利用者‐会話:みっち/過去ログ7

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過去ログ[編集]

誤解について[編集]

みっち様、Consequenceです。ログを読み、みっち様が私の投稿に非常に不愉快な思いをされたことを知りました。深くお詫び申し上げます。決してみっち様を念頭においたものではありません。 なお、可否同数の場合は議長裁決が原則と考えております。 ウィキブレイク中のため、お詫びが遅れ失礼いたしました。--Consequence 2008年4月15日 (火) 00:58 (UTC)[返信]

荒らし、ストーカー呼ばわりが私を念頭に置いたものでない、といわれるなら、Consequenceさんが謝罪すべき対象は私ではなく、あなたが荒し・ストーカー呼ばわりした相手の方でしょう。また、ご自分を「提案者かつ投票者かつ議長」をもって任じておられるようですが、そのような付託をいつだれがしましたか? あくまでご自分に都合のいいようにしか考えられないのであれば、今後ウィキペディアの運営議論への参加を遠慮いただくのはもちろん、このままウィキブレイクを解かれない方がよいと申し上げておきます。--みっち 2008年4月15日 (火) 08:21 (UTC)[返信]

夜分おじゃまいたします[編集]

うれしいおしらせをもってまいりました。月間感謝賞にみっちさんが選ばれました。おめでとうございます。コメンテーターは好きな記事のみコメントすればいいにもかかわらずすべての記事にコメントくださったことについての投票でした。すべての記事を読んですべてにコメントするのは容易ではありません。汲平さんもおっしゃるように興味がわきにくい記事もあったかと思います。本当にお疲れ様でした。わたしも投票したかったのですが時間切れのため無効にになってしまいもうしわけなかったです。また今回の執筆コンテストではみっちさんを含め直接皆さんのご意見を聞くことができ感謝でした。消化不良でしかも長くて読みにくかった面があったかとおもいます。すみませんでした。ところで、いま感謝賞は低調であるため、もしみっちさんが、今後素晴らしい、助かったとおもった方の作業、たとえば地道に草取りをされている方とか特定分野に加筆して記事が充実してきたなど目立たない作業などお気づきになることがありましたら、ぜひ推薦していただけたらと思います。---Siyajkak 2008年5月1日 (木) 15:35 (UTC)[返信]

これは、わざわざお知らせくださってありがとうございました。月間感謝賞のページは全然見てませんでした。過分の感謝をいただいて、うろたえています。コンテストでは、もう少し時間をかけて読み込んでコメントすればよかったと思うものや、歯に衣着せない言い方にしても、ちょっと厳しすぎたかもしれないなど至らない点が気になっています。ウィキペディアに長くいると、「ウィキ毒」が回って意地悪になりがちf^^;なので、これからは私も月間感謝賞に推薦できるような方を探すようにしたいと思います。今後ともよろしくお願いします。--みっち 2008年5月1日 (木) 23:03 (UTC)[返信]

月間感謝賞のお礼[編集]

はじめてこちらにお邪魔いたします、NEONです。ちょうど上のトピックと逆になるかと思いますが、先の月間感謝賞のお礼にあがりました。推薦していただきましてありがとうございました。高々数KBの加筆で賞をいただいてしまって恐縮です。ここ最近の生物分野はどうしても記事単位の分業にならざるを得ず、Wikipedia にありながら共同作業の要素が希薄な執筆が続いていました。その意味で酒精強化ワインの執筆は楽しく、今更ながら新鮮なものでもありました。また共著で、他の執筆者の方も交えながら記事の充実を図っていけたら良いなと思っております。今後ともよろしくお願いいたします。- NEON 2008年10月2日 (木) 10:41 (UTC)[返信]

こちらこそよろしくお願いします! プロジェクトでの相談に応えていただいただけでなく、大幅に加筆までしていただき、本当にうれしく思っています。共同作業を旨とするウィキペディアですが、ひとつの記事を協力して充実させるというような機会には、おっしゃるとおりそうそう巡り逢わないことなので、今回体験できて楽しさ、面白さを再確認できました。またご一緒できる機会があるといいですね。もしよろしければ、NEONさんにも今後思い当たる方を月間感謝賞に推薦いただければ幸いです。とかくぶつかり合いが多く殺伐としがちなこのごろ、感謝の輪が広がっていくことで、多少なりとも潤いのあるコミュニティー形成に役立てられればと思います。--みっち 2008年10月3日 (金) 09:32 (UTC)[返信]

「ノート:夏の大三角形」より[編集]

以下に掲げるコメントは みっち さん個人に対するレスポンスであり、主題とも直接関係ないので、「ノート:夏の大三角形」の見通しを良くするため、こちらに転記させていただきました。--Bay Flam 2008年10月19日 (日) 02:39 (UTC) 訂正(抹消)--Bay Flam 2008年11月15日 (土) 20:43 (UTC)[返信]

--Bay Flam 2008年9月28日 (日) 07:46 (UTC) ノート:夏の大三角形より転記--Bay Flam 2008年10月19日 (日) 02:39 (UTC) ウィキケットに従い削除--Bay Flam 2008年11月15日 (土) 20:43 (UTC)[返信]

ギリシア神話[編集]

こんにちは。ギリシア神話関係の中心記事であるギリシア神話の記事が、ようやく編集の第二段階に入りました。この記事は、2005年の8月頃に全面改稿を行い、記事全体の設計を立てたのですが、第二段階の編集まで進めることができなかったものです。「構成」という節は、次に「神話概論」という形の神話全体の鳥瞰・概観の節を書くための序文としてあったものでした。

しかし「神話の概観」というのは非常に難しく、ようやく概観の具体的な構想が立ったのは、ここごく最近のことです。第二段階の編集というか執筆はまだ完了しておらず、あと15キロバイト程度は書く必要があるようです。「ギリシア神話」という記事のなかでしか書けない内容を扱うことができたことは喜ばしいことです。簡潔にし過ぎると、単なる固有名詞の羅列・リストになってしまうので、説明を最低必要と思う程度に加えていますが、あるいは冗長になっている可能性もあるかも知れません。ご意見等を戴ければ幸甚です。--Stella maris 2008年10月22日 (水) 14:08 (UTC)[返信]

お知らせありがとうございます。ウィキペディアでの執筆を再開されたことを喜んでいます。ギリシア神話の加筆を拝読しました。神話1-5の組み立て、その内容については、ごくかいつまんだ形ではありながら、要点を押さえつつ流れとしてよくまとまっていると思います。わくわくして神話を読んでいた昔の気持ちがよみがえってくるようです。いくつか私が書いた項目にリンクとしてつながっていることも、手前味噌ながらちょっぴり誇らしかったりしますf^^;。
一愛好者にすぎないので、こうした総論的な記事となると到底私の及ぶところではありませんし、いえることはほとんどないのですが、個人的にどんな記事を読みたいか、という観点からいくつか申し上げます。
  • まず歴史的事実や宗教との関連があります。ケレーニイがよく指摘している死生観あるいは「霊的」観念や、グレーヴスを読めばその考察のあちこちに書いてある、民族間や宗教上の争い、トーテム的象徴、女系王権から男系への変遷など、神話の物語は洪水、戦争、宗教儀式など歴史的な出来事の一定の反映というか、なにがしかを伝えていると思われます。
  • もうひとつは「英雄」です。ウィキペディアでは英雄はヒーローという項目になっていますが、ギリシア的英雄ということでは、英雄時代の方がその性格がよくとらえられているようにも思います。いずれにしても、英雄の条件や性格について、ここでもある程度まとまった記述が必要かと考えます。
  • もうひとつは神話の研究史といいますか、ケレーニイ、グレーヴスは私も読んでいますが、それだけともいえます。神話が過去どのように研究され、解釈されてきたのかを研究者の紹介も含めて歴史的な流れとしてとらえられないかと思います。
  • 最後は文学や美術、宗教など後世の文化全般への影響ということになるでしょうか。これは厖大で、なにから手を付けたものやらという気もしますが、少なくとも惑星の名前(これは正しくはローマ神話でしょうか)や多くの星座物語にギリシア神話が伝えられていることとその背景は述べる必要があろうかと思います。
こんな感じで、参考になるかどうか全然自信が持てませんが、とりあえず思いついたことを述べました。今後の進展をとても楽しみにしています。--みっち 2008年10月23日 (木) 09:14 (UTC)[返信]

九州オフについて[編集]

こんばんは、らりたです。九州オフに付いてですが、既に11月も半ばになってしまい、このままずるずると行ってしまうのは困りますので強引ではありますが、とりあえず「開催地は福岡」ということで決定してしまってはどうかと提案しております。みっちさんは福岡であると都合が悪いということなので、このような提案をしてしまうのは心苦しいのですが、いかがでしょうか。どうしても都合が悪いのならば提案は取り下げますので、ご意見をよろしくお願いいたします。--らりた 2008年11月15日 (土) 09:50 (UTC)[返信]

ご連絡ありがとうございます。Wikipedia‐ノート:オフラインミーティング/九州/第1回九州オフにもコメントしましたとおり、状況的にかなり難しいため、私のことは気にせずにすすめていただければと思います。申し訳ありません。--みっち 2008年11月15日 (土) 10:59 (UTC)[返信]
メールありがとうございます。Tantalです。
会話ページに書き込んだほうが早いか、メールが早いか分からなかったので。こっちに書き込みます。
集合時間、場所は今、Wikipedia‐ノート:オフラインミーティング/九州/第1回九州オフで協議中です。ご確認くださいませ。--Tantal 2008年12月1日 (月) 13:04 (UTC)[返信]

ウィキプロジェクト 神話[編集]

こんにちは。Stella maris です。このたび、事情により、Wikipedia:ウィキプロジェクト 神話 を作成しました。神話全体をカバーできるような人はいないか、いても極めて少数の方しかいないと思われます。そこで、世界の神話を記事執筆している方々に参加頂いて、それぞれで補い合って「神話のプロジェクト」を運営したくも思います。みっち様には、ギリシア神話の執筆者として是非参加をお願いしたく思います。また、他の「ウィキプロジェクト ギリシア神話」に参加されている方たちにもお誘いの言葉を記したいのですが、できましたら、みっち様にその一部をお引き受けして頂きたいのです。他に北欧神話関係の方は心当たりがありますが、色々な神話を執筆されている方たちの参加を願いたくも思っております(記事の執筆をしないで、カテゴリとかテンプレートの作成・添付にのみ熱心な方は、申し訳ないのですが、わたしとしては参加を遠慮願いたくも思っております。記事を書いている人こそが、カテゴリの編成や、記事のフォーマットについて、実際の記事作成に応じた意見を述べることができるのではないかとの考えからです)。宜しくお願い致します。--Stella maris 2008年11月24日 (月) 15:49 (UTC)[返信]

神話スタブについて[編集]

こんにちは。Stella maris です。「ウィキプロジェクト 神話」を作成致しましたが、「神話スタブテンプレート」の作成が最初の課題です。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 神話にて提案を行っております。お手数をおかけしますが、本提案について、コメント等頂ければ幸甚です。また神話テンプレート作成についての賛否を表明頂ければなお幸いに存じ上げます。多忙ななか、勝手な申し出で済みませんが、何とぞお願い致します。--Stella maris 2008年11月25日 (火) 18:11 (UTC)[返信]

ご案内ありがとうございます。お誘いを受けてたいへん光栄に思っているところです。ただ、記事の内容についてならともかく、もともとテンプレートやカテゴリ整理などは苦手で、この点についてとくに意見を申し上げることができないことをご容赦願います。また、このところ雑事にかまけており、ウィキペディアで起こっている問題にきちんと考えて対応する時間が不足しています。正直言えば、意欲の点でも不足していて、ウィキ毒がたまって不寛容になっているようです。こういう状態で投稿してもみっともない履歴が増えるだけなので、しばらくウィキ離れ状態がつづくと思います。Wikipedia:ウィキプロジェクト 神話には、もう少し精神的余裕ができたら参加させていただきたいと思っています。呼びかけについては、個別でなく「ウィキプロジェクト ギリシア神話」に節を設けて誘導する手もあると思いますがいかがでしょう(このごろは同じ内容を複数人に呼びかけるとマルチポストなどと言いがかりを付けられる恐れもありますので、やりにくくなりました)。プロジェクト以外では月下薄氷さんのご活躍が目立っていて、協力いただけるのではないかと思っていましたが、もう声をかけておられてますねf^^;。あと、蛇足ながら、括弧書きの中身については、まさにそのとおり実感する部分もあるのですが、Stella marisさんが思うようにコントロールしたいがための選別だとかあらぬ批判を生む原因にもなりかねないことなので、慎重を期されますようお願いします。--みっち 2008年11月26日 (水) 07:47 (UTC)[返信]

『ジークフリート』についての質問[編集]

あなたはジークフリート (ニーベルングの指環)で、夜は序夜のみと書いてられますが、その根拠はなんですか。欧州では古来一日の始まりは夜からとなります。それゆえ序夜、第何夜という訳で、レコードやCD等もだされてきており、それでよいと私は思うのですけど。--KAGEROU 2008年12月7日 (日) 17:44 (UTC)[返信]

(節レベルとタイトルを修正させていただきました。ご了承ください。)はじめまして。ジークフリート (楽劇)のドイツ語版を見ていただけるとよいと思うのですが、『ニーベルングの指環』四部作は"Bühnenfestspiel für drei Tage und einen Vorabend"(「三日と一つの序夜の舞台祝祭劇」)であり、『ジークフリート』はzweiten Tagとされています。Tagは「日」、abendは「夜」と訳すのが適切と思いますが、いかがでしょう。なお、私がウィキペディアに書いたワーグナーのオペラ記事の用語・表記については、参考図書に挙げている白水社のワーグナー 舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第2日 『ジークフリート』に基本的に依っており、タイトルのとおり『ジークフリート』は「第2日」です。同じく参考にしている白水社『ワーグナーと《指環》四部作』、音楽之友社のスタンダード・オペラ鑑賞ブック4『ドイツ・オペラ 下 ワーグナー』も同様だったと思います。よろしければ参照下さい。
こちらからお尋ねしたいのは、第2幕のさすらい人についての「紺色のマントを着て」という加筆です。さすらい人が濃紺のマントを着て登場することはリブレットにも書かれていますが、登場人物の服装について、さすらい人だけ説明する意図はなんでしょうか? また、さすらい人は第1幕第2場から登場していますが、あえて第2幕に「紺色のマント」を書き加えられたことに、なにか意味があるのでしょうか?--みっち 2008年12月8日 (月) 09:24 (UTC)[返信]
要は、ドイツ版にはそう書いてあったからということですね。フランス語版はSiegfried est le troisième des quatre drames lyriques qui constituent Der Ring des Nibelungenとあっさりですね。思うんですけど、ドイツ語の1階2階の訳と同じことなんですよ。第1階は日本の2階にあたるわけです。だから、あえて1夜とレコードなんかでしてるのかな、と考えたのは私の考えすぎですか?なお、abentは夕暮れにです。heute abent(今晩)は、(陽のあるうちでは)まれに昨日の晩という意味になります(これが本来のゲルマンの習慣なわけです)。だから、Abentは一日のはじまりで、Tagは日の終わりで日数を数える単位です(と私は聞いてる。日本の夜はNachtで真っ暗で闇で寝てしまっている感じ?)。vor abendsは「晩になる前」という熟語で、Vorabendは前日、前夜というふうに訳します。だから、第~日とするなら、序夜はヘンでせいぜい前夜祭でしょう。Tagもは一日の終わりで~日をレコードの様に~夜と訳すことは誤りではありません。夜は序夜のみという表現のとおりなら、まるで、第1日では前夜祭のあと、昼間(日本の芝居のように)に第1~3日を行うように字つらからはみえるのですが。だけ説明した意図は、単に絵があったからです。どうでもいいことですけど、私は退廃的なワグナーは、軍靴の音が後ろでするようなで嫌だし、バイロイトにゆくこともないでしょう。ただ、初演時は何時だったからかしらないですが、今は6時くらいからやるんじゃないですか?なのに何故、 Vorabendだけが夜なんだ!とおもっただけです。しかしこれは内心のことで、多くのレコードや放送が第~夜とういう表現をしているからそちらがよいかなと思うだけです。--KAGEROU 2008年12月8日 (月) 18:21 (UTC)[返信]
不躾とは知りながら横から失礼します。この話題は、このページではみっちさんにご迷惑でしょうから、当該記事のノートページでやりませんか?記事の疑問は執筆者のノートページでなく、多くの方の意見がいただけるようにノートページで公明正大にやるべきだと思いますので。汲平 2008年12月8日 (月) 23:59 (UTC)[返信]
汲平さん、どうもありがとうございます。
以下はKAGEROUさんへの返信です。「ドイツ版にはそう書いてあったから」ではなく、ドイツ語版を見てもらえば原語タイトルが記載されているので理解が早いだろうと思ったからです。別に日本語の出典も示していることはおわかりいただけないのでしょうか? 率直に言って、原語でTagとabendと書き分けているものを、同じ「~夜」にしてしまうのは、誤訳のレベルだと思いますので同意できません。KAGEROUさんがどうしてもTagを「夜」にしたいと思われるなら、汲平さんからもいわれましたがここでなく、当該記事のノートで修正提案されたらよいでしょう。その場合、「多くのレコードや放送」といったあいまいな表現でなく、検証可能で信頼できる出典を具体的に挙げてください。
それから、マントの色について、単に絵があったからなどという理由で加筆することには慎重になってもらえませんか? リブレットでマントの色がなぜ指定されているかというと、このマントが北欧神話のオーディン由来であるという意味が込められているからです。ラッカムの絵はリブレットで指定された色を正しく示していますから、今回の加筆は間違いではありませんが、絵がいつも正しいとは限りません。また、加筆するならリブレットで指定のある最初の登場シーンであるべきで、第2幕で加筆すると、第1幕は着衣が違うのかという疑問や誤解を引き起こす原因になりかねません。よろしくお願いします。--みっち 2008年12月9日 (火) 09:38 (UTC)[返信]
夜は序夜だけ!と言い切るあたりでドイツ語わからない人かなと思ったのですが、わざわざドイツ語のページを持ち出すところからして十分わかってらっしゃるんでしょう。説明もVorabendのAbentだけを取り上げてabentとしているなど私にはよくわかりませんが、たぶん私などの及ばない深い学識やご経験の上にあるご高見であると拝察いたします。まあそれはともかく、一冊の本をとりあげ、それを根拠に全ての放送プログラムやレコードの~夜が誤訳のレベルときめつけるわけもないでしょう。あなたの高い教養と深い音楽知識に裏付けられたもので、当然私などの門外漢の及ぶところではなく、貴方のいうところの理由をぜひノートで教えていただければ幸いです。私自身この項目でオペラの公演を第何夜と書かれて、昔、戸惑った記憶があります。今回~日と書かれていて、「~夜」か「第~日目」ならともかく、といいろいろ考えましたので、他の方の意見を聞けるのを非常に楽しみにいたしております。マントの件はイラストの色がいくつかの上演されたもののそれと少し色が違う気がしたからですが、色をイラストで示してしまうのは言葉以上に誤解を引き起こす(水色と思う人もいる)ものとは思うのですが、ご指摘に誤りはないものと思いますのでお詫びします。(そもそも4部作でなぜ序夜と第~日で表現されるかが日を分ける理由が普通の人にはわからないでしょう)では、以後はあちらのノートで。--KAGEROU 2008年12月10日 (水) 03:29 (UTC)(一部意味不明なところを訂正)--KAGEROU 2008年12月10日 (水) 11:46 (UTC)[返信]

月間感謝賞推薦のお礼[編集]

みっちさんへ。月下薄氷です。このたびは1月の月間感謝賞に推薦いただき、ありがとうございました(ちょっとビックリしました)。受賞にはいたりませんでしたが、これを励みにこれからもこつこつ活動を続けたいと思います。ありがとうございました。--月下薄氷 2009年2月4日 (水) 06:01 (UTC)[返信]

こちらこそありがとうございます! 私は大のめんどくさがりで、ギリシア神話の表記直しをやらなきゃいけないことはわかっていたのですが、そのままずるずる先延ばしにしてしまっていました。月下薄氷さんにメンテしていただいて、本当に感謝しています。いまちょっとほかのことをやっていますf^^;が、いずれまたギリシア神話の項目には戻ると思いますので、今後ともよろしくお願いします。--みっち 2009年2月4日 (水) 09:56 (UTC)[返信]

奥山公重への加筆について[編集]

119.63.120.2でございます、こちらこそはじめまして。みっちさんへの御返事、遅くなり申し訳有りませんでした。以下、長文です。覚悟の上でお読み下さい。

さて、本題。「何を頼りとした加筆なのか?」ですが、愛知県新城市図書館の蔵書・「奥平藩臣略譜集録」を頼りました。

残念ながら、出版社から販売出版用に製本されたものでなく、学校の文集のような製本で山内祥二氏という方が、まとめられた数冊の内の1冊だと書かれてありました。

では、その山内氏は何を頼られたか?

その原本とは、かつての奥平家臣・生田家の末裔である生田重倫氏(当時83歳)により、美濃判369ページに亘る肉筆本「奥平藩臣略譜集録」として昭和48年に編集されたのがソレです。

長篠城址保存館初代館長の故・丸山彭氏が昭和59年11月に、奥平17代当主・昌信氏の葬儀に参列。この時に知友の島 通夫氏から借り受けた(こちらも故人、「藩臣録」を所有してる理由までは分からない)。丸山氏は寄付金により「藩臣録」の写しを5部製本して、1冊を保存館所有とした。

保存館所有の1冊を後代の滝川館長の厚意により、山内氏はコピーを撮らせてもらって製本に取り組まれたそうです。

もう1点、補足資料には「中津藩史」。

著者は奥平旧臣の子孫・黒屋直房翁で、しかも製本時が戦前流行った紀元2600年(昭和15年)記念出版という代物です。おかげで旧字だらけ。しかも広辞苑並みの分厚さ。

これら2点のお陰で、わたくしは勉強できた次第です。


「長篠の戦い」で功を挙げ、家康の縁戚に加えられ、江戸時代には大名にまで抜擢された奥平氏に関心の有ったわたくしは、ウィキには奥平氏・菅沼氏・西郷氏などへの加筆で出入りしていました。菅沼定盈への加筆は、ほとんどわたくしです。出来事に対しては若干弱かったのですが、その分、人物の親子関係・系譜について勉強したため、奥山公重の存在も知る事が出来ました。

「奥平藩臣略譜集録」にも在りました。事跡も、みっちさんが書かれた内容の方が濃かったです。ただ、『日本剣豪100選』が紹介していた以外にも、他の人物辞典でも貞久7男の説で掲載されてたのを見た事が有ります。

貞久7男となると貞能の大叔父に相当します(奥平氏で系譜をご覧下さい)。ところが問題なのは、「1520年代まで貞久が生きていた形跡が全くない」事。50年も前に死去してます。それでは親に成り得ない。

土佐定雄3男(4男)とありました。その奥平土佐とは、ウィキへは系譜未記載ながら貞久・貞盛兄弟の弟、源之丞定武の子だそうです。つまり貞能からは、父・貞勝の再従弟に相当する人物になります。3・4男の為、土佐の跡目が継げず、新たに武芸で身を立てるしかなかったのでは、と推察してます。

長駄文に御付き合いさせて、申し訳有りませんでした。書くのに必死こいて、自分の不備が有りました。ご指摘のお陰で、このような会話ページへの返答を今更、勉強できました。ありがとうございました。--210.1.148.152 2009年2月12日 (木) 05:57 (UTC)[返信]

詳しい回答ありがとうございます。用いた資料は、『奥平藩臣略譜集録』、『中津藩史』の2冊ということでしょうか。確認したいのは2点で、公重が「土佐定雄3男(4男)」とあるのはどの資料か、「誤伝された」と書いてあるのはどの資料か、いうことです。貞能の曾祖父に貞久があり、貞久の7男が定包であることは事実としても、それだけでは貞能の家臣に別人の貞久がいて、その子が公重である可能性は否定できません。「誤伝」と言い切るためには、上記2点が実際に資料に書かれていることが必要です。
私は系図に詳しいわけでなく、『日本剣豪100選』の記述が正しいと考えているわけでもありません。しかし、ウィキペディアには「Wikipedia:中立的な観点」、「Wikipedia:独自研究は載せない」、「Wikipedia:検証可能性」という方針があり、特定の意見・判断や個人的に発見した真実ではなく、一般に知られた「事実」を客観的に書くことが求められます。そうした意味で、個人的に深く研究されている方には、ずばり、ウィキペディアはあまり適さない媒体といえます。この点はご承知おき願います。とはいえ、書くからには自分なりのこだわりは出したいし、方針に沿いながらいかに書くかが面白いところでもありますねf^^;。--みっち 2009年2月13日 (金) 11:15 (UTC)[返信]
なるほど、こちらの勉強不足、改めて気付かされます。
  • 「土佐定雄3男(4男)」とあるのは
  • 「誤伝された」と書いてあるのは
の2点が不明瞭でしたね。全くの長駄文、申し訳有りませんでした。
土佐定雄3男、もしくは4男とは『奥平藩臣略譜集録』に有りました。「誤伝」に関しては明記無く、どうやら独自研究の部類になりそうです。別人の貞久の可能性が、極めて低いと、こちらが断じたためです。奥平氏の通字で「貞」を許されているのは、宗家に生まれた男子だけです。『奥平藩臣略譜集録』から家臣を何人も見てきましたが、どの傍系も「定」しか用いていません。と論ずるこれも、おそらく独自研究に相当してしまうのでしょう。ただ、宗家の当主だった人物と同じ名前を、たかが分家の身で名乗れるものなのか?徳川の御三家が、「家康」を名乗るぐらいの重大事で、下手をすれば宗家に対する反逆と見なされても仕方ない問題です。そこで、貞久が傍系家臣である可能性を排してしまいました。
「過激な新説よりも無難な通説」とは、もどかしく感じられます。それでも、誤伝と断じたのは、やり過ぎだったでしょう。反省です。そこで今後なのですが、どうしましょう?加筆分は削除した方が適切でしょうか?--119.63.121.247 2009年2月14日 (土) 13:17 (UTC)[返信]
ここからは具体的な編集の話になってきますので、ノート:奥山公重#出自についてに場所を移してお返事させていただきました。お手数ですが、そちらをご覧願います。--みっち 2009年2月16日 (月) 10:42 (UTC)[返信]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Iwai.masaharuでのご発言に対して[編集]

つい半年前に新参であった俺に対して恫喝をした貴方のコメントとは思えませんね。「依頼者(影綱) にいまもって反省・謝罪の姿勢がないことが大きく、これだけは意地でも謝りたくないという姿勢がある限り、解決はできないでしょう」などと、事実誤認の「恫喝」をした上に、「まだブロックされていないことが不思議なくらいです」などど、暗に「追放」を示唆した貴方に、「違和感」を述べる資格はありません。該当のご発言を撤回されるか、件の恐喝を謝罪されるか、ご選択ください。--影綱 2009年2月14日 (土) 04:44 (UTC)[返信]

私の発言が事実誤認でないことは、影綱さんが直後に3日間のブロックとなったこと、コメント依頼の件がいまだに解決していないことで明らかでしょう。それをどうやったら「暗に追放」などと解釈されるのか、驚いています。あなたは半年前の反省もなく、今度は私に対して憎悪を募らせているというわけでしょうか。太字のご依頼については、どちらもお断りします。このような恫喝と私の発言をいっしょにしないでください。影綱さんには、頭に血を上らせてのこのような言動をこそ慎まれるよう、要望します。今後、ウィキペディアの編集と関係のないコメントにはお答えしかねますので、あしからずご了承ください。--みっち 2009年2月14日 (土) 10:52 (UTC)[返信]
「頭に血が上っている」とのご指摘ですので、まぁそれは甘受するとして、貴方の認識に明らかな事実の誤認(無視)がありますので、そこは訂正させていただきます。(この程度が理解できないなら、お返事は結構です。)
>私の発言が事実誤認でないことは、影綱さんが直後に3日間のブロックとなったこと、コメント依頼の件がいまだに解決していないことで明らかでしょう。
まず、「ブロック」と「事実誤認」に関係はない、という事です。コメント依頼、及び関連ページをもう一度見てください。どこに「意地でも謝らない」と書いてあるのでしょう?それこそ各ページに於いて「被依頼者が非を認めるなら、謝罪することを拒まない」旨書いてあります。そも、俺が「誤って」(みっちさんの解釈で言えば「意図的に」)荒らし報告をした事は即撤回し、その旨仲介ユーザーさん、管理者さんに謝罪のコメントをしています。どこが「意地でも謝」って無いのでしょう。
また同文、「依頼」はとっくに解決しています。そう見えないのは被依頼者が言い訳を書きかけたままブレイク(あるいは別名での活動かも知れませんが)、つまり放置している事によるものです。当然、ここに俺の責はありません。
>このような恫喝と私の発言をいっしょにしないでください。
一緒にした覚えはありません。貴方の「恫喝」と、俺の「抗議」とは明らかに別です。そのくらいの区別も付きませんか?また、俺にそれが無いと思いますか?
とりあえず、ブロック依頼は仕切り直しになりましたので、今後は暴言増長を慎まれるよう、進言します。--影綱 2009年2月16日 (月) 01:20 (UTC)[返信]
Wikipedia:コメント依頼/新鳩244号において、私が「まだブロックされていないことが不思議なくらいです」と発言した直後に影綱さんがブロックとなったことは、私の事実認識が私だけのものではなかったことの証左です。同時に、影綱さんの言動がいかにひどいものだったかということを示しています。それがどうして「ブロック」と「事実誤認」に関係はないということになるのでしょうか。関係は大ありです。しかもこれが「暗に追放を示唆」した恫喝になるとはどういうことでしょうか。私がどこでそんなことをいっていますか?
また、新鳩244号さんに対する「荒らし認定」やブロック依頼について、影綱さんは誤認を認めておられるはずですが、当事者の新鳩244号さんにこのことを謝罪されましたか? あなたは第三者には自分の非を認めて謝ったかもしれませんが、肝心の相手には、「ここまでこじれた状態で謝罪すれば、新たなトラブルをもたらします」などと身勝手な言い訳をして結局謝らなかったのではありませんか? 私が指摘しているのはまさにこの点だとおわかりになりませんでしたか。新鳩244号さんは再度抗弁しようとされましたが、Mizusumashiさんのご意見を汲んで取りやめられました。賢明で理性ある判断といえます。「放置」しているのは、新鳩244号さんではなく、コメント依頼を立てた影綱さんご自身です。--みっち 2009年2月16日 (月) 11:10 (UTC)[返信]
かなり無茶苦茶言ってますね…。もし貴方の発言がブロックの直接原因であるのなら、管理者であるはるひ さんにご相談しないといけませんね。
「言動がいかにひどいものだったか」これは、異存ありません。ヒートアップしていたのは事実ですし、これを理由にブロックがなされたのだろうと今もって思っています。しかし、誰がどう考えてもそれと「意地でも謝罪しない」と言う曲解とが結びつくはずが無いでしょう。明らかに別件です。念の為過去の議論(コメント依頼とその参考各ページ)に遡ってみましたが、新鳩244号氏の会話ページに於いて、8月3日 (日) 00:28 (UTC)に『「荒らし」と記載してあるのは、こちらの警告方法に対する認識不足ではありますが』とコメントしています。つまり本人に対して明確に「誤りであった」と言っているわけです。ご指摘がいかに的外れであるかと言う事がお分かりになるかと思います。
次に、「ここまでこじれた~」の発言について。これはコメント依頼でMr.DJさんに対するものであって、新鳩氏に対するものではありませんね?同じ文の中で「俺に謝罪の意思がないわけではないのですが、」とはっきり言っています。また、Mr.DJさんの提示した解決策は「両者謝罪」です。繰り返しますが、相手側に謝罪の意思が無いのですから、「両者」が成立しないのは自明でしょう。また、俺のみが謝罪すれば、そもそもの「暴言」まで容認する事になります。「暴言」と「荒らし報告」、それぞれを切り離して考えられますか?また、新鳩氏の行動を「賢明で理性ある」と仰ってますが、真に賢明で理性ある人間が、あのような暴言を、それも1ヶ月近くにわたって貫くとは思えません。
新たな「疑惑」が生じたので、このコメント後にはるひ さんにご相談する事にします。--影綱 2009年2月16日 (月) 22:23 (UTC)[返信]

(インデント戻す)時系列でいえば、影綱さんがひどい言動を繰り返した→私が「まだブロックされていないことが不思議なくらい」といった→影綱さんがブロックされた、ということです。管理者でない私が影綱さんをブロックなどできませんし、あなたのように荒らし報告や「警告」をしたわけでもありません。コメントを依頼されていたので、私は事実に基づき当たり前の感想を述べたに過ぎません。私のコメントが管理者のブロック判断に影響を及ぼした可能性があるとしても、それは誰のコメントにもいえることです。これのどこが恫喝で暗に追放を示唆したことになりますか。お答え下さい。

あなたが謝罪とするコメント文はこうなっています。

「荒らし」と記載してあるのは、こちらの警告方法に対する認識不足ではありますが、「事実に基づかない、一方的な中傷発言」があった事は間違いなく、これによって俺の一方的な攻撃ではない事を、一般ユーザーの方々にはご理解いただきたく、記載します。

「認識不足」は「誤りであった」とは同義ではありませんよ。すり替えないで下さい。しかもこの文の後半を読めばわかるように、これは新鳩244号さんにあてつけながら、「一般ユーザーの方々」に弁解したものになっています。謝るとは、相手に対し自分が悪かったということを言葉や身振りに表すことです。この文のどこに謝意が表れていますか。それとも、影綱さんは無礼のことを謝罪というのですか?

もうひとつ。

これは俺に謝罪の意思がないわけではないのですが、ここまでこじれた状態で謝罪すれば、新たなトラブルをもたらします。

誰のコメントに向けたものであろうと、意味するところは同じです。意思がないわけではない、といいながら、言を左右して結局謝罪しなかったわけですよね。これが事実です。つまりあなたは謝罪などしたくなかった。あなたは自分でできるし、むしろすすんですればよかったことをしないでおいて、それを相手のせいにしているだけです。身勝手というほかない。どこに私の事実誤認がありますか?

あなたは私に「少しは頭を使って欲しいものです」などと要約を残しておられますが、揶揄のつもりですか? 影綱さんの「頭の使い方」とはどういうものか、これでよくわかりました。このことは、このページをご覧の方にも明示されたと思います。だれでもお好きな方に相談されるといいでしょう。--みっち 2009年2月17日 (火) 10:15 (UTC)[返信]

まず、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Iwai.masaharu 20090214での投票について。あれは論争相手とか言う以前に、人としての礼儀、常識を根こそぎ捨てたものと見えます。票を入れるなら、些少なりとも依頼内容を検討してからにしていただきたい。俺はIwaiさんではないのだから、相手にとってはいい迷惑です。
次に、本題ですね。時系列を読んで、何故肝心な部分を省いているのか、疑問に思います。まず初めに「新鳩244号氏の暴言」がなくてはなりません。でないと、何もなく突如俺が騒いだと言う誤解を与えます。また、俺が新鳩氏に「警告」を貼り付けたことにしても同じです。新鳩氏が先にやったことです。(もっとも、順番はどうでもいいんですが)
質問に答えましょう。いかに恫喝して追放を暗示したか、ですね。「依頼者にいまもって反省・謝罪の姿勢がない(まずここが歪曲です)ことが大きく、これだけは意地でも謝りたくない(ここもです)という姿勢がある限り、解決はできないでしょう」次に、「まだブロックされていないことが不思議なくらいです(つまり、早急にブロックしろってことでしょう?)」上からのコピペですが、以上3点です。ついでに言うなら、コメント依頼に於いてブロックに言及しているのはみっちさんだけです。他にそう考える方がいるのであれば、貴方以降にコメントがついてもおかしくないはずです。まぁ、いないと断言も出来ませんが。
また、「認識不足」の点。すり替えでも何でもなく、「誤り」とは同義です。「謝罪」とは別義ですが。つまり、「謝罪して無い」のは事実ですが、「誤りを認めた」のも事実です。何もおかしい点はありません。
次の「謝罪の意思」。「ないわけではない」、つまり、「意思はある」。なんらおかしく無いでしょう?「謝罪などしたくは無かった」なんてことはありません。それこそ何度も言っていますが、「両者謝罪」を明示しています。仮に新鳩氏が謝罪まで行かずとも、自分の暴言を認めるコメントをすれば、俺は謝罪したわけです。いい加減曲解を押し通すのはやめていただきたい。
まあ、俺の頭の使い方が判ったとのことですので、みっちさんもその程度には頭を使ってください。少なくとも、他者のブロック依頼に「気に入らない奴が賛成しているから反対」などという議論妨害をするようでは、「影綱ごとき」にも劣ります。--影綱 2009年2月17日 (火) 23:57 (UTC)[返信]
(追記)「放置」や「対話拒否」と取られるのも心外なので、ここできちんと申し上げておきます。前出の「議論妨害」をするようなユーザーと議論をしても水掛け論から脱する事は無いと思いますので、このコメントを以ってこちらからの主張は「終了」とします。あとは他者意見に納得しない礼儀の無視、及び個人攻撃方針悪用のための同志を募るなり、ご自由になさってください。あなた方が俺の活動を邪魔しない限り、今後お邪魔する事はありません。--影綱 2009年2月18日 (水) 02:51 (UTC)[返信]
ひとつ上のレスポンスが支離滅裂で、ちょうどもう終わろうと思っていたところなので、終了には賛成します。
ところで、ご自分から終了をいわれたこと、ここではないにしろ、当面ブロック依頼やコメント依頼への参加を自粛されると表明されたことについては、率直にいって見直しました。この件は、影綱さんにとって決してよい思い出ではないでしょうし、私としても表現には注意したつもりですが、内容的に不快は覚悟の上で踏み込んだことをいわざるを得ませんでした。もっと穏当な言い回しができたらよかったとは思っています。この点は至らなさをお詫びします。とはいえ、それもまったくのムダではなかった、と思いたいです。
それでは、よきウィキペディア・ライフを!--みっち 2009年2月18日 (水) 09:38 (UTC)[返信]


お礼[編集]

はじめまして(違うかな?)いろいろとみなおいていたら「みっち」さんにいろいろと援護射撃されていることを実感しました。もう何年も前の話にはなりますが、ありがとうございました。ぺディアもあのころに比べるとずいぶんかわりましたねぇ~(嘆息)。そのうち、またいろいろ活動しようと思ってます。0null0 2009年6月17日 (水) 19:44 (UTC)[返信]

0null0さん、お久しぶりです。うれしいお知らせをありがとうございます!
ビックリしました。ちょうど0null0さんのことを思い出していたもので。私はむしろ教わったと感じていて、お役に立ったというほどのこともできていないのに、こうして連絡をいただけて感謝です。ウィキペディアも当時は規模が小さく、その分利用者との距離が近かったように思います。こんなこという自分もいまでは古株なのかな? 0null0さんのさらなるご活動を楽しみにしています。--みっち 2009年6月18日 (木) 09:25 (UTC)[返信]

ノート:隈部親永についてのお礼[編集]

こちらでははじめまして。参加して下さってありがとうございました。合意形成でコメント依頼を出した時点で自力では解決できないと思っていたので、みっちさんに介入して頂いて本当に助かりました。改めてお礼申し上げます。--Arawodas 2009年7月17日 (金) 02:51 (UTC)[返信]

わざわざメッセージをありがとうございます。当事者お二人にはいささかきつい言い方をして申し訳ありませんでした。それでも協力していただいてありがとうございました。その後の加筆内容は、さすがだと感じています。
執筆コンテストなどでArawodasさんをお見かけして、利用者ページにあった「DV戦役」が実はツボだったんですよ! ウィキブレイクされるとのことで、ちょっと残念です。充電後の再開を楽しみにお待ちしています。--みっち 2009年7月17日 (金) 23:36 (UTC)[返信]

一応確認というか[編集]

Wikipedia:井戸端/subj/Wikipedia:出典を明記する の「必要があれば」の解釈ではどうもです。ish-kaです。

俺の書き込みと、つづくみっちさんの書き込みから時間が経ってしまって、若干別の話となってしまっているようですし、取り扱っている話題そのものについては、みっちさんの仰るとおり対した齟齬はないと思う(それこそ方針解釈の問題だろうと思っている)ので、あちらでやらずあえてお邪魔します。

ish-kaさんのご意見を「どちらの視点も考えてみてもらう」ために確認したまで」というのは、「俺が言ったことを、どちらの視点からも(いろいろな人に)考えてみてもらうために確認したまで」という解釈であっていますか(であれば、「後ろ向きじゃね?」っていう指摘は失当でした。すみません)?逆に、もしかすると、「ish-kaの言っていることはちょっとおかしいから、お前、どちらの視点からもちょっと考え直せ」という意味だったりしますか?というのがひとつ。

もうひとつは、「ここで同じような主張を何度も繰り返すことが強要や押し付けに当たるとは思われないようで残念です」ということなのですが、(向こうでも言っていますが)俺は「ページ数まで逐一出典に記す」ことを「しなければならない(must)」と言ったことはないんですね。「そうしたほうがいい(better)」とは言っています。もしかすると、「betterを繰り返すことでmustに聞こえるんだけど?」ということなのか?と思っていたり。それは俺の中には無かった感覚なので、「なるほど」と思っています。確かに言い方として、「やや強めの言い方」であったことは確かなので(でも、「かならずそうしろと言うわけではないこと」「逆にそうしないパターンがありうること、かつそれは別段あげつらわれるほどの問題には通常ならないんじゃないかと思っていること」は読み取っていただけているはず。その上で、「でもやっぱりあったほうが俺はいいと思うけどね。絶対やれとは言わないけど」という結論)。

とりあえず、「取り急ぎ」と書いたとおり、ややスクエアな受け取り方であったので、ちょっとやわらかめに受け取ると、「たぶんこういうことかな?」と言うのは読み取れていると思います(=対した齟齬はないと思っている)。もし「いやいやそこはちゃんとスクエアに受け取ってくれ」と言うことであれば、そのように言っていただけると。--ish-ka [email protected]! (talk/wikimail/contributions) 2009年7月25日 (土) 15:53 (UTC)[返信]

こちらまでコメントいただき、お手数をおかけしました。おっしゃる内容で概ね異存ありません。確認は、事実としてそういう見方が成立するということをわかってらっしゃいますか?という意味でした。また、ish-kaさんはご自分の矜持を示したつもりであっても、それを何度も繰り返すことで実は強要と受け取られかねないというのは、いわれる立場になってみればおわかりいただけるのではないかと思います。
ではなぜぶつかるかということですが、端的にいえば、ish-kaさんと私の温度差または問題意識の違いでしょう。
私は「井戸端」は基本的に一般論を扱い、具体的に解決したいなら当該項目のノートページ、ものによっては該当する方針やガイドラインのノートで議論するべきと考えています。なぜなら、ケースバイケースのものを「井戸端」で答えを出し、それを一般化されても困るからです。また、こうしたトラブルの解決方法は、お互いの歩み寄りが大切なことは当然ですが、だからといって「足して二で割る」ばかりではないだろうとも思っています。
今回、出典のページ記載を推奨するような物言いを私があえて控えたのは、それが必須でないというだけでなく、記事除去の手段として「要出典」を貼って回るような向きが、このことを機会に「脚注がない」「脚注にページ記載がない」という口実でタグ貼りや除去してもいいんだ、というような方向性で勢いづくようなことがあっては困るという思いがあってのことです。ページを書けば解決→ページを書かねば解決しない→ページ記載のないものにタグ貼り、という流れになりかねないと思いませんか? とかく人は自分に都合の良いところだけ参考にするものですから、これではトラブルがますます増えることになるでしょう。
以上からして、PATMANさんには、これまでの議論を読めば方針解釈は人によってさまざまでオールマイティーな「正解」はないこと、答えを出すのはご自分だということをわかってもらいたいな、と思っています。
また、私はWikipedia:エチケットを重視しています。「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください。」は議論についてもいえることで、何度も言い募らなければならないとしたら、その議論はもう失敗していると考えるようにしています。「議論」対「調査」の節も示唆的で、私は議論に費やす労力と時間はほどほど(できればもっと少なく)にすべきで、それを執筆やその調査に振り向けた方が建設的だと思っているのです。ish-kaさんは情に厚い方のようですので、こうした私の姿勢は冷淡に見えるかもしれませんが、これでも、今回の私の最初のコメントは、3日間ぐらい考えて手を入れたものなんですよf^^;。--みっち 2009年7月26日 (日) 01:56 (UTC)[返信]
返答ありがとうございます。認識が一致しているようなので、特に問題はないと思います。
声が大きいのも問題だとはわかってはいるものの、自分自身も「声を張る」タイプの人間なので、気をつけたいなあと。のめりこんでるつもりもあんまりないんですが、客観的に見てみると、確かにそんな感じに見えちゃうんですよねえ…。
ちなみに、仰っていたことが冷淡に見えたかといえば、スクエアに受け取るとそういう印象があったのは確かですが、違う側面から見ると意図がわかったので、結局冷淡って程でもなかったと思います。--ish-ka [email protected]! (talk/wikimail/contributions) 2009年7月26日 (日) 05:05 (UTC)[返信]

月間感謝賞のお礼[編集]

みっちさん、月間感謝賞への推薦ありがとうございました。『ニーベルングの指環』全作の完成に感謝して、こちらこそ推薦しなければならない立場ですのに、汗顔の至りです。今後とも良質の記事が作成できるよう、協力し合えればと切に願っております。今後ともよろしくお願い申し上げます。--汲平 2009年8月2日 (日) 15:57 (UTC)[返信]

いえいえ、いつも助けていただいて本当に感謝しています。このごろは、新規にしても加筆にしても、時間と労力がかかってしまい、一人作業の限界を痛感します。こちらこそよろしくお願いします。--みっち 2009年8月3日 (月) 09:28 (UTC)[返信]

Re:再考願えませんか[編集]

こんばんは。R.Lucyです。この度はご迷惑・ご心配をおかけしました。拙会話ページにて表明いただいたみっちさんのお考えは理解いたしました。検証可能性について、私の方でも考えは持っているのですが、暫く検討(どちらが良いかではなく、どうすれば良いかについて)とさせてください。みっちさんや汲平さんのような考えを持つ執筆者の方もいらっしゃることを念頭に、今後の活動の糧とさせて頂きたいと思います。

会話ページ・ブログで表明頂いた忌憚なきご意見は、自分を見つめなおす良いきっかけとなりました。ありがとうございました。--R.Lucy 2009年11月27日 (金) 16:32 (UTC)[返信]

とくに「宣言」したわけでもないので変かもしれませんが、もしかしたらR.Lucyさんが私のブレイクを気に病んでおられるといけないと思い、遅くなりましたが復帰のお知らせです。この間、ローカルでトリスタンとイゾルデ (楽劇)の改訂をやっていました。ご笑覧いただければ幸いです。
ブレイクの直接のきっかけは、いまコメント依頼されている件(私の投稿履歴でおわかりでしょう)です。「良質」選考については、私が関わった記事を含めて「脚注コンテスト」化を不満に思ったことは確かf^^;ですが、どちらかといえば別の選考でショックを受けたことの方が大きいです。むしろR.Lucyさんには、意見を受け止めていただいたことを感謝しています。R.Lucyさんがもし復帰されなかったら、私ももはや出す顔がないところでした。次の機会がありましたら、今度は楽しい経験になると良いと念じています。またよろしくお願いします。--みっち 2010年3月1日 (月) 09:20 (UTC)[返信]

執筆コンテスト#6[編集]

どうも、お久しぶりです。いつも、ブログを読んでました。いつ、復帰するのかwktkでした。

さて、「トリスタン」を表に追加しています。ただ、勝手に執筆者のコメントを書くわけには行かないので、お手すきのときにコメントを記入していただくと幸いです。

私の分野Bの記事は、お楽しみということで。--Tantal 2010年3月11日 (木) 13:12 (UTC)[返信]

さっそく追加いただき、恐縮です。協賛項目だし、なるべく正式エントリの下の方がいいかな、と締め切り前にでも入れようかと思っていました。復帰したものの、すでにご存じのように深刻なネタ切れ(爆)のため、今後の投稿のメドが立ちませんが、長ーーーーい目で見守ってやってくださいf^^;。--みっち 2010年3月12日 (金) 10:13 (UTC)[返信]

月間感謝賞への推薦御礼[編集]

こちらでははじめまして。Maxima mと申します。2010年3月の月間感謝賞に推薦いただきまして、ありがとうございました。賞も、ウィキマネーも、存在を知っている程度でしたので驚くと共に光栄に思っております。私の仏語力は恥ずかしいものですが、人手が足りない分野がまだまだ残っているということが実感されるご質問でもありました。今後とも宜しくお願い申し上げます。 --Maxima m 2010年4月17日 (土) 04:03 (UTC)[返信]

その節はお世話になりました。私は翻訳はできないのですが、外国語版で画像を探して持ってくることがけっこうあり、すぐ反応していただけて心強く感じました。こちらこそよろしくお願いします。--みっち 2010年4月17日 (土) 11:12 (UTC)[返信]

執筆コンテストでのコメントについて[編集]

廉と申します。単刀直入にお尋ねしたいことが1点あります。Wikipedia:執筆コンテスト/第六回執筆コンテスト/コメントで、私はみっちさんがエントリーされた記事(トリスタンとイゾルデ_(楽劇))にコメントをつけました。2010年4月30日 (金)のことだったと記憶しています。それに対する返答を今日に至るまで頂けないことについて、何か理由がございますか?もちろん、記事に対するコメントにエントリー者が返答しなければならないというルールなどないということを承知した上での質問です。しかし返答がない間、Wikipedia:執筆コンテスト/第六回執筆コンテスト/反省会Wikipedia:執筆コンテスト/第六回執筆コンテスト/コメントで発言されるなどコンテストに関連して積極的に活動されていること、別の利用者がトリスタンとイゾルデ_(楽劇)につけたコメントには返答をしていることを併せて考えると、何か理由があってのことではないだろうか、もしかするとよほど気に障るコメントや、返答に値しないようなコメントをしてしまったのではないか、と不安になってしまいました。ぶしつけなお願いで大変恐縮ですが、理由があるようでしたら後学のためにお教え願えないでしょうか?-- 2010年5月19日 (水) 12:03 (UTC)[返信]

遅まきながら、記事を読んでいただき、コメントを寄せていただいたことに感謝申し上げます。せっかくコメントをいただきながら、なんの応答もせず失礼しました。これにはいくつか理由があり、説明するのもあまり気の進まないことなので黙っておりましたが、たってとあればお答えします。
直接的には、なんとお答えしていいやら困ったということがあります。いくつか具体的に挙げれば、和声学の知識のない方が和声学上の解釈を難解だと感じるのは、いってみれば当然です。「聖書や哲学についての予備知識がないと理解が難しい」のも、この作品はまさにそういう作品でもある、ということだろうと思います。ここで聖書やショーペンハウアー哲学について解説することは、この記事の範疇ではありませんし、わかりにくいからといって私が勝手な説明を付け加えたりすれば「独自研究」ということになるでしょう。これらの「わかりにくさ」は、記述の表現の問題というよりも記事主題の内容あるいは性質に起因する問題であり、同時にこの作品の深さとも言い換えることができると思っています。というようなことを書いて、廉さんが果たして納得されるでしょうか? おそらく納得されないからこそコメントされたわけですよね。
また、これまで私は、コメントを寄せてくれた相手に対して廉さんがしばしば詰問調を取り、あるいは他のコメント者と比較して出来がいいとか悪いとか論じたり、果てはコメントの無効を言い立てたりされるのを目にしてきました。それで、こうした剣呑な対応を示される方に対して私が恐れをなし、できれば敬して遠ざけるべし、と判断したといえば、無理もないと思っていただけますか? 加えて、このことをきっかけにウィキペディアから遠ざかってしまわれた方は、私にとっては同じプロジェクトを通じて、共同作業も経験し教えられることの多い朋友とも頼む存在だったといえば、少しは私の痛みが伝わるでしょうか? 記事に対して厳しいことをいうのは、それが建設的なものである限り全然構わないと思います。批判が的を射ていないと思えば抗議することもあってよいでしょう。しかし、利用者自身を責めたり比較したりするような行為は、お互いに慎みたいと考えます。そういうわけで、応答に至りませんでした。--みっち 2010年5月21日 (金) 09:30 (UTC)[返信]
コメントご回答頂きありがとうございます。
  1. まず、記事へのコメントの内容に関わることからコメントいたします。説明を分かりやすくしようとするあまり独自研究に陥る場合があるということには同意しますが、テクニカルタームを説明すると必ず独自研究になるわけではないと考えます。掛留和音、重属七和音といった言葉の意味を解説することが独自研究とは思えない、ということです。「イゾルデが歌う「夜になれ(Es werde Nacht)」は、『創世記』の「光あれ(Es werde licht)」のもじり」の箇所についても、もじりの意味するところについて執筆者が個人的な解釈を述べれば独自研究ということになるでしょうが、「光りあれ」が創世記にどういった形で登場するのかについて事実を記述することまでもが独自研究に当たるとは思えません。要するに注意しないと独自研究になりかねないというだけのことで、独自研究に陥らない範囲で説明を尽くす余地はあるだろうということです。私は、説明が分かりやすいということは記事を構成する最も重要な要素の一つであり、そのために執筆者は専門用語や専門的な解釈について専門知識のない読み手でも理解できるよう手を尽くすということが重要だと考えております。読者に対し「意味するところを知りたければ自分で調べてくれたまえ」という態度をとることは決して好ましいとは思えませんし、それでは百科事典の体をなさないと思います。そのような態度の文章は専門誌に投稿されればよいのです。難解さを記事の深さと言ってのけるのは厳しい言い方をしますと、怠慢を言い逃れるための傲慢なすり替えと見ることができます。この点については、同じ土俵に立ちたいのであれば読者が努力しろと要求するのか、読者が立ちやすい土俵を執筆者が自ら作るべく手を尽くすべきであると考えるのかという、百科事典の執筆者としての根本的な姿勢・価値観の相違とも言えるのかもしれません(このようなことはできれば正規に設定された場所で申し上げたかったのですが、やむを得ずここで申し上げました)。
  2. 次に私自身に関連することについてコメントいたします。
    1. ご指摘のケースについては心当たりがあります。各論について反論することも可能ですが、この場において重要なのは私が冷静さを欠いた行動をとったという事実があり、そのことが原因となってあなたが私に対し、関わりあいになりたくないという感情を抱いているということでしょう。この点については私の不徳の致すところですし、件の事例からは多くの教訓を得ることになりました。心の痛みについても、想像することが可能です。私も少し前に、本人に直接言うどころかWikipediaから離れたところで陰口のような形で発せられた苦情を苦にし、柔軟性・発想力・行動力全てにおいて私などを遥かに凌駕する器量を持つ執筆者がWikipediaを一時的に離れるという事態を目の当たりにしたことがあるからです。発言を黙殺された主要因としては内容よりもむしろ発言したのが私であったことが大きかったのでしょうし、そうなった責任は私にあります。
    2. 最初のコメントでは申し上げませんでしたが、コメンテーターとしてA・B両分野で活発に行動されたあなたが私の記事についてコメントをされていないのも、恐らく同様の理由によるものなのだろうと感じています。ただしそのことについてはどうしても予め言っておかねばならないことがあります。コメンテーターとして、ある記事にコメントをするしないということはまったくの自由ですし、コメントをしなかったからと言って責められることは一切ありません。しかし、あなたはWikipedia:執筆コンテスト/第六回執筆コンテスト/反省会で、「次回はもしかしたら審査員に立候補するかもしれない」とおっしゃっています。あなたが事実審査員となり、担当する分野に私に記事がエントリーした場合、あなたが同様の理由でもって私の記事の審査を忌避することは許されないということはご承知の上でのご発言でしょうか?あなたが自ら表明されたことで、あなたが私に対し忌避感を抱かれていることが明らかとなりました。そうである以上、もしあなたが私の記事にコメントの場においても、選考の場においてもまったく言及されずに審査結果を発表された場合、私としてはあなたが私との接触を避けたいあまり、そもそも記事にろくに目を通すことなく審査を行ったのではないかという疑念を抱かざるを得ないということを今の段階ではっきりと申し上げておきます。もし、私に対する忌避感が審査の姿勢に影響する可能性を感じておられるのであれば、あなたは審査員に立候補すべきではありません。-- 2010年5月21日 (金) 14:37 (UTC)[返信]
コメント上のコメントに申し添えるのを忘れましたが、デリケートな部分に敢えて踏み込んでご回答頂いたことについては、心から感謝申し上げます。-- 2010年5月21日 (金) 15:04 (UTC)[返信]
乞われて正直に答えたことに対する反応がこれですか。私の判断が間違っていなかったことを改めて証明していただいて、残念です。
廉さんの反論はおよそ予想しておりました。納得されないだろうということもすでに書いたとおりです。ですから、そういうことにはもうお答えしません。いくつか刺激的な表現をあえてお選びですが、そのような挑発は意味がないといっておきます。ここではちょっとびっくりさせられたことについて、指摘させていただきます。
「本人に直接言うどころかWikipediaから離れたところで陰口のような形で発せられた苦情」とのことですが、まあどうお思いになるかは自由です。そういうところにいろいろ現われるものですね。ともあれ、結果的にウィキブレイクした方がおられたことについては私も心を痛めました。だからこそ、ご本人の会話ページにも釈明しましたし、幸い、このページの上で「#Re:再考願えませんか」にコメントをいただきました。このことについては、私は感謝していますし、すでにお互いにわだかまりはないものと信じています。それで、廉さんはいかがでしょうか? 引き合いに出されたぐらいですから、「教訓」は生かされたと? それとも、こういうことでも引き合いに出さなければおさまらない状態だったということでしょうか。「心から感謝」をお忘れになっておられたほどですから、お察しできます。
また、廉さんのエントリ記事に私がコメントしなかったのは、上記以外にもいくつか理由があります。しかし問われていなかったので、お答えしませんでした。コンテストの審査の是非をめぐって、ご自分の推測や仮定にすぎないことを積み重ねて断定的にいわれていますが、論外としかいいようがありません。廉さんがこのような手法を記事にも使用されていないことを願うばかりです。
以上、この先つづけても不毛ですし、少なくとも廉さんの名誉にはならないと思います。以降のレスポンスは無用に願います。私からはこれで打ち切りとさせていただきます。--みっち 2010年5月22日 (土) 12:45 (UTC)[返信]
あなたの使用されている挑発という言葉や、「ご自分の推測や仮定にすぎないことを積み重ねて断定的にいわれてい(る)」という表現こそ根拠のない断定と言わざるを得ません。あなたを挑発した覚えはございませんし、推測は推測、懸念は懸念であると分かるように表現したつもりだったのですが。「引き合いに出さなければおさまらない状態」という言葉は、朋友を失ったと嘆くあなたにそっくりそのままお返ししましょう。話がここまで噛み合わないとは思いませんでした。まったくもって残念です。-- 2010年5月22日 (土) 13:24 (UTC)[返信]
打ち切りということなので、利用者・トーク:廉#みっちさんの会話ページの件でにコメントしてみたことをお知らせします。--Ks aka 98 2010年5月23日 (日) 14:19 (UTC)/Wikipedia:コメント依頼/廉 20100523に気付いたので、そっちに移しました。--Ks aka 98 2010年5月23日 (日) 14:29 (UTC)[返信]
ご案内ありがとうございます。これまで私とはあまり意気投合とはいかないことが多かったにもかかわらず、Ks aka 98さんにはご心配をおかけし、さらには私の舌足らずなところを解説までいただいて、ご厚意に感謝します。私は子供っぽいですか? そうかも。ホメ言葉だと受け取っておきますf^^;。当事者なので当該ページにはコメントしないことにします。それにしても、「膿」とは……。--みっち 2010年5月24日 (月) 09:26 (UTC)[返信]