利用者‐会話:Kanbun/ログ2007072520110213
このページは利用者:Kanbunの 2007年7月25日 (水) 23:35 から 2011年2月13日 (日) 22:58 までの会話ページのログを保存したものです。このページは編集しないでください。
こんにちは。ここは利用者:Kanbunの会話ページです。どうぞ気軽にメッセージをお寄せください。
利用者:Kanbunは議論において、以下のポリシーをとくに重視しています。
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[編集]- 利用者‐会話:Kanbun/Portal:地理学についての会話ログ - この議論は忘れるわけにはいかない。暴言を許してはいけない。
- 2006年1月10日から2007年7月23日
- 貴重な時間を割いてお返事いただきありがとうございます。最近アカデミック(?)な会話をすることがないので、ある意味すっかり乗ってしまいました。そもそも『羅城門』を持ち出したきっかけは、ご存知のようにお見受けしますが、教育方法の1つ「羅生門的アプローチ」(ゴールフリーな教育活動)に付随して論議に上った物で、結末はどう終結してもよい(いい加減な意味ではなく)と考えるものです。即ち教育目標(これ自体も様々ありますが)と立てても、教育活動が指導案どおりに進まなくても、また「~ができる、理解する」という達成目標をクリヤできなくても個々の学習者が(教科の枠を超えても)なんらかの変容を覚えたら、もしくは観察者が変容に気づいたら、成果を得たと評価する方法です。ですから、例えば下人が色々行ったことに関して、学習者下人であった場合つまり主体的・主観的に見た場合と、観察者の立場から客観的に見たばあいを想像してみるとどうなるか。という学習法です。実際は「三角錐の形状の理解」や「経済の仕組み」であったりしますので「下人」は出てきませんけど。・・・という学習で考えたことがあったからです。
- かなり横道にそれましたが、「強盗を働きに急いでいた」のは事実だが実際に強盗になった否かは(強盗になった、盗みを働いたなどの表現が無いため)この文脈からは判断できないという意見と、単に京都へ向かったのではなく、その目的「強盗を働きに」が明記してあるのだから盗賊になったとする帰結が妥当だろうという話となり、最後はうやむやになりました。芥川がそこまで考えて書いたのかどうかは分かりませんが、観点によって物の見方や評価が変わることを学んだ物語の一つでした。長々と申し訳ありませんでした。--Richard Pman 2007年7月22日 (日) 06:14 (UTC)[返信]
- まあ文学的解釈になってしまうんでなんですが、まずは羅城門の以下の部分を読んでください。
- 「どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)はない。選んでいれば、築土(ついじ)の下か、道ばたの土の上で、饑死(うえじに)をするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊(ていかい)した揚句(あげく)に、やっとこの局所へ逢着(ほうちゃく)した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人(ぬすびと)になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。」(『羅城門』)
- この作品では下人は「死ぬ」or「盗人になる」の二者択一の論理に追いつめられているわけです。したがって作品全体の論理からいえば、「死を選ばなかった」=「盗人になる」というのは、この作品内では明らかなことと思いますし、そもそもすでに老婆に引剥を働いてます。
- ゼミの内容はわかりませんが、調べてみると、この「羅城門的アプローチ」の「羅城門」は黒澤明の『羅城門』のことらしいです。おそらくそのゼミの教授が勘違いしてたのでしょう。--Kanbun 2007年7月23日 (月) 06:11 (UTC)[返信]
- 書き始めると際限無くなりそうなので、これを最後とします。大雑把なので細部に不明点があろうかと思いますが、求釈明はご勘弁ください。植物園の削除から大きく脱線いたしましたが、有意義な会話が出来たと思っています。私の無学ぶりを晒した結果となりましたが、これを機会に今後も研鑽に励みます。お忙しい中、拙稿をお読みいただき、さらに多岐に亘って色々ご教示いただき、ありがとうございました。
- >「羅城門的アプローチ」の「羅城門」は黒澤明の・・・
まさにその通りです。各登場人物の視点によって全く違った「事実」(もうご承知でしょうが、語っている登場人物が「本当のことだ」と思っていることで「真実」とは断言できない)が描かれている、という点を、教育課程の展開に取り入れた物です。マイナーな論理で少ない研究実践校にもかかわらず良くお調べになりました。敬服いたします。(雑駁な説明でお許しください) - >勘違い・・・
というか話題が本作品に飛んだためなのですが、「全体の論理からいえば、「死を選ばなかった」=「盗人になる」というのは、この作品内では明らかなことと思いますし・・・」に関して、確たる証拠がない、作品に記述されていない、老婆に強盗したからとてまたするとは限らない、もしかしたら改心するかも、などの意見(可能性?)が出てきて、それは別の機会にと言うことで結論づけずに、本題に戻ったのです。(自分で長くして申し訳ないですが、不貞行為の例で言うと、2人がやりとりした通話・メール記録、2人でホテルに入る写真、室内から発見された体液の付いた避妊具などによって立証されますが、本当に性行為が行われたか否かについては、録画や他に目撃されていなければ、2人のみが知る事で、実際、していなかった場合もありえます。しかしこの件では「性行為が行われた否か」が問題ではないので、不貞行為の立証を覆すことはありませんが...時にはそれを争点とする人もいますが)
ここら辺の論理展開も、ご指摘の点もあろうかと思いますが、ご容赦ください。 - それでは。--Richard Pman 2007年7月27日 (金) 09:45 (UTC)[返信]
- >「羅城門的アプローチ」の「羅城門」は黒澤明の・・・
- 書き始めると際限無くなりそうなので、これを最後とします。大雑把なので細部に不明点があろうかと思いますが、求釈明はご勘弁ください。植物園の削除から大きく脱線いたしましたが、有意義な会話が出来たと思っています。私の無学ぶりを晒した結果となりましたが、これを機会に今後も研鑽に励みます。お忙しい中、拙稿をお読みいただき、さらに多岐に亘って色々ご教示いただき、ありがとうございました。
- まあ文学的解釈になってしまうんでなんですが、まずは羅城門の以下の部分を読んでください。
- お返事ありがとうございます。私も大変勉強になりました。
- >私の無学ぶりを晒した結果
- とんでもないです。とてもはっきりしたお考えを持っていらっしゃると思います。私もまだ若い身の上ですので、つい狭い了見を示してしまったところもあったかと思います。これからも是非いっしょにウィキペディアを素晴らしい物にしていけましたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。--Kanbun 2007年7月27日 (金) 10:09 (UTC)[返信]
信濃と申します。Kanbunさんがアップロードされた画像:Burialbecket.jpgについてお聞きしたく会話ページに質問を書かせていただきました。画像には「英語版より。」とだけ書かれ、どのページのどの版から持ってきたものなのか明示されていないようですが、他の言語版からコピーしてアップロードする場合、こういった書き方でいいんでしょうか?初心者なので教えていただけるとありがたいです。信濃 2007年8月1日 (水) 07:33 (UTC)[返信]
- うーんどうなんでしょうねぇ。いちおうPDなので、問題ないかなぁと考えていますが。なんなら、これからリンクを張っておきますよ。--Kanbun 2007年8月1日 (水) 07:37 (UTC)[返信]
- あ、ちなみに誤解されるといけないので申し上げますと、今回の場合PDなのであまり問題ないかと考えているだけで、GFDL宣言された画像や著作権がある画像の場合は事情が異なります。念のため。--Kanbun 2007年8月1日 (水) 07:47 (UTC)[返信]
過去に指摘があるようですが、「補正」の回数が尋常ではないと思うのです(特に「政教分離の歴史」の項)。記事への思い入れの反映であるとは思いますが、「補正は週に1度きり」といった感じで回数を自主制限し、オフラインの環境でじっくり、じーっくりと推敲してはいかがでしょうか。絶えずサーバーを買い増してもダウンが起こる現状にあって、今のような投稿スタイルを続けていては、サーバーの負担は相当なものになると思います。特にウィキペディアは、全ての投稿履歴を保存するなどという途方もないことをしているわけですから、連続投稿の問題は瑣末なこととはいえないと考えます。
Kanbunさんの投稿内容自体は有用なものであり、質の向上には大いに貢献していると考えますが(実際、「政教分離の歴史」には感服しました)、幾度かの指摘にもかかわらず連続投稿が続いているのは、若干まずいのではと思うのです。補正をするに当たっては、せめて数日間の我慢をした上でまとめて投稿していただくよう、切に望む次第です。--Lombroso 2007年8月25日 (土) 03:43 (UTC)[返信]
- いやはやお恥ずかしい限りです。一応暇なときに手直しをしている感じでして。確かに「補正」が多いのが欠点ですね~。気をつけているつもりなのですが、まだまだうまくいかないようです(反省。わざわざご連絡ありがとうございます。--Kanbun 2007年8月25日 (土) 07:02 (UTC)[返信]
いやあ、上の文章見て、少々お疲れ気味なこととご推測します。
まあ、しばらくは議論に参加されないで、のんびりしてください。ここは、コーヒーブレイクということで。
今日は、お誘いにあがったんですけど。メインページで紹介している通り、秋の加筆コンクールをやるので、目いっぱい、審査員として、コメントをつけて、日ごろの鬱憤を晴らすためにも?、まあ、記事の書き方の見本というものを紹介していただいてくださいませ。もちろん、審査員でなく、執筆側に回られてもいいですよ(夜のこの画像を貼り付けると寝付けなくなるかな?)--Tantal 2007年9月18日 (火) 15:14 (UTC)[返信]
- ずるずる……ズズズズ。
- おいしいコーヒーをありがとうございます。
- 秋の加筆コンクールですか~面白そうですね。コンクールのWikiページがありましたら、教えてください。覗かせていただこうかなと思います。
- (上の文章は一瞬ブチきれて書いたのですが、すぐに気を持ち直したので、あまり気にしないでください(笑))--Kanbun 2007年9月19日 (水) 02:17 (UTC)[返信]
- お久しぶりです。まだ準備段階ですが。つWikipedia:秋の加筆コンクール。--Ks aka 98 2007年9月19日 (水) 02:21 (UTC)[返信]
- 早速参加を表明してみました!とても心躍る企画です。ふつつか者ですが、宜しくお願いします(エ)。--Kanbun 2007年9月19日 (水) 02:45 (UTC)[返信]
- お久しぶりです。まだ準備段階ですが。つWikipedia:秋の加筆コンクール。--Ks aka 98 2007年9月19日 (水) 02:21 (UTC)[返信]
kanbunさん>
加筆コンクールの件ですが、コピー、ペーストする際に誤ってお名前を消してしまいました。本当にすみません。どうかご容赦ください。申し訳ありません。m(_ _)mSiyajkak 2007年9月21日 (金) 09:25 (UTC)--一部加筆2007年9月21日 (金) 09:27 (UTC)[返信]
- ページが直してあったので、すぐお詫びすれば、どこかへ出かけられないうちに気持ちが伝わると思って飛んできました。自分の意見についてのコメントもいただけてよかったです。たしかkanbunさんは、漢文と中国史が得意だったと記憶しているのですが...--修正、再加筆Siyajkak 2007年9月21日 (金) 10:03 (UTC)[返信]
- いえいえ、コメント欄を冗談で汚してしまい、こちらこそすみませんでした。コメンテーターの件についてはSiyajkakさんのおっしゃること、私も同感です。わざわざのメッセージありがとうございました。--Kanbun 2007年9月21日 (金) 09:29 (UTC)[返信]
- 大学の専門は実は中国史なんですが、不勉強なので、おそらく末席の面汚し程度です(汗)。普段は漢文を翻訳してばっかりです。学生というよりは、むしろ読書人です……(汗汗)。--Kanbun 2007年9月21日 (金) 10:10 (UTC)[返信]
- あ、ちなみに考古学も大変興味がありまして、かなり講義を受けました。その際レポート作成の参考に、Siyajkakさんの記事には大変お世話になりましたので、この場でお礼を申し上げたいと思います(汗汗)。--Kanbun 2007年9月21日 (金) 10:21 (UTC)[返信]
とんでもないです。お返事ありがとうございます。お役に立てて光栄です。Siyajkak 2007年9月23日 (日) 18:03 (UTC)[返信]
言葉足らずで、すみません。m(_ _)m
[編集]いえいえ、こちらこそ言葉足らずですみません。中国史の知識が邪魔しているというのは、自分に対してなのです。主語がなくて誤解を生む書き方ですみません。Siyajkak 2007年9月30日 (日) 07:15 (UTC)[返信]
- なるほど、そうでしたか。わざわざありがとうございます。--Kanbun 2007年9月30日 (日) 09:19 (UTC)[返信]
加筆御礼
[編集]御無沙汰しています。Greenland4です。カール大帝について、Wikipedia:秋の加筆コンクールでも、数々のこころあたたまるコメントをいただきまして、ありがとうございました。このたびはさらに、世界の一体化に加筆してくださり、まことにありがとうございました。心強く思っています。記述の箇所については至らない点も多々ありましょうが、なにとぞこれからもよろしくお願いいたします。--Greenland4 2007年12月15日 (土) 15:29 (UTC)[返信]
- こちらのほうこそ嬉しいお言葉を頂き、恐悦です。個人的にGreenland4さんの記事は画像の使い方が非常に上手で、説明も要を得ていてわかりやすく、いろいろと拝読させていただいております。世界の一体化につきましては、たまたま先日「長いページ」を見ていましたら、下の方にこの記事名を見つけ、「これはいったいなんだろう?」と思って見てみたら、思わず良記事に遭遇したという感じです。こちらのほうこそ至らない点ばかりと思いますので、どうぞこれからも何かと面倒を見てやってくださればと思います。--Kanbun 2007年12月15日 (土) 15:37 (UTC)[返信]
重ね重ねありがとうございます。確かに画像には多少のこだわりがありますね。とはいえ、Siyajkakさんにくらべれば赤子のようなものですが(笑)。ところで、「長いページ」というのは、どこを見たらよいのでしょうか。検索したりできますか。--Greenland4 2007年12月15日 (土) 17:27 (UTC)[返信]
- 「長いページ」というのは特別ページのところにあるもののことです。画像の件、たしかにSiyajkakさんはこだわってますよね。--Kanbun 2007年12月15日 (土) 17:35 (UTC)[返信]
- すみません。よく考えたら、↑不親切な説明だったかもしれないので、詳しく説明します。左側のツールボックスにある「特別ページ」をクリックして、その先に「長いページ」というリンクがあります。そこにバイト数の多い記事が並んでいます。--Kanbun 2007年12月15日 (土) 18:00 (UTC)[返信]
ありがとうございました。こんなページがあるなんて初めて知りました。でも、長いページってたくさんあるもんですね。まずはお礼まで。--Greenland4 2007年12月15日 (土) 18:03 (UTC)[返信]
- よかったです。他言語版のも覗いてみると面白いですよ~。って私もあまり詳しくないので、きっとウィキペディアにはまだまだ知らないところがたくさんあるんだと思います。Greenland4さんのことですから、長いページを眺めていると、執筆意欲が湧いてくるんではないですか!?(笑)「長いページ」は一週間に二度くらいの割合で更新されているんじゃないかと思います。--Kanbun 2007年12月15日 (土) 18:07 (UTC)[返信]
- メッセージ拝読しました。わたしとしては、
>「もう期限がない。10日どおりでやろう。それで通す。」と言ってくだされば、むしろ他の方々の説得に回ってその案で通してしまおうと考えていたのです。
- とご指摘のとおり(そういえば件のページにもちらりと似た趣旨のことをお書きになっていましたね。)、肝心なときに勇気が出なかったか、と情けなく思い後悔しています。ここで動いたら何か言われて結局うまくいかないから、と身構えて、誠意を持って待っているんだと100%思い込んでいて(実は内心はまとめたいと強く願っていたので多少いらだってもいた)、せっかくイニシアティヴをとってまとめるチャンスに全く気がつきませんでした。似た場面で以前は多少はチャンスかもと考えることはありましたが、今回全く気がつかなかったのはかなり重症です。
実はこれで、人生や恋愛で(爆)いつも失敗してきました。←なんかこれも考えすぎかもしれませんね。読み返してみると、ただ渦中にいたから客観的に自分がどうすればいいかわからなかっただけかも。何はともあれ今後ともよろしくです。---Siyajkak 2007年12月22日 (土) 13:59 (UTC)[返信]
- 自分で「この時点で誠意をもって返事を待たず、11日無効で半ば無断でさっさと作業し、事後報告をすればよかったという点のみです。」などと書いてはっと気づかされました。
- 読み返してみてKanbunさんをいらだたせてしまった理由は、おそらくこのことも含まれているんだろうと感じました。だからこそ「大変尊敬している気持ちは今も全然変わっておりません。」とおっしゃられるんだろうと思います。わたしのほうこそ足りなくてすみませんでした。
>記事の質についてはまだまだ私はSiyajkakさんの足下にも及びません。
- いやそんなことはないでしょう。わたしは、学術性にこだわるところがあるので、秀逸な記事の選考/占田・課田法でのKanbunさんの読者の立場に立った適確な指摘には、感心させられました。
>私は「今後も、お互いいい記事や加筆をしていきましょう。」というお言葉を聞いたときに、大変うれしく思いました。
>どうか失礼をお許し頂き、変わらぬ友情をと願っています。
- 昨日はたまたま近くのガストへ行ってからメッセージを受け取ったので、帰ってきてから、例によって期限にこだわった手前(苦笑&爆)、23:55にパソコンの前で待ち構えて0:00ぴったりに締め切って月間強化記事賞の作業をひととおりやったら力尽きてしまってお返事できず遅くなってすみませんでした。すごくうれしかったです。またコンクールやコンテストの運営や審査をいっしょにやりましょう(^ ^)。これからもわたしが気がつかないことをどうかいろいろ教えてくださいm(_ _)m。---Siyajkak 2007年12月21日 (金) 12:39 (UTC)---加筆修正Siyajkak 2007年12月21日 (金) 13:08 (UTC)[返信]
- わぁ、わざわざありがとうございます。こちらのほうこそ宜しくお願いします。ちょっと年末は予定がたくさんあって忙しくなり、返事が遅れました(>_<)龍伯さんの記事は素晴らしいですよね!時間があるときにいろいろじっくり拝読させていただいています。上でも述べたのですが、Siyajkakさんの記事も個人的にすごくいいと思っているんですよ~。画像が多いですし、手作りでしていらっしゃるような図版は味が感じられるといいますか、気持ちが伝わってくるといいますか、そういうところが好きですね~。私は画像ついている記事が大好きなもので!
- ↑のような心温まるメッセージをいただき、なんだかけがの功名といいますか、ネット上のつきあいとはいえ、改めてSiyajkakさんとの友誼の大切さを思い知らされました。ますます寒い季節となりますが、心はぽかぽかと過ごせようです。メッセージありがとうございました。--Kanbun 2007年12月22日 (土) 21:39 (UTC)[返信]
こんにちは。秋の加筆コンクールではお世話になりました。Greenland4です。今さらですが、11月の月間感謝賞の投票にともない、Kanbun様にささやかながら1ウィキをお贈りさせていただきました。ホントに今さらですが、よろしくお納め頂ければ幸いです。--Greenland4 2007年12月24日 (月) 03:51 (UTC)[返信]
Kanbunさん、ごぶさたしております。以前、ビザンツ帝国などでお世話になりましたHasiです。お元気でしょうか。さて、三国協商の記事を見ていて思ったのですが、記事中の同盟を示す画像で、年号がずれてしまっているのでは、と思う箇所がありました。露仏同盟は1891年、または1894年をもって成立とする場合が多いかと思うのですがいかがでしょうか。(画像だと97年になっています。)私の不勉強でしたら何卒ご容赦ください。それでは失礼いたします。--Hasi 2008年2月17日 (日) 12:48 (UTC)[返信]
(追記)すいません、ウィキブレイク中だったのですね。気付きませんでした。急ぐようなことではありまでんので、もし、お戻りになられましたらご検討ください。ご復帰をお待ちしています。--Hasi 2008年2月17日 (日) 12:53 (UTC)[返信]
- 返事が遅くなって申し訳ありません。参照元の資料を確認しましたら、露仏同盟成立を1894年としておりました(初版は資料通り1894年としておりましたが、二番目の版からタイプミスしていたようです)。1897年と記載している資料はほかに見あたりませんでしたから、単純なタイプミスと思われます。2月いっぱいは対応できそうもありませんが、3月に入ったら折を見て元データを修正してアップしたいと思います。いやはやとても親切で的確なご指摘、いつもお世話になっております(不勉強だなんてとんでもない!私のほうが全く不勉強です!)。Hasiさん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。--Kanbun 2008年2月18日 (月) 03:38 (UTC)[返信]
難しい場面での仲裁を頂き、感謝に堪えません。ありがとうございます。恐らく今後、正教会関係の記事を作成する際にお目にかかる事も多いかと存じます。今後とも宜しくお願いします。謹--Kliment A.K. 2008年3月7日 (金) 17:47 (UTC)[返信]
- こちらこそこれからどうぞよろしくお願いいたします。現代ギリシャ語には無知ですので、その方面に強い利用者の方がいらっしゃること、大変頼もしく思います。編集は何度か拝見させていただき、とても勉強熱心で知識の豊富な方なのだなぁと尊敬申し上げておりました。それに行動力も大変あり、とてもアクティブで精力的な編集者であるなぁととても頼もしく感じておりました。せっかくお近づきになれたので、是非末永くおつきあいくださればと思います。不勉強な身の上であるのに、Kliment A.K.さんやコンスタンティノープルからの使者さんのようなすばらしい、尊敬できる方々とお話しでき、助言を承ることができるなんて、大変光栄に思います。どうぞよろしくお願いいたします。--Kanbun 2008年3月7日 (金) 17:55 (UTC)[返信]
『「世界の一体化」そのものについて』 および『「世界の一体化」は独自観点による独自研究』の節をノート:世界の一体化/世界の一体化とは何かに移動しました。定義関係の議論は、このサブページで続けてください。ぼくの調査も加えておきました。--Ks aka 98 2008年3月12日 (水) 15:54 (UTC)[返信]
Wikipedia:ノートページでの慣習的な決まりは記事に付随するノートページに適用されます。あなたの私の個人ページ(会話)での編集行為は荒らしであり迷惑行為です。今後同様な行為を続ける場合は投稿ブロックを依頼します。--ゴンベイ 2008年3月13日 (木) 16:37 (UTC)[返信]
- それとゴンベイさんにお返事ですが、Wikipedia:ノートページでの慣習的な決まりには会話ページにおける他者の発言の改竄についても書かれています。ご確認ください。--Kanbun 2008年3月13日 (木) 17:04 (UTC)[返信]
- それから警告の除去も重大な荒らし行為です。私は警告という言葉は強すぎるので使いたくないのですが、警告に近い忠告はしました。ほかの利用者がそれを警告と見るかどうかは別ですが。ウィキペディアというのは非常にナイーブな部分もありますので、ほかの利用者がどういうふうに思うかとかは考えてほしいと思うんですよね。--Kanbun 2008年3月13日 (木) 17:08 (UTC)[返信]
- こんにちは。Kanbunさんも、もうすこし落ち着いてください。歴史理論という表現の捉え方などは、議論の本筋とは外れているように思います。個人と個人の考え方の違いや、ウォーラーステインの意見の解釈などは、世界の一体化の記述の改善や分割の議論には直接関係しません。互いの知識を持ち寄り、記事をよりよくするためにどうすればいいかということに集中しませんか?--Ks aka 98 2008年3月13日 (木) 16:41 (UTC)[返信]
- >歴史理論という表現の捉え方などは、議論の本筋とは外れているように思います。個人と個人の考え方の違いや、ウォーラーステインの意見の解釈などは、世界の一体化の記述の改善や分割の議論には直接関係しません。
- いや、そこはおそらくゴンベイさんの見解の核心に近い部分だと私には思われるのですが。いずれにしろ「歴史学の方法論であって歴史理論ではない」とか「『経済的不平等・経済格差をともなう』という表現が価値判断を含んでいる」というのはそこをはっきりさせないと、私には何が問題なのかさっぱりわからないので、どういう観点でゴンベイさんが独自研究だとおっしゃっているのか理解不能なのです。--Kanbun 2008年3月13日 (木) 16:45 (UTC)[返信]
- つまり記述の改善が記事の内容に踏み込むならば、そこを明確にすることが避けられないと思われるのです。--Kanbun 2008年3月13日 (木) 16:49 (UTC)[返信]
- この時期の歴史学の方法論の扱いはちょうど変革期みたいなところですし、ややこしいことはKanbunさんはご承知でしょう。そこで「歴史学の方法論」と「歴史理論」の違いは、議論の対象となる方法論/理論の違いよりも話者の定義に拠るところが大きいと思います。経済的不平等云々は、世界システム論を読み進めていけば、正誤なのか解釈なのかはともかく、ある程度把握できるものだと思います。ゴンベイさんの意見はそれはそれとしておいといて、Kanbunさんなりの「世界の一体化」像を追ってみていただくほうが、議論には有益かと。--Ks aka 98 2008年3月13日 (木) 17:59 (UTC)[返信]
- つまり記述の改善が記事の内容に踏み込むならば、そこを明確にすることが避けられないと思われるのです。--Kanbun 2008年3月13日 (木) 16:49 (UTC)[返信]
- というか、ゴンベイさんの言っていることは私にはわかりません。「話者の定義に拠るところが大きい」と感じたからこそ、まずはどういう意味合いで言っているのか聞きたかったのですが。そこらへん相手と用語の意思疎通を図らずに話していると、後で「誤解していた」とかいうことになり、そういうのは勘弁なわけです。はっきり言ってしまえば、ゴンベイさんの言葉は根拠もなく自分の主張をノートで開陳しているようにしか、私には見えない。「ウォーラーステインを歴史学者と見ていらっしゃる皆さんより彼の政治的活動について広く知っていると思います。」(ゴンベイ談)とか、私には「何わけわかんないこと言ってんの?こいつ」って感じで気持ち悪くて。「中立的な観点について、知ってますか?」って100回くらい言ってやりたい気持ちです。--Kanbun 2008年3月13日 (木) 18:05 (UTC)[返信]
- それとブレイクするつもりなので、ぶっちゃけますが。史学史にも書いてありますが、歴史観or歴史理論or歴史学方法論、用語はなんでもいいんですが、ともかくそうした下地もなしに歴史を書くなんて不可能だということがゴンベイさんはわかっていない。「世界の一体化」の下地がたとえ曖昧なものであれ、それを示して歴史を書くことはPOVじゃないし、ウィキペディア的にNGであるとは全く私は考えていない。ある程度精査する段階には来たとは思うし、ほかの書き方がないとは言わないし、wikibookに移せばいいんじゃないかとも思う。ただ独自研究だというのは明らかに違うと思うし、ゴンベイさんの意見は現状の記事以上にNPOVを無視しているように私は思う。だって私にはどう見てもNPOVを避けて慎重によく書けたと思う記事冒頭の叙述にあれほど敏感で文句をつける人が、自分の用語には無頓着とかそういうのってありえますかね?いいえ、あってはならぬと思いますよ。歴史家が歴史観に敏感なのは、それなしには歴史が描けないからですよ。その一番基本的な部分をおかしたら、世界の歴史みたいな単なるリストか事実の羅列しか作れなくなるのではないですか。--Kanbun 2008年3月13日 (木) 18:23 (UTC)[返信]
- 大江一道『世界近現代全史』「まえがき」や『近代世界システムⅠ』に寄せられた川北稔の「まえがき」にもあるように、世界システム論は明らかに一つの歴史観を持っており、歴史叙述を捨象してしまっている『史的システムとしての資本主義』においても最終章で明らかに歴史観を提示している。そういった点を踏まえて、どうして歴史理論ではないという議論が成り立つのか。理由がわからない。そのうえゴンベイさんは「歴史学方法論は歴史理論とは違う」のだという。意味不明だ。そういった根本的な部分を全く理解していないと思う。そのうえ、ゴンベイさんの方針文書の曲解、マナーの悪さはちょっと目に余った。私にはこういう人と議論して無駄に疲れてまでここで意見を通そうという気はないし、そういう人を許容するウィキペディアの現状もなんだかなと思った。自分も他の人から見ると、相当失礼なヤツなのかもしれないが。ということで、ブレイクしようと思います。--Kanbun 2008年3月13日 (木) 18:52 (UTC)[返信]
今日はもう眠いし、最近忙しいのでしばらくウィキペディアを離れます。三国協商と三国同盟の画像については、手直ししてアップしますが、しばらく記事執筆などはお休みします。というのも、4月から新環境が始まるので、今もその準備で忙しかったり!「世界の一体化」の議論には加わらない予定だったのですが、サイズ以外はあまりにも理不尽な議論がされていたように思ったのでちょっと口を挟んだのですが。皆様冷静じゃないようで。自分はちょっと興ざめしたので身を引いて、自分より知識のある方々に判断を任せ、自分を磨こうと思います。--Kanbun 2008年3月13日 (木) 17:53 (UTC)[返信]
おひさしぶりですね。ずうーーっとお待ちしていました。ただ、私もWikipediaを離れることにしました。やりかけの仕事をかたづけてから撤収しようと思います。--Greenland4 2008年10月23日 (木) 14:48 (UTC)[返信]
- お久しぶりです。読書と勉強と仕事で時間をとられていて、なかなか時間が作れない状態でした。とりあえずだいぶいろいろ読んだので、書きかけの「政教分離の歴史」をまたゆっくり改訂していこうかと思っているところです。Greenland4さんがウィキペディアを離れるなんて、すごく残念です。しかし、Greenland4さんならばきっと本業でもがんばっていらっしゃるのでしょう。いろいろ活躍を期待しております!またいつでもここにメッセージを寄せていただければ、すぐにお返事しますし、ときどき訪問してくださるとうれしく思います。--Kanbun 2008年10月23日 (木) 14:54 (UTC)[返信]
- そう言ってくれると嬉しいなぁ。Kanbunさんと話していると、いつも元気になります。ありがとう。本業、頑張るよ! --Greenland4 2008年10月23日 (木) 14:57 (UTC)[返信]
- こちらこそありがとうございます。自分のほうこそGreenland4さんにお世話になりっぱなしです。Greenland4さんの書かれた記事は本当に面白いですし、考えを深めさせられます。元気とやる気をもらっているのは自分の方ですよ。本当に感謝です。--Kanbun 2008年10月23日 (木) 15:03 (UTC)[返信]
- そりゃ買いかぶりすぎです。「政教分離の歴史」頑張ってね! 明日プリントアウトして読むから。--Greenland4 2008年10月23日 (木) 15:06 (UTC)[返信]
- いえいえお世辞じゃないですよ。政教分離の歴史については、しばらくは現在の本文箇所をいじりつつ注釈・文献情報を増補して内容を深くしていくつもりです。あといくつか文章表現がきれいじゃないところがあるので、それを直していきたいなぁと。結構文章変なところ多いんです。気づいたら教えてください!というか直してくださるとうれしいです!いつも本当に気にかけて頂き、感謝に堪えません。--Kanbun 2008年10月23日 (木) 15:14 (UTC)[返信]
まるでチャットだね(笑)。直すとしても、明日以降ね。Kanbunさんがウィキペディアを離れたの、俺のせいもあるのかなって思ってた。そういや、1年前は加筆コンクールだったんだね。3つもかかえて大変だったけど、あの頃が一番楽しかったなー(遠い目)。Kanbunさんのコメントは心あたたまるコメントでしたね。しみじみ懐かしいです。気の合う人たちだけで何かやれんもんかな。また、歴史サークルでも立ち上げるかな。キリがないからレス不要。おやすみー。--Greenland4 2008年10月23日 (木) 15:26 (UTC)[返信]
ご注意ありがとうございます。ご苦労をおかけいたします。恥ずかしながら、表示される内容に注意を促したい場合に使用して良いものかと思っておりました。お手数ですがテンプレートの使用方法が明記されている場所を教えて下さい。ご指摘の内容に関しては、貼付けた記事のノートに書かせて頂きます。--Onyx 2008年11月21日 (金) 13:33 (UTC)[返信]
- Template:未検証を参照してください。注意喚起という意味で記事にタグを貼り付ける行為はあまり推奨されません。おそらくウィキペディアの大部分の記事がタグだらけになってしまうでしょう。ウィキペディアには編集の積み重ねがあります。編集方針も歴史的なものですから、それに整合しない記事があるのは自然なことです。不十分な点があるならば、まずはご自分で加筆し、編集対処することを心がけてください。タグはむしろ編集対処が困難な場合に使うのが最も賢い利用の仕方でしょう。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 13:39 (UTC)[返信]
- 唯一の出典が存在する訳ではないのですから、下手にいじるべきでは無いかと思いました。手元の文献は掲載内容の出典になりません。元々執筆する程の出典を用意していない私が手元で下手に編集するべきでないと思います。Template:未検証にか書かれている内容とは「記事の内容のどの部分について出典を求めるか、ノートなどで具体的に提示することが望まれます。」でしょうか?著作権侵害でもなく独自研究でないにしては雄弁で公式な方針に反した不適切な内容だと議論したいのですがいかがでしょうか。--Onyx 2008年11月21日 (金) 13:54 (UTC)[返信]
- またフレスコ等はその努力をしましたが、相手方の出典が分からない以上限界がはっきりしているかと思います。--Onyx 2008年11月21日 (金) 13:57 (UTC)[返信]
- 現在の記事内容に反する典拠があるのでしたら、それに基づいて加筆し、出典として示せばよいのです。タグを貼って議論する必要もありません。ともかく現状ではただタグを貼って荒らしているように見えかねませんので、まずはタグをご自身ではがして編集対処するのがよいのではないでしょうか。競合する箇所がないのであれば、元記事の出典を気にする必要はないでしょう。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 14:00 (UTC)[返信]
- 積極的に競合しないのでは無く、差し当たり消極的に競合しないのでみあって、些末な内容に変更すると白紙化のようなことと捉えられかねないという程度の段階です。例えばこのような編集[1]は構わないのですか?回数の問題ですか。--Onyx 2008年11月21日 (金) 14:09 (UTC)[返信]
- 現在の記事内容に反する典拠があるのでしたら、それに基づいて加筆し、出典として示せばよいのです。タグを貼って議論する必要もありません。ともかく現状ではただタグを貼って荒らしているように見えかねませんので、まずはタグをご自身ではがして編集対処するのがよいのではないでしょうか。競合する箇所がないのであれば、元記事の出典を気にする必要はないでしょう。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 14:00 (UTC)[返信]
たまたまOnyxさんの編集が目についたということです。[2]のような、過去の編集をどういう意図で提示してらっしゃるのか図りかねますが、その編集は今回の件に関係ない事例です。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 14:14 (UTC)[返信]
- いまいちOnyxさんの意図がわからないのですが、「些末な内容に変更すると白紙化のようなことと捉えられかねない」ことならやらない方がよいでしょう。生産的な方向に持って行くべきと思います。もしくは実際に編集してみてはどうですか?不適切なら他の利用者が差し戻してくれるでしょう。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 14:18 (UTC)[返信]
- 既述の懸念を持つ人ったのでテンプレートを張りました。編集で対応すべきとのことですのですぐさま適当な編集は出来ませんと述べました。回数の為に問題視されているのでしょうか。私の編集は色空間のそれと大差ないと思うのですが。--Onyx 2008年11月21日 (金) 14:23 (UTC)[返信]
- どういう基準で差がある・ないを判断してらっしゃるのかはわかりませんが、私から見るとOnyxさんの編集は明らかにテンプレートの使用方法の標準を逸脱しています。ノートでの発言も具体的な記事内容の改善を目的としたものではなく、漠然と疑問を呈しているのみです。普通はノートでまず問題を提起し、しかるのちより広い注意を促す必要があれば、コメント依頼などを利用しつつタグを貼っていくべきで、無言で大量に張るものではありません。出典の示し方がOnyxさんの思うとおりでないからテンプレートを貼るというのはやめてください。荒らしです。またウィキペディアの記事は論文ではありません。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 14:37 (UTC)[返信]
- 「議論の余地なく明白に不誠実であると見なされない限り、Wikipediaでは荒らしとは判断し」ないのですから、安易に荒し扱いしないで下さい。Kanbunさんの発言は Wikipedia:安易に荒らしと呼ばないに反しているように思います。--Onyx 2008年11月21日 (金) 15:12 (UTC)[返信]
- どういう基準で差がある・ないを判断してらっしゃるのかはわかりませんが、私から見るとOnyxさんの編集は明らかにテンプレートの使用方法の標準を逸脱しています。ノートでの発言も具体的な記事内容の改善を目的としたものではなく、漠然と疑問を呈しているのみです。普通はノートでまず問題を提起し、しかるのちより広い注意を促す必要があれば、コメント依頼などを利用しつつタグを貼っていくべきで、無言で大量に張るものではありません。出典の示し方がOnyxさんの思うとおりでないからテンプレートを貼るというのはやめてください。荒らしです。またウィキペディアの記事は論文ではありません。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 14:37 (UTC)[返信]
- 既述の懸念を持つ人ったのでテンプレートを張りました。編集で対応すべきとのことですのですぐさま適当な編集は出来ませんと述べました。回数の為に問題視されているのでしょうか。私の編集は色空間のそれと大差ないと思うのですが。--Onyx 2008年11月21日 (金) 14:23 (UTC)[返信]
Onyxさんが今回行ったような行為は、私には議論の余地なく明白な「タグの不正使用」の典型例です。もし「出典の示し方がOnyxさんの思うとおりでないからテンプレートを貼」っているのであれば。ともかくこれ以上の議論は不要でしょう。あなたのタグの貼り付け行為は私には悪質に見えますが、かといってそれを積極的に騒ぎ立てるほど私はウィキペディアに真剣なわけではありません。もしOnyxさんのことや私のことでコメント依頼などがあればその旨また説明するとして、今はこれ以上の議論は不要と思います。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 15:20 (UTC)[返信]
イデオロギーの件ですが、Wikipedia:出典を明記するにも「脚注機能を使わないと本文のどの部分が情報源なのか不明なため、なるべく脚注機能を使用することが推奨される。」と書かれています。「参考文献の節に掲載している文献の場合、「村上(1982)」などとどの文献であるかのみ指示すればよい」のですから、そのような対応をして頂く事をお願い出来るかと思います。なお当方が関わっていく積もりの黄色で同様の要求がありますが、ノートでの議論も差し戻しもありません。出典が多数ですので必要な事なのではないでしょうか。--Onyx 2008年11月21日 (金) 14:23 (UTC)[返信]
- 基本的に加筆対処の際に競合する場合に出典を求めるのであって、現在ある記事内容をただ単に出典がはっきりしないという理由でタグを貼り付けないでください。出典を明記する方法はいくつかあり、ウィキペディアで統一的な方法が必ずしも決まっているわけではありません。新しい記事はふさわしい書式を整えるようになっていますが、過去の記事は加筆を俟って書式を整えていくというのが現状です。タグはそういった編集を行う際に、競合する内容をどう扱うかという際に使用するものとお心置きくださいませ。出典の数などは関係ありません。記事内容に明白な誤りがある際に、競合する記述の中から検証可能なものを確認し、議論に役立てるためのツールと思し召しください。タグは編集を強制するものではありません。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 14:31 (UTC)[返信]
- 黄色においても一切の提案がないように見えるのですが、相違をお教え下さい。編集の競合の有無もはっきりしません。--Onyx 2008年11月21日 (金) 14:44 (UTC)[返信]
これ以上話し合っても無駄のようです。私にはあなたのおっしゃっていることがわかりません。黄色記事で似たような事例があるからルールに則しているとおっしゃりたいのでしょうか?虚しいことです。私の話している意図が通じないようですので、何を申し上げても無駄でしょう。どうぞあなたの流儀をお通しくださいませ。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 15:02 (UTC)[返信]
- ご指摘の内容が不明です。Wikipedia:出典を明記するにも「脚注機能を使わないと本文のどの部分が情報源なのか不明なため、なるべく脚注機能を使用することが推奨される。」と書かれており、文献が多数でありますから出典がはっきりしないため、より精密な出典の明記をお願いすることが可能と考えます。これが間違いの場合、ルールに則したご説明を頂きたく思います。それが無いようでしたら、2008年11月21日 (金) 15:02 (UTC)のコメントをイデオロギーにおける私の編集の方向性を容認して頂けたものと判断させて頂きます。このこととはwikipedeiaの方針に則したものであると考えております。
- なお黄色においても、Kanbunさんがおっしゃったようにはなっていないようです[3]。このような場合も、出典が明記されれば、何らかの編集をする用意があると考え得るのではないでしょうか。
- 基本的に加筆対処の際に競合する場合にこそ、詳細な出典の情報を求めるのが方針であること等をご呈示頂けましたら、素直に態度を改めるつもりでございます。--Onyx 2008年11月21日 (金) 15:25 (UTC)[返信]
- あなたの編集方法は容認しておりませんし、個別記事の編集の方向性云々は話し合ったこともないのに容認するなどありえません。今は話しても無駄のようですので、一時的にあなたのことは放っておくとだけ申しているのです。私の心の中では、あなたの今回の行為はいずれ時間のあるときに、結果も見据えつつしっかりと問題にすべきことです。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 15:30 (UTC)[返信]
- ここで述べた編集の方向性とは、単純に出典の扱いについてです。さらなる情報の明記をお願いすることが不適切であるとのガイドをご呈示頂ければ、さらなる情報の明記をお願いすることは検討させて頂くと述べているのであり、Wikipediaの方針に則して、応答を期待するのは必ずしも間違いではないと考えます。何より先例に倣ってさらなる情報の明記をお願いしたのであり、荒らし呼ばわりしたからには納得いく回答無しに、相手を誹謗して終わりにするのはマナーに反するのではないでしょうか。なにより私の編集をリバートされたのは、Kanbunさんであり、Kanbunさんがその編集の適切性のご説明が可能だと考えますが、未だ十分なご説明を頂いていないように思います。--Onyx 2008年11月21日 (金) 15:45 (UTC)[返信]
- あなたの編集方法は容認しておりませんし、個別記事の編集の方向性云々は話し合ったこともないのに容認するなどありえません。今は話しても無駄のようですので、一時的にあなたのことは放っておくとだけ申しているのです。私の心の中では、あなたの今回の行為はいずれ時間のあるときに、結果も見据えつつしっかりと問題にすべきことです。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 15:30 (UTC)[返信]
私はあなたの編集をリバートしていません。また私の編集意図は「編集内容の要約」に書いてあります。イデオロギー記事に関しては、それ以上でもそれ以下でもありません。あなたの編集はイデオロギー記事に関して言えば、明白に「未検証」タグの誤用であり、私はそれを指摘したのです。そうしたら他の記事にも無配慮にタグを貼り付け、しかも明らかに使用法として不適切なようですので、その行為を注意したまでです。そういう流れを理解せずに今まで話していたのですか。あなたの編集が不適切なのであって、私の編集が適切かどうかではありません。もし自分の編集を通したいのなら通しても良いと思いますが、私はその都度しかるべき形に直すでしょう。ともかく私の編集意図はもう説明されているのであって、これ以上の議論は不要です。方針文書をよく見てください。その一部を拡大解釈したりしないでください。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 15:56 (UTC)[返信]
- 誤用というのはどこから出て来たのですか?公式方針「Wikipedia:検証可能性」に基づき、信頼できる情報源を出典として確保するためのテンプレートなのだから使用法に問題は無いと述べているのであり、イデオロギーに関しては手元の文献と整合しない場所もありますが、相手方の文献のほうが適切だろうし豊富だから、より精緻な指定を頂ければ、容易に検討出来るだろうということであり、不正とは言えないのではないですか?メッセージ有りの連絡以後それを無視した編集はしていないつもりでしたが間違いですか?--Onyx 2008年11月21日 (金) 16:10 (UTC)[返信]
- 話がかみ合っていません。おっしゃっている内容も論点がずれています。私が問題にしているのは、「未検証」タグの不正使用です。あなたが脚注スタイルの参考文献呈示をさせるためにそれを用いているので、使用方法として誤りだと言っているのです。参考文献の「より精緻な指定」を他の編集者に強要することは明らかに迷惑行為です。件の方針文書は推奨している内容が書かれているのであって、義務を記載しているのではありません。これでおわかりにならないのであれば、もう無理でしょう。私は本当に虚しく思います。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 16:21 (UTC)[返信]
- だれかがどこかで「虚しく思う」、実質的な内容が無いと思うかどうかは問題ではないと思います。Template:未検証は、「公式方針「Wikipedia:検証可能性」に基づき、信頼できる情報源を出典として確保するためのテンプレートです。記事(または節)の内容について検証の必要性があり、具体的な出典を元に必要な議論を行いたい場合に使い」うもののようですが、記事全体ならば、記事全体の場合は、記事冒頭に記入するのであり、そのようにしました。もとめましたが、強要にはなっていないはずです。この記事に関しては、出典とそう出ないものを私の理解不足から混同していたのは私の過失でしたが、そうではあっても、「参照方法」を消し去るべきかどうかとは別の話のはずです。「参照方法」は「記事(または節)の内容について信頼性を高めるため、記事の文言と出典とを脚注を用いて対応させるよう求める場合に使います。」「出典が羅列してあると、記事のどの部分がどの出典を参照しているか分からないため、検証したり不要な出典を除いたりするのが困難にな」るからです。--Onyx 2008年11月21日 (金) 16:30 (UTC)[返信]
- 話がかみ合っていません。おっしゃっている内容も論点がずれています。私が問題にしているのは、「未検証」タグの不正使用です。あなたが脚注スタイルの参考文献呈示をさせるためにそれを用いているので、使用方法として誤りだと言っているのです。参考文献の「より精緻な指定」を他の編集者に強要することは明らかに迷惑行為です。件の方針文書は推奨している内容が書かれているのであって、義務を記載しているのではありません。これでおわかりにならないのであれば、もう無理でしょう。私は本当に虚しく思います。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 16:21 (UTC)[返信]
ご自身の観点と方針を混同しないでください。テンプレートがあれば、ただ使ってみたくなる。その結果についてとくに考えてない。あなたのそういうところが虚しいのです。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 16:33 (UTC)[返信]
- 私の「観点」が方針に則しているだろうとの認識を述べたのであり、混同では有りません。「テンプレートがあれば、ただ使ってみたくなる。その結果についてとくに考えてない。あなたのそういうところが虚しいのです。」あたりは、憶測による冒涜では無いですか?違うのならば、根拠をご呈示ください。
- わたしが、出典の存在を誤認した理由のひとつは、「 == 参考文献 == 見出しの下に、参考文献を箇条書き (*) で記す。」に則していないためですから、出典の列挙に== 参考文献 == を用いることを提案します。--Onyx 2008年11月21日 (金) 16:38 (UTC)[返信]
あなたはそのテンプレートによって誰が編集するのかを考えていますか?あなたの編集の仕方、タグの貼り方には、ほかの編集者との協力などは皆無ではないですか?ウィキペディアは誰か魂のない人形が作っているんではなくて、編集者同士が作っているんです。そこのところ理解していますか?ただタグだけ貼って何になるんです?記事をどう発展させていこうとか考えてくださいね?ただテンプレを使ってみたい一身で弄んでるように見えるんですよ。それは迷惑行為です。あなたのおっしゃっていることはそういう意味でただすべて虚しいだけです。テンプレがどうしてあるのか。方針文書がどうしてあるのか。ただ単にスタイルマニュアルに忠実でなければならないというあなたの姿勢は、最もウィキペディアの現実から遠いのです。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 16:46 (UTC)[返信]
- 何を言ってるのかあなたにはわからないでしょうが、方針文書がウィキペディアを作っているんではなくて、編集者同士がウィキペディアを作っているんです。たとえ方針文書に忠実であっても、編集者同士に軋轢を生むような編集は歓迎されないんです。あなたのやり方はあなたなりに方針文書をきちっと守ってやったつもりなのかもしれないが、あなたの編集を見て、私が「これはないだろう」と思った。他の人もそう思ったことでしょう。要はウィキペディア流ではないんです。テンプレ貼るんじゃなくて、ノート使ってくださいよ。まずは。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 16:52 (UTC)[返信]
- ウィキペディアの現状がその基本方針から遠いの間違いではないですか?基本方針は尊重して頂けるかと思っております。反論があるようですが放置するとのこと、良くわかりません。上述の方針でイデオロギーを編集したいのですが、編集した場合、差し戻しなどなさいますか?
- この旨をイデオロギーのノートに書けば良いですか。--Onyx 2008年11月21日 (金) 16:54 (UTC)[返信]
- 基本方針の実現の仕方にはいろいろやり方があります。杓子定規にまっすぐ方針文書を目指せばいいというものでもないんです。なぜならウィキペディア自体がそもそも方針文書に先行して存在しており、方針文書は今も増え続けているんです。どうしてそう早急に物事を解決しようと思うんです?これから調べて、あなた自身がいつかそれらの記事の不備を直せばいいじゃないですか。タグを貼るならせめて理を尽くして議論を喚起してください。出典は全ての記事に求めなければいけないわけではありませんし、マニュアル通りにきちっと整える義務があるわけでもありません。そういった記事すべてにタグを貼り付けていったらどうなるのか、わかっているのですか?--Kanbun 2008年11月21日 (金) 17:00 (UTC)[返信]
- 他の記事についてのご指摘の編集は控えています。イデオロギーについて既述の理由から、上記の方向で編集したいと思っております。記事すべてにタグを貼り付けたら、wikipediaには独自研究等が山積みだとはっきりして、wikipediaが人を陥れることが少なくなると思います。問題点は何ですか。--Onyx 2008年11月21日 (金) 17:14 (UTC)[返信]
- 私自身の意見で言えば、そういうスタイルの統一とかは模範記事が増えていくに従って自然に広がり、既存記事も模範的な加筆を経ていくことで自然に改善されていく、そういう流れが最もよいと考えています。タグを貼ってやらせようっていうのはボランティアじゃないですよ、それは。タグは緊急に必要なときのためにあるのだと思います。わたしはOnyxさんのやり方はその点で全くウィキペディアの本質に反すると思います。ボランティア精神で臨んでください。イデオロギー記事については既存の方針に則っているので、タグの使用は全く不必要だと申し上げたとおりです。なぜならば、あの記事はほぼ大部分私が書いたのであり、参考文献も私が参照した文献です。議論があれば参照箇所は容易に示すことが出来ます。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 17:27 (UTC)[返信]
- 他の記事についてのご指摘の編集は控えています。イデオロギーについて既述の理由から、上記の方向で編集したいと思っております。記事すべてにタグを貼り付けたら、wikipediaには独自研究等が山積みだとはっきりして、wikipediaが人を陥れることが少なくなると思います。問題点は何ですか。--Onyx 2008年11月21日 (金) 17:14 (UTC)[返信]
- 基本方針の実現の仕方にはいろいろやり方があります。杓子定規にまっすぐ方針文書を目指せばいいというものでもないんです。なぜならウィキペディア自体がそもそも方針文書に先行して存在しており、方針文書は今も増え続けているんです。どうしてそう早急に物事を解決しようと思うんです?これから調べて、あなた自身がいつかそれらの記事の不備を直せばいいじゃないですか。タグを貼るならせめて理を尽くして議論を喚起してください。出典は全ての記事に求めなければいけないわけではありませんし、マニュアル通りにきちっと整える義務があるわけでもありません。そういった記事すべてにタグを貼り付けていったらどうなるのか、わかっているのですか?--Kanbun 2008年11月21日 (金) 17:00 (UTC)[返信]
私自身はあなたがいくらテンプレを貼ろうと、改訂など必要があるときまで脚注形式に改める気はさらさらありません。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 17:30 (UTC)[返信]
- そもそもイデオロギー記事を書いたときはどう参考文献を示すかの方針もなかったのですから。--Kanbun 2008年11月21日 (金) 17:32 (UTC)[返信]
例えば、「日常生活における哲学的根拠」って言われてもすぐピンと来るひとは少ないかと思います。だれか特定の人が言ったというならまだ分かりますが、よくその意味で使うということはないように思います。はっきりとしないがさも出典が周知かのように書かれている印象なのですが、如何ですか。(或は、出典は書いたから面倒でも自分で当たれ、とも見えますが、勝手な合成を隠しているのでないと言える理由はありません。)別に出典を子細に挙げて頂かなくてもかまいませんし、それ以前に、今のままでもそれを「変えさせる」ことは私には出来ないことは明らかですし、ここまで反対するのにそれを期待するひとは居ないでしょう。既に述べたように、何ら強制ではありません。ご自身の記事が貶められるかのように思い、私を攻撃したのであったらそれこそ、どこかで誰かが「虚しく思う」のではないでしょうか?--Onyx 2009年1月1日 (木) 22:54 (UTC)[返信]
- >例えば、「日常生活における哲学的根拠」って言われてもすぐピンと来るひとは少ないかと思います。だれか特定の人が言ったというならまだ分かりますが、よくその意味で使うということはないように思います。
- あなたは「イデオロギー」記事を読んでもいないし、イデオロギーに関する文献など読んだこともないでしょう。少なくとも記事を読めば、すぐその後に補足説明がなされています。私は加筆もしないで記事の構成にだけ文句を言う人には「虚しさ」のみを感じます(それが記事の発展性に結びつくのなら別ですが、あなたはただタグを貼りたいだけのように見えます。現にあなたがタグを貼った多くの記事は議論が発展せずに放置され、見苦しいばかりです。少しはお察しください)。--Kanbun 2009年1月2日 (金) 13:02 (UTC)[返信]
- もし上の詳しい意味内容が知りたいのであれば、イーグルトン『イデオロギーとは何か』のp.28を読めば一目瞭然でしょう。--Kanbun 2009年1月2日 (金) 13:04 (UTC)[返信]
- 私とあなたとでは、おそらくウィキペディアに期待する物も違うでしょうし、価値観も違うのでしょう。現に方針文書のとらえ方も違います。あなたが記事に有益であると思えばこそ私は協力することもあるでしょうが、今のままではあなたの行為は記事の美観を損ねますし、記事の発展性という面でも百害あって一利なしです。まずは他の記事での問題を片付けてからイデオロギーの問題に関わりくださいませ。その頃にはだいぶ状況も変わっているかもしれませんよ。何か変な正義感でやっているのなら、それは無用という物です。たとえば次のような考え方は理解できますが、共感はできません。
- 「Wikipediaには、所謂百科事典ではあり得ない、とんでもない記事が散見します。訂正前にgoogleなどで検索してみると、鵜呑みにしているひとのウェブサイトが大抵見つかります。虚偽の増殖が見受けられるのです。また、WikipediaはWikipedia:検証可能性に従って編集される筈ですが、これは同時に虚偽が許容されることをも意味します。」(誰かの利用者ページより)
- 後半の文章からは方針文書を都合良く解釈している気配が色濃く感じられます。ウィキペディアは百科事典ですが、既存の百科事典の枠をはめようとするのは所詮無理なことです。あせって結論を出さずに、もうすこし待って考えてみる必要があるのではないでしょうか。気づきませんか?--Kanbun 2009年1月2日 (金) 13:24 (UTC)[返信]
- 私とあなたとでは、おそらくウィキペディアに期待する物も違うでしょうし、価値観も違うのでしょう。現に方針文書のとらえ方も違います。あなたが記事に有益であると思えばこそ私は協力することもあるでしょうが、今のままではあなたの行為は記事の美観を損ねますし、記事の発展性という面でも百害あって一利なしです。まずは他の記事での問題を片付けてからイデオロギーの問題に関わりくださいませ。その頃にはだいぶ状況も変わっているかもしれませんよ。何か変な正義感でやっているのなら、それは無用という物です。たとえば次のような考え方は理解できますが、共感はできません。
- もし上の詳しい意味内容が知りたいのであれば、イーグルトン『イデオロギーとは何か』のp.28を読めば一目瞭然でしょう。--Kanbun 2009年1月2日 (金) 13:04 (UTC)[返信]
あなたが勝手な解釈をしても、私がwikipediaのせいで迷惑を被っているという事態は変わりません。人の言葉をもてあそんで文句を言っていないで、記事を直せばいいのではありませんか?--Onyx 2009年1月16日 (金) 12:42 (UTC)[返信]
- おっしゃっている意味がわかりません。どんな被害を受けているのか、勝手な解釈とは何なのか、具体的に説明してください。あなたの発言は明晰性に欠けるので真意を取れません。あなたの被害のことなど今までの会話で出てきていないのに、唐突に話の筋を変えられても困ります。もっと具体的に話してください。意味不明です。またイデオロギーの記事内容については、参考文献の書式要件は満たしているので、当該記事について差し当たって直す必要はないというのを述べています。あなたは何をしたいんですか?--Kanbun 2009年1月16日 (金) 13:51 (UTC)[返信]
はじめまして。やまとのまるちと申します。早々にコメントを入れていただき、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。--やまとのまるち 2009年3月11日 (水) 08:29 (UTC)[返信]
- はじめまして。メッセージありがとうございます。こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 08:47 (UTC)[返信]
- やまとのまるちです。今回、PATMANさんと118.8.49.183さんのやり取りを見て危うく感じ、議論が苦手なので第三者にコメントしてもらおうと思い依頼したのですが、かえってKanbunさんに大きく煩わせるはめになりました。貴重なお時間を割いていただき、申し訳なく思っています。どうもすみません。それとありがとうございます。--やまとのまるち 2009年3月12日 (木) 10:32 (UTC)[返信]
いえいえ、こちらこそ些末な問題に踏み込んで議論をややわかりづらくしてしまった感がありました。反省するところです。わざわざメッセージを戴き、本当にありがとうございました。--Kanbun 2009年3月12日 (木) 16:43 (UTC)[返信]
- Kanbunさんへ、徳川家康のノートでIPで議論を展開しているものですが、失礼な態度をとった非礼をお詫びいたします。一つご理解頂きたいのは、PATMANさんに対してもそうなのですが、私から積極的に挑発的な発言をしたとは思ってはおりません。ノート以前に本文のコメントアウトで会話がありましたが、頭ごなしで命令的な口調や、「ちゃんと読んでますか?」や、「意味不明」と言ったコメントは、充分に私には挑発的と受け取れましたので、その後の返答が失礼なものになってしまいました。しかし、貴方が謝罪をされた際に、素直に受け入れるべきであったと反省しております。申し訳ありませんでした。
- 私も、PATMANさんも、Kanbunさんも、目的は一つ、より良い記事をつくることであると考えておりますので、今後も議論は続けたいと思います。個人的なことと思い、こちらにコメントさせて頂きました。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 03:27 (UTC)[返信]
- >頭ごなしで命令的な口調や、「ちゃんと読んでますか?」や、「意味不明」と言ったコメントは、充分に私には挑発的と受け取れましたので、その後の返答が失礼なものになってしまいました。
- >一つご理解頂きたいのは、PATMANさんに対してもそうなのですが、私から積極的に挑発的な発言をしたとは思ってはおりません。
- ではこれら([4][5])は何ですか。いずれも私の発言以前のものです。あなたが私より前に「ちゃんと読んでいますか?」類の文句をPATMANさんに投げかけているのは明らかです。つまり、あなたが「ちゃんと読んでいますか?」を挑発文句だというのなら、最初にそれを使ったのはあなたです。それに加えて「ww」なんて語尾をつける発言は相手を刺激する意図があることは明白です。それを差し置いて、こちらから謝罪したものを即座に謝罪で応じることが出来なかったあなたの態度は明らかに議論に向きません。挑発的な態度は二度としないとこことノート:徳川家康でしっかり誓ってください。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 06:47 (UTC)[返信]
とうやら貴方とは相容れないようですね。[6]では、先に「意味不明」となどと言われています。私はそれを冷静な議論とは言いません。「○○の意味が分かりかねます。」などと言うのが礼儀というものです。そのようなことも分からないから、「ちゃんと読んでますか?」などと言うんですね。[7]では、先に「明示しなさい」などと命令口調じゃないですか。貴方はこれを失礼で挑発的とは思わないんですか?それに私が先に「ちゃんと読んでいますか?」などと言ったことは一度もありません。そして、最初に私が[8]で貴方に失礼だと訴えかけたときに、一切謝罪していない貴方には「即座に謝罪で応じることが出来なかったあなたの態度は明らかに議論に向きません。」などと言う資格があるとは思えません。残念ですが、相容れることはないと思います。貴方の謝罪も「失礼であったなら」など、開き直ったとも取れる言い草で、これを謝罪などと言われても、貴方自身が「失礼であった」とは全く認めていないわけですから、即座に受け入れることなど無理に決まっています。それでもその謝罪を受け入れようとした私が間違いでした。残念です。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 07:33 (UTC)[返信]
- なるほど。了解しました。この件については何を言っても無駄でしょう。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 07:49 (UTC)[返信]
私は明確に、失礼だと言っていますよ。「とてもそういう表現には見えませんでした。むしろ「はなから議論になりませんね」という言葉はすでに対話拒否あるいは挑発行為に見えますが。」の前に、貴方が挑発したから私は失礼だと言ったんです。「謝罪をあなたにしっかり求めていた」と言われましても、先に失礼だと明確に言っても、謝罪しろまで言われないと謝罪できない方に、謝罪などできません。先ほども、「どうしてこういういい加減な記述を提案するのですか?」などと、いちいち絡むような発言をしていますね。私がこう発言した意図も確認せず、頭ごなしに「いい加減」などと侮辱するのは、如何かと思いますよ。
でももうやめましょう。これ以上この件は言いません。恐らく言葉の受け取り方の問題であり、不毛です。私にも問題はあるのでしょうが、貴方にも問題はあります。私はより良い記事になれば、それで良いです。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 08:23 (UTC)[返信]
- >貴方が挑発したから私は失礼だと言ったんです。
- なるほど。あなたは挑発には挑発で返す、そういう人でございましたか。私には「ちゃんと読んでいますか?」を失礼だ失礼だとわめき立てる人間が、それ以前にこんな発言をして相手に対して失礼だと思わなかったのか、はなはだ疑問です。それともやはり失礼だとわかっていて使っていたのでしょうか?この発言は明らかにあなたのいう頭ごなしな命令口調ですし、「ちゃんと読んでいますか?」に類する発言であり、かつ「しっかり頭を使って」などとより失礼な表現さえも含んでいるではないですか。あなたが言う失礼な発言の極めつけですよ、これは。
- >先ほども、「どうしてこういういい加減な記述を提案するのですか?」などと、いちいち絡むような発言をしていますね。私がこう発言した意図も確認せず、頭ごなしに「いい加減」などと侮辱するのは、如何かと思いますよ。
- あなたの意図はどうあれ、検証可能性から見て明らかにいい加減な提案です。
- >これ以上この件は言いません。恐らく言葉の受け取り方の問題であり、不毛です。
- 全く賛成です。この件については何を言っても無駄でしょう。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 08:27 (UTC)[返信]
一応言っておきますが、私はPATMANさんに対して、PATMANのページで、最初に問いかけております。PATMANさんは、それに対して何の謝罪もなく失礼な発言を続けました。「あなたは挑発には挑発で返す」と仰っていますが、それは貴方も同じことです。実際にどんな理由であれ、失礼な発言を続けているじゃないですか。正当な理由があるのですか?私に言われたから返しているんじゃないですか?
「明らかにいい加減な提案」だと貴方が判断したことに対して、「どうしてこういういい加減な記述を提案するのですか?」などと言うことが失礼だと分からないのでしたら、貴方こそ議論に向いていないですよ。相手がどう受け止めるのかを考えて発言してください。貴方がいい加減と判断したから「どうしてこういういい加減な記述を提案するのですか?」なんて言っていたら、そりゃ普通は喧嘩になりますよ。ものの言い方を考えたほうが良いですよ。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 08:58 (UTC)[返信]
- >相手がどう受け止めるのかを考えて発言してください。貴方がいい加減と判断したから「どうしてこういういい加減な記述を提案するのですか?」なんて言っていたら、そりゃ普通は喧嘩になりますよ。ものの言い方を考えたほうが良いですよ。
- ではこれからあなたは相手を尊重して発言してくださるのですね?二度と「ww」などは語尾につけないのですね?それを約束してくだされば、いくらでも私の態度は改めますよ。あなたが今言っていることは全く私があなたのこれらの発言([11][12])を見て思ったことといっしょです。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 09:06 (UTC)[返信]
それは約束いたします。お互いに挑発行為あり、お互いにそれに乗ってしまったことを認めて頂けるのでしたら、謝罪いたしますし、「ww」などと人を馬鹿にした行為はいたしません。確かに、いくらヒートアップしたとは言え、「ww」がやりすぎであり、投稿ブロックされても仕方のない行為だと反省しております。申し訳ごさいませんでした。良い記事を作るために、良い議論をしたいと思います。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 09:26 (UTC)[返信]
- こちらのほうこそ数々の不躾な言動、申し訳ありませんでした。以降なにか不適切な表現がありましたら、率直に表明していただければと思います。ただちに謝罪を表明し、該当箇所を修正いたしますので。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 13:50 (UTC)[返信]
- 率直に申し上げて、検証可能性については徳川家康の記事での記述を体裁を見る限り、問題には出来ないと思います。しかし、114.145.199.222さんが「準一門」という表現が不自然だというのは納得できますし、その表現が中立的かどうか、また出典の記載が本当に記事のような趣旨であるのかは大いに問題とすべきでしょう。
- 今の記事だと「しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている[3]。」となっていますから、「しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。」という一文が[3]という出典に基づいているということです。これはつまり、要出典を貼る場合には「しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている[要出典]。」とするのが正しいのであり、「しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり[要出典]、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。」という「要出典」の使い方は成立しないでしょう。したがって、仮に「しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり[要出典]、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。」という貼り方をされても差し戻されるだけです。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 14:48 (UTC)[返信]
謝罪を受け入れて頂きまして、ありがとうございます。また、数々の非礼にもかかわらず、私が提起した議論にずっと真摯にお付き合い頂きましたこと、私の議論の必要性を認めて頂いたことに、本当に感謝しております。数名の方々がご参加下さっておりますので、私はKazusanのアドバイスに従い、しばらく議論から離れようと思います。自分から提起して、Kanbunさんにはここまで散々お付き合い頂いたのに、無責任だと思われるかもしれませんが、一通り言いたいことはすべて言いましたし、客観的に合意を形成して頂くほうがよいと思いました。先ほど最後の意見を書き込みましたが、これで最後にします。ありがとうございました。--114.165.24.28 2009年3月13日 (金) 17:01 (UTC)[返信]
とりあえず私としては文献を当たってみることにします。それで現在の記述が適切かどうか考えてみます。114.165.24.28さんの問題提起自体は大事なものと考えています。ですので、114.165.24.28さんの意見通りとはいきませんでしょうが、記事にとってよい形での決着を目指してみるつもりです。記事の記述の在り方自体はやはり今の段階では『歴史群像』のほうを確認してみないと何とも言えないというのが実感です。実際に『歴史群像』にどう書いてあるのか私には分からないので。私の持っている古い『歴史群像』の「徳川家康」などですと、単純に「人質」とはいえない厚遇をしている程度のことが書いてあるのみで、「準一門扱い」という用語は出てきませんもので。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 17:30 (UTC)[返信]
ただ家康を義元が「一門格」として扱おうとした(文意が明確でないが、築山殿の婚姻以前にと思われる)というような記述が出てきており、これは愛知教育大学の新行紀一氏の論であるらしいことはわかりました。ただ詳細は出典の『歴史群像』のほうを見てみないと何とも。これで多少はヒントになりますか。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 17:39 (UTC)[返信]
- 本当に真摯に向き合って頂いてありがとうございます。先ほどのコメントのあとに、久しぶりにPATMANさんからコメントを頂いたので、返答したのですが、誤解の原因がわかってきました。PATMANさんは、『引用文は変更すべきでない』と言っていますし、これはWikipedia:引用のガイドライン/草案の6番に明記されています。しかし、私は以前から「どこからどこまでが引用文なのか明確にすべき」と言ってきました。そうしないと、新たに編集する人は『変更すべきでない部位』すら判別できないからです。そして、この私の主張は、同じくWikipedia:引用のガイドライン/草案の5番に『記事本文と被引用文を明瞭に区別して認識できること』とありました。
- 私は、PATMANさんが、引用であることを主張するのであれば、やはりWikipedia:引用のガイドライン/草案の5番にに従い、「どこからどこまでが引用文なのか明確にすべき」だと思います。また、始めからそれが明確にされていれば、この長い議論は始めから必要のないものだったと思います。本当にKanbunさんには、申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。--114.165.24.28 2009年3月13日 (金) 17:55 (UTC)[返信]
こちらのほうこそわざわざのメッセージありがとうございます。さて、古い『歴史群像』についてですが、一応該当箇所を引用しておきます。
- さて、十二年間の竹千代の駿府時代であるが、その境遇は、今川家の人質であったとするのが通説であった。…(中略)…▼こうした通説的な理解に対し、最近、研究者の間では、「竹千代は人質として今川家にとられたのではなかったのではないか」という声があがり始めている。▼たとえば、愛知教育大学の新行紀一教授はこのときの竹千代の立場からすると、竹千代は、当主を失った松平宗家の唯一の男性であり、ふつうの人質にみられるような相手に対して異心のないことを示すために送りこまれる人質とはちがっていることを指摘し、むしろ、義元は、幼少の竹千代を庇護し、その成人をまって家督を保証したのではないかという。つまり、一種の御恩であるというという解釈である。▼新行氏はもう一点、義元が竹千代に自分の姪を嫁がせていることに注目、外様の一家臣ではなく、今川一門格として扱おうとしたのではないかとする(「若き日の徳川家康」『戦国の覇者徳川家康展-その重くて遠き道-』図録解説)。
- (以上引用、『歴史群像シリーズ11 徳川家康』p.34)
上の文章だと強調箇所は微妙だとはいえ、築山殿を娶らす以前に一門待遇をすることを意図していたと読めなくもない文章です(積極的に読めるともいえませんが)。どちらにせよ私には今の段階でこの程度の判断材料しかないのであり、件の『歴史群像』や新行氏の論がわからないと何とも言えないのですが、114.165.24.28さんも気になることでしょうから、たいしたことではないのですが私の今分かる範囲を示しておきます。役に立てばよいのですが。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 18:03 (UTC)[返信]
- >やはりWikipedia:引用のガイドライン/草案の5番にに従い、「どこからどこまでが引用文なのか明確にすべき」だと思います。
- 引用文ならその通りと思います。ただ現状では引用なのか、それとも出典から咀嚼された文章なのかが明確ではありません。しかしながら、それでも検証可能性は満たすのであり、むやみに改変・除去はできないでしょう。したがって、出典にあたって該当箇所を見てみなければいまのところ何ともしようがないといえます。ただ現在の該当箇所の記事構造と上の引用文を見ていただければ、だいたい趣旨が似通っています。したがって、おそらく「準一門」云々の説は新行氏あるいはそれに近い立場のものであることは推測できます。現状ではその程度ですが。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 18:10 (UTC)[返信]
- 引用について補足します。じつは以前まで(今もなのかもしれませんが)著作権の関係からであろうと思うのですが、ウィキペディアでは引用はあまり推奨されませんでした。引用するより自分の表現に直して記述することが推奨されていたのです(おそらく今も推奨されています)。したがって、引用で解決すればもちろん出典がどこまでかについてはクリアになるでしょうが、それはあまり推奨されないでしょう。あくまで出典元からどういう表現が適切か考えていかないとだめだと思います。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 18:21 (UTC)[返信]
ありがとうございます。もし、『出典から咀嚼された文章』でしたら、PATMANさんの主張である『引用文は変更すべきでない』は成り立たなくなってしまいます。引用箇所を明確にして始めて変更すべきでない点が明確になります。やはり、引用したと主張するのでしたら、引用箇所を明確にして、『』などで括ることが最も適切な対処だと思います。『』で括れば、その引用箇所は変更できませんので、その表現について議論する必要もなくなります。PATMANさんは引用したと仰っていますので、引用箇所を明確にしてくれると一番良いのですが・・・それはして頂けないようですので、確かにKanbunの仰るとおり、現状では出典にあたって該当箇所を見てみなければ何ともしようがないですね。良い形での合意形成を期待しております。頑張ってください。--114.165.24.28 2009年3月13日 (金) 18:36 (UTC)[返信]
本日、PATMANさんが、該当箇所を修正し、引用文を脚注で明確にして下さいました。本当にご協力ありがとうございました。--114.145.50.247 2009年3月14日 (土) 02:44 (UTC)[返信]
- 返事が遅くなりました。件の引用文確認いたしました。以前に比べると現在の記述は格段によくなっていると思います。114.145.50.247さんの問題提起のおかげだと思います。そうですね、アカウントを取られてウィキペディアに本格的に参加してみてはどうですか?114.145.50.247さんのように記事のことを考えてくださる方は、ウィキペディアにとって貴重な存在であると私は思うのです。とにかくまた機会がありましたら、そのときはよろしくお願いします。本当にありがとうございました。--Kanbun 2009年3月14日 (土) 14:39 (UTC)[返信]
助けてとドイツ語でとりあえず、叫んでみました。ご無沙汰しています。Tantalです。
一つは助けてほしいというお願い。もう一つはお知らせです。
一つは、分けがわからん英文の翻訳を手がけているので、助けてほしいのですが、いま、フーゴー・グローティウスの翻訳(ご存知、国際法の父ですね)をやっていますが、オランダにおける政教分離の歴史が分からないので、翻訳が中途で止まっている格好になっています(私の本職はご存知のとおり、西アジア、南アジア、東南アジアですから分けがわからなくなるのも当然なのですが)。何か、良書はご存じないですかね。グローティウスに関する本自体、日本語にはあんまりなさそうですから、英語版を頼りに文章を構成しないといけないのは事実なんですけどねえ(嘆)。何で、専門外のことをやっているのかといえば、削除依頼でグローティウスの履歴がばっさりとなくなったので、再構築を管理者がやっているわけです。たまには削除以外で貢献しないと管理者の流すたるというわけで取り掛かっては見たものの……(涙)。
お知らせというのは、メインページにも出ていますが、Wikipedia:執筆コンテスト/第五回執筆コンテストのお知らせです。やはり、Kanbunさんには、執筆かあるいは審査員として名乗り出て行きたいところなんですけど……。時間的に厳しいのであれば、コメンテーターという手もありますので、是非、ご考慮いただければ幸いです。--Tantal 2009年3月16日 (月) 12:46 (UTC)[返信]
- ご無沙汰です。グロティウスについては心当たりがあるので、文献を確認してみます。執筆コンテストにつきましては、審査員でいけるか考えてみます。ゴールデンウィークの連休が空けられるかまだわからないので、4月になってから判断して立候補できればしたいと思います。運営いつもお疲れ様です。執筆コンテスト、今回も成功を祈っています!--Kanbun 2009年3月16日 (月) 14:18 (UTC)[返信]
- 朝はメッセージありがとうございました。Tantalです。
- さて、朝の続きですが、グローティウスの記事(英語版)をお読みになれば、お分かりのとおり、カルヴァン派とレモンストラントの対立がうんぬんかんぬんで、グローティウスがその対立に巻き込まれて、パリへ亡命したとあります。
- 私自身が17世紀のオランダ史をほとんど知らないからというのが理由ですが(知っているのはオランダ東インド会社とチューリップ・バブル程度しか知りません)、当時のオランダ国内でなぜ、宗派の対立が起きたのか、さらに、グローティウスはなぜ、宗派の対立に巻き込まれたのかというところですね。それが理解できれば、英語版の次のセクションは、翻訳がスムーズに行くんだと思います。
- フランスだとラ・ロシェルではないですけど新教徒と旧教徒との対立があったということ(いわゆるユグノー戦争ですね)ですぐ、理解できるんですけどね(自分もイスラームが活動の中心になりますから、こういう神学論争は分けがわからなければ、本等にドツボにはまるのは承知していますけどね)。--Tantal 2009年3月17日 (火) 13:22 (UTC)[返信]
ああ、なるほど。1609年にスペインとの間で12年間の講和が結ばれると、オランダでは外憂が無くなった分内患に煩わされるようになります。「予定説」の解釈をめぐって、アルミニウスを中心とする予定説に自由意志の参与の余地を認めるアルミニウス派とゴマルスを中心とする予定説を厳格に解釈しようとする派閥の争いです。前者がオルデンバルネフェルト(グロティウスの上司に当たります)に「抗議書(Remonstrantie)」を提出したのを語源として前者をレモンスラント派といいます。で、その後の経過はグロティウス含むオルデンバルネフェルトにレモンスラント派が味方し、権力回復を狙うオランイェ家に反レモンスラント派が味方する形で内戦寸前の状態となり、結局1618年8月に後者が議会を制圧し、前者の身柄を拘束します。オルデンバルネフェルトは処刑され、グロティウスはルーフェステイン城に幽閉されます。直後のドルドレヒト教会会議でアルミニウス派は異端とされます。その後グロティウスはルーフェステイン城を脱出し、ルイ13世の庇護を求めてフランスへ向かうのです。大雑把にすっ飛ばすとこんな感じですが、参考になりますか。--Kanbun 2009年3月17日 (火) 14:20 (UTC)[返信]
- なるほど、参考になりました。とりあえず、山川の各国世界史スイス・ベネルクス史をAmazonで発注しましたので、週末の宿題としましょう。この辺で、1つ、新記事が書けそうですが、自分、宿題だらけだから無理ですよ(苦笑)。東欧方面は、Peccaflyさんを中心とするPJ東ヨーロッパに人材がいますから記事の充実も最近は目覚しいものがありますが、東南アジア方面はタイ専門のあなんさんとインドネシア専門のEine kleineさんぐらいしか人材がいませんから、マレーシア専門の私が抜けるともぬけの殻になりますし……。ただでさえ、最近はパキスタンやインドもサボりがちなのに……。まあ、グローティウスはがんばります。
- 逆に、Kanbunさんに政教分離の歴史の中に織り込んでもらったほうがこのあたりの記述はいいみたいですねえ(嘆息)。--Tantal 2009年3月17日 (火) 14:29 (UTC)[返信]
- 以前ここについては加筆しようと思ったのですが、ちょっと錯綜してそうだったのでうまく整理できるまで待とうと思っていたのですが、そのうち忙しくなって放っておいた感じでした(なので、現在政教分離の歴史はここでストップしてます……)。今回文献をそろえたので加筆してみようかと思います。山川の各国世界史スイス・ベネルクス史はあまりよくなかった記憶があります。グロティウスの文献も結構少ないのであれなのですが、清水書院の人と思想シリーズのグロティウスはよくまとまっている印象があります。--Kanbun 2009年3月17日 (火) 14:35 (UTC)[返信]
- こんにちは。Tantalです。とりあえず、Ciniiを使って、4つほど、書評・論文をPDFにて取り出しました。とはいえ、太田の『グロティウスの国際政治思想』を買わないことには、17世紀随一の天才を記事に仕立て上げるのは難しいんでしょうねえ。この人、パリに亡命して、1625年に、『戦争と平和の法』を著し、さらには、1627年には、『キリスト教の真理』を著しているんですね。ホッブス(リヴァイアサンで有名ですな、この人も)に影響を与え、ルソーには『エミール』で散々批判をされてはいるが……。ホッブス?、ルソー?、私の専門外もいい所。どうやって、この記事を片付ければいいのかな。
- 最後はスウェーデンからの帰国の際に難破して、命を落とすという……。記事の骨格はなんとなくまとまりつつあります。また、ヘルプ・コールをするかもしれません(ウィキメールを設定していますので、何かあれば……)。--Tantal 2009年3月22日 (日) 06:51 (UTC)[返信]
- 以前ここについては加筆しようと思ったのですが、ちょっと錯綜してそうだったのでうまく整理できるまで待とうと思っていたのですが、そのうち忙しくなって放っておいた感じでした(なので、現在政教分離の歴史はここでストップしてます……)。今回文献をそろえたので加筆してみようかと思います。山川の各国世界史スイス・ベネルクス史はあまりよくなかった記憶があります。グロティウスの文献も結構少ないのであれなのですが、清水書院の人と思想シリーズのグロティウスはよくまとまっている印象があります。--Kanbun 2009年3月17日 (火) 14:35 (UTC)[返信]
どうも、こんばんは。Tantalです。さて、執筆コンテストの選考の締め切りが迫っております。よろしくお願いいたします。--Tantal 2009年5月22日 (金) 12:12 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさいでコメントさせていただきました春日椿と申します。件のページですが、Kanbunさんは少し落ち着かれた方が良いと思います。あちらでも指摘されていましたが、一つ一つのコメントにタイムリーに返答する必要はありません。これは個人の考え方の問題もあると思うので、私の体験を述べるだけにしておきますが、タイムリーな編集はそうでない編集よりも間違いや言葉の不足を見つけにくかったりします。そうすると連続投稿を頻発させることになります。例えば、これは時間がある時に私がやっていることなのですがコメントを書き終えたら10分~1時間その画面を離れてみるといいと思います、落ち着いていいたいことが整理されてきます。--春日椿 2010年4月23日 (金) 14:16 (UTC)[返信]
- ご訪問ありがとうございます。ただ私自身は普段多忙であり、ウィキペディアに向かえる時間が少ないので、なるべく多くコメントには答えるべきと考えているのです。私自身がふっかけてしまった議論ですので、それに答えないというのも説明責任に悖る気がします。私自身は自分の行動がウィキペディアの利益に適っていると考えているので、真剣に答えているのだと見守ってやって下さい。もちろん事後にはしっかりとコメント依頼を自ら出し、行動の適否については信を問うことをお約束します。そのためにも一つでも多く、判断材料となる発言を残すべきと私は思うのです。そのほうが問題点も指摘しやすいでしょう。--Kanbun 2010年4月23日 (金) 14:22 (UTC)[返信]
- たいていは忙しくない身ですので、前述の時間を置く作戦は時に丸1日置いていたりします。たとえば記入が終わったら飲み物を取りに行くとか、Aのノートで編集画面のままBの編集を行ってそれが終わったらAをプレビューしてみるなどもあると思います。というのは、私自身先ほどコメントした際に3度も競合してしまったので、と個人的なお願いでもあるのです。コメントの変更を重ねたり追記すると、同じ時にコメントしようとしていた人は書き替えなくてはならなくなったりしてしまいます。--春日椿 2010年4月23日 (金) 14:47 (UTC)[返信]
- はあ。事情が異なるようです。私はあまり編集競合しません。レスをするのが早いせいでしょうか。ともかくご忠告多謝です。--Kanbun 2010年4月23日 (金) 14:49 (UTC)[返信]
- たいていは忙しくない身ですので、前述の時間を置く作戦は時に丸1日置いていたりします。たとえば記入が終わったら飲み物を取りに行くとか、Aのノートで編集画面のままBの編集を行ってそれが終わったらAをプレビューしてみるなどもあると思います。というのは、私自身先ほどコメントした際に3度も競合してしまったので、と個人的なお願いでもあるのです。コメントの変更を重ねたり追記すると、同じ時にコメントしようとしていた人は書き替えなくてはならなくなったりしてしまいます。--春日椿 2010年4月23日 (金) 14:47 (UTC)[返信]
Kanbunさん、もうよろしいのでは? Kanbunさんや私のように、以前からあの項目に関わって意見を交わしていた者からすると、せめて上書きする前に該当ページのノートで確認を取ってほしかったと思うのは、ごくふつうで自然なことだと思います。しかし、そういう意見は尊重されないことがよくわかりました。管理者までが「手続きに瑕疵はない」と言い切るのですから。Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/意見投票20061209でも明らかなように、Kanbunさんはもともとどちらでもよいというお立場だったわけで、かくいう私もどちらかといえば単純な方がいいとは思っていたわけですが、そんな流れなどどうでもいいってことなんでしょう。もしかしたら私などのために孤軍奮闘され、そのために皮肉られたり悪罵されているとしたらあまりにも申し訳ない。きっと納得いかないとは思いますが、それでもここは退きましょうよ。--みっち 2010年4月23日 (金) 14:33 (UTC)[返信]
- ありがとうございます。そう言っていただけると、気持ちが楽になりました。しかし私は単純に悔しく、悲しいのです。ただ私自身もウィキペディアのコミュニティの一員であり、コミュニティの意見を尊重しています。私のやり方も悪かったのは事実ですし、やはりコミュニティの皆さんを信頼するのが筋と思います。とりあえず最後に意見を述べて、今回の混乱について謝罪し、コメント依頼を出そうと思います。わざわざすみません。--Kanbun 2010年4月23日 (金) 14:42 (UTC)[返信]
執筆コンテスト審査員の方は5月15日 23:59までに選考をお済ませください。--Ks aka 98 2010年5月14日 (金) 18:50 (UTC)[返信]
- 連絡ありがとうございます。--Kanbun 2010年5月14日 (金) 23:29 (UTC)[返信]
Kanbunさん、こんにちは。いささか時宜を逸しておりますが、執筆コンテストでの審査員お疲れ様でした。また、拙稿アルプ・シュニットガーに過分のご評価を下さり、ありがたく思っております。
さて、その執筆コンテストのコメントですが、分野Cについてはまだ公開頂けていないようです。投稿する側としましては皆さんから頂戴するコメントを励みにし、コメントに教えられる点が多く、実のところ順位付けよりもそちらの方に興味があると言っても過言ではありません。自分の記事のみならず、他の記事に対するコメントも他山の石として参考にさせて頂く点が多々ございます。ご多忙中のこととは思いますが、なにとぞご公開下さいますよう、お願い致します。--汲平 2010年6月5日 (土) 07:17 (UTC)[返信]
記事冊封の記述について、「冊封」の歴史的展開を述べる節を、西嶋説により拘束する形式となっていたのをあらためました。「冊封体制」に関する西嶋説は冊封の記事で紹介されるべき重要な学説とはおもいますが、冊封そのものについての記述や修正を西嶋説の枠内でしか許さない制限はおかしい、という判断によります。かつてこの記事で勢力的に発言され、記事の編集にとりくんでおられたのでお知らせしました。ご覧のうえご意見いただければと思います。--Dalaibaatur 2010年9月3日 (金) 08:16 (UTC)[返信]
- 私についての書き込みで、Kanbunさんはだいぶ混乱されていますが、わたしは情報を削除するKanbunさんの編集を元に戻してるわけです。Kanbunさんは、一人の研究者が報告したことなのか二人の研究者が報告したことなのか、それとも何人もの研究者が報告していることなのかをわからない形で書かれているので、Kanbunさん以外の編集者はそこを明示してるわけです。
- それに対して、Kanbunさんは、そこを隠蔽されてるわけです。ウィキペディアでは情報はなるべく明示する方向で編集するのが基本です。一人が言っていることなら一人、多くが言っていることなら多くをその多寡におおじてわかるように書くことが基本になります。
- また、ソースを要求しているのもその線に沿っており、まったくウィキペディアの原則とおりです。
- Kanbunさんは情報の隠蔽をすることはウィキペディアの編集スタイルにはなじまないということを直視し編集されたほうがいいと思います。
- 個人攻撃はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。
- 自分がかかわっていない記事の編集について、他人に難癖をつけるのは個人攻撃とみなされます。議論は自分が当事者である記事についてのみおこなってください。わたしがKanbunさんのほかの記事について調べて難癖をつけないのと同じです。そのような行為は非常に非生産的です。Nakata88 2011年1月24日 (月) 11:22 (UTC)[返信]
- 「Kanbunさんは、一人の研究者が報告したことなのか二人の研究者が報告したことなのか、それとも何人もの研究者が報告していることなのかをわからない形で書かれているので、Kanbunさん以外の編集者はそこを明示してるわけです。」これを言うには検証可能なソースが必要です。自分で論文の数をカウントするなどといった行為は基本的に一次研究になってしまいますよね。
- 「自分がかかわっていない記事の編集について、他人に難癖をつけるのは個人攻撃とみなされます。」とは何でしょう?意味不明です。--Kanbun 2011年1月24日 (月) 13:31 (UTC)[返信]
- 「これを言うには検証可能なソースが必要です」とかかれていますが、まったくウィキペディアの記述スタイルがわかっておられません。ソースは記述すことについて必要なのであって、つまり、Kanbunさんがかかれた各記事についてそれぞれ何のソースがあるのかが必要なのです。この場合、私は、何にも論証してないのでソースはまったく必要ないのです。必要なことは記述者である、Kanbunさんが、各記事について『誰が』『どのソースで』述べているかを明示することです。それが文脈上わからないため、この場合では人名が必要になるのです。
- 『「自分がかかわっていない記事の編集について、他人に難癖をつけるのは個人攻撃とみなされます。」とは何でしょう?意味不明です。』。あなたが最初に述べておられる南京事件の記事のことです。ストーカー行為であり個人攻撃ですのでおやめください。なお、次回、同様の行為を繰り返した場合は警告なく対処します。Nakata88 2011年1月24日 (月) 14:53 (UTC)[返信]
- どうぞあなたにできることがあるのなら、何なりとやって下さい。私は参加したい議論に参加するのみです。--Kanbun 2011年1月24日 (月) 22:39 (UTC)[返信]
- 「非常に少ない」とは何かとかかれてますが、たびたび繰り返し述べているように、ソースが必要なのはノートではなく、記事についてです。そして、記事で、この事件のソースが二人しかいないのはあなたの編集によりわかります。それ以上いるならそれを書いてください。二人しかいないというのは、言語の一般的用法において「非常に少ない」という言葉に該当します。
- Kanbunさんは、ウィキペディアの編集原則を理解されていないため非常に混乱の原因になってます。ソースが必要なのは記事についてだということをご確認ください。Nakata88 2011年1月25日 (火) 07:22 (UTC)[返信]
- ソースの数とそれを事実と考えている人の人数が一致するというあなたの考え方は意味不明です。ソースがひとつであろうが、それを事実として考える人が「非常に少ない」などという証明は不可能です。あなたの言っていることは私には意味不明です。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 07:48 (UTC)[返信]
- 一致するなどと誰も言っていません。ここで問題になっているのはソースの数です。ソースがたくさんあることを証明するのは、記述者するものです。つまりKanbunさんです。現在二人しかソースが提出されていないならそのように記述することがウィキペディアの編集の要請です。
- そもそも、ウィキペディアは真実の判断者ではありません。NPOVの要請のある百科事典です。(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありません)。
- 私の言っていることが理解できないのは、Kanbunさんに問題があります。ウィキペディアではソースが提出されない限り存在しないものとして扱われます。それが記述者がソース提出責任があるという意味です。このケースでは二人しかソースが提出されていないため、ソースは二人と扱われます。したがって、それがわかるように記述する要請があるわけです。Nakata88 2011年1月25日 (火) 08:21 (UTC)[返信]
- 正直、歴史的仮説と「事実」の関係もわからない、研究者がいるとは思えないので、あなたの記述は信頼できなくなりました。コメント依頼に出したいと思います。Nakata88 2011年1月25日 (火) 12:38 (UTC)[返信]
- コメント依頼を出して下さるのですか。素敵ですね。できればとびっきり上等のやつをお願いしますよ。せっかくですから、そこであなたのいう、歴史的仮説と「事実」の関係とやらを大いに吹聴して下さいな。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 12:50 (UTC)[返信]
- 歴史的事実が、探求されるものではないなら、そもそも学者なんて存在する意味がないですよね。Kanbunさんは何の研究者なんですか?その分野では、ある論争点で、事実であることがすでにすべてわかってるわけですか?そもそも過去の「事実」は事実として再構成されたものではないのですか?
- ものすごく、頭の悪い人と議論をしてる気がします。こんなレベルの低い研究者がいるとはとても思いたくないです。残念ですが、Kanbunさんが研究者でないことを祈ってます。Nakata88 2011年1月25日 (火) 13:01 (UTC)[返信]
- 事実にもレベルがあるんです。歴史学の基本です。歴史学上の史実が再構成されたものだというのは当たってますが、だから仮説に過ぎないというのは極論です。そんなこと言えば、歴史学は成り立たない。あと「頭が悪い」などとあまり人を侮辱した発言を繰り返すと、ご自身にとって不利益になるだけですよ。いずれあなたに対するブロック依頼などが出ましたら、その辺の暴言はしっかり指摘させてもらいますので、あしからず。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 13:07 (UTC)[返信]
- レベルでいえば二人しか研究者のいない、論点なんて仮説もいいところです。そんな歴史的事象なんてほかにそうはないのではないですか?それをそう書くべきだといってるのです。
- 正直、歴史学の研究者であるなどという立場はこのケースでは立証不能です。その点を論証の力にしようとしたのはあなたです。そのような行為をしたら、歴史学の研究者の名誉を守るように行動するべきでそれに反するなら、レベルが低いという批判は甘んじて受けるべきです。あなたの行為が招いた結果です。Nakata88 2011年1月25日 (火) 13:14 (UTC)[返信]
- 歴史学の研究者の名誉を守るように行動するべき?検証可能な文献を示して議論をするという最低限のこともできない人の発言とは思えませんね。私は別に自分の立場を論証の力になどしようとはしてませんよ。ただ、あなたが明らかに自称研究者であるにも関わらず、偽の反対は正であるとか、参考文献の意味を取り違えていたりとか誤った認識に立っていることを指摘はしましたが。あれは些か恥ずかしいミスでしたね。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 13:19 (UTC)[返信]
- 検証可能な文献を明示しろと言ってるのは私です。検証可能な文献の参照先をせっせと削除してるのがKanbunさんです。誰がかかったソースなのかをせっせと削除しておいて検証可能性を語るとは詭弁もいいところです。
- あなたも私も「自称」研究者にすぎませんん。さらにいえば、研究者であるかどうかなど匿名で行動している場合、ウィキペディアでは何の意味も持ちません。そんな言葉を振り回すからレベルが低いとあきれてるのです。研究者じゃないなら別にレベルなど議論の対象になりません。
- 論理にしても参照文献の挙げ方にしても論文を書かれている方とはとても思えないです。正直あきれました。Nakata88 2011年1月25日 (火) 13:27 (UTC)[返信]
- はて?どこをどう見たら検証可能な文献の参照先をせっせと削除してるのがわたしになるのか。記述を加筆しているのはあなたであり、私はあなたの記述が検証可能でないばかりか意味不明なので差し戻したまでです。だいぶ興奮気味のご様子で手が震えてらっしゃるのかtypoでおかしな文章になっていますよ。あなたはやはり「自称」研究者だったのですか。よくもまあそんな恥ずかしいうそがつけましたね。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 13:31 (UTC)[返信]
- 「崔吉城らによって主張されている」という部分が検証可能な文献の明示です。それを消されているのがKanbunさんです。
- あなたもわたしも自称研究者にすぎません。私はウィキペディアで研究者だと言うのは無意味だと思ってますし、実名で行動するつもりもないので自称でいいですが、Kanbunさんは「自称」をとりたいなら、実名で名前出してみてください。まあ進めませんけど。
- とりあえず、崔吉城氏がいっているのか林氏がいっているのか両者がいっているのか、明示できない場合、その部分は検証可能性を満たさないため削除します。両方が一致しているなら最初にそう宣言しておいてください。それなら可です。Nakata88 2011年1月25日 (火) 13:36 (UTC)[返信]
- >「崔吉城らによって主張されている」という部分が検証可能な文献の明示です。
- これは事件が崔吉城らによって主張されているものだという検証不可能な事実を含みます。ある事実がそれに関する論文の著者らの主張であるということを記すためには、そう記した検証可能な文献が必要です。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 13:43 (UTC)[返信]
- 参考文献で挙げられている著者が主張しているというなら、合理的にその参照文献がその記述のソースになっているという記述だと言うことが読めます。それを削除したのであれば、その文章全体がソースがないことになります。
- 複数の文献の両者に渡って同じ記述があるならその参照部分を明示するべきですし、それがなくてもそういう記述があれば、両方参考文献だと読めますがそれがない場合は、ソースがないと判断されます。
- とりあえず、わたしはKanbunさんがソースの明示を削除される以上、原則に帰って、私としてはソースのない文章は全部消していく方針で対応することにします。Nakata88 2011年1月25日 (火) 14:29 (UTC)[返信]
- それは殊勝な心掛けですね。早速ソースのない南京大虐殺論争の要出典箇所も削除して下さるのですね。嬉しい限りです。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 14:32 (UTC)[返信]
- ほかの記事についてはその記事の合意が優先されます。ローカルルールがあるところはそのルールが優先です。
- 私はKanbunさんがどこを編集しようとべつに気にしませんが私がどこを編集するかは私の勝手です。Kanbunさんの干渉はぎりぎりです。お気をつけください。Nakata88 2011年1月25日 (火) 14:37 (UTC)[返信]
- 私の干渉?ぎりぎり?何の話かさっぱりです。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 14:38 (UTC)[返信]
- 他人に命令をするなということです。その記事について編集をするかどうかは私の勝手です。Nakata88 2011年1月25日 (火) 14:39 (UTC)[返信]
- 私が他人に命令?いつそんなことしたのです?教えて下さいな。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 14:41 (UTC)[返信]
- 他人にぶしつけに期待を押し付けるのは婉曲な命令表現だと思いましたが。違いましたっけ?Nakata88 2011年1月25日 (火) 14:49 (UTC)[返信]
- はて?おっしゃている意味がさっぱり分かりません。どこで私が「他人にぶしつけに期待を押し付け」たのかわかりませんし、それが「婉曲な命令表現」だというのは状況を勘案しなければ相当難しい問題でしょうけれども。そこらへんの証明をせずに飛躍的な脳内論理で話をされるあなたの言っている内容が、その不正確な日本語とも相まって、本当に理解できないのですよ、自称研究者さん。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 14:52 (UTC)[返信]
- 自称研究者のKanbunさんが自称研究者の私になにをいってもばかばかしいので、そろそろ研究者というのにこだわりたいなら実名を明らかにされたらどうですか?明らかにするつもりがないならもうやめたほうがいいですよ。恥ずかしくないですか?
- 他人にぶしつけな期待を突きつけた場合、婉曲な命令になることは多々あります。少なくとも使う側はその可能性を考えていなければなりません。したがって使った場合そうとって反論してもそれは想定の範囲内でなければなりません。なにドタバタしてるんでしょうか。くだらなくないですか・Nakata88 2011年1月25日 (火) 14:57 (UTC)[返信]
- はあ。「他人にぶしつけな期待を突きつけた場合、婉曲な命令になることは多々あります。少なくとも使う側はその可能性を考えていなければなりません。したがって使った場合そうとって反論してもそれは想定の範囲内でなければなりません。」というのはどこの日本語の本に書かれているのでしょう?思いつきで書いているんですか?パワハラの成り立つ状況でない限り、こういうことを主張するのは相当苦しいですよ。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 15:02 (UTC)[返信]
- 日本語の本じゃないですよ。論理的にそうだって言ってるです。あなたは少なくとも、「「婉曲な命令表現」だというのは状況を勘案しなければ相当難しい問題」だと認めてるわけですよね。だとすれば、そこにそう取られる可能性があることはわかってるわけです。(そもそも論理の当てはめなんて本を読んだらおかしいでしょ。それは自分で考えるものです。)
- そしたらその言葉を使った人間は多義的な意味のうちそうとられる可能性を考えて使うことがあらかじめ求められてるわけです。あなたも理解してたわけですしね。
- だからそうとって反論したわけです。違うなら違うといえばいいだけのことです。「誤解を生じさせて悪かった」と謝ればなおいいですが。Nakata88 2011年1月25日 (火) 15:07 (UTC)[返信]
- 「「婉曲な命令表現」だというのは状況を勘案しなければ相当難しい問題」というのは、そう取るのは普通はないという意味の婉曲表現ですよ(笑)。わかってくださいな、日本人なんでしょ?日本人なら誤解の生じようがないと思ったんですが。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 15:11 (UTC)[返信]
- 可能性を認めてるだけで十分です。そりゃそう取られる可能性を残してるってことですから。
- ソースが二つ以上あって、そのどちらを参照してるか文章中に明示がない場合、両者を共通するソースととるルールはありません。
- ふたりしか主張者がないならそれがわかるように書くのも当然のことです。それはソースの多寡を問題にするウィキペディアの記述のルールから導かれるものです。
- いじょうより、ソースが明示されていない場合、次回から削除で対処します。Nakata88 2011年1月25日 (火) 15:20 (UTC)[返信]
- わからない人ですね、婉曲に可能性を否定してるんでしょ。私もソースがない記述を削除しているだけなので、ウィキペディアの原則論に従って下さる限り歓迎です。ただ、あなたの脳内に私と同じ原則が存在するかは甚だ疑問ですが。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 15:22 (UTC)[返信]
- あなたは「Aが主張している」という文章を、「Aしか主張していない」という文章に読み替えて批判してるですよ。
- 「Aが主張している」のが事実なら、「Bも主張している」という事実があるならABともに主張しているとかきかえるべきであって、Aが主張しているという部分を消すのは間違いです。
- また、参考文献がふたつあげられているからといってそれだけでは両方ともに共通する記述だとは読めません。
- 以上より、参照先が消されてしまった場合、ソースの明示を求めてきたのですがそれが果たせない場合には削除で対応することになります。Nakata88 2011年1月25日 (火) 15:30 (UTC)[返信]
- 私は「Aが主張している」という文章自体に反対しているのです。樺太朝鮮人虐殺事件は崔吉城の主張であるという検証可能なソースはないからです。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 15:35 (UTC)[返信]
- ある記述について検証可能なソースがないなら削除するのがウィキペディアの原則です。説明してもソースの付加には賛成していただけないようですので、次回からは原則とおり削除します。
- なお、kanbunさんとの議論はkanbunさんの特異な論理構成、ウィキペディアの原則についての理解不足、あるいは論理の理解の不足から私には非常に困難さをかんじます。コメント依頼をだしたいとおもいます。Nakata88 2011年1月28日 (金) 05:29 (UTC)[返信]
- 該当ノートでお返事いたします。--Kanbun 2011年1月28日 (金) 09:06 (UTC)[返信]
- 一応コメント依頼を出しました。
- そちらでも、述べましたが、まだ自称研究者に引っかかっておられるため、再度説明します。私は、第三者からみれば、私も、あなたも「自称研究者だ」といってるのです。決して、自分が自称研究者だと認めたわけではありません。
- なお、そこまで自称にこだわられるなら、実名で行動されてもウィキペディアでは特に問題はありません。そういう選択肢もありますよ。
- なお、個々の記述について複数の参考文献が挙がっている場合、そのどちらを参照するか、より言えば、どのページを参照するかはソースの存在証明として必要です。特に、ソースの能力に違いがある林氏と崔氏による主張の場合はどちらがソースかは重要になるのに論を待ちません。
- そのばあい、その明示がないならば、ソースにかけるとして指摘し、削除をも考えざるを得ません。
- また、「崔氏による主張」がメインであるなら、それもわかるようにする必要があります。学説状況をそのまま書くことが必要だからです。2011年1月28日 (金) 17:45 (UTC)
- そうですか。ただ、私は前にも申しましたように、あなたを研究者とは考えていません。ご自身の立場を文献によって裏づけるというウィキペディアで当たり前のルールを守れない人が、研究者とは考えられません。同様に、相手の主張と根拠となる文献も読まずに議論をする人が、やはり研究者としてまともな精神を持っているとは思えないからです。そういう客観的状況から、私にはあの発言は「自称研究者でした。ごめんなさい。」という意味に聞こえましたが、あなたのおっしゃる意味であったというのなら、そういうことでいいですよ。ただあなたの文学博士だから崔吉城氏の説が信用できないという主張はほんとに驚きましたね。歴史学が文学博士の領域であったことを知らなかったとは。あるいはしかるべき博士号がないと歴史学の専門家になれないとお思いとは。内心大いに驚きあきれましたよ。--Kanbun 2011年1月29日 (土) 00:49 (UTC)[返信]
- 「文学博士だから崔吉城氏の説が信用できない」という主張は私ものではありません。よく読み返してください。どのたか別の方の主張です。
- なお、私があなたを自称研究者といっているのは要するに、研究者だという証明はないい上、そう呼ぶしかないからです。つまり、「あなたが研究者だといっても、それは無意味だよ」と言う意味で言ったに過ぎません。
- Kanbunさんは、ソースの示し方が、論文の書き方にもウィキペディアの著述方針にも合っていないと思います。とくに、ある歴史的事実がその論文によって主張されている場合に、複数の参考文献があげられている場合、それをどの論文のどのページに載せられているか、あるいはどちらの論文に載せられているかを明示しない論文などみたことがありません。
- 信頼できるソースが必要なのは「AがBであると」「崔吉城氏が述べている」。という文章で言えば、「AがBであると」のほうです。「崔吉城氏が述べている」の方はソースの明示です。もし、「崔吉城氏が述べている」がなければ、信頼できる二次ソースが不明として「AがBであると」自体がかけなくなります。このことはウィキペディアでは常識に属します。
- Kanbunさんは、参考文献があがっているのだから「AがBであると」というのはかけるのだといっていますが、それは無理です。なぜなら、その参考文献は明らかに価値が違うからです。どちらにかかれているかがわからない場合、その信頼性が異なります。また、反論が存在する場合はなおさらです。
- その意味で、kanbunさんの編集参加のやりかたはウィキペディアの根幹に触れるところなので、問題は大きくならざるを得ません。Kanubnさんが納得されない場合は、投票をやることになると思います。よろしくお願いします。Nakata88 2011年1月29日 (土) 10:35 (UTC)[返信]
- あなたはわたしのノートに個人攻撃をしたという個人攻撃を書かれています。議論が非常に煩雑になりますので、やめてください。そのような批判も合わせて当該ノートで行うべきです。その議論の範囲内でしか批判は行うべきでなく、それをこえたら個人攻撃になります。Nakata88 2011年2月9日 (水) 09:59 (UTC)[返信]
- とりあえず管理者伝言板に報告いたします。--Kanbun 2011年2月9日 (水) 10:01 (UTC)[返信]
- ノートにかかれましたが、Kanbunさんに対する批判は、樺太朝鮮人虐殺事件のノートで述べたとおりです。情報源をより正確に記載する要請は、学問的にも、ウィキペディア的にも当たり前のことです。そのことを否定する立場は、上記の、どのような方法論からもでてきません。したがって、わたしはあなたの学問的方法論についての理解について懐疑的です。これについては、最初から申し上げてます。それ以上でもそれ以下でもありません。また、わたしが展開してるあなたの方法論についての批判は、方法論についての批判ですから、非常に範囲が大きいですが、人格的批判ではありません。そのことも、述べたとおりです。特に変更する点はありません。
- kanbunさんが、樺太朝鮮人虐殺事件のページで受けている批判はわたしからだけではありません。そのうち二つは、あなたの方法論の理解あるいは、その悪用について指摘しているものであり、歴史学の方法論を「知らない」と指摘しているものではないのに注意してください。両者は、原因は別だと考えていますが(理論の悪用か、誤解かです)その行使のしかたが問題であるといっているわけです。
- わたしも、悪用と考えている方も、あなたの歴史学的な知識がないと言ってるわけではないということです。それは当然です。具体的に、誰がソースになっているかを述べることの要請を否定する理論など、学問的方法論から出るわけがありません。その点で、知識を誤用しているか、悪意で利用しているかどちらかどいってるわけです。
- 以上、繰り返しで特に新しく付け加えることはありませんが、質問を受けたようですので、再度書いておきます。Nakata88 2011年2月13日 (日) 08:57 (UTC)[返信]
- ウィキペディアの記述原則は、科学的方法論に優先して、ウィキペディアに書かれていることが優先します。それは、何回も提示したとおりです。科学的方法論は補足的な問題に過ぎません。Kanbunさんはウィキペディアの記述原則に反しているから批判されてるわけです。そのうえで、Kanbunさんのあげられている文献のどこからも、情報源を明確にすることを否定する根拠など出てくるわけがないと言ってるわけです。ウィキペディアではウィキペディアの記述原則が優先しますから、これは補足的理由に過ぎませんが、わたしが根拠としているのは、ですから、あなたが挙げている文献すべてです。情報源をあいまいにすることをそれらの文献から説得的にいえるのわけがないといってるわけです。もし、反例があるならあげてみてください。要するに、わたしは、そんなことができたら、それはそもそも科学ではないのでありえないといっているに過ぎません。それはそれでびっくりですのでぜひ論証してみてください。Nakata88 2011年2月13日 (日) 10:30 (UTC)[返信]
- すみませんが、話が分散するので、わたしのノートで書くのはもうやめてください。議論は当該ページのノートにお願いします。わたしは、最初に書いたことと全く同じ内容しか書いてません。あなたのノートに書いたことも全く同じ内容です。正解を説明しても繰り返しになるだけですし、ほかの方も議論の内容を知る必要があります。わたしの根拠はウィキペディアの記述原則と、あなたが挙げている文献全部です。あなたのいうような、ソースをなるべく詳細に提示しなくていいということが、論理的にでてくるわけがないといってるわけです。根拠はウィキペディアの記述原則です。いい加減理解してください。Nakata88 2011年2月13日 (日) 12:22 (UTC)[返信]
- この一連の議論は、ウィキペディアの記述に関するものであり、わたしの科学的方法論を展開する場所ではありません。また、失礼かもしれませんが、あなたにそれが理解できるとも思えません。あなたが、あなたの科学的方法論を記事の、記述根拠にする限りにおいて論駁しているだけです。記事に関係ない議論をするつもりはありません。雑談をする場所ではないことをよろしく御理解お願いします。Nakata88 2011年2月13日 (日) 13:58 (UTC)[返信]
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