利用者:三菱善次郎/中部日本放送記事転記案

中部日本放送の)沿革[編集]

テレビ関連の沿革についてはCBCテレビ#沿革を参照。 ラジオ関連の沿革についてはCBCラジオ#分社化前の沿革を参照。

CBC放送センター(名古屋市中区)
創業当初の社屋
CBC東京総局(千代田会館7F)(東京都千代田区)
CBC東京総局を横目に見る(東京都千代田区)

開局当初の動き[編集]

  • 開局数日前、小嶋源作は全社員に『これから我々は、NHK島に敵前上陸を敢行する。NHKの牙城に迫る民放の第一陣として、その使命は重い。諸君はこの決意で邁進されたい。』と鼓舞激励した[11]
  • CBCは名古屋の放送局であるが、開局段階から放送番組に関しては東京との結び付きが不可欠とされていた。したがって、CBCでは東京のキー局を求めることとなったが、中日新聞と競合する朝日新聞毎日新聞の系列局では具合が悪かったため、当時名古屋に進出しておらずかつ中日と編集協定を結んでいた読売新聞と手を携えることとした[12]。こうして読売を母体に読売放送(略称・YBC)が設立され、開局を目指したが結局ペーパーカンパニーに終わり、一切はラジオ東京(JOKR。現在のTBSラジオ)に統合された。このためCBCもラジオ東京をキー局とする事となった。また、そのことがきっかけでザ・ビートルズの来日公演を読売新聞と共同主催することとなった。
  • 上記と矛盾するようではあるが、昭和30年代の一時期、『朝日新聞ニュース』『毎日新聞ニュース』の放送を行っていた(名古屋テレビ開局とともに終了)。これは#中日ドラゴンズとの関係の項目で触れた東海テレビ開局時の様々な問題がこじれたことによる副産物である。つまり、中日とはドラゴンズの独占中継権を得ていたのが東海テレビも割り込む形で中継権を得ることとなり、CBCと中日との関係が複雑になったためと、元々朝日・毎日の2社ニュースをメインとする予定であった東海テレビが結局中日ニュースをメインとして放送することに決めたので、両社は抗議の意味でCBCにニュース放送の申し入れを行ったところ、既述の通りCBCは中日との関係が複雑となっていたこともあってこれを了承したため。
  • 浜松放送局を開設しようとして、地元・静岡放送 (SBS) と競合した。
  • その他中部地区のラジオ・テレビ各局各局の開設に伴い、支援を行っている。
    • 信越放送 (SBC) は創業時出資状況が芳しくなく、地元・信濃毎日新聞の支援も期待できなかったことから代わりにCBCが支援の手を差し伸べることとなり、当時はCBC番組を直接受信し、そのまま中継しようと検討していた。
    • 北日本放送 (KNB) も先行きが不安であったことや、戦前から中日の母体である新愛知名古屋新聞が北陸に進出していた関係で、CBC首脳陣とKNB首脳陣にも交流があったためCBCがKNBに一部出資を行っていた。
    • 福井放送 (FBC) は開局直後に経営が悪化。地元・福井新聞とは無関係であったことから、CBCは中日新聞とともにFBCの支援に乗り出すこととなり契約締結まで漕ぎ着けたが、その後FBCの経営権を握った加藤ビルディング一派により契約は解除され、CBCと中日新聞は撤退。その代わりにFBCは福井新聞と関係を結んだ。
    • 三重県の県域局・ラジオ三重 (RMC) は経営難から中日新聞が支援に乗り出したが、中日はCBCに対しラジオ三重への支援を要請。CBCの電波料を増額し、増額分をラジオ三重へ付け回すように指示した。別エリアにあるネット局に対するのならともかく、同一エリア内の競合局に対するこの行為はスポンサーへの背信となるためCBCは拒絶。それでも中日への義理を果たすため、以降営業支援金が毎月一定額CBCからラジオ三重へ送金されていた。なお、このラジオ三重は近畿東海放送 (KTB) を経て、1959年に岐阜のラジオ東海 (RTC) と合併。現在の東海ラジオ放送 (JOSF) となっている。
    • チューリップテレビ (TUT) には、CBCが設立当初から出資を行っている。また、CBCは同局の3.00%の株を保有する主要株主でもある。
  • 鉄道無線を利用した鉄道放送を企画。長距離列車の乗客を対象として需要があると判断。当時の運輸省(現在の国土交通省)へ積極的に働きかけたが、実現には至らなかった。なお、鉄道無線を利用したラジオ放送は、ラジオ関東(JORF、現在のラジオ日本)が1958年12月から1964年までの朝夕のラッシュ時に東急東横線急行電車車内にて同社ニュース番組を放送する形で実現している。

CBC放送会館火事詳細[編集]

1969年5月5日、会館の空調設備の入れ替え工事が行われていた。

  • 午後2時頃 - テレビ主調整室から異臭が見られ、ダクトから白煙が出ていたことが分かる。この頃地下の空調室で溶接が行われていた中、埃に引火し火災が発生したものと見られている。
  • 午後2時45分頃 - テレビ主調整室から黒煙。本格的に炎上。
  • 午後2時50分頃 - 名古屋市消防本部から消防隊出動。
  • 午後3時10分頃 - 放水が始まるが、出火場所はまだ特定できなかった。
    • この間、テレビ放送が4時まで一時停止(画面は2時45分頃、音声は3時05分頃停止)。その後テレビ塔近くに中継車を出し、この近辺にテレビの特設放送会場を設置。
  • 午後4時過ぎ - テレビ放送再開。火災の詳細を伝え、「視聴者・市民にご迷惑をかけました」と謝罪。
  • 午後5時頃 - 地下を破壊しての放水活動を開始。
  • 午後5時30分頃 - 必要最低限の人員を除きその場を退去するよう命令。
  • 午後5時50分頃 - 全員退去命令が出たため、暫定的に1階のラジオ準備室に特設会場を設けて放送を続ける。
  • 午後8時前 - ラジオ放送を鳴海送信所に暫定移転するために一時中断し、フィラーとしてレコード音楽を放送。
  • 午後8時30分過ぎ - 鳴海送信所の特設スタジオでの放送開始。
  • 午後9時過ぎ - 出火場所が2階にあるテレビ調整室から上がっていたことが分かる。
  • 午後11時35分 - テレビの放送を臨時に打ち切り。5月6日6時55分から再開する旨をアナウンスする。
  • 午後11時50分過ぎ - 鎮火。
  • 5月6日 - 復旧工事が終り通常のスタジオからの放送を再開。

CBCラジオ)の沿革[編集]

分社化前の沿革[編集]

現法人の沿革[編集]

  • 1992年1月16日 - 株式会社シービーシーヴィジョン設立
  • 1992年4月1日 - 株式会社シー・ビー・シー・ミュージックを合併、同社の業務を継承
  • 2003年7月1日 - 商号を株式会社テクノビジョンに変更
  • 2010年7月1日 - CBCラジオの番組制作業務の受託開始
  • 2011年9月1日 - 商号を株式会社CBCラジオに変更
  • 2012年4月1日 - CBCラジオの営業業務の受託開始
  • 2013年4月1日 - 中部日本放送から免許を含めたラジオ放送事業の全部を譲受、日本民間放送連盟に加盟
  • 2013年8月28日 - 同局の長島ラジオ送信所敷地内にて、太陽光発電設備の稼働を開始(出力:約1645kW)[16]
  • 2015年秋 - 東海ラジオ放送と共にFM放送FM補完中継局)の放送開始予定(93.7MHz[17][18]

CBCテレビ)の沿革[編集]

  • 1969年5月5日 - CBC会館で火災発生。マスターもサブも焼ける。午後2時45分ごろから4時ごろまでの1時間17分停波した。CBCは車庫から中継車を出してテレビ塔に横付けし、それを短いニュースなどのミニ番組スタジオ兼臨時マスターとし、東京大阪からの回線の番組をそのまま放送波に乗せたため、関東・関西ローカルのCMがそのまま流れる事態も起きた[19]。その後テレビは復旧作業を急ぐため同日の深夜放送を23:35で打ち切りとし、休止の旨と放送終了時の局名告知(周波数アナウンス)は生放送で行われた。なお、このとき真っ黒に焼け焦げたテレビマスターの写真が社史に掲載されている。
  1. ^ 当時CBC社長を務めていた小嶋源作は、朝日放送が朝日新聞社からネットチェンジを迫られている今こそ、こちら(五社連盟)から朝日放送に対してテレビネットワークの打ち切りを通告すべきと考えていたという。(小嶋源作「CBCとともに」より)
  2. ^ 当時は三重県桑名郡長島町
  3. ^ 郵便番号が7桁化される前は大口事業所個別番号として「〒460-05」を使用していた。
  4. ^ エスカにはかつて『エスカスタジオ』というCBCラジオのサテライトスタジオがあり、平日16時台に公開リクエスト番組『ゴーゴージュークボックス』の生放送が行われていた。
  5. ^ 『ラジコ、東海でも配信開始』「中日新聞」朝刊15面(芸能面)2011年2月21日より。
  6. ^ 3月31日までは東北地方太平洋沖地震東日本大震災)に対応するため、radikoのエリア規制が解除され、先に本格サービスを開始した関東・関西の13局とともに全国で聴取可能である。
  7. ^ JOGXのコールサインは1958年に当局と同じJNN系列の西部毎日テレビジョンに割り当てられていたが、開局前にラジオ九州と合併しRKB毎日放送関門テレビジョン(コールサインはJOFO-TV)となったため、使用されていなかった。
  8. ^ 中部日本放送株式会社所属放送局の識別信号(呼出符号)の変更”. 総務省東海総合通信局 (2013年3月29日). 2013年3月29日閲覧。
  9. ^ テレビ朝日テレビ朝日ホールディングス)と同日に移行。
  10. ^ 認定放送持株会社体制への移行並びに吸収分割契約の締結及び子会社(分割準備会社)の設立に関するお知らせ” (PDF). 中部日本放送 (2013年5月10日). 2013年5月11日閲覧。
  11. ^ 石井清司『日本の放送をつくった男 フランク馬場物語』毎日新聞社(原著1998年10月30日)、198頁頁。ISBN 4-620-31247-9 
  12. ^ 読売新聞は1975年、中部読売新聞(現:読売新聞中部支社)として名古屋に進出した。また中日新聞は1956年、東京中日新聞(現:東京中日スポーツ)として東京に進出して、1963年には東京新聞の発行元である東京新聞社の経営に参加。1967年に東京新聞の編集・発行に関する一切の事業を中日新聞社に譲り受けた。
  13. ^ この日は、日本初の民間放送のラジオ放送の予備免許が、全国の16局に対して、一斉に交付された。その内の1局である。
  14. ^ a b 『TBS50年史』各種資料(P54の記述・資料編掲載の年表・DVD-ROM『ハイブリッド検索編』ラジオ番組データベース収録『大相撲春場所実況』データカード)を参照。
  15. ^ 『東京放送のあゆみ』P500、『TBS50年史』(P54の記述・DVD-ROM『ハイブリッド検索編』ラジオ番組データベース収録『大相撲春場所実況』データカード内記述)を参照。
  16. ^ 日経BP社ITpro 2013年8月29日付「CBCがメガソーラー事業に参入、出力1645kWの太陽光発電所の運転開始」
  17. ^ 2015年1月1日付中日新聞朝刊2部10面「年頭所感」より。
  18. ^ CBCラジオ、FM放送も始まる|I AM FM, CBC RADIO.
  19. ^ 岩波ジュニア新書『テレビは変わる』岡本黎明著による。