芝生町 (小松島市)
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芝生町 | |
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字西居屋敷 | |
芝生町の位置 | |
北緯33度59分41秒 東経134度34分53秒 / 北緯33.99472度 東経134.58139度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 徳島県 |
市町村 | 小松島市 |
地区 | 小松島地区 |
人口 | |
• 合計 | 1,306人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
773-0009[2] |
市外局番 | 0885[3] |
ナンバープレート | 徳島 |
芝生町(しぼうちょう)は、徳島県小松島市の町名。郵便番号は773-0009。
地理
[編集]小松島市の北西部中央寄りに位置する。芝生山麓にあって南は田野町に接し、西南部は芝生山地に囲まれており、北は芝生川を境として日開野町と相対している。
芝生山地の東部および北部の山麓微高地に集落が発達し、集落の北部と南部は水田地帯が広く展開している。集落の中央を旧土佐街道(現徳島県道136号宮倉徳島線)が南北に走って立江町に通じている。産業は主として農業で、米作のほか、ミカンおよびタケノコが生産されている。
弁慶の岩屋は横穴式古墳で県史跡、また、旗山は文治元年2月、治承・寿永の乱の時、源義経が摂津の渡辺の浜から荒海を渡海して屋島に向かう途次、小松島に上陸し、源氏の兵を集結するための目的として、白旗を掲げたところといわれている。
河川
[編集]山岳
[編集]小字
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歴史
[編集]芝生村
[編集]芝生村は江戸期から町村制が施行された(明治22年)にかけて勝浦郡に存在した村。徳島藩領。明治4年に徳島県、同年に名東県、明治9年に高知県を経て明治13年に再び徳島県に所属。
芝生
[編集]芝生は明治22年から昭和32年にかけて存在した大字名。はじめ小松島村、明治40年より小松島町、昭和26年からは小松島市の大字となる。
土佐街道に沿って集落が形成され、農業が主として行われている。水田による米作が卓越し、温州ミカン・タケノコも生産され、大正期から肥料および穀物用として莚・叺の生産が行われた。
芝生町
[編集]昭和32年より名称が芝生町となる。昭和45年に一部が横須町となり、現在に至る。
世帯数と人口
[編集]2022年(令和4年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
芝生町 | 547世帯 | 1,306人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域(横須・網干を除く。) | 小松島市立芝田小学校 | 小松島市立小松島中学校 |
網干、横須 | 小松島市立南小松島小学校 |
交通
[編集]道路
[編集]-
徳島県道136号宮倉徳島線
宮ノ後
施設
[編集]-
イマデヤあおいホール小松島
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)