前原町 (小松島市)
前原町 | |
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北緯34度00分28秒 東経134度33分38秒 / 北緯34.00778度 東経134.56056度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 徳島県 |
市町村 | 小松島市 |
地区 | 小松島地区 |
人口 | |
• 合計 | 400人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
773-0013[2] |
市外局番 | 0885[3] |
ナンバープレート | 徳島 |
前原町(まえばらちょう)は、徳島県小松島市の町名。郵便番号は773-0013。
地理
[編集]小松島市の北西端に位置する。西は北流する勝浦川を境として、徳島市丈六町と相対し、南は田浦町、北は概ね徳島南バイパス付近をもって江田町に、東はほぼ旧土佐街道の徳島県道136号宮倉徳島線をもって中郷町に接している。
土佐街道に沿って街村が形成され、草創神社を基点として、字・宮・元村を中心に農村集落が点在している。純農村地域で、農業が主産業。米作のほか施設園芸が行われ、イチゴ・花・野菜が生産されている。また、一部には畜産も行われ、複合的農業が営まれている。江戸期から大正年間にかけて、小松島に盛んに行われた紺屋業の発祥地でもある。
河川
[編集]小字
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歴史
[編集]前原村
[編集]前原村は江戸期から1889年(明治22年)にかけて勝浦郡に存在した村。徳島藩領。1874年(明治7年)、柳本孫三郎は自宅を校舎として、人民共立学校を開設。1877年(明治10年)には前原小学校と改称した。1886年(明治19年)に廃校となる。
明治4年(1871年)に徳島県、同年に名東県、1876年(明治9年)に高知県を経て1880年(明治13年)に再び徳島県に所属。
前原
[編集]前原は1889年(明治22年)から1957年(昭和32年)にかけて存在した大字。はじめ小松島村、1907年(明治40年)より小松島町、1951年(昭和26年)からは小松島市の大字となった。産業は農業が主体で、米麦のほか菜種も栽培され、大正期から昭和10年頃にかけては養蚕が行われた。
現在
[編集]1957年(昭和32年)より現在の小松島市の町名となる。1982年(昭和57年)の耕地面積56.1haのうち田53.6ha、畑2.5haで、米・イチゴの栽培や畜産などの複合経営が行われている。
地名の由来
[編集]草創神社の前に展開した集落というところに由来している。
世帯数と人口
[編集]2022年(令和4年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
前原町 | 166世帯 | 400人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域(東の国道55号以東を除く。) | 小松島市立児安小学校 | 小松島市立小松島中学校 |
東(国道55号以東) | 小松島市立千代小学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]- 国道55号(徳島南バイパス)
- 徳島県道16号徳島上那賀線
- 徳島県道136号宮倉徳島線
- 高速道路
- 小松島インターチェンジ(四国横断自動車道) - 整備中
施設
[編集]- 草創神社
- 勝浦川漁業協同組合監視小屋
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)