コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者:Nova replet laetitia/sandbox/歴史・地理・地図/ツングース系民族

ツングース系民族ロシア語ТунгусTungus英語:Tungusic peoples、中国語:通古斯;Tōnggŭsī)は、満州からシベリア極東にかけての北東アジア地域に住み、ツングース諸語に属する言語を母語とする諸民族のこと。

名称

[編集]

「トゥングース(Tungus)」という名称はエヴェンキ人,エヴェン人の旧称であり、もともとはヤクート人がエヴェンキ人をヤクート語で Toŋus (トングース)と呼んでいたことに由来する。現在はエヴェンキ人,エヴェン人と、彼らの自称をもって民族名としているため、「ツングース」という用語は彼らの話す言語系統名であるツングース諸語、そしてそれを話す諸民族の総称として用いられる[1] 。 Toŋus の起源・語意について、今までいくつかの説が立てられたが、未だ定説はない。以下には有名な説を挙げる。

東胡説
かつて、中国の史書が伝える東北アジアの民族「東胡(Dōnghú)」と、Toŋus が発音上似ていることから、ヨーロッパの学者を中心に支持された説。現在では支持されていない。
豚の飼養者説
Toŋus はテュルク語で「豚」を意味する言葉の借用語で、豚を飼育することに長けていた勿吉靺鞨を指していたとする説[2]J.クラプロートが提唱。

ツングース系民族の起源

[編集]

未だ定説は確立していないが、大きく分けて3つの仮説がある。

南方由来説
19世紀に提示されて以来、ツングース語のモンゴル語やテュルク語との近縁性から、多くの学者がシベリアの遊牧ツングースを黒竜江沿いに北上してきた人々とした。1920年代にС.М.ШирокогороваSergei Mikhailovich Shirokogorovらのロシア人学者が、現地調査などから松花江ウスリー川流域一帯をツングース人が形成された土地とし、形成以前の起源を更に華北東北部へ求める説を発表。言語学や人類学の観点から数多くの学者に支持されるが、考古学的には裏付けが乏しく、このため仮説の域を出ないとされている。
西方由来説
セレンガ川バイカル湖畔の周辺から来たとする仮説を2人のソ連人(ロシア人)学者が唱えた。モンゴル系民族、テュルク系民族を合わせたアルタイ系民族の祖地もこの辺りと考えられる。
太古土着説
1960年代にА.П. ΟкладниковАлексей Павловичソ連人学者から出された仮説、文化の独自性から数千年に渡り外部から隔絶していたとする。古い年代の考古物の中に南方地域と類似する物が見られる点と、急激な寒冷化が起きた時期に人口増加によると思われる出土物の増加が確認される点から、主流とはなっていない。

習俗

[編集]

狩猟

[編集]

狩猟は家畜の飼養,農業,馴鹿の飼養に適した地方を除くすべての地方において、ツングースの主要な生業である。獲物は主に食用として、毛皮の供給源として利用する。主な動物は栗鼠山猫黒貂野猪鹿である[3]

トナカイの飼養

[編集]

ツングースの家畜は主に馴鹿(トナカイ)である。馴鹿は彼らの言葉で「オロン(oron)」「オロ(oro)」「オヨン(ojon)」「オロン・ブク(oron buku)」「ホラ(hora)」「ホラナ(horana)」などと呼ばれるが、彼らが何時頃から飼い始めたのかはわからない[3]

宗教

[編集]

ツングース系諸民族の分類

[編集]

言語的分類

[編集]
ツングース諸語の分布図

ツングース諸語はその方言によって北と南のサブグループに大別されるため、各民族も南北に大別される。南方グループには満州族シベ族ウィルタナナイなどが属し、北方グループにはエヴェンキエヴェンネギダールなどが属す[3]

習俗的分類

[編集]

ツングースはその習俗によっていくつかのグループに分けられる。

  • 馴鹿ツングース(Reindeer Tungus)…馴鹿の飼養を生業としているツングース。ツングースの間では「馴鹿を所有する」という意味でオロチェン(oročen)と呼ばれている。バルグジンタイガおよびネルチンスク・タイガの地方に住み、その一部はブリヤート人やロシア民族の間に混ざって移行地帯に定住している[3]
  • 遊牧ツングース(Nomad Tungus)…遊牧を生業としているツングース。ツングースの間では「馬を所有する」という意味でムルチェン(murčen)と呼ばれている。ブリヤート人やロシア人と雑居して移行地帯および草原地帯に住んでいる。
  • 農耕ツングース…農業で生活し、定住化しているツングース。ロシア民族の生活文化の影響が進んでいる。
  • モンゴル人化したツングース(Mongolized Tungus)…言語的にモンゴル系言語を使用するようになったツングース。

地域的分類[3]

[編集]
  • バルグジン・ツングース
  • アンガラ川地方のツングース…狩猟,馴鹿の飼養,漁業を生業とし、上アンガラ部族管理局,下アンガラ部族管理局の2つの行政単位に分割されている。
  • バイカル湖付近に居住するツングース…漁業を生業とするツングース。サマギル氏族管理局に編入されている。
  • ネルチンスク・ツングース…自らをオロチェンと称し、ヤクーツク州の馴鹿ツングース,遊牧ツングースをエヴェンキと呼び、ブリヤートをボレン(boren)、遊牧ツングースをムルチル(murčir)、ヤクートをヨコ(joko)と呼ぶ。
  • 外バイカルの遊牧ツングース…ツングース語を使用しつつけるグループ(エヴェンキ)と、ツングース語を使わなくなりブリヤートの借用語を使用しているグループ(ハムナガン)の2グループに分かれる。
  • 満州の北方ツングース
    • ソロン(solon)…牛馬の飼養,狩猟,農業で生活。
    • 興安ツングース…狩猟と馬の飼養で生活。自らをオロチェン(oročen)と称す。
    • メルゲン(墨爾根)ツングース…ナウンチェン(naunčen),ゲンチェン(gänčen)といった小集団を形成。自称はエヴェンキ。
  • 満州の馴鹿ツングース
  • クマルチェン・ツングース
  • ビラルチェン・ツングース

歴史上のツングース

[編集]

歴史上に登場する民族・国家のうちツングース系民族と確定しているのは、以下の民族・国家である。

歴史上に登場する民族・国家でツングース系民族に比定する説があるのは、以下の民族・国家である。

現在のツングース

[編集]

現在、民族集団を形成しているツングース系民族は以下である。

日本語名称 中国語/ロシア語名称 民族語名称 地区 人口 備考
満洲族 满族(满洲)/Маньчжуры ᠮᠠᠨᠵᡠ転写:manju) 中華人民共和国遼寧省吉林省黒竜江省内モンゴル自治区河北省北京市[35] 10,410,585[35] 台湾に12000人[36]
香港に1000人[37]
アメリカ合衆国に379人[38]
オロチョン族 鄂伦春族/Орочоны 中華人民共和国内モンゴル自治区フルンボイル市オロチョン自治旗 8,659[35]
シベ族 锡伯族/Сибо ᠰᡞᠪᡝ転写:sibe) 中華人民共和国遼寧省;新疆ウイグル自治区イリ・カザフ自治州チャプチャル・シベ族自治県 190,481[35] 僅かに新疆のホルゴスタルバガタイウルムチに分布している。黒竜江省、吉林省、内モンゴル自治区、北京市における人口は1000人を超える。
エベンキ人 鄂温克族、埃文基人/Эвенки Эвэнкил 中華人民共和国内モンゴル自治区フルンボイル市エベンキ族自治旗モリンダワ・ダウール族自治旗オロチョン自治旗陳バルグ旗アロン旗等;黒竜江省訥河
ロシア連邦クラスノヤルスク地方サハ共和国ブリヤート共和国イルクーツク州ザバイカリエ地方アムール州及びサハリン州
モンゴル国セレンゲ県等。
30,875(中国, 2010)[39]
38,396(ロシア, 2012)[40]
モンゴルに537人(2015)[41]
ウクライナに48人(2001)[42]
ホジェン族ナーナイ人 赫哲族、那乃人、纳奈人/нанайцы na nio, na bəi, na nai
ki lən
χə d͡ʑən
ロシア連邦ハバロフスク地方沿海地方;中華人民共和国黒竜江省同江市双鴨山市 12,160(ロシア, 2002)[43]
5,354(中国,2010)[44]
エヴェン人 埃文人/эвены эвэсэл ロシア連邦マガダン州カムチャッカ地方チュクチ自治管区 22,383(ロシア,2012)[40] ウクライナに104人(2001)[45]
ネギダール人 涅吉达尔人/негидальцы элькан бэйэнин ロシア連邦ハバロフスク地方 513(ロシア,2012)[46] ウクライナに52人(2001)[47]
ウィルタ人オロッコ人 乌尔他人、鄂罗克人/Ороки Uilta, Orok, Ul'ta, Ulcha, Nani ロシア連邦サハリン州ポロナイスキー地区日本国網走市札幌市 295(ロシア,2012)[48] 日本に20人(1989)
ウリチ人 乌尔奇人/Ульчи нани ロシア連邦ハバロフスク地方ウリチ地区 2,765(ロシア,2012)[49] ウクライナに76人
オロチ人 奥罗奇人/О́рочи Nani ロシア連邦ハバロフスク地方沿海地方サハリン州マガダン州 596(ロシア,2010)[50] ウクライナに288人(2001)
ウデヘ人 乌德赫人/Удэгейцы удээ, удэхе, Udihe, Udekhe, Udeghe ロシア連邦ハバロフスク地方沿海地方 1,496(ロシア,2010)[51] ウクライナに42人(2001)[52]

これらの民族は満州民族を除いて人口が少なく、漢民族中国語)やロシア民族ロシア語)の影響が大きく、固有の言語文化が危機にさらされている。

遺伝子

[編集]

ツングース系民族にはY染色体ハプログループC2系統が高頻度に観察される[53]

その他

[編集]

古代出雲の住民はツングース族であり、いわゆる「ズーズー弁」はツングース語起源とする説もある[54][55]

脚注

[編集]

出典グループ

[編集]
  1. ^ 粛慎についての出典:[4] [5] [6]
  2. ^ 挹婁についての出典:[5] [7] [8] [9]
  3. ^ 勿吉についての出典: [10] [11] [5] [12]
  4. ^ 靺鞨についての出典: [13] [14] [10] [11] [5] [15] [16] [17] [18] [12] [19] [20]
  5. ^ 渤海についての出典: [21] [22]
  6. ^ 濊貊についての出典: [23] [24] [25]
  7. ^ 夫余についての出典: [26] [27] [28]
  8. ^ 高句麗についての出典: [26] [29] [30] [31]

出典

[編集]
  1. ^ シロコゴロフ(1941)、p.93。
  2. ^ シロコゴロフ(1941)、p.94-95。
  3. ^ a b c d e シロコゴロフ(1941)。
  4. ^
    史の伝える所によれば、古の粛慎後漢三国挹婁といい、後魏勿吉といい、靺鞨といい、女真といい、共に満州人の祖先なりという。若しもこの説の如くんば、粛慎は今日のツングース種に属すべきのなれども、この民族に関する記事の後世に伝わるもの甚だ僅少なるが故に、その果たして然りや否やについては更に考究を要せざるべからず。 — 白鳥庫吉『白鳥庫吉全集 第4巻』 p.321 【粛慎考】
  5. ^ a b c d
    歴史上では粛慎挹婁勿吉靺鞨女真満州として活躍した。 — 京大東洋史辞典編纂会、『新編 東洋史辞典』 p.631 【トゥングース族】
  6. ^
    同概念は踏襲発展の民族伝統を指すものであり、前時代の粛慎時代の挹婁南北朝時代勿吉時代の靺鞨時代の女真末及び以後の満州族オウンク(鄂温克)族ハテツ(赫哲)族などの各歴史時期の部落、部落集団及び民族を含められるものである。 — 高凱軍『通古斯族系的興起』 あらすじ p.1
  7. ^
    トゥングース系の夫余に従属していた《大金富雄》。 — 西川正雄『角川世界史辞典』 【挹婁】
  8. ^
    従文化特点来看、一方面、反映粛慎挹婁勿吉靺鞨状況的鶯歌嶺、蜿蜒河、同仁1期等一脈相承的文化。(中略)主要是、而没有豆形器物 — 高凱軍『通古斯族系的興起』 p.50
  9. ^
    高句麗(こうくり)や夫余などと違った言語を用い、毒矢を使い、また穴居して(かわや)を住居の中央に置きそれを洗浄用に使用するなど、独特の習俗をもっていた。《護雅夫》。 — 『Yahoo!百科事典』【挹婁】
  10. ^ a b
    勿吉靺鞨はだいたいツングース系の民族と思われるが、その民族系統や諸部の位置について異論が多い。 — 内田吟風田村実造、他訳注、『騎馬民族史1-正史北狄伝』 p.343
  11. ^ a b
    靺鞨について)中国東北地方に拠ったツングース族の一種で、勿吉ともいった。 — 井上秀雄、他訳注、『東アジア民族史2-正史東夷伝』 p.99
  12. ^ a b
    反映勿吉‐靺鞨人状況的同仁1期文化(早段年代距今1420±80年、樹輪校正1380±80年、相当于599‐684年。晩段年代距今990±80年、樹輪校正960±80年、相当于994‐1186年)的分布版図、挹婁時期較大為発展。 — 高凱軍『通古斯族系的興起』 p.48
  13. ^ 鉄利部・越喜部(黒水靺鞨に属す)。
  14. ^
    鉄利は中国黒竜江省南部からソ連沿海州南部にかけて居住する純ツングース種族である。 — 井上秀雄、他訳注、『東アジア民族史2-正史東夷伝』 p.440-441
  15. ^
    満州東北部から朝鮮半島北部に住んだトゥングース族の一種。《日野開三郎『靺鞨七部考』》 — 京大東洋史辞典編纂会、『新編 東洋史辞典』 p.803 【靺鞨】
  16. ^ 『角川世界史辞典』 【靺鞨】
  17. ^ 『世界史小辞典』 【靺鞨】
  18. ^
    当時、蒙兀室韋などのモンゴル系民族が居住するアムール河上流の、西にはトルコ系突厥が控えていた。また、東にはツングース系といわれる靺鞨という強力な集団がいた。 — 白石典之『チンギス・カン』 p.13
  19. ^
    6世紀後半から中国東北の松花江流域を中心に、北は黒竜江中・下流域、東はウスリー川流域、南は朝鮮半島北部に勢力を振るったツングース系諸族の一派《菊池俊彦》。 — 『Yahoo!百科事典』【靺鞨】
  20. ^
    貞観中、靺鞨来朝、初聞女真之名 — 『宋会要輯稿』
  21. ^
    渤海国の公用語は靺鞨語(支配者層)、のちに漢語。靺鞨語はツングース系、扶余語は古シベリア(古アジア)系、契丹室韋はモンゴル系、突厥回紇はトルコ(テュルク)系 — 朱国忱魏国忠(訳:佐伯有清浜田耕策)、『渤海史』
  22. ^
    金国本名朱里真、番語舌音訛為女真。又曰女直、粛慎氏遺種、渤海之別種也。 — 『大金国史』
  23. ^
    濊貊の言語には多量のTunguse語に少量の蒙古語を混入していることが認められる。想うにこの民族は今日のSolon人の如く、Tunguse種を骨子とし、之に蒙古種を加味した雑種であろう。 — 白鳥庫吉『白鳥庫吉全集 第4巻』 p.536 【濊貊は果たして何民族と見做すべきか】
  24. ^
    彼らの言語は白鳥庫吉によれば、ツングース系を主として若干のモンゴル系を混合したものと推測されている。《村山正雄 — 伊藤亜人『新訂増補 朝鮮を知る事典』 【濊貊】
  25. ^
    前3世紀ごろモンゴル系民族に押されて朝鮮半島北東部に南下し、夫余(ふよ),高句麗(こうくり),沃沮(よくそ)を構成したツングース系の諸族を含むのである《浜田耕策》。 — 『Yahoo!百科事典』【濊貊】
  26. ^ a b
    高句麗夫余の)両族は、ともにツングース系と考えられている。両族が同系であることは始祖神話(東明朱蒙伝説]])の類同によっても推測できよう。 — 井上秀雄、他訳注 『東アジア民族史1-正史東夷伝』 p.103
  27. ^
    トゥングース系の貊人が建てた。 — 『世界史小辞典』 【夫余】
  28. ^
    古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族が建てた国名《村山正雄》。 — 『Yahoo!百科事典』 【夫余】
  29. ^
    トゥングース系の扶余族の支族。《朝鮮総督府『朝鮮史』(1932~38)、池内宏梅原末治『通溝 上下巻』(1938~40)、田村実造編『アジア史講座3』(1956)》 — 京大東洋史辞典編纂会、『新編 東洋史辞典』 p.272 【高句麗】
  30. ^
    高句麗は北扶余から発したとされるが、その北扶余がツングース・満州語族に属することは定説となっている。 — 加藤九祚『北東アジア民族学史の研究』 p.156
  31. ^
    (中国の史書には)高句麗などのツングース系民族と韓族との間には、比較の記述がない。(民族が)違うことが大前提であり、わざわざ違うとは書いていない。 — 室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』 p.193
  32. ^
    夫余高句麗東沃沮)の言語はツングース・満州語の一派か、またはそれに近い言語と思われるが、むしろ朝鮮語と近い親縁関係にあるか、詳しく調べてみなければわからない。 — 三上次男神田信夫編、『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』 p.161
  33. ^ 史書に夫余の別種と記す。
    百済国、本亦扶余之別種、当為馬韓故地 — 『旧唐書東夷伝』
  34. ^
    北扶余也。地宜五谷,不生五果。其人長大,性強勇,謹厚,不寇抄。其君長皆以六畜名官,邑落有豪帥。飲食亦用俎豆。有麻布,衣制類高麗而幅大,其国大人,以金銀飾之。用刑厳急,殺人者死,没其家人為奴婢。俗淫,尤悪妬婦,妬者殺之,屍其国南山上至腐。女家欲得,輸牛馬乃与之。或言本濊貊之地也。 — 『魏書』
  35. ^ a b c d 2010年 中国人口资料
  36. ^ 台灣滿族的由來暨現況 中華民國滿族協會 翁福祥”. 中华民国满族协会 (2004年). 2018年11月16日閲覧。
  37. ^ 中国人民大学 (1997). 民族研究. pp. 21. 
  38. ^ Census: Table 1. First, Second, and Total Responses to the Ancestry Question by Detailed Ancestry Code: 2000”. 美国人口普查局 (2000年). 2017年12月4日閲覧。
  39. ^ Evenk Archives - Intercontinental Cry” (英語). Intercontinental Cry. 2017年6月30日閲覧。
  40. ^ a b Ethnic groups in Russia, 2010 census, Rosstat. Retrieved 15 February 2012 (ロシア語)
  41. ^ [1]
  42. ^ About number and composition population of Ukraine by data All-Ukrainian census of the population 2001”. Ukraine Census 2001. State Statistics Committee of Ukraine. 17 December 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。17 January 2012閲覧。
  43. ^ Russia Population Census
  44. ^ Sixth National Population Census of the People's Republic of China [2] (2010)
  45. ^ About number and composition population of Ukraine by data All-Ukrainian census of the population 2001”. Ukraine Census 2001. State Statistics Committee of Ukraine. 17 December 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。17 January 2012閲覧。
  46. ^ Russian Census 2010: Population by ethnicity (ロシア語)
  47. ^ State statistics committee of Ukraine - National composition of population, 2001 census (Ukrainian)
  48. ^ ВПН-2010”. Perepis-2010.ru. 1 December 2014閲覧。
  49. ^ Russian Census 2010: Population by ethnicity (ロシア語)
  50. ^ Russian Census 2010: Population by ethnicity (ロシア語)
  51. ^ Russian Census 2010: Population by ethnicity (ロシア語)
  52. ^ State statistics committee of Ukraine - National composition of population, 2001 census (Ukrainian)
  53. ^ 崎谷。
  54. ^ 司馬。
  55. ^ 古田史学の会。


参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]