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若前田英一朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
若前田 英一朗
若前田(1958年頃)
基礎情報
四股名 由井 秀夫 → 若前田 英二朗 → 若前田 英次朗 → 若前田 英二朗 → 若前田 英一朗 → 若前田 雷三 → 若前田 英一朗
本名 由井 秀夫
生年月日 1930年11月24日
没年月日 (2007-06-03) 2007年6月3日(76歳没)
出身 愛知県西春日井郡西枇杷島町(現在の同県清須市
身長 174cm
体重 129kg
BMI 42.61
所属部屋 高砂部屋
得意技 右四つ、寄り、押し
成績
現在の番付 引退
最高位関脇
生涯戦歴 484勝475敗24休(67場所)
幕内戦歴 355勝389敗6休(50場所)
優勝 三段目優勝1回
序ノ口優勝1回
敢闘賞3回
技能賞1回
データ
初土俵 1950年1月場所
入幕 1954年5月場所
引退 1964年1月場所
引退後 年寄尾上
備考
金星3個(吉葉山1個、若乃花2個)
2019年7月3日現在

若前田 英一朗(わかまえだ えいいちろう、1930年11月24日 - 2007年6月3日)は、愛知県清須市(現役当時は、同県西春日井郡西枇杷島町)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は由井 秀夫(ゆい ひでお)。最高位は東関脇(1958年5月場所、同年7月場所)。現役時代の体格は174cm、129kg。得意手は右四つ、寄り、押し[1]

来歴

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名古屋市内で旋盤工として働く傍ら相撲部で活躍し、1949年の巡業の折に複数の部屋から勧誘されたのを機に高砂部屋に入門し、1950年1月場所に於いて初土俵を踏んだ[1]

四股名である「若前田」は、師匠の現役名、「前田山」に因んでいる(初名は本名でもある「由井」で、1952年5月場所より、この四股名に改名)。

1953年3月場所で十両に昇進し、1954年5月場所で入幕した。この新入幕の場所では9日目に急性虫垂炎を発症したが、注射で散らして土俵に上がって3連勝し勝ち越し[1]を決め、そのあと千秋楽まで休場し、不戦敗なしの休場という珍しい星取りを残した(12日目朝に、あらかじめ13日目以降の休場届を提出していたため)。

1958年1月場所から3場所連続で鏡里若乃花千代の山らを倒して敢闘賞を受賞し、翌年1月場所では横綱栃錦を破って技能賞を受賞した。新関脇から2場所続けて10勝5敗と二桁勝利を挙げる活躍で大関昇進も期待された[1]が、膝関節の負傷で果たせなかった。

立ち合いの一気の押し、モロ差しから寄り立てる速攻相撲が持ち味であった[1]

1964年1月場所限りで引退し、年寄尾上を襲名したが同年9月場所後に廃業し、以後は名古屋市で相撲料理店やアパートを経営した。

2007年6月3日、病気のため死去。76歳没。

主な成績・記録

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  • 通算成績:484勝475敗24休 勝率.505
  • 幕内成績:355勝389敗6休 勝率.477
  • 現役在位:67場所
  • 幕内在位:50場所
  • 三役在位:7場所(関脇3場所、小結4場所)
  • 三賞:4回
    • 敢闘賞:3回 (1958年1月場所、1958年3月場所、1958年5月場所)
    • 技能賞:1回 (1959年1月場所)
  • 金星:3個(吉葉山1個、若乃花2個)
  • 各段優勝
    • 三段目優勝:1回 (1951年9月場所)
    • 序ノ口優勝:1回 (1950年5月場所)

場所別成績

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若前田 英一朗
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1950年
(昭和25年)
西番付外
4–3 
x 東序ノ口2枚目
優勝
10–5
x 東序二段6枚目
7–5–3 
x
1951年
(昭和26年)
東序二段3枚目
10–5 
x 西三段目21枚目
11–4 
x 西三段目4枚目
優勝
12–3
x
1952年
(昭和27年)
西幕下15枚目
7–8 
x 西幕下16枚目
9–6 
x 東幕下7枚目
7–8 
x
1953年
(昭和28年)
西幕下8枚目
11–4 
西十両20枚目
7–8 
西幕下筆頭
5–3 
x 西十両18枚目
9–6 
x
1954年
(昭和29年)
西十両15枚目
9–6 
東十両6枚目
11–4 
西前頭20枚目
8–4–3[2] 
x 西前頭13枚目
6–9 
x
1955年
(昭和30年)
西前頭16枚目
9–6 
西前頭12枚目
11–4 
東前頭4枚目
4–11
x 西前頭9枚目
6–9 
x
1956年
(昭和31年)
西前頭12枚目
9–6 
西前頭3枚目
8–7 
西前頭筆頭
7–8 
x 東前頭3枚目
5–10 
x
1957年
(昭和32年)
東前頭5枚目
6–9 
西前頭8枚目
9–6 
西前頭3枚目
5–10 
x 東前頭8枚目
8–7 
東前頭7枚目
11–4 
1958年
(昭和33年)
西張出小結
8–7
東小結
10–5
東関脇
10–5
東関脇
5–10 
西前頭筆頭
4–11 
東前頭7枚目
11–4 
1959年
(昭和34年)
東張出小結
10–5
東張出関脇
7–8 
西小結
3–12 
西前頭5枚目
5–10 
西前頭9枚目
7–8 
西前頭10枚目
10–5 
1960年
(昭和35年)
西前頭4枚目
6–9 
東前頭7枚目
9–6 
西前頭5枚目
5–7–3[3] 
西前頭9枚目
7–8 
西前頭7枚目
9–6 
西前頭4枚目
5–10
1961年
(昭和36年)
西前頭7枚目
9–6 
西前頭筆頭
5–10 
東前頭4枚目
5–10 
東前頭9枚目
10–5 
西前頭3枚目
6–9 
西前頭6枚目
9–6 
1962年
(昭和37年)
西前頭3枚目
5–10
東前頭7枚目
5–10 
西前頭9枚目
8–7 
東前頭9枚目
5–10 
西前頭12枚目
6–9 
西前頭15枚目
8–7 
1963年
(昭和38年)
西前頭11枚目
7–8 
東前頭12枚目
8–7 
東前頭9枚目
6–9 
東前頭13枚目
8–7 
西前頭10枚目
2–13 
西十両筆頭
4–11 
1964年
(昭和39年)
東十両5枚目
引退
0–0–15
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青ノ里 4 10  天津風 3 5 荒岐山 0 2 荒波 1 0
泉洋 8 1 一乃矢 4 1 宇多川 6 5 追手山 4 3
扇山 3 1 大内山 4 6 大瀬川 2 3 大起 2 0
大昇 1 0 大晃 19 14 岡ノ山 2 2 小城ノ花 4 5
大蛇潟 2 0 海山 9 7 海乃山 3 4 開隆山 2 4
鏡里 1 6 柏戸 1 2 金乃花 7 5 神錦 2 0
北の洋 10 7 北葉山 2 10 君錦 4 4 清恵波 1 3
清勢川 5 8 鬼竜川 3 2 麒麟児 0 1 黒獅子 1 1
鯉ノ勢 1 0 高鐵山 0 1 琴ヶ濱 7 11 琴櫻 1 0
琴錦 0 2 逆鉾 1 0 櫻國 2 0 佐田の山 1 3
潮錦 10 8 信夫山 10 4 清水川 3 2 新川(玉響) 3 5
大鵬 0 4 大雄 0 2 玉嵐 0 4 玉乃海 8 13
千代の山 1 6 常錦 3 7 常ノ山 1 2 鶴ヶ嶺 9 11
出羽錦 9 8 出羽ノ花 1 1 出羽湊 3 2 時津山 9 7
時錦 5 2 栃王山 1 1 栃錦 1 15 栃ノ海 1 2
栃光 6 13 豊國 6 2 豊登 1 0 七ッ海 1 0
名寄岩 0 1 鳴門海 8 3 成山 6 8 白龍山 3(1) 0
羽黒花 1 3 羽黒山 6 15 羽嶋山 3 2 羽子錦 2 1
備州山 2 0 秀湊 1 0 平鹿川 0 1 平ノ戸 2 0
広瀬川 1 1 福田山 7 2 福ノ海 1 0 福ノ里 1 0
二瀬山 1 2 双ツ龍 7 2 星甲 2 7 増巳山 1 0
三根山 7 0 宮ノ花 0 1 宮柱 2 1 吉葉洋(明武谷) 2 5
八染 1 0 豊山 0 1 吉井山 1 1 芳野嶺 4 3
吉葉山 2 2 若駒 2 1 若杉山 2 1 若瀬川 2 3
若秩父 3 2 若天龍 3 0 若浪 2 1 若鳴門 1 0
若ノ海 15 12 若ノ國 6 6 若乃花(初代) 6(1) 13 若羽黒 6 16
若葉山 3 3
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

改名歴

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  • 由井 秀夫(ゆい ひでお):1950年1月場所-1952年1月場所
  • 若前田 英二朗(わかまえだ えいじろう):1952年5月場所-1956年9月場所
  • 若前田 英次朗(わかまえだ えいじろう):1957年1月場所-1957年5月場所
  • 若前田 英二朗(わかまえだ えいじろう):1957年9月場所-1958年1月場所
  • 若前田 英一朗(わかまえだ えいいちろう):1958年3月場所-1960年7月場所
  • 若前田 雷三(わかまえだ らいぞう):1960年9月場所-1963年7月場所
  • 若前田 英一朗(わかまえだ えいいちろう):1963年9月場所-1964年1月場所

年寄変遷

[編集]
  • 尾上 英一朗(おのうえ えいいちろう)1964年1月-1964年9月

参考文献

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関連項目

[編集]

脚注

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  1. ^ a b c d e ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p19
  2. ^ 急性虫帯炎により13日目から途中休場
  3. ^ 左膝関節捻挫により12日目から途中休場