5 |
1962年 (昭和37年) |
東十両筆頭 10–5 |
東前頭13枚目 9–6 |
東前頭4枚目 5–10 |
西前頭9枚目 5–10 |
東前頭13枚目 8–7 |
東前頭11枚目 6–9 |
1963年 (昭和38年) |
西前頭13枚目 8–7 |
東前頭9枚目 10–5 |
東前頭3枚目 5–10 |
東前頭7枚目 3–7–5[4] |
東十両筆頭 3–12 |
東十両8枚目 6–9 |
1964年 (昭和39年) |
西十両10枚目 13–2 |
東十両3枚目 5–10 |
西十両8枚目 10–5 |
東十両4枚目 11–4 |
東前頭14枚目 8–7 |
西前頭13枚目 8–7 |
1965年 (昭和40年) |
西前頭8枚目 6–9 |
東前頭10枚目 7–8 |
東前頭11枚目 8–7 |
東前頭8枚目 6–9 |
西前頭10枚目 4–7–4[5] |
西十両2枚目 6–9 |
1966年 (昭和41年) |
東十両5枚目 7–8 |
東十両6枚目 優勝 13–2 |
西前頭14枚目 8–7 |
東前頭12枚目 6–9 |
東前頭14枚目 7–8 |
東十両筆頭 7–8 |
1967年 (昭和42年) |
東十両2枚目 7–8 |
東十両3枚目 8–7 |
東十両4枚目 6–9 |
西十両6枚目 8–7 |
西十両3枚目 6–9 |
西十両6枚目 5–10 |
1968年 (昭和43年) |
東十両12枚目 9–6 |
西十両6枚目 7–8 |
西十両8枚目 引退 0–0–15 |
x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
青ノ里 | 2 | 4 | 浅瀬川 | 1 | 2 | 朝ノ海 | 2 | 2 | 荒波 | 1 | 3 | |||
一乃矢 | 1 | 3 | 岩風 | 7 | 4 | 宇多川 | 10 | 2 | 追手山 | 3 | 1 | |||
扇山 | 1 | 1 | 大晃 | 3 | 4 | 小城ノ花 | 9 | 4 | 海山 | 1 | 0 | |||
海乃山 | 1 | 10 | 開隆山 | 1 | 7 | 金乃花 | 7 | 6 | 清勢川 | 2 | 3 | |||
栗家山 | 1 | 2 | 高鐵山 | 3 | 1 | 琴櫻 | 1 | 0 | 逆鉾 | 0 | 1 | |||
佐田乃山 | 0 | 2 | 新川 | 1 | 0 | 大豪 | 1 | 5 | 大心 | 1 | 2(1) | |||
大鵬 | 0 | 1 | 大雄 | 1 | 1 | 玉嵐 | 1 | 2 | 常錦 | 3 | 2 | |||
鶴ヶ嶺 | 2 | 5 | 出羽錦 | 3 | 2 | 天水山 | 2 | 0 | 栃王山 | 1 | 2 | |||
栃ノ海 | 0 | 2 | 栃光 | 0 | 2 | 豊國 | 2 | 2 | 成山 | 1 | 0 | |||
長谷川 | 0 | 4 | 花光 | 2 | 1 | 廣川 | 3 | 6 | 福田山 | 1 | 1 | |||
福の花 | 0 | 1 | 房錦 | 9 | 6(1) | 富士錦 | 3 | 6 | 星甲 | 2 | 2 | |||
前田川 | 5 | 3 | 前の山 | 0 | 1 | 松登 | 0 | 2 | 松前山 | 0 | 1 | |||
禊鳳 | 0 | 1 | 宮ノ花 | 1 | 0 | 宮柱 | 1 | 0 | 明武谷 | 2 | 1 | |||
義ノ花 | 3 | 4 | 芳野嶺 | 1 | 1 | 若駒 | 0 | 1 | 若杉山 | 2 | 1 | |||
若秩父 | 0 | 9 | 若天龍 | 2 | 4 | 若鳴門 | 3 | 3 | 若ノ海 | 4 | 3 | |||
若ノ國 | 4 | 1 | 若乃洲 | 1 | 3 | 若二瀬 | 1 | 0 | 若前田 | 4 | 4 |
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦敗の数。
改名歴
[編集]- 房州山(ぼうしゅうやま、1953年9月場所)
- 千葉ノ浪(ちばのなみ、1954年1月場所)
- 君錦(きみにしき、1954年3月場所-1968年5月場所)
参考文献
[編集]- 『戦後新入幕力士物語 第2巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社、1990年、p428-p432)
- 『房総大相撲人國記』(著者:谷口公逸、発行元:彩流社、2019年、p502-p506)
脚注
[編集]- ^ a b c d e ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p27
- ^ 東京相撲が東京を離れて名古屋の仮設国技館で開催されることに不満を出して1924年1月場所は不出場となり、それによって破門された力士。: 『大相撲ジャーナル』2017年8月号 p40
- ^ 『房総大相撲人國記』p506
- ^ 左足首関節捻挫により10日目から途中休場
- ^ 左足首関節捻挫により2日目から途中休場、7日目から再出場
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 君錦 利正 - 相撲レファレンス