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福田山幸雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - 没年不明 )は、長崎県諫早市川床町出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は福田 幸雄(ふくだ ゆきお)。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は西前頭4枚目(1961年7月場所)。現役時代の体格は181cm、94kg。

来歴・人物

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少年時代は大変な悪童として地元でもよく知られ、諫早農業高校を濡れ衣の暴力事件絡みで中退後は、福岡市トヨタ自動車の見習工として働いていた。だが、ほどなく退職。

その後、「相撲取りになってはどうか」と、父の知人から出羽海部屋付きの待乳山親方(元関脇・両國)を紹介された。

1949年春、上京して出羽海部屋に入門し、同年5月場所で初土俵。なお、初土俵の同期には、後の小結・時錦らがいた。

初土俵の場所では番付外で好成績を残し、途中からは新序に昇格して、2勝1敗と勝ち越した。

そのため、同年10月場所の番付では序ノ口を飛び越し、序二段の地位に自らの四股名が載った。

なお、当初の四股名は「常若」で、これは当時の出羽海親方(元横綱常ノ花)の現役名に因んでいる。「福田山」に改名したのは、1957年1月場所前である。

その後、1958年1月場所で新十両に昇進し、1959年3月場所で入幕を果たした。初土俵から10年近くを費やしての、待望の新入幕であった。

以降は一時十両に落ちた事もあったが直ぐに幕内に戻り、1961年9月場所まで、計15場所幕内を務めた。

その間、1960年3月場所では、13日目に入幕2場所目の大鵬から勝利を挙げている(大鵬はこの敗戦で、同場所での負け越しが決定。幕内在位全69場所中、皆勤した場所で唯一の負け越し場所となる)。なお、福田山は翌5月場所でも大鵬に勝ったが、以後は対戦の機会が無かった。そのため福田山は、大鵬と2回以上対戦して一度も負けていない唯一の力士として、記録に残っている。

この頃よりを患い、大鵬に連勝するなど10日目まで1敗と絶好調だった前述の場所では、これにより13日目から休場の憂き目を見ている。痔は以後も福田山を苛み、力士として大成する機会をも奪う事となった。

現役晩年は幕下まで番付を落としたが、痔の苦しみに堪えつつ土俵に上がり続け、2度十両に返り咲くなど意地を見せた。

1965年1月場所後、33歳で廃業

廃業後は帰郷して中華料理店に勤務し、再び東京に戻ってからは、中央区日本橋横山町でラーメン店を営んだ。

その後、魚市場に勤め、常の山が角界入りする切っ掛けを作っている。

主な成績・記録

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  • 通算成績:403勝407敗44休 勝率.498
  • 幕内成績:100勝123敗2休 勝率.448
  • 現役在位:74場所
  • 幕内在位:15場所
  • 各段優勝
    • 幕下優勝:2回(1957年11月場所、1964年1月場所)

場所別成績

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福田山 幸雄
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1949年
(昭和24年)
x x 西新序
2–1 
x x 東序二段22枚目
8–7 
1950年
(昭和25年)
西序二段9枚目
5–10 
x 東序二段15枚目
9–6 
x 西三段目37枚目
9–6 
x
1951年
(昭和26年)
西三段目26枚目
7–8 
x 西三段目24枚目
6–9 
x 東三段目28枚目
0–0–15 
x
1952年
(昭和27年)
西三段目41枚目
0–0–8 
x 西序二段3枚目
6–2 
x 西三段目33枚目
4–4 
x
1953年
(昭和28年)
西三段目29枚目
4–4 
西三段目28枚目
6–2 
西三段目11枚目
4–4 
x 東三段目7枚目
5–3 
x
1954年
(昭和29年)
西幕下39枚目
4–4 
西幕下34枚目
4–4 
東幕下33枚目
3–5 
x 西幕下37枚目
3–1–4 
x
1955年
(昭和30年)
東幕下31枚目
4–4 
東幕下28枚目
5–3 
西幕下20枚目
3–5 
x 東幕下23枚目
5–3 
x
1956年
(昭和31年)
東幕下13枚目
4–4 
西幕下12枚目
3–5 
西幕下17枚目
4–4 
x 西幕下15枚目
4–4 
x
1957年
(昭和32年)
西幕下14枚目
2–6 
西幕下22枚目
4–4 
西幕下21枚目
3–5 
x 西幕下25枚目
6–2 
東幕下16枚目
優勝
8–0
1958年
(昭和33年)
東十両23枚目
8–7 
西十両20枚目
8–7 
西十両19枚目
8–7 
東十両18枚目
10–5 
東十両9枚目
10–5 
東十両4枚目
9–6 
1959年
(昭和34年)
西十両筆頭
10–5 
西前頭15枚目
6–9 
西前頭19枚目
10–5 
東前頭13枚目
5–10 
東前頭17枚目
7–8 
西前頭16枚目
6–9 
1960年
(昭和35年)
西十両筆頭
11–4 
西前頭10枚目
5–10 
西前頭15枚目
9–4–2[1] 
西前頭8枚目
5–10 
西前頭9枚目
6–9 
西前頭12枚目
7–8 
1961年
(昭和36年)
東前頭14枚目
7–8 
西前頭14枚目
11–4 
東前頭6枚目
8–7 
西前頭4枚目
3–12 
東前頭9枚目
5–10 
西十両2枚目
7–8 
1962年
(昭和37年)
西十両2枚目
7–8 
西十両2枚目
休場
0–0–15
東十両15枚目
7–8 
東十両17枚目
7–8 
東十両18枚目
5–10 
西幕下3枚目
1–6 
1963年
(昭和38年)
西幕下20枚目
5–2 
東幕下14枚目
4–3 
東幕下11枚目
3–4 
東幕下12枚目
2–5 
東幕下22枚目
3–4 
西幕下23枚目
4–3 
1964年
(昭和39年)
西幕下18枚目
優勝
7–0
東十両16枚目
4–11 
西幕下3枚目
7–0 
東十両15枚目
6–9 
東十両18枚目
6–9 
東幕下3枚目
1–6 
1965年
(昭和40年)
西幕下14枚目
引退
1–6–0
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青ノ里 3 4 朝潮(米川) 0 1 愛宕山 0 1 荒岐山 1 0
泉洋 3 2 岩風 0 3 宇多川 4 3 追手山 2 0
大内山 1 0 大瀬川 2 1 海山 4 4 開隆山 0 5
北の洋 1 4(1) 北葉山 0 1 君錦 1 1 清ノ森 5 3
鬼竜川 0 3 国登 0 1 鯉の勢 1 1 潮錦 7 3
嶋錦 1 1 大鵬 2 0 高錦 1 0 玉乃海 4 1
玉響 1 3 鶴ヶ嶺 1 1 時津山 3 4 時錦 0 2
羽黒花 2 2 羽黒山 0 3 羽子錦 3 2 房錦 1 1
冨士錦 2 4 双ツ龍 1 4 星甲 3 1 前田川 2 3
松登 5 6 三根山 1 0 宮錦 2 0 宮柱 0 1
明武谷 2 1 芳野嶺 2 4 若駒 0 1 若杉山 3 6
若秩父 1 5 若天龍 1 0 若ノ海 1 4 若乃國 2 4
若羽黒 0 1 若葉山 3 2 若前田 2 7 若三杉 1 4
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦敗の数。

改名歴

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  • 常若 幸雄(つねわか ゆきお、1949年10月場所 - 1956年9月場所)
  • 福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1957年1月場所 - 1960年1月場所)
  • 福田山 幸右エ門(ふくだやま こうえもん、1960年3月場所 - 1962年9月場所)
  • 福田山 剛弘(ふくだやま たけひろ、1962年11月場所 - 1965年1月場所)

脚注

[編集]
  1. ^ 肛門周囲膿症により13日目から途中休場

参考文献

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関連項目

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