利用者:ゆりのき橋/試作品製作所
移動準備
[編集]白子川(しらこがわ、しろこがわ)は、日本全国各地を流れる河川名称。
- 白子川 (秋田県) - 秋田県湯沢市を流れる雄物川水系の一級河川。
- 白子川 (福島県) - 福島県東白川郡棚倉町を流れる久慈川水系の一級河川。
- 白子川 (荒川水系) - 埼玉県和光市・東京都板橋区・練馬区を流れる荒川水系新河岸川支流の一級河川。
- 白砂川 (群馬県) - 群馬県吾妻郡長野原町・中之条町を流れる利根川水系吾妻川支流の一級河川。
- 白砂川 (淀川水系) - 京都府相楽郡笠置町・奈良県奈良市を流れる淀川水系木津川支流の一級河川。
- 白砂川 (岡山県) - 岡山県玉野市を流れる本流の河川。
- 白砂川 (大分県) - 大分県国東市を流れる堅来川水系の二級河川。
- 平井川 (東京都) - 東京都あきる野市・西多摩郡日の出町を流れる多摩川水系の一級河川。
- 平井川 (兵庫県) - 兵庫県神戸市北区を流れる武庫川水系八多川支流の河川。
- 平井川 (奈良県) - 奈良県宇陀市を流れる淀川水系芳野川支流の河川。
- 平井川 (和歌山県) - 和歌山県東牟婁郡古座川町を流れる古座川水系の二級河川。
- 平井川 (大分県) - 大分県豊後大野市を流れる大野川水系の一級河川。
山崎川(やまさきがわ、やまざきがわ)は、日本全国各地を流れる河川名称。
- 山崎川 (八雲町) - 北海道二海郡八雲町を流れる本流の河川。
- 山崎川 (せたな町) - 北海道久遠郡せたな町をながれる本流の河川。
- 山崎川 (名古屋市) - 愛知県名古屋市南部を流れる本流の二級河川。
- 山崎川 (稲沢市) - 愛知県稲沢市を流れる日光川水系領内川支流の河川。
- 山崎川 (豊橋市) - 愛知県豊橋市を流れる梅田川水系の河川。
- 山崎川 (美祢市) - 山口県美祢市を流れる厚東川水系絵堂川支流の二級河川。
- 山崎川 (岩国市) - 山口県岩国市を流れる由宇川水系の二級河川。
- 山崎川 (高知県) - 高知県南国市を流れる国分川水系の二級河川。
- 山崎川 (福岡県) - 福岡県行橋市を流れる長峡川水系の河川。
- 山崎川 (佐賀県) - 佐賀県小城市を流れる六角川水系晴気川分流・牛津川支流の一級河川。
- 山崎川 (大分県) - 大分県竹田市を流れる大野川水系の一級河川。
- 山崎川 (宮崎県) - 宮崎県宮崎市を流れる大淀川水系山内川支流の一級河川。
- 山崎川 (鹿児島県) - 鹿児島県鹿児島市を流れる甲突川水系の二級河川。
四十八瀬川(しじゅうはっせがわ)は、日本全国各地を流れる河川名称。
- 四十八瀬川 (神奈川県) - 神奈川県秦野市を流れる酒匂川水系川音川支流の二級河川。
- 四十八瀬川 (山口県) - 山口県山口市を流れる椹野川水系の二級河川。
- 片川 (福井県) - 福井県福井市・坂井市を流れる九頭竜川水系の一級河川。
- 片川放水路 - 同市を流れる片川分流・九頭竜川支流の一級河川。
- 片川川 - 三重県南牟婁郡御浜町を流れる尾呂志川水系の二級河川。
- 片川 (徳島県) - 徳島県美馬郡つるぎ町を流れる吉野川水系貞光川支流の一級河川。
- 片川 (愛媛県) - 愛媛県西予市を流れる肱川水系の一級河川。
三原川 | |
---|---|
水系 | 二級水系 三原川 |
種別 | 二級河川 |
延長 | 約16.5 km |
流域面積 | 21.0 km2 |
水源 | 高鶴山 |
水源の標高 | 130 m |
河口・合流先 | 太平洋 |
流域 | 南房総市・鴨川市 |
三原川(みはらがわ)は、千葉県南房総市・鴨川市を流れる二級河川。旧和田町の中心河川である。
地理
[編集]鴨川市の高鶴山西麓を水源とし、千葉県道89号鴨川富山線に沿って南西流する。同じ水源から東方向へは曽呂川が、南方向へは洲貝川が流れている。すぐに鴨川市を抜け南房総市へ入り、複数の沢を合わせつつ布野付近まで下り、○○川合流点付近で大きく蛇行する。以降河口に至るまで千葉県道186号南三原停車場丸線が並走する。両岸は急峻な崖となり、柄井後橋付近より小向ダム湖へ入る。小向ダムは南房総市東部一帯(丸山地域・和田地域及び千倉地域の一部)の水道水源であり、2020年(令和2年)12月から翌1月にかけては貯水率が30%程度まで低下し、長期渇水の懸念から県内各地より応援給水がなされ話題となった[1]。
ダムを抜けても両岸はしばらく急峻な崖が続くが、別所沢合流点付近で標高30m未満まで下りると次第に水田が広がり始める。中三原付近では盆地状の水田地帯となるが、末端で大きく蛇行し両岸の丘を隔てて下三原の平野部となる。西隣を流れる温石川から更に丸山川流域へと続く河口平野部の東端に位置する。
16.5kmほどの流路延長中、布野橋より下流11.5kmが千葉県管理の二級河川に指定されている。
治水
[編集]支流
[編集]- 西平川
- 今平川
- ??川
- 五十蔵沢
- 倉合川
- 別所沢
- 押元沢
- 寺谷沢
主な橋
[編集]- ??橋
- 五十蔵橋
- 布野橋
- 竹の中橋 - 千葉県道186号南三原停車場丸線
- 大樟橋 - 千葉県道186号南三原停車場丸線
- 柄井後橋
- 小向橋
- 内田橋
- ??橋
- 新川崎橋
- 聖橋
- 三原橋 - 千葉県道296号和田丸山館山線
- ○○橋
- JR内房線橋梁
- 旭橋 - 国道128号
- 和田サーフ橋
脚注
[編集]- ^ 南房総市小向ダムの渇水に係る千葉県の対応について - 千葉県
有馬川 | |
---|---|
水系 | 二級水系 武庫川 |
種別 | 二級河川 |
延長 | 10.79 km |
流域面積 | 81.7 km2 |
水源 | 六甲山(神戸市北区) |
水源の標高 | 850 m |
河口・合流先 | 武庫川(神戸市北区) |
流域 | 神戸市北区・西宮市 |
有馬川(ありまがわ)は、神戸市北区・西宮市を流れる武庫川水系の二級河川である。
流域
[編集]源流部は西側を流れる滝川及び東側を流れる六甲川に分かれ、河川法上も「有馬川上流滝川」「有馬川上流六甲川」として別個に二級河川に指定されており、二級河川としての「有馬川」は両社の合流地点より下流部を指す、全国的にも珍しい形態が取られている。
滝川・六甲川はいずれも神戸市北区の六甲山北麓を水源とする。滝川はその名の通り、最源流部の七曲滝をはじめ紅葉谷・白石谷周辺に数多くの滝が集まっており、有馬四十八滝と呼ばれている。冬場の時期は氷瀑となることから「六甲アイスガーデン」の名も持つ。最下流にあたる鼓ヶ滝を抜けると有馬温泉街に入る。
治水
[編集]https://www.jstage.jst.go.jp/article/jriet1972/33/10/33_10_790/_pdf/-char/ja https://www.kkr.mlit.go.jp/plan/happyou/thesises/2020/ol9a8v000004c2ru-att/aka.pdf https://www.kkr.mlit.go.jp/plan/happyou/thesises/2021/ol9a8v000004bznv-att/aka-16.pdf
支流
[編集]上流より記載、太字は二級河川
- 十八丁川
- 蛇谷川
- 西川
- 畑川
- 有野川(八王子川)
- 平見川
- 鎌ヶ谷川
- 奥山川(茶園谷)
- シラケ谷
- ナバ谷
- 仏谷
- 鍋滝川(長尾谷)
- 水無川
- 深戸谷
- 堀越川
- 西堀越川
- 切畑川
- 東カ辻川
- 岡場川
- 結場川
- 八多川
- 皿池川
- 西皿池川
- 吉尾川
- 柳谷川
- 平井川
- 八坂川
- 皿池川
- 長尾川
- 善入川
- 長野川
- 鹿ノ子川
- 掖谷川
- 沖代川
主な橋
[編集]上流より記載
- (滝川)湯槽谷橋
- (滝川)有明橋
- (滝川)鼓橋
- (滝川)三顧橋
- (滝川)○○橋
- (六甲川)杖捨橋
- (六甲川)○○橋
- (六甲川)万年橋
- (六甲川)ねね橋
- 太閤橋 - 兵庫県道51号宝塚唐櫃線・兵庫県道98号有馬山口線
- 公園橋
- ○○橋
- 乙倉橋
- 長尾佐橋
- 青石橋
- 荒内橋
- 中野高架橋 - 阪神高速7号北神戸線
- 上山口大橋 - 兵庫県道82号大沢西宮線
- 十王堂橋
- 清水橋
- 松栄橋 - 兵庫県道82号大沢西宮線
- 万代橋
- 芽具実橋
- 平成橋
- 明治橋
- 新明治橋 - 国道176号
- 新天上橋
- 天上橋
- 有馬川橋 - 中国自動車道
- 愛宕橋
- ○○橋
- 落合橋・落合歩道橋
- 平田高架橋 - 新名神高速道路
- 平田橋
- 新沖代橋
- 沖代橋
- 道場橋 - 兵庫県道327号切畑道場線
- 月見橋
- ○○橋
- 春日橋
脚注
[編集]
参考資料
[編集]- 有馬川源流地帯を歩く(第53回武庫川エコハイク) - エコグループ武庫川、2011年9月10日.
- [1]
- [2]
島崎川 | |
---|---|
水系 | 二級水系 島崎川 |
種別 | 二級河川 |
延長 | 10.65 km |
流域面積 | 59 km2 |
水源 | 三島郡出雲崎町田中付近 |
水源の標高 | 100 m |
河口・合流先 | 日本海(長岡市・出雲崎町境) |
流域 | 長岡市・三島郡出雲崎町 |
郷本川 | |
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水系 | 二級水系 郷本川 |
種別 | 二級河川 |
延長 | 12.3 km |
流域面積 | 30.78 km2 |
水源 | 笠抜山(三島郡出雲崎町) |
水源の標高 | 60 m |
河口・合流先 | 日本海(長岡市郷本) |
流域 | 長岡市・三島郡出雲崎町 |
島崎川(しまざきがわ)は、現在は新潟県長岡市・三島郡出雲崎町を流れる二級河川である。大河津分水開削までは、現在の郷本川・新島崎川・分水島崎川等を流路とする信濃川水系西川の支流であったが、分水路開削により信濃川水系とは分断されることとなった。かつ附帯工事として島崎川・郷本川・新島崎川はそれぞれ日本海へ直接注ぐ流路が開削され、現在は各々独立した二級水系となっている。本記事では旧島崎川を構成していたこれらの河川を扱う。
地理
[編集]治水
[編集]支流
[編集]上流より記載、太字は二級河川
- 島崎川
- 市野坪川
- 豊橋川
- 小木川
- 常楽寺川
- 稲川
- 吉水川
- 釜谷川
- 中条川
- 藤巻川
- 滝谷川
- 保内川(郷本川水系)→本川より分派し郷本川へ
- 郷本川
- 保内川
- 小島谷川
- 荒巻川
- 下富岡川
主な橋
[編集]上流より記載
- 島崎川
- ○○橋
- 船橋
- ○○橋
- ○○橋
- 矢郷橋
- 稲川橋 - 新潟県道336号出雲崎石地線
- 矢郷橋 - 新潟県道574号寺泊西山線
- 吉水橋
- ○○橋
- 川東橋
- 表橋
- 別ヶ谷橋
- JR越後線橋梁
- 川西橋 - 国道352号
- 大門橋
- 堰橋
- 六郎女橋
- 沢田橋 - 新潟県道193号出雲崎柿の木小島谷線
- 沢田高架橋 - 国道116号(出雲崎バイパス)
- ○○橋
- 乙茂橋
- 大寺橋
- ○○橋
- 昌平橋
- JR越後線橋梁
- 新落水橋 - 国道116号(出雲崎バイパス)
- 落水橋
- 村岡橋
- 八幡橋
- 宿屋橋 - 新潟県道192号久田小島谷線
- 避溢橋 - 国道402号
- 郷本川
- 高畑橋 - 新潟県道193号出雲崎柿の木小島谷線
- 太郎丸橋
- ○○橋
- ○○橋
- 日野浦橋
- ○○橋
- ○○橋
- ○○橋
- ○○橋
- ○○橋
- 梅田橋 - 新潟県道192号久田小島谷線
- 中川橋
- 土口橋
- JR越後線橋梁
- ○○橋
- ○○橋
- 割山橋
- ○○橋
- 桐島橋 - 新潟県道574号寺泊西山線
- ○○橋
- 島崎橋 - 新潟県道69号長岡和島線
- ○○橋
- ○○橋
- 新川橋 - 新潟県道69号長岡和島線
- 島崎高架橋 - 国道116号
- 松明橋
- 火生石橋
- 志戸橋 - 新潟県道277号郷本桐原停車場線
- 郷本橋 - 国道402号
- 郷本川捷水路
- ○○橋
- ○○橋
- まなび橋
- 和島橋 - 新潟県道69号長岡和島線
- 四枚橋 - 新潟県道574号寺泊西山線
- ○○橋
- ○○橋
脚注
[編集]参考資料
[編集]手賀川 | |
---|---|
水系 | 一級水系 利根川 |
種別 | 一級河川 |
延長 | 7.7 km |
流域面積 | 143.98 km2 |
水源 | 手賀沼(柏市) |
水源の標高 | 5 m |
河口・合流先 | 利根川(印西市) |
流路 | 柏市・我孫子市・印西市 |
流域 | 流山市・柏市・松戸市・鎌ケ谷市・我孫子市・白井市 |
手賀川(てががわ)は、千葉県柏市・我孫子市・印西市を流れる利根川水系の一級河川。支流の下手賀川と併せ、手賀沼・下手賀沼と利根川とを連絡する役割を果たす。「手賀沼流域」とは一般に本河川の流域を指し、流域人口は約52万人に上る。
地理
[編集]治水
[編集]http://www.inzaimizunosato.com/history/history.html
支流
[編集]主な橋
[編集]上流より記載
弁天川
[編集]- 弁天大橋 - 国道356号印西バイパス
- ○○橋
- JR成田線橋梁
- ○○橋
- 弁天橋 - 国道356号
- 六幸橋
脚注
[編集]参考資料
[編集]下手賀川 | |
---|---|
水系 | 一級水系 利根川 |
種別 | 一級河川 |
延長 | (下手賀川部分)1.9 km |
流域面積 | 43.27 km2 |
水源 | 鎌ケ谷市初富付近 |
水源の標高 | 28 m |
河口・合流先 | 手賀川(印西市) |
流域 | 鎌ケ谷市・柏市・白井市・印西市 |
下手賀川(しもてががわ)
地理
[編集]治水
[編集]http://www.city.shiroi.chiba.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/2/071527gou.pdf
主な橋
[編集]上流より記載
- 金富橋
- 名内橋 - 河原子街道
- 今井一号橋
- 今井二号橋
- 今井橋
- 今井三号橋
- 手賀干拓一の橋 - 千葉県道282号柏印西線
- ○○橋
- 発作橋
脚注
[編集]参考資料
[編集]北8西1再開発
[編集]再開発の経緯
[編集]事業名は「札幌駅北口8・1地区第一種市街地再開発事業」。札幌駅北口は土地の高度利用が進んでおらず、2区画西にある北8西3地区でも西地区が2000年(平成12年)から2003年(平成15年)にかけて[1]・東地区が2002年(平成14年)から2007年(平成19年)にかけてそれぞれ再開発され、うち東地区では超高層マンションとしては北海道で最も高いD'グラフォート札幌ステーションタワーが建設された[2]。他、サッポロテイセンボウル跡地にタワーマンションが建設された北7東1地区や北海道熱供給公社のある北7東2地区が近隣にあるなど、再開発の盛んな地域である。
当地は区画全体(11,700㎡)に老朽化した木造低層住宅や低層ビル・舗装のない青空駐車場が広がっており、再開発の機運が高まっていた。再開発研究会は1988年(昭和63年)2月に設立され、1991年(平成3年)10月に再開発協議会へ発展。計画が具体化してきた2007年(平成19年)2月に再開発準備会が発足し、札幌市は2008年(平成20年)に「北8西1地区再開発基本計画」を策定。2009年(平成21年)7月31日に伊藤組土建・大成建設を事業協力者、ドーコン・日本設計を事業コンサルタントとする再開発準備組合が設立されるとともに、再開発計画の内容が明らかにされた。地上50階・高さ170m・約890戸の住居棟(タワーマンション)を核とし、業務棟(13階・23,000㎡)及び商業棟(2階・5,000㎡)、駐車場棟(17,000㎡)を含む延床面積154,000㎡の構想で、2011年(平成23年)度都市計画決定・2012年(平成24年)度着工・2015年(平成27年)度竣工を目指すこととされた。南側の北8条通沿いには屋外広場やアトリウムを設け、南西角にはそこと連続した憩いの広場とし、同時に地下歩行空間の整備を視野に入れていた[3]。
その後都市計画決定は当初予定より延期されたが、再開発準備組合は当初計画を大幅に変更し、地上51階地下1階・高さ約180m・約900戸のタワーマンションを2棟とする総事業費350億円のツインタワー構想を策定。ツインタワーは敷地北東と南西に配置し、付随施設として南東に医療施設とサービス付き高齢者住宅100戸が入る18階建て高さ70mのサービス棟と、北西に医療施設が入る7階建てのサービス棟を合わせる。商業施設は南西住宅棟に入れ、駐車場は約800台を収納可能とした。歩行者ネットワークについては、東側を歩道橋で創成川東エリアと接続させ、西側を地下含むネットワークで都心と接続させることとし、2013年(平成25年)度都市計画決定・2015年(平成26年)度着工・2019年(平成31年)度竣工を目指すこととされた[4][5][6]。しかしこの計画がいよいよ本格化すると、当地区北隣に位置する札幌市立北九条小学校の保護者や市民団体から突然反対の声が上がり始めた。ツインタワーの建設によって日差しが遮られ、小学校における日照が大幅に失われると主張し計画を問題視した。組合はツインタワーを細長い形状にして合間から小学校に太陽光が差し込むような構造にしたと説明したものの、保護者をはじめとする有志は2013年(平成25年)12月上旬に再開発計画について考える市民団体「とどけ!太陽の会」を発足させ、高さ引下げなどの陳情を行った[7]。市民団体代表の林心平氏は、2014年(平成26年)1月の公聴会において「成長期における子どもにおいて、日光が当たらない状況が続くと、ビタミンDの生成機能が損なわれる」「もしかしたら日本一日陰の小学校になってしまうのではないかという心配がございます」と主張[8][9]し、翌2月には署名を札幌市に提出。結果、再開発組合はツインタワー構想を断念し、再び当初計画のようなシングルタワー構想へと戻すことになった。具体的には北東の住宅棟1棟を取りやめ地上7階高さ30mの駐車場とし、住宅棟は南西のみに集中させ総戸数を600戸に縮小(高さは50階約180mのまま)、南東のサービス棟(医療・福祉棟)も地上11階高さ60mに変更するというもの。駐車場の収容台数は700台となり延床面積は122,000㎡に縮小した[10]。マンション事業者は大和ハウス工業・住友不動産・東急不動産・NIPPOの4社が選定され、共同で約600戸を供給。マンション棟は1・2階を商業施設及びクリニックモール、3階を保育園とし4階以上を居住スペースとする。医療・福祉棟は1 - 5階を病院とし6階以上を高齢者向け賃貸住宅とする計画。医療棟は3階建てで全て病院として使用。2016年(平成28年)度に権利変換の上施設解体に着手し、2019年(平成31年)度中の完成を目指すこととされた[11]。
ところが、今度は事業認可後の2016年(平成28年)1月に、入居を予定していた医療事業者・福祉事業者の2社が建設費高騰を理由として撤退することを再開発準備組合に通知した。代替施設としてビジネスホテルやオフィスビルの誘致が計画されているが、着工時期は早くても2018年(平成30年)までずれ込むこととなり、更なる延期や頓挫の可能性が浮上している。 https://www.decn.co.jp/?p=88454 http://hre-net.com/keizai/keizaisougou/23493/
脚注
[編集]- ^ 北8西3西地区(札幌市)
- ^ 北8西3東地区(札幌市)
- ^ 札幌駅北口再開発、50階建てマンションなど計画(2009年11月10日、北海道建設新聞)
- ^ 札幌駅北口8・1再開発はタワー型マンション2棟など構想 (2012年6月21日、北海道建設新聞)
- ^ 『札幌駅北口に51階建て 再開発組合が計画 14年度着工目指す』2012年6月23日、北海道新聞
- ^ 札幌都心部の再開発2件が本格始動へ-北8西1と南2西3南西地区 (2013年9月3日、北海道建設新聞)
- ^ 隣に50階建てマンション「日陰になる」 札幌・北九条小 保護者から反対の声 事業者「配慮した」(2013年11月26日、北海道新聞・アーカイブ)
- ^ (仮称)北8条西1地区第一種市街地再開発事業環境影響評価準備書に係る公聴会(札幌市環境局)
- ^ 寒冷地ゆえ冬場は着重ねをしており校庭に出る機会も限られている点、夏場は高緯度ほど日照時間が長い点を踏まえていない発言である。
- ^ 札幌市の再開発事業「北8西1地区」で50階建て高さ180m高層ツインマンション断念、シングル棟へ大幅変更(2014年4月28日、リアルエコノミー)
- ^ 札幌・北8西1地区のマンション事業者は大手4社ー市内最大600戸(2015年6月26日、北海道建設新聞)
参考資料
[編集]南2西3再開発
[編集]再開発の経緯
[編集]当初の事業名は「札幌市南2条西3丁目南街区第一種市街地再開発事業」。狸小路3丁目北側に面する老舗ビル「サンデパートビル」を再開発する事業である。再開発を考える会は1997年(平成9年)7月に設立され、長年に渡って計画が醸成されてきた。2006年(平成18年)度には、低層階を商業テナント・中層階をオフィス・10階以降の上層階をマンション(約250戸)とする地上32階・地下3階・高さ125mの再開発ビル建設が決定された。総事業費約250億円、地区面積8,453.36㎡(うち敷地面積5,048.46㎡)・延床面積52,500㎡、設計はNTTファシリティーズ。デベロッパーには新日鉄都市開発及び中堅のゼファーが選定され、在札コンサルティング会社のアラと協同組合都市設計連合も参画した。「狸小路のランドマーク」を標榜し、地下階においてはさっぽろ地下街との接続も予定されていた[1][2]。
しかし事業の中核を担っていたゼファーが経営破綻し、2008年(平成20年)7月18日に民事再生手続を開始。当初予定では2008年(平成20年)着工・2010年(平成22年)竣工のはずであったが、着工はおろかビルの解体すらなされなかった。景気悪化により代替デベロッパーの確保に苦慮する一方、多数の地権者が関与する同区画においては以降の地権者間の調整が滞り、再開発計画は一時期凍結ムードが漂った[3]。
その後再開発組合は、デベロッパーの早期決定を図るために再開発対象の南2西3南街区を東西に分け、地権者の同意が得られている西地区を先行開発する方針を決定した。地区面積は6,000㎡(うち敷地面積3,700㎡)で、南街区全体の7割にあたる。ビルの内容や事業費を多少調整するものの、東地区も地権者の大半の同意がとれているため、将来的には再開発へ加わることが見込まれており、当初計画からの大きな変更は行わないこととした。参画企業には協力者として新たに大林組を加え、在京デベロッパーを募った。そして既存の再開発準備組合は2012年(平成24年)8月に解散し、同月新たに「札幌市南2西3南西地区第一種市街地再開発事業」として再開発準備組合が設立された[4]。
南西地区の再開発ビルは、総事業費153億円で地上28階・地下2階(高さm)の規模。当初計画の規模は地上26階・地下2階[5]であり、2013年(平成25年)に地上29階・地下3階へと施設規模が若干拡大されたものの、建設費高騰により再度見直しが行われた。デベロッパーには大京が選定され、新日鉄都市開発は参加を取りやめた[6]。7棟14地権者が関与し、2015年(平成27年)11月27日に再開発組合が設立された。当初は2014年(平成26年)度にビル解体を行い、2015年(平成27年)度着工・2017年(平成29年)度竣工の予定であったが、計画見直し等により解体先送りが続いた[7][8]。2018年(平成30年)度着工・2020年(平成32年)度以降竣工予定となっている。
http://www.kensetsunews.com/?p=69288 http://e-kensin.net/news/article/6411.html
脚注
[編集]- ^ 札幌市・駅前通り沿いの再開発事業に参加、ゼファー(日経不動産マーケット情報)
- ^ 南2条西3丁目南街区再開発概要(アラ・アーカイブ) 当初計画のパースも掲載されている。
- ^ 道都再生への胎動 変わりゆくまちの姿 第1部 - 北海道建設新聞連載特集(アーカイブ)
- ^ 南2西3南西地区(札幌市)
- ^ 札幌中心部のサンデパートビル(中央区南2条西3丁目)の建て替えが具体化、総事業150億円で26階建ての複合ビル(2012年9月10日、リアルエコノミー)
- ^ 札幌・サンデパートビルが26階建て複合ビルに建て替えへ-着工は15年度 - 北海道建設新聞、2012年8月24日.(アーカイブ)
- ^ 複合ビル20年春完成 札幌・サンデパートなどの再開発 - 北海道新聞、2015年11月27日.(アーカイブ)
- ^ 南2西3南西地区再開発(札幌市中央区)/既存建物解体は17年度に/組合(2016年11月7日、日刊建設工業新聞)
吉橋(よしはし)は、千葉県八千代市西部の地名。住民基本台帳による2012年11月30日現在の人口は1,556人(八千代市調べ)。
地理
[編集]北部を桑納川が流れ、その支流の石神川が中央部、花輪川が東部を流れる。北部は田地が中心の低地で、中央部は台地状である。石神川と花輪川の間に吉橋工業団地が形成され、食料品工場や建材会社が多く集積する。
2002年より西八千代北部土地区画整理事業が開始され、南西部では東葉高速線八千代緑が丘駅の駅勢圏の住宅地として、隣接する大和田新田とともに2008年より本格的な区画整理・宅地造成が続いている(詳細は大和田新田#はぐみの杜を参照)。
歴史
[編集]吉橋という地名は鎌倉時代、1243年(寛元元年)の下総国国衙領、吉橋郷に始まる。台地の間の小さな谷に架かる橋を「吉橋」という佳名で呼んだことが由来とされている。
原始・古代
[編集]中世
[編集]鎌倉時代、前述の通り当地域を中心とした国衙領であった「吉橋郷」は桑納川流域に近いという地理的関連から、萱田郷・神保郷とともに臼井氏の有力庶子家である神保氏の支配下と考えられる。だが萱田郷と神保郷は「萱田神保御厨」という一体化した荘園でもあった一方、吉橋郷は御厨にはならなかった。別の歴史的経過を辿ったからだとされているが、理由は不明である。後に宝治合戦で三浦氏側についた臼井氏が敗れ衰退すると、代わりに千葉氏が勢力を伸ばし、その中で萱田郷・神保郷とともに香取神社の造営費用を負担している。だが吉橋郷の負担は覆勘使の通行・接待のための輸送力や兵士、食料品など間接的なものである。
戦国時代に千葉氏が臼井氏を滅ぼす中、当地域に吉橋城が築かれる。千葉氏系統の「高木(城)伊勢守胤貞」という城主が八千代市西部と船橋市北部を支配していたという伝承が残り、吉橋城を小金領東域の拠点として桑納川流域にあたる部分を治めたことを示す。一方で千葉氏の領域を示す「原胤長判物」にはこの地域が原氏(臼井氏の後継氏族である小弓原氏)の所属であることを示している。両者は新川を境界とするがいずれも後に後北条氏の諸侯となり、そのため史料に乏しい。だが更に、吉橋城には北条氏の敵方である里見氏の関与を示す伝承もある。これは1567年(永禄10年)8月に富津市で上総三船山合戦が起き、佐貫城攻略を狙った後北条氏が里見氏に敗れた際、上総より撤退したことに端を発する。原氏は領域の一部を失い、原氏の居城である小弓城に軍事的緊張が走った。小弓城は結局1570年(元亀元年)に陥落することとなるが、それ以前に里見氏は市川・松戸方面に既に攻め込んでおり、一時的に吉橋城は里見氏の手に移った可能性が高い。なお吉橋城が後北条氏に攻略され落城したのは1536年 - 1537年(天文5 - 6年)であるが、その後千葉氏を頼って落ち延びた高城氏の家臣は当地域に土着して四家老と呼ばれ、貞福寺を開山しその周辺に十三か寺を置いている。
史跡としては吉橋城遺構の確認調査は行われているが、発掘は行われていない。また吉橋城は広大な外郭部を持ち、城域西側には妙見前遺跡、南西側には渋内遺跡がある。これらの遺跡からは土塁や堀、地下式坑、火葬墓が発見されており、常滑産甕・青磁碗・銭貨などの遺物も出土したことからこの一帯は15世紀後半を中心とする生活地となっていた模様。
近世
[編集]当地域は千葉郡吉橋村となり、旗本の川村氏・小栗氏・清野氏が領主となった。当時の石高は377石程度。検地帳が無いため、1698年(元禄11年)に名主・組頭・惣百姓が立ち会って古帳をもとに反別を決定した。また吉橋村は大和田宿の助郷役だった。用水は溜井1か所では不足したため、隣接する坪井村から引水し、年に米2俵を払っていた。
近代
[編集]1876年(明治9年)に塙小学校が開校し、市制・町村制以降千葉郡睦村の大字となる。当時の人口は793人。1954年(昭和29年)に睦村が八千代町となり、市制施行後の1971年(昭和46年)に吉橋工業団地が建設された。
交通
[編集]- 中央部をちばレインボーバス神崎線が通る。南部は東葉高速線八千代緑が丘駅が近い。
- 八千代市公共施設循環バスの睦小学校通学支援コースが北部を通る。
- 千葉県道61号船橋印西線が縦貫する。
施設
[編集]- 尾崎公会堂
- 花輪団地
- 花輪公会堂
- 寺台公会堂
- 大杉神社
- 浅間神社
- 古峯神社
- 吉橋八幡神社
- 貞福寺
- 千葉県立八千代西高等学校
- 八千代市立みどりが丘小学校
- 千葉県立八千代特別支援学校
- 八千代翼友福祉会友愛みどり園
- 緑が丘はぐみの杜保育園
- 愛生会老人ホーム愛生苑
- 八千代緑が丘車両基地(敷地の一部)
- トライアル
吉橋工業団地
[編集]- 石井食品
- 那須電機鉄工
- 三菱マテリアル建材
- コクヨ
- ハイビック
- 日本通運八千代物流センター
- 新京成第21ビル
- 東名化成千葉工場
- JA全農たまご千葉営業所八千代液卵工場
- 味泉八千代工場
- 岸和田金属
- 金丸鋼材八千代営業所
- アカツキ商事八千代商品センター
- 八千代バックセンター
- 千葉マシンセンター
- 千葉ロジスティックセンター
- 和興エンジニアリング
- 信和産業
- エドワーズ
- シチズン千葉精密
近隣地名
[編集]参考文献
[編集]- 「八千代市の歴史 通史編 上・下」(2008年3月15日、八千代市編纂委員会)
- 「日本地名大辞典・下」(2004年10月、吉田茂樹)
- 「角川日本地名大辞典」(1999年4月30日、竹内理三)
桑橋(そうのはし)は、千葉県八千代市西部の地名。住民基本台帳による2012年11月30日現在の人口は401人(八千代市調べ)。
地理
[編集]南部は桑納川が流れる平地だが中央部以北は台地であり、畑地や針葉樹が多い。住宅は段丘上と千葉県道61号船橋印西線沿いに林立する。また北東部の丘上、北西部の中山カントリークラブ内、北部の秀明学園東側(島田台内)の3か所に飛び地が存在する。後者の飛び地は小高い丘であり、鈴身川の水源となっている。
歴史
[編集]交通
[編集]- 千葉県道61号船橋印西線が縦貫する。
- ちばレインボーバス神崎線が県道61号上を通る。
- 八千代市公共施設循環バスの睦小学校通学支援コースが通る。
施設
[編集]- 安養院
- 月山神社
- 善林寺別院
- 桑橋熊野神社
- 睦郵便局
- 秀明学園秀明八千代中学校・高等学校
- むつみ台児童公園
近隣地名
[編集]北東飛び地
- 桑納(東)
- 島田台(南)
- 桑納飛び地(西)
- 島田(北)
北西飛び地
- 島田台(南~東)
- 船橋市鈴身町(北)
- 船橋市豊富町(西)
参考文献
[編集]桑納(かんのう)は、千葉県八千代市中央部の地名。住民基本台帳による2012年11月30日現在の人口は122人(八千代市調べ)。
地理
[編集]東部を流れる印旛放水路(新川)と南部を流れる桑納川が南東で合流する。標高は西高東低で、台地部と低地部の境界付近に集落が並ぶ。桑橋を挟んだ西側、新川の小支流の谷間に飛び地が存在する。
歴史
[編集]交通
[編集]- 国道16号及び千葉県道61号船橋印西線が近いが、地域内に国道・県道は通らない。
- ちばレインボーバス神崎線の支線(睦小学校行き)が通る。
- 公共交通不便地帯であり、八千代市公共施設循環バスの八千代中央駅コース・睦小学校通学支援コースが通る。
施設
[編集]近隣地名
[編集]参考文献
[編集]麦丸(むぎまる)は、千葉県八千代市中央部の地名。住民基本台帳による2012年11月30日現在の人口は512人(八千代市調べ)。
地理
[編集]東部を印旛放水路(新川)が流れ、北部をその支流である桑納川が流れる。西部には更にその小支流(津金谷津排水路)が流れ、吉橋地域との間に谷を形成する。中央部は新川の河岸段丘上にあり、畑地が中心である。集落は河川付近の低地との境界面に並んでいる。新川と桑納川の合流地点付近には桑納川公園があり、桑納川浄化施設が整備されている。
都市計画図によればゆりのき通りを当地域まで延伸することとなっているが、市街化区域への編入は行われていない。
歴史
[編集]交通
[編集]- 国道や県道は通らないが、当地域南方に市街化区域が近く東洋バスも通っている。
- 八千代市公共施設循環バスの八千代中央駅コース・睦小学校通学支援コースが通る。
施設
[編集]近隣地名
[編集]参考文献
[編集]神野(かの)は、千葉県八千代市東部の地名。住民基本台帳による2012年11月30日現在の人口は375人(八千代市調べ)。
地理
[編集]北部を印旛放水路(新川)が流れ、集落は段丘部分に並ぶ。歴史的経緯から隣接する保品地域との関連が深い。南部は畑地や針葉樹が多いが、現在は保品地域を中心としたニュータウン「もえぎ野」の開発により宅地化が進んでいる。
歴史
[編集]交通
[編集]- 千葉県道・茨城県道4号千葉竜ヶ崎線が通る。
- 公共交通不便地帯であり、八千代市公共施設循環バスの村上駅コース、平戸橋コース、阿蘇小学校通学支援コースが運行されている。
施設
[編集]近隣地名
[編集]参考文献
[編集]- 「八千代市の歴史 通史編 上・下」(2008年3月15日、八千代市編纂委員会)
- 「角川日本地名大辞典」(1999年4月30日、竹内理三)
外部リンク
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