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若ノ國豪夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
若ノ國 豪夫
基礎情報
四股名 照錦 照夫 → 若乃國 照夫 → 若の國 照夫 → 若ノ國 豪夫 → 若ノ國 照夫 → 若ノ國 豪夫
本名 伊藤 照夫
生年月日 (1936-04-04) 1936年4月4日(88歳)
出身 岐阜県海津郡南濃町(※現役当時、現在の岐阜県海津市
身長 181cm
体重 125kg
BMI 38.16
所属部屋 花籠部屋(入門時は芝田山部屋
得意技 突っ張り、右四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位前頭8枚目
生涯戦歴 592勝555敗21休 (91場所)
幕内戦歴 139勝201敗5休 (23場所)
優勝 十両優勝3回
データ
初土俵 1953年3月場所
入幕 1959年11月場所
引退 1969年9月場所
引退後 相撲料理店の経営などに従事
備考
2014年3月3日現在

若ノ國 豪夫(わかのくに たけお、1936年4月4日 - 没年不明)は、岐阜県海津郡南濃町(※現役当時、現在の同県海津市)出身で花籠部屋(入門時は芝田山部屋)に所属した元大相撲力士。本名は伊藤 照夫(いとう てるお)。現役時代の体格は181cm、125kg。得意手は右四つ、突っ張り、寄り。最高位は東前頭8枚目(1960年7月場所、1963年7月場所など)。

来歴・人物

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16歳の時、元前頭3枚目・大ノ海が率いる芝田山部屋に入門し、1953年3月場所で初土俵を踏んだ(その後、師匠の年寄名変更に伴い、同年5月より所属の部屋名が花籠部屋となる)。

2年近く幕下10枚目以内にあって足踏みをしたが、四股名を「照錦」から「若乃國」に改めた1959年1月場所では東幕下2枚目で7勝1敗と大きく勝ち越し、翌3月場所で十両に昇進。十両は4場所で通過して、同年11月場所にて新入幕を果たした。1961年9月場所から1962年1月場所にかけて幕内の番付に名を連ねた7人の花籠部屋幕内力士、いわゆる「花籠七若」の1人であった[1]

稽古場では凄い力を発揮したが、負傷や気の弱い面があったため本場所では実力を発揮できずに幕内と十両との往復を繰り返して、入幕9回という記録を持っている(歴代4位、現在の1位は大潮憲司の13回。だが、廃業当時から1976年に前述の大潮によって更新されるまでは、歴代1位だった)。

1969年9月場所限りで廃業し、その後は大阪市で、相撲料理店「國乃家」とクラブ「ドラゴン」を経営した。

主な戦績

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  • 通算成績:592勝555敗21休 勝率.516
  • 幕内成績:139勝201敗5休 勝率.409
  • 現役在位:91場所
  • 幕内在位:23場所
  • 各段優勝
    • 十両優勝:3回(1959年5月場所、1965年1月場所、1967年11月場所)

場所別成績

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若ノ國 豪夫
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1953年
(昭和28年)
x 東番付外
3–3 
西序ノ口2枚目
3–4–1 
x 西序二段54枚目
6–2 
x
1954年
(昭和29年)
東序二段30枚目
6–2 
西三段目62枚目
7–1 
東三段目33枚目
3–3–2 
x 西三段目35枚目
4–4 
x
1955年
(昭和30年)
西三段目29枚目
6–2 
西三段目3枚目
5–3 
東幕下46枚目
7–1 
x 東幕下22枚目
2–5 
x
1956年
(昭和31年)
西幕下26枚目
6–2 
東幕下16枚目
4–4 
西幕下15枚目
3–5 
x 西幕下21枚目
4–4 
x
1957年
(昭和32年)
西幕下20枚目
6–2 
東幕下8枚目
4–4 
東幕下7枚目
4–4 
x 東幕下7枚目
4–4 
東幕下7枚目
4–4 
1958年
(昭和33年)
東幕下8枚目
4–4 
西幕下7枚目
4–4 
東幕下7枚目
6–2 
東幕下2枚目
2–6 
西幕下8枚目
6–2 
東幕下2枚目
4–4 
1959年
(昭和34年)
東幕下2枚目
7–1 
西十両21枚目
10–5 
東十両10枚目
優勝
12–3
西十両筆頭
8–7 
東十両筆頭
8–7 
東前頭17枚目
8–7 
1960年
(昭和35年)
西前頭14枚目
9–6 
東前頭10枚目
7–8 
西前頭10枚目
8–7 
東前頭8枚目
4–11 
西前頭13枚目
9–6 
西前頭9枚目
6–9 
1961年
(昭和36年)
西前頭13枚目
4–11 
東十両4枚目
11–4 
西前頭11枚目
8–7 
西前頭9枚目
6–9 
東前頭10枚目
6–9 
西前頭12枚目
8–7 
1962年
(昭和37年)
西前頭11枚目
4–11 
西十両筆頭
10–5 
西前頭11枚目
3–12 
西十両3枚目
9–6 
東十両筆頭
9–6 
東前頭14枚目
3–7–5[2] 
1963年
(昭和38年)
西十両5枚目
9–6 
西十両筆頭
11–4 
西前頭11枚目
9–6 
東前頭8枚目
5–10 
西前頭15枚目
6–9 
東十両2枚目
6–9 
1964年
(昭和39年)
東十両4枚目
10–5 
東十両2枚目
11–4 
東前頭13枚目
5–10 
西十両筆頭
5–4–6 
西十両4枚目
3–12 
東十両15枚目
9–6 
1965年
(昭和40年)
東十両9枚目
優勝
12–3
東十両4枚目
6–9 
西十両6枚目
6–9 
西十両8枚目
10–5 
西十両3枚目
10–5 
西十両筆頭
9–6 
1966年
(昭和41年)
東十両筆頭
6–9 
東十両3枚目
8–7 
東十両2枚目
6–9 
東十両5枚目
5–10 
東十両10枚目
6–9 
東十両14枚目
10–5 
1967年
(昭和42年)
西十両3枚目
7–8 
西十両4枚目
9–6 
西十両3枚目
8–7 
東十両2枚目
9–6 
西前頭11枚目
5–10 
西十両2枚目
優勝
12–3
1968年
(昭和43年)
東前頭8枚目
4–11 
東十両2枚目
8–7 
西前頭12枚目
8–7 
東前頭8枚目
4–11 
東十両3枚目
6–9 
東十両7枚目
9–6 
1969年
(昭和44年)
東十両3枚目
6–9 
西十両8枚目
9–6 
東十両3枚目
8–7 
東十両2枚目
4–11 
東十両9枚目
引退
1–7–7
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青ノ里 2 9 浅瀬川 1 0 朝ノ海 1 0 愛宕山 1 0
天津風 2 3 荒波 0 1 泉洋 1 1 一乃矢 3 2
岩風 1 3 宇多川 6 4 及川 2 2 追手山 1 1
扇山 0 2 大晃 2 8 小城ノ花 3 5 海乃山 2 2
開隆山 1 3 金乃花 4 7 北ノ國 1 0 北の洋 2 5
北の花 1 1 君錦 1 4 清勢川 4 5 鬼竜川 0 1
栗家山 0 1 高鉄山 2 2 逆鉾 1 2 佐田の山 0 2
潮錦 4 4 信夫山 2 2 大雄 2 4 高見山 0 2 
常錦 4 3 鶴ヶ嶺 0 4 出羽錦 1 5 時津山 2 2
時葉山 0 4 戸田 2 1 栃王山 1 3 栃ノ海 2 1
豊國 1(1) 6 鳴門海 3 1 成山 2 1 荒岐山 1 1
羽黒川 3 4 羽黒山 0 3 羽子錦 3 0 廣川 1 2
福田山 4 2 福の花 0 2 房錦 3 6 富士錦 3 7
二子岳 1 0 双ツ龍 4 0 星甲 1 1 前田川 2 5
松登 4 6 禊鳳 0 2 三根山 0 1 明武谷 6 3
陸奥嵐 0 1 豊山 0 1 義ノ花 0 1 芳野嶺 3 2
若杉山 4 1 若浪 0 4 若鳴門 1 1 若羽黒 1 3
若二瀬 0 2 若前田 6 6 若見山 0 1 若吉葉 2 0
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝の数。

改名歴

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  • 照錦 照夫(てるにしき てるお)1953年5月場所-1958年11月場所
  • 若乃國 照夫(わかのくに -)1959年1月場所-1961年9月場所
  • 若の國 照夫(わかのくに -)1961年11月場所
  • 若ノ國 豪夫(わかのくに たけお)1962年1月場所-同年3月場所
  • 若ノ國 照夫(- てるお)1962年5月場所-同年9月場所
  • 若ノ國 豪夫(- たけお)1962年11月場所-1969年9月場所

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p40
  2. ^ 右足打撲により初日から休場、6日目から出場