利用者‐会話:Miyuki Meinaka/過去ログ1
画像提供依頼の終了について
[編集]Miyuki Meinakaさん、はじめまして。東北大学総合学術博物館に画像を提供していただき、また{{画像提供依頼}}を除去していただきありがとうございます。しかしながら、画像提供依頼は{{画像提供依頼}}を貼ることだけでおこなわれているわけではありません。画像が提供された記事について、{{画像提供依頼}}だけをはがしても自動的に依頼のすべてが終了するというわけではないのです。
画像の提供をおこなった場合は、{{画像提供依頼}}を除去するとともに、Wikipedia:画像提供依頼のなかからその記事への依頼文を探し、画像提供済みの報告を付け加えてください(今回はPortal:日本の都道府県/宮城県/画像提供依頼に出ています)。これによってその依頼は一時終了したことがわかり、目的の画像が適切に提供されている場合は一週間以上が経過したのち依頼文が削除され、適切な画像でない場合は再依頼がおこなわれます。 Wikipedia:画像提供依頼/依頼削除の方針
画像提供依頼に関しては、{{画像提供依頼}}の除去のみしかおこなわれずWikipedia:画像提供依頼での依頼が放置されるといったことが増えています。お手数ですが、画像提供依頼を効率よく行うため上記の点に注意していただくよう、よろしくお願いします。--Phoneme-Tonnies 2009年9月13日 (日) 05:53 (UTC)
- 画像提供依頼の件、了解しました。--Miyuki Meinaka 2009年9月19日 (土) 07:43 (UTC)
地元記事でも名鑑記事でないものを作成してみませんか
[編集]いつも三重県道などの三重県地元の名鑑記事ばかり作成されているようですが、たまには新しい記事に推された鳥羽港のような名鑑記事のレベルを離れた記事を作成してみませんか。あなたのように三重県の地元記事を作成されている方が新たに作成された四日市市立大矢知興譲小学校に私が加筆して赤字リンクとなった大矢知村と伊勢暴動の記事でも作成していただければ幸いです。--59.146.91.53 2009年10月16日 (金) 22:47 (UTC)
ご意見ありがとうございます。Myukiです。名鑑記事ばかり、と言われると少々傷つきますが…。県道記事でも三重県道147号松阪嬉野線は力をいれて執筆したつもりです。またその他の県道記事でも情報収集・記事本文執筆で最低2時間かけて作成しており、割いている労力は鳥羽港とさほど変わりません。ただ鳥羽港ほど情報が集まらないのであのような記事になってしまうのです。「スタブ」を貼っているとおり、いずれ資料(市町村史等)が入手できれば加筆予定です。
大矢知村と伊勢暴動ですが、伊勢暴動の方は私が地理屋なのであまりいい記事が書ける自信がありませんが、時間と資料が許す限り執筆に向けて調査してみようと思います。ただ、私は関東地方に移住しておりますので、どれだけ三重の文献が入手できるかは未知数です。また執筆したい記事も蓄積していますので、気長にお待ちいただき、完成しましたら加筆・訂正いただければ、と思います。--Miyuki Meinaka 2009年10月21日 (水) 08:19 (UTC)
IPは異なりますが、この節を起こしたIPと同一のものです。名鑑記事でない豚の日の新着記事採用、おめでとうございます。ネット検索でウィキペディア以外にまとまった解説が見つからない内容の項目こそが百科事典記事として貴重であるという思いを強くしています。--218.110.170.81 2009年11月27日 (金) 02:13 (UTC)
- お知らせいただいてありがとうございます。まさか新着記事に選ばれるとは思っていなかったので驚いているところです。これからも良い記事が書けるよう努力していくつもりです。--Miyuki Meinaka 2009年11月27日 (金) 06:43 (UTC)
ずいぶんと遅くなりましたが、伊勢暴動の記事が完成いたしましたのでここに報告させていただきます。--Miyuki Meinaka 2011年7月28日 (木) 16:48 (UTC)
「Wikipedia:削除依頼/アピタ個別店舗記事」での賛否表明
[編集]「Wikipedia:削除依頼/アピタ個別店舗記事」で賛否表明されていますが、S-PAI氏が2009年11月14日 (土) 00:24 (UTC) 時点の編集で個別記事賛否投票所節を設置したため、それ以前に賛否表明された方の全存続または全削除の意見の取り扱いが分かりにくくなってしまいました。そのため、全存続・全削除の両節を設置し、Miyuki Meinaka氏のご意見は2009年11月10日 (火) 07:46 (UTC) での意見に基づき、勝手ながら「全存続」のものとして記載させていただきました。この措置にご異議がある場合は適宜修正してください。--218.110.170.81 2009年11月14日 (土) 11:46 (UTC)
恩物
[編集]あなたが作成した恩物は明らかに英語版の翻訳ですが、編集の要約欄にWikipedia:翻訳のガイドラインに定める必要事項の記入が無いため、GFDL履歴継承なしとの理由で削除される虞があります。他の利用者による編集が入らない前に早急にガイドラインに定める補遺の手続きを行ってください。--58.87.252.7 2009年12月7日 (月) 01:31 (UTC)
- ご丁寧にご連絡くださいましてありがとうございました。さっそく補遺を入れておきました。--Miyuki Meinaka 2009年12月7日 (月) 01:48 (UTC)
つくば市関連の記事の充実ありがとうございます
[編集]Miyuki Meinakaさん、はじめまして。Otherdeと申します。桜 (つくば市)や春日 (つくば市)をはじめとする、つくば市関連の記事の加筆ありがとうございます。どちらも私が項目を新設したものでしたが、Miyuki Meinakaさんによって記事の充実が図られており、篤く御礼申し上げます。また、少し前になりますが「Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の町・字」というプロジェクトも立ち上げましたので、もし興味がおありでしたらご参加頂けると幸いです。--Otherde 2009年12月21日 (月) 02:48 (UTC)
- つくば市の桜や春日は、私にとって比較的身近な地域だったので、少し加筆してみました。まだまだ記事のスタイルなどでお手を煩わせてしまうことがあるとは思いますが、微力ながらお役に立てれば、と思い参加させていただきました。どうぞよろしくお願いします。--Miyuki Meinaka 2009年12月22日 (火) 15:57 (UTC)
- プロジェクトのご参加ありがとうございます。お手を煩わすなんてとんでもないです。自らが大きく関わった項目のうち、どなたかが最近編集して下さった項目からなるべくスタイルを修正しているのですが、桜 (つくば市)などの件ではMiyuki Meinakaさんの編集の妨げになってしまったのではと思って気になっておりました。もし妨げになっていることがあったならば申し訳ありませんでした。また、プロジェクトはまだ準備中となっておりますので、ご意見やご提案などがありましたら気軽にWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本の町・字に書き込んで頂けると幸いです。こちらこそよろしくお願いします。--Otherde 2009年12月22日 (火) 17:17 (UTC)
和具
[編集]あなたが書き起こした和具はWikipedia:メインページ新着投票所/新しい項目候補に推薦され支持を集めています。消滅した旧自治体を町・字記事として作成した着眼は評価されるべきです。編集した私も1票を投じました。自らの記事に自信があるなら自推することも投票することも何ら恥じる必要はありません。堂々と自らの記事に1票を投じましょう。
ところで、あなたが作成した記事の私の編集を見てお気づきかと思いますが、私はリードが1、2行の辞書的定義は百科辞典の定義として認めない主義です。リードはトピックの特徴を端的に集約した記事全体の概要(summary)であるべきで、日本語版でよく使われる1、2行の辞書的定義とセットになった概要節は馬鹿の一つ覚えの噴飯ものだと考えています。それもあって、1、2行しか文がない節は、重要なことでリードに含められるものはリードに、その他の文は極力その他の主要節に混ぜ込んで、細かい節は省くような編集を行っていることを、遅まきながら説明させていただきます。
それと国土航空写真の添付について。画像は単に記事の見栄えだけでなく、トピックについて直感的な理解を得られるものでなければならないと考えています。地理や地物に関わるものの場合、基本は必ず{{coord}}や{{ウィキ座標}}を記述し、そこから飛んだ先のGoogleマップの航空写真が不鮮明だったり解像度が粗いものしかなく形態が掴みにくい場合などに限定して国土航空写真を添付するようにしていて、何が何でもの「厨」ではありませんので念のため。(笑)(例えば巌流島の写真も作っては見たもののGoogleマップのと比べると遥かに見劣りして使い物にならないので放置しています。)--Minor edit 2010年2月6日 (土) 07:35 (UTC)
- 激励の言葉と貴重なご指摘をいただきましてありがとうございます。これからも良質な記事を書いていきたいと思います。リード文につきましては、個人的には短い方が良いと思っておりましたのでこれまで1、2行のものを書いてきました。今後はもう少し記事の要約として読めるようなリード文を作っていきたいと思います。国土航空写真の件につきましては、鈴島や間崎島で画像をアップしてくださいましてありがとうございました。座標表記は地理では大変重要なことだと思いますが、当方地理好きにも関わらず、軽んじていた点があるかもしれません。これからは記述するよう心がけます。--Miyuki Meinaka 2010年2月7日 (日) 04:54 (UTC)
脚注リンクの位置
[編集]Miyuki Meinakaさん、はじめまして。Penn Stationと申します。出典の充実した質の高い三重県地理記事のご執筆、ありがとうございます。Miyuki Meinakaさんの投稿された和具、浜島 (志摩市)、間崎島ですが、表記スタイルを若干変更させていただきました。といいますのも、Help:脚注#スタイルと用法にありますように、Wikipedia日本語版では<ref>による脚注リンクは句点(。)の前に置くのが一般的なためです。もし何か特別な理由があるのでなければ、このスタイルにしていただいた方が良いかなと思う次第です。これからもMiyuki Meinakaさんの記事を楽しみにしております。今後ともよろしくお願いいたします。--Penn Station 2010年2月28日 (日) 03:36 (UTC)
- 教えていただいたこととご訂正くださいましたことに感謝しております。脚注リンクの位置が決められていたことは恥ずかしながら知りませんでした。当方ではこれまで、出典が同一の文章が2文以上連続する場合は句点の後ろに、1文の場合は句点の前に脚注を置く、という独自のルールを作っていました。これからはWikipedia日本語版のルール通りにしていきます。--Miyuki Meinaka 2010年3月1日 (月) 01:19 (UTC)
- ご返答いただきありがとうございます。なるほど、そのようなルールで編集されていたのですね。確かに、連続する複数の文に対して同一の出典を示したい場合、最後の句点の前だけに<ref>を置くと、その対象範囲が不正確になってしまいますね。実は私もこのような場合にどうしたらいいのか以前から迷いもあるのですが、やはり基本は個別の文に対して<ref>を置くのが結局は分かりやすくていいのかな、と思っています(句点の後ろに置いてもその対処範囲は不明確ですし。脚注だらけになる恐れはありますが…)。--Penn Station 2010年3月6日 (土) 03:56 (UTC)
- 脚注だらけになるのはあまり見栄えが良くないかもしれないですが、出典明記を徹底するためには仕方ないですね。これからもwikipediaの信頼性向上のため頑張ります。--Miyuki Meinaka 2010年3月11日 (木) 02:50 (UTC)
月間感謝賞より
[編集]2010年2月の月間感謝賞において、Miyuki Meinakaさんへ感謝の言葉が寄せられました:
* ikedat76 2ウィキ: 三重県の地方誌記事における充実した記事の執筆に感謝して。地方誌に関する記事の範例ともなりうる充実した記事の執筆に敬意を表します。
- Penn Station 3ウィキ: 和具や浜島 (志摩市)など充実した出典を伴う質の高い三重県地理記事の執筆に感謝して。 — Wikipedia:月間感謝賞/投票/2010年2月(履歴)
また、Miyuki Meinakaさんには、ウィキマネーが5ウィキ贈呈されています。
Miyuki Meinakaさんはウィキバンクに口座をお持ちではないようですから、ウィキマネーとウィキバンクについて、簡単なご案内をいたします。ウィキマネーとは、ウィキペディアでの活動の相互扶助を促進するための仮想的な通貨です。また、ウィキバンクとは、そのウィキマネーの口座と残高を記録するシステムです。
ウィキマネーは、ログインしての活動が1か月以上かつ200回以上の編集をしていれば20ウィキ獲得でき、Miyuki Meinakaさんはすでにこれを獲得されていますから、おそらく25ウィキの残高となろうかと思います。口座開設と残高の記録は、Wikipedia:ウィキバンクに「~~~:ψ25」という形式で、残高を記入するだけになります。
これからのますますのご活躍を祈念いたします。--廉 2010年3月14日 (日) 06:16 (UTC)
- 月間感謝賞なんて縁遠い存在だと思っていました。まさか私を推薦してくださった方がお二方もいらっしゃったとは恐縮です。これからもこれを励みに頑張っていきたいです。ウィキバンクの口座は先ほど開設させていただきました。本当にありがとうございました。--Miyuki Meinaka 2010年3月15日 (月) 02:02 (UTC)
「伊勢市河崎」の画像提供について
[編集]河崎 (伊勢市)の画像提供依頼について、私の手持ちの画像から何枚か提供したので、お知らせにあがりました。画像は、コモンズにアップしています(こちらです)。天候に恵まれずあまり良い画像ではないのですが、もし良かったら使ってやっていただけると幸いです。なお、使用する画像はMiyukiさんに選んでいただいた方が良いと思ったので記事へは反映させず、ただ、ウィキメディア・コモンズへのリンク付けのみに留めてあります。--Whaa 2010年3月14日 (日) 06:29 (UTC)
- 素晴らしい画像を依頼提出からすぐにご提供いただきましてありがとうございました。画像を見ていたら何だか懐かしくなってきました。どの画像にしようか迷うほどの力作揃いでしたが、いくつか選んで記事に反映させていただきました。--Miyuki Meinaka 2010年3月15日 (月) 02:02 (UTC)
記事見直しのお願い
[編集]どれとは言いませんが、あなたの編集には誤解や資料の誤読などがかなり目立ちますので、新規記事作成よりも記事の見直しを優先していただきたくお願いにまいりました。
例としていくつかあげますと、明和町の大淀は役所仕事以外では通常「おいず」と読みます。
桧山路の表記は私が確認した版の角川の地名辞典の「桧山路」の解説の部分では桧山路に統一されていましたがそこに磯部の「桧山」の表記があり、巻末の小字一覧では「檜山路」と表記され混在となっていますし、平凡社で調べますと「檜山路村(現浜島町檜山路)」とあり、異体字の扱いに関して正式と言えるかどうかしっかり調べないと疑問が残るとしか言えません。浜島町史などに正式に定めたなどの記述があれば典拠になりますが、Webでざっと調べた範囲では役所の表記でさえ混在している状況では正式と書いてあるわけでもないPDFでは根拠になりません。
伊勢市の河崎では河辺里を河崎に「比定」する古い資料はありますが、最近の郷土史研究家の何人か(私が調べた範囲では全員)は否定的見解を述べていますので、比定が正しいという前提で記述するのは不適切に思われます。
和具では資料の「守護に招かれ」が「守護として招かれ」に置き換わっています。文脈からは「守護として」と読みたくなる気はしますが、「守護として」であれば「招く」の述語が不適切に感じますし、中央(幕府)などの史料に何らかの記録が残っていないようなのが気になりますので、「守護が家来として招いた」と解釈するのが自然に思われます。そう解釈しなくても助詞を変更しない方がよいのではないでしょうか。
「戦前の1時期は日本最大のウナギ養殖場となったことがある」と『磯部町史』を調べても私には見つけられませんでしたが、「明治時代から静岡県浜名湖に次ぐ養鰻業の盛んな土地」と三重県が書いていますので単年度の事業所単位で日本一になったことがあるのかも知れません。しかし誤解を招くおそれがありますから、どのような条件で最大になったのか詳細に記述するのが望ましいと考えます。
不正確あるいは不適切な記述を放置していると、以前のこういう面倒なことのようにWikipediaから間違いを広めてしまったり、Wikipediaの信頼性を下げてしまうことが危惧されますので、正確な記述を心がけるようにお願いします。私に他人さまを批判する資格はないように思うのですが、1年ほど様子をみても正確性が改善されるようでもありませんし、誰かが修正して下さっているわけでもなさそうですし、他者の修正を期待するにしても活発すぎて追いつく気がしないのではお願いに参った次第です。--N yotarou 2010年6月25日 (金) 16:28 (UTC)
- 貴重なご意見ありがとうございます。Wikipediaを始めたころ、いつ投稿ブロックされるかとヒヤヒヤしていた私ですが、最近は新着記事で多く取り上げていただいたりして、多かれ少なかれ舞い上がっていたところがあるような気がします。資料の誤読に関しましては自分の都合よく解釈する傾向があると感じておりますので、細かく出典を示して他の方の検証を期待しておりました次第でございます。私はまだまだ発展途上にありますので、どうか投稿ブロックという脅しはやめていただけないでしょうか。--Miyuki Meinaka 2010年6月26日 (土) 05:36 (UTC)
- 利用者:伊勢志摩日和として活動していたころに新規立項した記事の自己検証が完了しましたのでここに報告いたします。詳細は利用者:Miyuki Meinaka/自己検証結果をご覧ください。--Miyuki Meinaka 2010年8月2日 (月) 07:22 (UTC)
連絡のお願い
[編集]名中みゆきさま 私は貴殿が執筆された「多気城」の頁に掲載された関係者の代理人です。記載に 関係ある事項について名誉棄損を理由とする訴訟を提起し、謝罪を掲載するなど の和解が成立しております。つきましては、貴殿の「多気城」の項目についても 修正をお願いしたく、詳細はメールにてご説明しますので、当職宛(hzm(アットマーク)tokyokyodo-law.com) メールをいただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。 弁護士日隅一雄
- ご連絡いただきありがとうございます。先ほどメールを送らせていただきましたのでよろしくお願いします。--Miyuki Meinaka 2011年5月17日 (火) 05:34 (UTC)
はじめまして
[編集]こんにちは、Miyuki Meinakaさん。私はもかめーると申します。突然、会話ページに書き込みさせていただく失礼をお許しください。新着記事を中心として、精力的にご執筆なさっている伊勢志摩地方に関する記事を、私はたいへん興味深く拝読しております。個人的には鳥羽港、志摩町和具、浜島町浜島の記事を特に好んで読ませていただきました。
「各々の地域には独自の深い歴史があり、伊勢湾や熊野灘に育まれた自然と共存しながら生活を営み続ける人々がいる」
歴史に重点を置きながらも、あらゆる角度から丁寧に執筆なさるMiyuki Meinakaさんの記事からは、地域記事ならではの良さが非常に伝わってくるように感じました。私もウィキペディアにて地域に関する記事の編集をいたしておりますが、Miyuki Meinakaさんのご執筆姿勢を大いに参考にさせていただく所存です。今後とも、Miyuki Meinakaさんのご執筆を楽しみにいたすとともに、さらなるご活躍を祈念いたしております。拙文をお読みくださいまして、ありがとうございました。--もかめーる 2011年6月19日 (日) 11:58 (UTC)
- メッセージを下さいましてありがとうございます。これからもがんばって記事を書いていきたいと思います。--Miyuki Meinaka 2011年6月19日 (日) 12:31 (UTC)
第3回秋の加筆コンクールのご案内について
[編集]こんにちは、もかめーるでございます。いつもMiyuki Meinakaさんの執筆記事を楽しく拝読しております。さて、このたびは開催中のWikipedia:第3回秋の加筆コンクールのご案内に参りました。このコンクールは、重要な項目にもかかわらず、簡単な記述に留まっている記事の加筆改良を競うイベントでございます。
この機会に、Miyuki Meinakaさんご立項の記事を含め、ご興味のある分野において、さらなる加筆をなさる機会がございました折には、実施要項をご覧になった上で、ご参加を検討していただければたいへん幸いでございます。お手数をおかけいたし、申し訳ございませんが、何卒よろしくお願い申し上げます。ありがとうございます。--もかめーる 2011年10月16日 (日) 23:51 (UTC)
- お知らせいただき、ありがとうございます。地理関係でしたらできそうですので、前向きに検討したいと思います。--Miyuki Meinaka 2011年10月17日 (月) 04:58 (UTC)
- 突然の申し出にもかかわらず、さっそくお返事を賜りまして、どうもありがとうございます!Miyuki Meinakaさんのエントリーを、そして素晴らしい加筆記事を読ませていただく機会を、ファンの一人として心より楽しみにいたしております。よろしくお願い申し上げます。--もかめーる 2011年10月17日 (月) 13:02 (UTC)
書誌情報について
[編集]こんばんは。下妻城を拝見致しました。私などは到底及ばない大変結構な出来であったのですが(歴史的・郷土的な基礎知識に欠けておりまして書こうにも書けない記事ばかり)、「長谷川ほか(1997)」の書誌情報が抜けている模様です。私の見落とし等でしたらどうかご容赦ください。--Hman(会話) 2012年3月27日 (火) 05:25 (UTC)
- Miyukiです。記事を閲覧していただき、またご指摘いただきましてありがとうございました。書くのを忘れておりました。先ほど追加させていただきました。--Miyuki Meinaka(会話) 2012年3月29日 (木) 14:24 (UTC)
記事名変更のお願い(常陸國總社宮より)
[編集]Miyuki Meinakaさま 突然の御連絡にて失礼いたします。こちらはMiyukiさんに記事をお書きいただいた常陸國總社宮と申します。 大変詳しい記事を御執筆いただき、誠にありがとうございます。脚注なども明示されており、当方としては喜ばしい限りです。 ただ、一点お願いしたい部分がございます。それは神社の名称についてです。 現在、当神社は一般に「常陸國總社宮」として呼称せられていることはMiyukiさまが御執筆の通りです。 しかしながら、ページ名称として「総社神社」がトップになっている関係で、特に石岡市在住の皆さんには 混乱が生じかねません。確かに總社神社は宗教法人としての登録名称になっておりますが、 対外的には全く使用していない名称であります。 そのため、記事名を「総社神社」から「常陸國總社宮」に変更していただけませんか? 記事細部に関しては、変更可能ですが、記事名自体の変更はどのようにしたらよいかわかりませんでした。 大変お手数ではございますが、御一考いただければ幸いです。 何か問題などがございましたら、当方hitachisosya@gmail.comまでご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。--Hitachisosya 2012年4月12日 (木) 04:20(UTC) (履歴よりMiyuki Meinakaによる追記)
- 改名提案を経て、常陸國總社宮に変更しました。--Miyuki Meinaka(会話) 2012年4月21日 (土) 14:03 (UTC)
リダイレクト削除審議のお知らせ 2012年4月
[編集]リダイレクト削除依頼からのお知らせです。Miyuki Meinakaさんが作成したリダイレクト(または作成後にリダイレクト化されたページ)に対して削除依頼が提出されております。つきましては、審議への参加をお願いいたします。対象リダイレクトの審議場所:Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/2012年4月#RFD總社神社 (石岡市)
ご注意:※Miyuki Meinakaさん作成のリダイレクトのうち、複数が追加で依頼される場合があります。しかし当月分に関しては再び通知されることはありませんのでご注意ください。当月の審議ページを「ウォッチリストに追加」して、チェックすることを強く推奨します。※このお知らせを翌月7日までに過去ログ処置などで消去した場合、仕組み上、同じ文章が再度投稿されますのであらかじめご了承願います。※このお知らせはBotにより自動投稿されています。この下にメッセージを書き加えても、返答が付くことはありません。自動投稿に関する問い合わせは「Bot運用者の会話ページ」にお願いします。--Trvbot(会話) 2012年4月21日 (土) 18:09 (UTC)
月間感謝賞受賞のお知らせ
[編集]Miyuki Meinakaさんに、2012年7月の月間感謝賞が贈られました。寄せられた推薦と感謝の言葉は次のとおりです:
* Himetv : 茨城県の町・字に関する加筆を含む複数の地名記事における貢献に感謝して。
- 朝姫(会話) パーと派手な記事がどうしても目立つ中で、ほんとなら地味で目立たない地方の記事なのに、Miyuki Meinakaさまの執筆だと魅力的なわくわくする記事になります。素晴らしい執筆力でwikipedia がとても充実しています。
- さかおり(会話) 3ウィキ: 皆さんと同じく、茨城県や三重県の地元記事の充実に感謝して。最近では六角堂 (北茨城市)、筑波山気象観測ステーションなどの優れた記事、また、地元であっても文献や写真を集めるのが難しいにも係らず良質な記事に仕上げられた北条米、土浦市立土浦幼稚園など、興味深く読ませていただきました。同じく地元記事をメインに執筆する者として尊敬いたします。
- ぱたごん(会話) 5ウィキ:志摩町和具、六角堂 (北茨城市)、筑波山気象観測ステーション,北条米、土浦市立土浦幼稚園、石岡市立中央図書館など、この方の記事は同じ分野のお手本とするのに相応しい記事ばかりです。私が初心者に対して町字記事では志摩町和具をお手本として提示することは多かったです。 — Wikipedia:月間感謝賞/投票/2012年7月(履歴)
また、Miyuki Meinakaさんには、ウィキマネーが、推薦者から8ウィキ、また月間感謝賞受賞に10ウィキ、合計18ウィキ贈呈されています。
これからのますますのご活躍を祈念いたします。--totti(会話) 2012年8月1日 (水) 10:16 (UTC)
- 私のような者が月間感謝賞をいただけるとは思っていませんでした。驚きました。そして純粋に嬉しいです。私の記事は地方の小さな話題が多く、「百科事典」としてはあまり役立つものではないかもしれません。たとえそうだとしても、1人でも「この記事があってよかった」、「この記事はおもしろかった」と思ってくれる人がいれば、と思って書いてきました。月間感謝賞に推薦してくださった皆さん、新着記事候補になった時に1票を投じてくださった皆さん、ノートページや良質な記事候補の議論で重要な示唆や貴重なご意見をくださった皆さん、私の執筆した記事を読んでくださったり、加筆・修正をしてくださった皆さん、陰に陽に私を支えてくださった皆さん、そして私に新しい記事の案を提供してくれる友人に対し、この場を借りて最大限の感謝の意を表したいと思います。これからも、記事の執筆や加筆・修正を自分なりに続けていきたいと思います。本当にありがとうございました。--Miyuki Meinaka(会話) 2012年8月1日 (水) 14:06 (UTC)
新着記事のお願い
[編集]- 三重県の四日市市の記事で特に富田・富洲原関係の記事を編集しているものです。やり方が分からないので三重県の新着記事に富田の鯨船行事と富田一色けんか祭の三重県の記事の投稿をお願いします。富田一色地区や四日市市のページの地域史功労者の伊藤伝七や三重短大教授の記事も今後書く予定ですが自分の代わりに執筆できればお願いします。三重県の郷土史の三重県の記事を書いていますが執筆できれば協力をお願いします。--210.149.120.70 2012年9月7日 (金) 03:52 (UTC)
- 四日市の記事を執筆されているIPの方ですね、存じ上げております。早速追加しました。新着記事の追加自体は、一般の記事の編集作業と同じですので難しいものではないと思いますよ。私は三重県南部の出身なので、正直四日市の方にはあまり詳しくありませんし、三重県に関する資料が簡単には入手できない関東地方に住んでおりますので、新規立項は難しいかもしれません。記事への加筆・修正であれば、微力ながら協力できるかもしれません。よろしくお願いします。--Miyuki Meinaka(会話) 2012年9月7日 (金) 15:30 (UTC)
- 追加の発言です。三重県の記事について、三重県の重要な歴史で志摩地方と戦国時代史の重要記事でウィキ三重県の記事の項目で自分が中世史の項目に記述した九鬼水軍と北勢48家に興味があり自分も書きたいができれば九鬼水軍と北勢48家の記事を書いていただければうれしいです。--210.149.120.70 2012年9月7日 (金) 21:19 (UTC)
- 検討してみたいと思います。ただ、私の専門は地理学なので、「現状を理解するため」あるいは「未来を予測するため」に歴史を捉えている傾向があります。専門家のお墨付きのある「正しい」歴史と民間伝承や俗説などの「正しくない」歴史を区別するだけの能力も十分ではありませんので、あまり期待はしないでください。--Miyuki Meinaka(会話) 2012年9月8日 (土) 05:06 (UTC)
ご
[編集]こんにちは。
現在、ノート:過去に存在したユニーの店舗などでのきのえもん(会話 / 投稿記録 / 記録)さんという利用者の方との対話が上手く行かず、どう対処すべきか困っております。
私のところ=利用者‐会話:Tasetebills にご本人からWikipedia:礼儀を忘れないに反しているとの指摘があったので、確認してみましたところ、確かに「誰かをウソツキ呼ばわりすること、相手が中傷誹謗しているといって非難すること。たとえそれが事実であっても、こうした発言は争いを解決するよりもむしろ悪化させます。」とありますので、それに反しているかと思いますが、だとすると今回のような場合はどの様な対処をすべきなのか戸惑っております。
お忙しいところお手数をお掛けしますが、ご覧頂いてご意見などを頂けますと幸いです。--Tasetebills(会話) 2012年11月23日 (金) 04:04 (UTC)
- 初めまして、Miyukiです。ざっと読ませていただきましたが、Tasetebillsさんのご対応は、きのえもんさんと比べても、全体的に冷静であったのではないか、と私は思います。Tasetebillsさん自身が、「言い過ぎたかな」と思う点があるのでしたら、その部分に関しては謝罪されるのが良いと思います。それでも解決しない場合は、コメント依頼を提出して、広く他の利用者の方から意見を出していただくのが最良かと思います。なお、出典の提示方法については、Tasetebillsさんのご意見に賛同します。--Miyuki Meinaka(会話) 2012年11月23日 (金) 13:35 (UTC)
地域発ドラマへの加筆、ありがとうございました。
[編集]Miyuki Meinakaさま、はじめまして。伊勢湾のスナメリと申します。ウィキペディアの事がよくわかっていない初心者です。 私の不備で削除されかねない有様になっていた記事に加筆くださり大変感謝しております。どうやって気持ちを伝えればよいのかわからずにおりましたが、 この会話と言うところを発見いたしました。他の方の書かれたものも読んで大丈夫と思いこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。 (あえて方言で)おおきんなーであります。あとさっきこの文章を話題追加のところでよいのかと思い、出てきたものに貼り付けて署名、クリックしたら何か英語で出てきました。 大変申し訳ないですが、何かおかしなことになっていたらお直しくださるようお願い申し上げます。すいません。--伊勢湾のスナメリ(会話) 2012年11月23日 (金) 14:13 (UTC)
- 伊勢湾のスナメリさん、初めまして。Miyukiです。記事を立項していただきまして、また、会話ページにお礼をくださいましてありがとうございます。答志島でドラマが撮影されたという情報は、三重在住の友達から聞いていましたので、記事を見つけた時は嬉しかったです。NHK津放送局が初めて自主制作したドラマであること、島の風習などを織り込んでいることなどから、特筆性は十分満たすと考えられます。wikipediaでは、出典を付けることが求められていますので、私が付けたような"<ref></ref>"を使って、情報源を示していただきますと、信頼性の向上につながるだけでなく、特筆性の担保にもなります。
これからも伊勢湾のスナメリさんの活躍を期待しております。末筆となりましたが、まことに勝手ながら、新しい会話は会話ページの最後に付けるのが慣例となっていますので、下に移動させていただきました。--Miyuki Meinaka(会話) 2012年11月23日 (金) 14:48 (UTC)
「手賀沼ディズニーランド」について
[編集]はじめまして、むじんくんと申します。手賀沼には何度か足を運んだことがあったこともありまして、Miyuki Meinakaさんが投稿された手賀沼ディズニーランドの記事を大変興味深く拝読しました。2点ほど思うところがありまして、ノートページに提起させていただきましたので、ご回答を頂ければ幸いです。Miyuki Meinakaさんの今後のますますのご活躍を期待しております。--むじんくん(会話) 2013年1月10日 (木) 01:55 (UTC)
三重県記事の執筆依頼
[編集]- 桑名図書館などで北勢48家の資料があり今年中に北勢48家の執筆計画があるが、志摩の方でしたら九鬼水軍の執筆していただいたらさいわいです。または他のユーザーに九鬼水軍と北勢48家の執筆依頼のコーナーに九鬼水軍と北勢48家を執筆依頼できませんか。--210.149.120.67 2013年1月11日 (金) 14:20 (UTC)
- 執筆依頼を提出しました。私の持っている本に、吉田正幸著『志摩海賊記』があり、そこに九鬼嘉隆の生涯を中心とした九鬼水軍に関する記述があります。探せばほかにも資料は多数あると思いますので、書いてみたいと思います。--Miyuki Meinaka(会話) 2013年1月11日 (金) 16:49 (UTC)
川越町の記事の編集が上手にできなかったので
[編集]- 川越町の地区を各地区の天神地区と細かく区分するのが原因不明で上手にできませんでした。自分の技術では不可能ですので代わりに細かく各地区区分してもらえませんか。--達宗(会話) 2013年2月15日 (金) 18:53 (UTC)
画像提供ありがとうございました
[編集]Portal:日本の都道府県/三重県/画像提供依頼にて、尻こぼしの画像提供を依頼しました逃亡者と申します。このたびは画像提供をありがとうございました。普門寺のもの、中の浜のもののどちらか1件でもあればと思っておりましたが、両方とも提供していただき、大変感謝しております。自分では足を運ぶことが到底困難な地域の画像を協力していただけるウィキペディアンがいらっしゃること、とても心強く思います。今後ともよろしくお願いいたします。--逃亡者(会話) 2013年5月8日 (水) 10:19 (UTC)
- 会話ページまでお越しくださいましてありがとうございます。以前から「尻こぼし」の提供依頼を見ていて、写真を撮りに行きたいと思っていたのですが、ようやく2013年に現地へ行くことができ、撮影することができました。普門寺は地図で分かりましたが、中の浜は地図では分からなかったので諦めていたのですが、偶然現地で発見することができました。これからも微力ではありますが、お役に立てればと思います。--Miyuki Meinaka(会話) 2013年5月11日 (土) 13:32 (UTC)
東洋紡績伊勢工場などの分離独立について
[編集]- 自己紹介です。親戚が毛糸紡績会社の経営者で東亜紡織元社員のものです。伊勢市船江の記事から加筆を加えて東洋紡績伊勢工場の記事を分離独立させて、同じく三重郡楠町の記事から東洋紡績楠工場の記事の分離独立(楠町史参考)とトーア紡コーポレションからトーア紡マテリアルの分離独立をお願いします。--紡績会社社員(会話) 2013年10月7日 (月) 23:58 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。Miyukiです。「東洋紡績伊勢工場」に関しましては、「伊勢の船江に昔東洋紡績の工場があったらしい」程度の知識しかない状態で書き始めたということもあり、現在の記事「船江 (伊勢市)」の中で執筆した以上に私には書くことができません。また、船江の歴史を理解する上で東洋紡績伊勢工場の話は重要だと考えられるので、分離独立(記事の分割)よりは新規に記事を作成する方が適切かと思います。「東洋紡績楠工場」と「トーア紡マテリアル」は現記事の情報量が極めて少ないので、新規作成すべきかと思います。書きたい記事がたくさんたまっているので、これらの記事の作成まで時間がかかるかと思いますが、検討してみます。私より紡績会社社員さんの方がお詳しいと存じますので、ぜひご自身で記事を作成してみてはいかがでしょうか。--Miyuki Meinaka(会話) 2013年10月8日 (火) 04:49 (UTC)
月間感謝賞受賞のお知らせ
[編集]Miyuki Meinakaさんに、2013年11月の月間感謝賞が贈られました。寄せられた推薦と感謝の言葉は次のとおりです:
* さかおり(会話) 3ウィキ: 精力的な記事作成に感謝して。これまでもMiyuki Meinakaさんは数々の良質な記事を作成してこられましたが、特にここ最近は怒涛の勢いで新記事を作られ、しかもそのほとんどがスタブではない質の高いものばかりです。短期間にこれほど多数の良記事を作られたことに感嘆しております。これからの益々のご活躍を御祈念申し上げるとともに感謝いたします。--さかおり(会話) 2013年11月6日 (水) 05:45 (UTC)
- At by At(会話) 3ウィキ: 地理記事にかかわる際はMiyuki Meinakaさんが書かれた志摩町和具や国崎町などをお手本にしています。歴史や民俗にも配慮しつつ地理に比重を置いた書き方がとても参考になります。--At by At(会話) 2013年11月14日 (木) 10:23 (UTC)
- ぱたごん(会話)(2ウィキ): Miyuki Meinakaさんは質の実に高い記事を量産してこられましたが、さらにその執筆活動は盛んになっています。wikipediaの地理記事ではまさに「Miyuki Meinakaさんをお手本にせよ」の一言で済ませることが出来てしまう程になっています。
- Penn Station (talk) 2ウィキ:前回は2010年2月でしたが、その後も途絶えることなく精力的に質の高い記事を投稿していただき、感謝申し上げます。 — Wikipedia:月間感謝賞/投票/2013年11月(履歴)
また、Miyuki Meinakaさんには、ウィキマネーが推薦者から10ウィキ、月間感謝賞受賞に10ウィキ、合計20ウィキ贈呈されています。
これからのますますのご活躍を祈念いたします。--totti(会話) 2013年12月1日 (日) 20:36 (UTC)
- 月間感謝賞をいただきまして、大変光栄に思います。私の執筆する記事はローカルなものが多く、百科事典の記事としてはあまり役立つものではないのでは、と思っておりましたが、たくさんのお褒めの言葉をいただき、安心するとともに、これからも執筆を続けていきたいとという気持ちになりました。本当にありがとうございました。--Miyuki Meinaka(会話) 2013年12月2日 (月) 11:53 (UTC)
志摩中学校の件
[編集]こんばんは、アルトクールと申します。先ほど、志摩市立和具中学校を志摩市立志摩中学校へと移動されていましたが、和具中学校は「廃校」で、志摩中学校は新設なので、移動による改名ではなく新規投稿のほうが良いと思うのですが、いかがでしょうか(こちらの2ページ目)。三重県の公式情報ですので、信憑性は高いかと思います。--アルトクール(話/歴) 2014年8月6日 (水) 12:25 (UTC)
- 連絡ありがとうございます。志摩市議会発行の『しまし議会だより 第34号』によれば、学校設置条例の一部改正手続きにおいて、「和具中学校を志摩中学校と名称変更」していることから、一般には「新設」とされていますが、実際には「名称変更」なので和具中学校から志摩中学校への改名で問題ないと考えます。--Miyuki Meinaka(会話) 2014年8月6日 (水) 12:30 (UTC)
- ありがとうございます。確かに設置根拠となる条例のほうが名称変更なので改名で問題なさそうですね。ご提示ありがとうございました。--アルトクール(話/歴) 2014年8月6日 (水) 12:39 (UTC)
編集取り消しの件について
[編集]こんばんは、利用者:ikedat76と申します。先ほど、熊野古道でMiyuki Meinakaさんがなさった編集の取り消しを致しました。この件につき、ご説明に伺いました。
Miyuki Meinakaさんがなさった編集は関連項目に2記事のリンク追加でした。さて、ここでWikipedia:関連項目(私も初めて気付きましたが「提案中」のようです…)を見てみると「関連項目とは、本文記事を理解する上での補足として役立つ、関連性のある項目を紹介するウィキペディア日本語版への内部リンク集です」と定義されています。追加してくださったリンク先の記事をそれぞれ見てみましたが、いずれも「本文記事を理解する上での補足」となるとは私には理解できませんでした(その逆で、2記事における関連項目に「熊野古道」があるというのであれば、意味がわかります)。
そうした趣旨により取り消しを致しましたのでご了承ください。しばらく(1週間くらい)こちらのページをウォッチリストに入れますので、ご意見がございましたら、こちらで続けてお返事ください。恐れ入りますが、よろしくお願いいたします。--ikedat76(会話) 2014年9月3日 (水) 14:36 (UTC)
- 異存はありません。--Miyuki Meinaka(会話) 2014年9月4日 (木) 07:40 (UTC)
はじめまして
[編集]Miyuki Meinaka様初めまして。伊勢志摩経済新聞を運営しているものですが、Miyuki Meinaka様のWikiプロジェクトへの貢献、行動力、熱意に感銘を受けております。Miyuki Meinaka様ご本人様に大変興味を抱き、直接ご連絡を取らせていただければと思い、こちらに投稿させていただきました。よろしければinfo(アッとマーク)iseshima.keizai.biz宛にメールをいただければ嬉しいです。不躾で大変恐縮ではありますがどうぞ宜しくお願いします。
『宇治山田市史 上巻』
[編集]前略Miyuki Meinaka様、あなたのお書きになった神宮の摂社末社の記事の参考文献に『宇治山田市史 上巻』を加えてもよいとは思うのですが、例えば鴨神社 (玉城町)の「1922年(大正11年)3月に建て替えが行われた」は『宇治山田市史』が発行された昭和4年現在の最新の記録であって、現在もその社殿が現存しているとの誤解を招く可能性があるので記述すべき内容ではないと思われます。手元にある画像ファイルですと、2006年に白木の状態の鴨神社が写っていましたので、その前年あたりに遷宮か補修が行なわれたように思われます。鴨下神社は画像があったので追加するついでに除去しておきましたが、他の分はいかが致しましょうか。『お伊勢さん125社めぐり』の24ページを読んで内容を理解していればこのようなことにはならなかったと思うのですが、『宇治山田市史』を読んで80年以上も使われているとすれば不思議に思われなかったのでしょうか。
それと交通アクセスの部分も度会国御神社ですと、伊勢市駅前から徒歩どころか5分では走って行ける人も数少ないと思われますし、『お伊勢さん125社めぐり』33ページによれば伊勢市駅から5分なのは外宮神域までで、そこからさらに4分前後歩かなければならないような距離があるように地図からは読めます。Miyuki Meinaka様は御参拝されたようですが、伊勢市駅から5分はおかしいとは思わなかったのでしょうか。ざっと目を通しただけで気になる点がいくつかありましたので、見直して頂ければ幸いです。--N yotarou(会話) 2015年2月4日 (水) 16:14 (UTC)
- 『お伊勢さん125社めぐり』の24ページを読んで内容を理解していればこのようなことにはならなかったと思うのですが、『宇治山田市史』を読んで80年以上も使われているとすれば不思議に思われなかったのでしょうか。とのことですが、「1922年(大正11年)3月に建て替えが行われた」という事実を記載したまでであり、「以後建て替えは行われていない」とは記載しておりませんし、80年以上も使われていると思って記載したわけではありません。Wikipediaに記載するためには出典が必要ですが、私が入手できた資料で「1922年(大正11年)3月に建て替えが行われた」ことが確認できたので記載したものであります。度会国御神社の件については、説明書きが不十分だったと思います。申し訳ありません。自身でも把握しきれないほどの数の記事を執筆しておりますので、すべてを修正するには時間がかかります。少しずつ修正していく所存であります。記事を見直せとのご指摘はごもっともですし、取り組むべきと存じ上げます。しかしN yotarouさんが初版を執筆なされた「荒祭宮」や「多賀宮」などの記事は、参考文献は挙げられていますが、それぞれの文章に対して出典が付いておりません。まずはご自身の記事を見直して手本を見せていただけないでしょうか。--Miyuki Meinaka(会話) 2015年2月4日 (水) 18:03 (UTC)
話が通じていないようですが、「資料に書いてあっても誤解を招くような表現なら書かない方がよい」と申し上げているつもりです。80年以上使われている神明造の社殿は神宮以外ではいくつかあるようですので、大正の話だけが書かれている状態で誤解を招く可能性を否定できる材料がございますでしょうか。そんなことを書くよりも、『お伊勢さん125社めぐり』の24ページの造営20年で大修理、のち20年で造替されると書いておく方が読者のためになるのではありませんか?誤解を招くといいますと、朝熊神社は1986年以前に皇學館大学の偉い先生が場所がわかりにくいと言っていたとしても、現在は(恐らくは当時も)実際には国土地理院の地図に神社が示されていますし、1986以降に道路が整備されていますし、125社めぐりをするような人ならそれなりの地図を持っているでしょうから、資料に書いてあったとしても時代と現実にそぐわない内容は書かない方がよいと考えます。
ついでに申し上げておきますと『倭姫命世記』は偽書であるというのが定説ですから、「『倭姫命世記』には◯◯と記されている」と書くならOKだと思いますが、「『倭姫命世記』には◯◯と記されているので××である」というような表現はほぼ史実に反しますので好ましくありません。
荒祭宮と多賀宮を書いた時点では、出典を記述するテンプレートが私の曖昧な記憶では作られておらず、あのような参考文献が書いてあるだけでもマシという傾向にありました。私はもうWikipediaにはあまり注力したくありませんし、複雑なテンプレートの使い方を調べる気は起きません(精神的・体力的な問題もあります)。--N yotarou(会話) 2015年2月8日 (日) 13:38 (UTC)
- 最初にいただいたコメントを見て「伊勢神宮関係の記事を編集しているのに80年以上も同じ社殿を使っていると思っているのか」と言われたように私は受け取りました。「誤解を招く可能性」を繰り返しおっしゃるのであれば、会話ページでも「誤解を招く可能性」を排除したコメントをお願い申し上げます。読者のためを思って、『お伊勢さん125社めぐり』の24ページの造営20年で大修理、のち20年で造替されると書いておく方が読者のためになるのではありませんか?とおっしゃるのでしたら、当該記事をそのように編集なさって、上方にあるikedat76さんのように編集なされた理由を私にお伝えいただければ、Wikipediaの発展にも寄与しますし、私のためにもなると思います。記事の見直しは、N yotarouさんご自身が躊躇されるように、大変労力を使う作業です。神宮125社の記事を一通り完成させるのに数年かかりましたので、記事の見直しもそのくらいかかるものとして、長い目で見ていただけたらと思います。--Miyuki Meinaka(会話) 2015年2月10日 (火) 03:31 (UTC)
- 朝熊神社の場所の分かりにくさはまだ改善されたとは言えないと思います。そもそも当該記述を行ったのは、朝熊神社の記事執筆の際に「場所が分かりにくい」という個人ブログの記述を何度も目にしたからであります。例えば、「しっかり調べて行かないと、どこにあるかわからなくなって迷います。絶対。」という2012年の記述[1]があり、記事の完成後の2014年9月にも神社までたどり着けなかった方[2]がいらっしゃいます。さすがに個人ブログが出典では不適切であろうと思い、いささか古いですが、ちゃんとした書籍になっている例の出典を付けました。ただ朝熊駅から徒歩約30分と書くより、迷う可能性がある旨を記述しておいた方が、読者の利益になるかと思います。もし「交通アクセスが改善したので、朝熊神社の位置が分かりやすくなった」というしっかりした出典が存在するのであれば、追記することを検討します。なお、私は大学で地理学を専攻していましたが、「地図に載っているから場所が分かりにくいということはない」という話は聞いたことがありませんし、文献で読んだこともありません。非常勤講師として国土地理院の方がいらっしゃった授業も受講しましたが、国土地理院の地図(地形図のことでしょうか?)に掲載されていることが、場所の分かりやすさの根拠となるという話はありませんでした。地図の有用性を評価していただけたことについては、地理学徒として嬉しいのですが。--Miyuki Meinaka(会話) 2015年2月10日 (火) 03:31 (UTC)
- 「しっかり調べて行かないと、どこにあるかわからなくなって迷います。絶対。」とのことですが、自慢じゃないですけど私はしっかり調べなければ東京タワーにさえ行くことができませんが、だからといって「しっかり調べて行かないと、どこにあるかわからなくなって迷います。絶対。」と表現する気は起きません。知らない場所に行く場合はしっかり調べるのは当り前の話だと思います。ブログの前者の方は結局辿り着いていますし、後者の方は時間切れで行けなかったと明記していらっしゃいますのでわかりにくい場所だという典拠としては苦しいと思います。仮に朝熊神社の場所がわかりにくいとしましょう。となると、朝熊川を挟んで対岸の鏡宮神社の場所もわかりにくいと言わなければなりません。何しろ両社は祭祀用に作られた橋で繋がっているほどです。それと、朝熊神社が朝熊駅より徒歩約30分で(約1.4km)真隣の鏡宮神社は朝熊駅より徒歩約18分(約1.5km)とされています。100m距離が伸びるのに時間は12分も短縮されるのはどういうことなのでしょうか。典拠も重要ですが客観的に見て現実がどうかの方が重要だと思いますよ。詳しく書くと面倒なのですが、1980年代にはあのあたりは廃棄物処理場へ通じる道があっただけのように記憶しています。その後、遷宮やそれに併せて開催されたまつり博とやらのために1994年までに自動車道が整備され、側道も作られ、場所がわかりやすくなっているはずです。「地図に載っているから場所が分かりにくいということはない」が駄目と仰るなら、「地図に載っていれば場所がわかりやすい」と言い換えます。これは小学校で習う程度のお話だと思いますので大学の講義でわざわざ説明することもないでしょうし、文献に書くこともないでしょう。そうでなければ地図記号の意義がなくなってしまいます。--N yotarou(会話) 2015年2月10日 (火) 11:49 (UTC)
- N yotarouさんの持論は十分承知しましたので、出典を示してください。地図記号とは「地図を読むために必要な情報を図案化した簡明な記号」(地理用語研究会 編『地理用語集』山川出版社、2004年3月30日、ISBN 4-634-05790-5、210ページより)であり、場所を分かりやすくするためのものではありません。--Miyuki Meinaka(会話) 2015年2月10日 (火) 13:23 (UTC)
- 『コトバンク』の『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』の『地図記号とは』には「地図に表現する対象の位置,形状,性質または特徴を表わす文字,表意記号または区画ごとを塗りこめる色や地紋で,普通は慣用化されたものをさす。地図の内容を明瞭にし,図形を簡潔にするのに役立つ。 」とありますよ。略すると「位置などを表すもので、内容を明瞭にする」すなわち「場所や内容をわかりやすくする」と言い換えることが可能なはずですが、地図記号がない神社に比べれば地図記号が記載されている神社の方が探しやすいという当り前のことをご理解いただけないならこの点はもう結構です。--N yotarou(会話) 2015年2月10日 (火) 14:25 (UTC)
- 「しっかり調べて行かないと、どこにあるかわからなくなって迷います。絶対。」とのことですが、自慢じゃないですけど私はしっかり調べなければ東京タワーにさえ行くことができませんが、だからといって「しっかり調べて行かないと、どこにあるかわからなくなって迷います。絶対。」と表現する気は起きません。知らない場所に行く場合はしっかり調べるのは当り前の話だと思います。ブログの前者の方は結局辿り着いていますし、後者の方は時間切れで行けなかったと明記していらっしゃいますのでわかりにくい場所だという典拠としては苦しいと思います。仮に朝熊神社の場所がわかりにくいとしましょう。となると、朝熊川を挟んで対岸の鏡宮神社の場所もわかりにくいと言わなければなりません。何しろ両社は祭祀用に作られた橋で繋がっているほどです。それと、朝熊神社が朝熊駅より徒歩約30分で(約1.4km)真隣の鏡宮神社は朝熊駅より徒歩約18分(約1.5km)とされています。100m距離が伸びるのに時間は12分も短縮されるのはどういうことなのでしょうか。典拠も重要ですが客観的に見て現実がどうかの方が重要だと思いますよ。詳しく書くと面倒なのですが、1980年代にはあのあたりは廃棄物処理場へ通じる道があっただけのように記憶しています。その後、遷宮やそれに併せて開催されたまつり博とやらのために1994年までに自動車道が整備され、側道も作られ、場所がわかりやすくなっているはずです。「地図に載っているから場所が分かりにくいということはない」が駄目と仰るなら、「地図に載っていれば場所がわかりやすい」と言い換えます。これは小学校で習う程度のお話だと思いますので大学の講義でわざわざ説明することもないでしょうし、文献に書くこともないでしょう。そうでなければ地図記号の意義がなくなってしまいます。--N yotarou(会話) 2015年2月10日 (火) 11:49 (UTC)
朝熊神社の場所がわかりにくいという話、『日本の神々』の朝熊神社の部分の最後に「神社の近辺に集落はない((略)あらかじめ尋ね聞いていかないとわかりにくい)」の括弧書きの部分でした。これは「道を尋ねるなら早いうちに」というアドバイスには読めても、単純に「場所がわかりにくい」というようには読めませんでした。それまでの部分で文章で五十鈴川と朝熊川が合流する場所と示しているのですから、地図を持っていて普通に地図が読める人なら迷うような場所ではないと思われます。それと、1980年代だったでしょうか、昔からある朝熊の集落よりも朝熊神社よりに分譲住宅地が作られたことを申し添えておきます。蛇足になりますが、宇治山田神社の入り口がわかりにくいというのは同意致します。--N yotarou(会話) 2015年2月11日 (水) 11:23 (UTC)
「内宮境内の地図」について
[編集]内宮境内の地図は非常にわかりやすく作られており「投稿者自身による作品」となっておりますが、どのような方法で作成されたのでしょうか。Adobe ImageReadyというソフトをご使用のようですが、後学のためご教示いただけると幸いです。--N yotarou(会話) 2015年2月8日 (日) 14:02 (UTC)
- 内宮境内の地図を掲載している文献数冊と神宮の公式サイトを参照しながら、Adobe Illustratorというソフトで作成しております。(Adobe ImageReadyはIllustratorに組み込まれたソフトだと思います。)地図作成に特化したソフトではありませんが、作成することは可能です。技術習得に数年かかりましたので、簡単にお教えすることは控えたいのですが、Illustratorの使い方を紹介したウェブサイトや文献は数多くありますので、そちらをご覧いただければと思います。--Miyuki Meinaka(会話) 2015年2月10日 (火) 03:31 (UTC)
では質問を変えます。「内宮境内の地図」は一部の建物を除き、なぜ『いつもNAVI』(データはゼンリンだそうです)のこのあたりを拡大した地図をリサイズした画像と酷似するのかご説明頂けますか。私がGoogle マップのスクリーンショットを重ね合わせたところ、河川部分と道路・通路の部分はほぼ一致しました。ちなみにGoogle マップのデータはゼンリンのものですから『いつもNAVI』の地図で同じことをしても同様の結果になると思います。私の知る限り『いつもNAVI』の地図以外の資料では合格神社は表示されないようですし、神宮とは直接関係のない神社ですから文献数冊と神宮の公式サイトを参照では紛れ込む余地はないと思うのですがいかがですか。--N yotarou(会話) 2015年2月10日 (火) 13:04 (UTC)
- 文献数冊の中に「ゼンリン住宅地図」が含まれます。住宅地図には合格神社が載っています。--Miyuki Meinaka(会話) 2015年2月10日 (火) 13:26 (UTC)
「ゼンリン住宅地図」のデジタル版(名前が違うようですが)を一度コピーしなければあそこまで一致しないと思うのですがいかがですか。そうであれば自由に配布できる著作物ではなくなってしまうと思うのですがいかがですか。私の確認した範囲ではアナログの地図からスキャンやトレースをしたようなレベルの一致度ではありませんでしたよ。繰り返し質問します。既製の、派生品を自由に扱えない地形図と酷似した地形図はどのように作製されたのですか?--N yotarou(会話) 2015年2月10日 (火) 14:04 (UTC)
- 基図は自由に利用可能なオープンストリートマップです。ただし、Google マップを見ながら大幅に修正をかけたので、オープンストリートマップよりGoogle マップに似通った図になったのかもしれません。また地理院地図も参照しています。そのほかに使用した資料についてはFile:Naiku Map in Japanese.pngに書き加えましたのでご参照ください。この説明でも納得いただけないのでしたら、私の会話ページではなく、当該ファイルのノートページをご利用願います。--Miyuki Meinaka(会話) 2015年2月11日 (水) 06:01 (UTC)
書誌情報について (2)
[編集]おじゃまします。ベイシティと申します。貴殿の、朝熊山におけるこの編集で脚注に「岩中ほか(1992)」と出典を提示しておられますが、書誌情報がないようです。お手数ですが参考文献節に書誌情報を記載していただきますようお願いします。--ベイシティ(会話) 2015年4月18日 (土) 03:01 (UTC)
- ご連絡ありがとうございます。書き忘れておりました。大変申し訳ありません。先ほど追加いたしました。--Miyuki Meinaka(会話) 2015年4月19日 (日) 14:45 (UTC)
ヤマザキ春のパンまつりのリンクについて
[編集]こんにちは。いつも充実した記事をありがとうございます。さて先日投稿されましたヤマザキ春のパンまつりですが、アーカイブのリンク先がいくつかおかしくなっています。
- 脚注1.:アーカイブのリンク先に記事がありません。
- 脚注18.:アーカイブのリンク先は弁護士ドットコムではなくエキサイトニュースのアーカイブになってます。たぶん脚注16と間違えたのでしょうが。
なぜかアーカイブの表示に非常に時間がかかるので他はチェックしていませんが、他にもあるかもしれません。記事内におけるリンク先のチェックはしっかりお願いします。--Loasa(会話) 2015年7月8日 (水) 04:51 (UTC)
- Miyukiです。ご指摘いただいた点について修正いたしました。脚注1はアーカイブの取得ができなかったので、まったく同じ文章が掲載されている別サイトに出典を差し替えました。--Miyuki Meinaka(会話) 2015年7月8日 (水) 06:37 (UTC)
記事作成のお願い
[編集]- 三重県出身+博物館の知識がありそうですので『四日市公害と環境未来館』=公害博物館の記事を作成してもらえまんせか。どうぞお願いします。--室町大学学生(会話) 2016年3月31日 (木) 01:55 (UTC)
- Miyukiです。作成を検討させていただきます。なお、博物館系の記事は多く作成しておりますが、専門教育を受けたわけでも特別な知識を有するわけでもなく、関係する資料を基に作成しているだけですのでご了承ください。--Miyuki Meinaka(会話) 2016年4月3日 (日) 05:19 (UTC)
- 四日市公害と環境未来館作成しました。いかがでしょうか。--Miyuki Meinaka(会話) 2016年4月13日 (水) 15:13 (UTC)
- Miyukiです。作成を検討させていただきます。なお、博物館系の記事は多く作成しておりますが、専門教育を受けたわけでも特別な知識を有するわけでもなく、関係する資料を基に作成しているだけですのでご了承ください。--Miyuki Meinaka(会話) 2016年4月3日 (日) 05:19 (UTC)
初めまして
[編集]初めまして、のりまきと申します。ご連絡したい件がありますので、さしつかえなければ一時的でも構いませんので、ウィキメールを有効にしていただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。--のりまき(会話) 2016年5月21日 (土) 13:23 (UTC)
- ウィキメールを設定しました。よろしくお願いします。--Miyuki Meinaka(会話) 2016年5月28日 (土) 05:47 (UTC)
- Miyuki Meinaka様ごめんなさい、Miyuki Meinaka様の利用者ページを拝見しましたが、ツールのところにウィキメールが設定されている場合に現れる「この利用者にメールを送信」の文字が現れません。お忙しい中恐縮ですが、ウィキメールの設定を見直していただくか、または私のところに簡単なメールを送っていただけると助かります。お手数をお掛けして申しわけありませんが、よろしくお願いいたします。--のりまき(会話) 2016年5月28日 (土) 12:52 (UTC)
- 連投すいません、メールを送らせていただきました。ご配慮どうもありがとうございます。--のりまき(会話) 2016年5月28日 (土) 13:27 (UTC)
- Miyuki Meinaka様ごめんなさい、Miyuki Meinaka様の利用者ページを拝見しましたが、ツールのところにウィキメールが設定されている場合に現れる「この利用者にメールを送信」の文字が現れません。お忙しい中恐縮ですが、ウィキメールの設定を見直していただくか、または私のところに簡単なメールを送っていただけると助かります。お手数をお掛けして申しわけありませんが、よろしくお願いいたします。--のりまき(会話) 2016年5月28日 (土) 12:52 (UTC)
年 ウィキメディア財団事務長採用に関する コミュニティアンケート
[編集]ウィキメディア財団の理事会は、財団の次期事務長の選出を一任するための委員会を設立しました。そして、私たち委員会の最初の任務の一つに、事務長の職務内容の記述があり、現在、ウィキメディアのコミュニティから意見を募っています。この簡単なアンケートにご協力いただくことで、私たちはコミュニティやスタッフのウィキメディア財団の事務長に対する期待をさらに理解できると考えています。 ご協力いただきましたこと、重ねてお礼申し上げます。
- アンケート (Qualtrics)
ウィキメディア財団事務長採用 運営委員会 via MediaWiki message delivery(会話) 2016年6月1日 (水) 22:10 (UTC)
Nikolai Noskov
[編集]こんにちは親愛な Miyuki Meinaka、私はあなたが順序を作るためのいくつかのあなたの日本語、私を知っている:あなたは、ロシアのミュージシャンニコライNoskovについてのあなたの日本語で記事を作ることができますか?あなたがこの記事を作れば、私はあなたに非常に感謝されます!ありがとうございましました! [3] --217.66.158.133 2016年8月15日 (月) 15:14 (UTC)
- Thank you for your message. I'll consider to create the article. --Miyuki Meinaka(会話) 2016年8月16日 (火) 05:06 (UTC)
Ok. --217.66.157.77 2016年8月16日 (火) 06:55 (UTC)
ニコライ Noskov
[編集]Miyuki Meinaka、私はあなたが順序を作るためのいくつかのあなたの日本語、私を知っている:あなたは、ロシアのミュージシャンニコライNoskovについてのあなたの日本語で記事を作ることができますか?あなたがこの記事を作れば、私はあなたに非常に感謝されます!ありがとうございましました! [4]. You can make tomorrow an article in Japanese about a Russian musician Nikolay Noskov? --178.66.116.97 2016年8月24日 (水) 16:10 (UTC)
- If you wish to create the article immediately, please ask another person. I am tired of receiving the same message from you. --Miyuki Meinaka(会話) 2016年8月25日 (木) 09:25 (UTC)
飛騨市文化交流センターの画像について
[編集]Miyuki Meinakaさんこんばんは。Asturio Cantabrioと申します。Miyuki Meinakaさんが画像提供依頼を出されていた飛騨市文化交流センターのことで参りました。飛騨市文化村はJR飛騨古川駅からすぐの場所にあるため、10月に飛騨市図書館を訪れた際には文化村にも足を踏み入れて何枚かの写真を撮影しました。その結果は先ほどCommons:Category:Hida City Cultural Villageにアップロードしました。この中には飛騨市文化交流センターの内部と外部で撮った写真が1枚ずつあるのですが、外観を説明的に撮ることを失念しており、とても中途半端な写真になってしまいました。このため記事中で使うかどうかはMiyuki Meinakaさんにお任せします。(仮に使うとしても、いつか誰かがより適切な写真に変更してくれることを期待しています。)--Asturio Cantabrio(会話) 2016年11月25日 (金) 13:39 (UTC)
- Miyukiです。飛騨市図書館に引き続き、画像をご提供いただきましてありがとうございました。早速使わせていただきました。--Miyuki Meinaka(会話) 2016年11月25日 (金) 14:33 (UTC)
三重県の図書館の画像について
[編集]こんばんは。Asturio Cantabrioです。Portal:日本の都道府県/三重県/画像提供依頼での依頼のうち、亀山市立図書館については現地で撮影した画像を提供しました。いなべ市図書館の各館、松阪市嬉野図書館、東員町立図書館については、CCライセンスを採用しているカーリル[5]から移入しました。
FacebookでカーリルからWikimedia Commonsへの移入が問題ないか質問したところ、カーリルの社長さんがCCライセンスを採用している意図を説明してくださいました。問題ないようです。画像の質はそれほど高くないものもありますので、Miyuki Meinakaさんが撮影された折には改訂してくださればと思います。--Asturio Cantabrio(会話) 2016年12月17日 (土) 13:14 (UTC)
- Miyukiです。画像のご提供ありがとうございました。画像提供依頼は出していましたが、これほど早くWikipediaで画像が見れるようになるとは思っていませんでした。またカーリルの画像を利用することができるのは知りませんでした。--Miyuki Meinaka(会話) 2016年12月21日 (水) 10:35 (UTC)