動橋駅
動橋駅 | |
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駅舎(2008年3月) | |
いぶりはし* Iburihashi | |
◄加賀温泉 (3.2 km) (4.9 km) 粟津► | |
所在地 | 石川県加賀市動橋町ナ92 |
所属事業者 | IRいしかわ鉄道 |
所属路線 | ■IRいしかわ鉄道線 |
キロ程 |
7.3 km(大聖寺起点) 米原から137.5 km |
電報略号 | イフ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
447人/日(降車客含まず) -2021年- |
開業年月日 | 1897年(明治30年)9月20日[1][2] |
備考 | 無人駅(自動券売機 有) |
動橋駅(いぶりはしえき)は、石川県加賀市動橋町にある[2]、IRいしかわ鉄道線の駅である。
概要
[編集]片山津温泉に近く、かつては特急停車駅であり[2]、石川県における主要駅の一つであった[4]。現在では南隣の加賀温泉駅が周辺温泉地の玄関口となったため、普通列車しか停車しない[2]。また、北陸鉄道片山津線・山代線と接続していたが廃止され、2009年に無人駅となっている[2]。
駅名に含まれる「いぶり」は「いぶる」の活用形で、広辞苑などにも示される古い言葉である。揺する、ゆり動かす、ゆすぶるの意味[5][6]で加賀地方南部で古くから使われ、揺れる橋が二級河川動橋川に架かっていたところに由来する[7]。
歴史
[編集]以前、当駅は加賀温泉郷への窓口として、大聖寺駅とともに特急が手分けして停まっていた[2][8]。北へ北陸鉄道片山津線、南へ北陸鉄道動橋線(のち山代線)が伸び、交通の要所として栄え、1950 - 1960年代の一時期には、石川県内において金沢駅に次いで運輸取扱収入額の多い駅であった[4]。1965年9月24日には日本全国の主要152駅と日本交通公社の83か所の営業所に開設されたみどりの窓口が当駅にも設置された[9]。1960年代末期には特急「白鳥」、「雷鳥」・「しらさぎ」が大聖寺駅と動橋駅の両駅に停車するダイヤとされていたことが特急の格やスピードアップの観点から問題視されたことから、大聖寺駅を置く大聖寺町と激しい特急駅の地位を争った挙句[8]、隣の作見駅が加賀温泉駅と改称され加賀温泉郷の入口として一本化された[10][11]。それ以降は急行「くずりゅう」が1往復停車するのみとなったが、それも1985年(昭和60年)3月に廃止された後は[要出典]、普通列車のみの停車駅となっている[2]。この経緯については、加賀温泉郷停車駅争奪戦も参照。
年表
[編集]- 1897年(明治30年)9月20日:官設鉄道北陸線の福井駅 - 小松駅間延伸時に開業(一般駅)[1][2][3]。当時の読みは「いぶりばし」[3]。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定、北陸本線所属駅となる[3]。
- 1915年(大正4年)5月1日:温泉電軌動橋線(後の北陸鉄道山代線)の新動橋駅が開業[12]。
- 1922年(大正11年)11月23日:温泉電軌片山津線(後の北陸鉄道片山津線)の動橋駅が開業[13]。
- 1956年(昭和31年)12月15日:読みを「いぶりはしえき」に変更[3]。
- 1965年(昭和40年)9月24日:北陸鉄道片山津線の動橋駅が廃止[14]。みどりの窓口を設置[9]。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)7月11日:北陸鉄道山代線の新動橋駅が廃止[14]。
- 1982年(昭和57年)5月1日:業務委託駅となる[16]。
- 1985年(昭和60年)3月14日:荷物の取扱を廃止[3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる[3]。
- 2008年(平成20年)4月30日:駅前のバス停が廃止され、周辺のバス路線は皆無となった。
- 2009年(平成21年)4月1日:簡易委託を解除、無人化される。
- 2017年(平成29年)4月15日:ICカード「ICOCA」の利用が可能になる[17][18][19][20][21]。
- 2024年(令和6年)3月16日:北陸新幹線 金沢駅 - 敦賀駅延伸開業に伴い、IRいしかわ鉄道の駅になる。
駅構造
[編集]単式ホーム2面2線[2]を持つ地上駅である。島式ホームの内側にも線路(中線)はあるが、保守用の側線になっており[1]、ホームについても柵が設置されたため待避線としては使用できない。また絶対信号機も設置されておらず停留所となっている。元々単式である上りホーム側に駅舎があり、下りホームへは跨線橋で連絡している[2]。特急停車駅時代の名残か、普通停車駅にしては比較的ホームも広い構造になっている。2013年春に普通列車の有効長以外の部分に安全柵を設置する工事を実施したため、関係者以外は立ち入り禁止となった。
以前は簡易委託駅であったが、現在は小松駅管理の無人駅となっている。自動券売機が設置されている。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■IRいしかわ鉄道線 | 上り | 大聖寺・福井方面[22] |
2 | 下り | 小松・金沢方面[22] |
- 付記事項
- ホーム上では長らくのりば番号が設定されていなかったが、2018年までに改めて設定された。なお、使われていない中線は番号カウントから外されている。
- 接近警告機から鳴るメロディは、1番のりばが「アニーローリー」、2番のりばが「エリーゼのために」である。
利用状況
[編集]2021年(令和3年)度の1日平均乗車人員は447人である[23]。
近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通り。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1995年 | 984 |
1996年 | 958 |
1997年 | 928 |
1998年 | 885 |
1999年 | 841 |
2000年 | 754 |
2001年 | 740 |
2002年 | 723 |
2003年 | 720 |
2004年 | 709 |
2005年 | 719 |
2006年 | 653 |
2007年 | 635 |
2008年 | 665 |
2009年 | 584 |
2010年[2] | 580 |
2011年 | 557 |
2012年 | 567 |
2013年 | 584 |
2014年 | 558 |
2015年 | 555 |
2016年 | 578 |
2017年 | 580 |
2018年 | 562 |
2019年 | 512 |
2020年 | 435 |
2021年 | 447 |
駅周辺
[編集]隣の駅
[編集]北陸鉄道 動橋駅
[編集]北陸鉄道 動橋駅 | |
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いぶりはし Iburihashi | |
(1.8 km) 片山津本町► | |
所属事業者 | 北陸鉄道 |
所属路線 | 片山津線 |
キロ程 | 0.0 km(動橋起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1922年(大正11年)11月23日[13] |
廃止年月日 | 1965年(昭和40年)9月24日[14] |
備考 | 路線廃止に伴う廃駅 |
概要
[編集]片山津線の始発駅で、国鉄の北側に位置し、独自の出入口はなかった。
歴史
[編集]- 1914年(大正3年)4月29日:温泉電軌の駅(馬車鉄道)として開業。
- 1922年(大正11年)11月23日:温泉電軌の当駅 - 片山津駅間が開業(電化)[12]。
- 1943年(昭和18年)10月13日:北陸鉄道の合併・設立に伴い、同社の片山津線の駅となる[14]。
- 1965年(昭和40年)9月24日:片山津線廃止により廃駅となる[14][24]。
駅構造
[編集]国鉄駅とつながる跨線橋を降りたところに1面1線のホームがあり、金沢寄りに3線の車庫があった。国鉄とは線路がつながっていなかった。
廃止後
[編集]片山津線廃止後も数年の間は電車がバスに置き換わっただけの形とされ、ホームの断面を階段状に改修して線路跡からバスが発着し、跨線橋も存置されて国鉄駅や山代線の新動橋駅と連絡していたが、1970年(昭和45年)の加賀温泉駅の開業、翌1971年(昭和46年)の山代線を含む加南線全線廃止と前後して跨線橋が撤去され、当駅から片山津温泉へのバスは山代温泉からの直通となり、狭隘な駅前に乗り入れることができないため150mほど南に位置する動橋駅前バス停を経由していた。この路線バスは2008年(平成20年)4月30日限りで廃止されている。
隣の駅
[編集]- 北陸鉄道
- 片山津線
- 動橋駅 - 片山津本町駅
北陸鉄道 新動橋駅
[編集]北陸鉄道 新動橋駅 | |
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しんいぶりはし Shin-iburihashi | |
◄庄 (1.3 km) | |
所属事業者 | 北陸鉄道 |
所属路線 | 山代線* |
キロ程 | 6.3 km(河南起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
開業年月日 | 1915年(大正4年)5月1日[12] |
廃止年月日 | 1971年(昭和46年)7月11日[13] |
備考 | 路線廃止に伴う廃駅 |
概要
[編集]山代線の乗換駅であった。
歴史
[編集]- 1915年(大正4年)5月1日:温泉電軌の宇和野駅 - 新動橋駅間が開業[12]。
- 1943年(昭和18年)10月13日:北陸鉄道の合併・設立に伴い、同社の動橋線の駅となる[14]。
- 1963年(昭和38年)7月19日:動橋線の山代線への改称により同線の駅となる[14][25]。
- 1968年(昭和43年)9月1日:駅業務を株式会社北鉄交通社に委託
- 1971年(昭和46年)7月11日:加南線全線廃止により廃駅[13]。
駅構造
[編集]国鉄駅を出たすぐ右手に木造駅舎があり、Y字ポイントで分岐した島式ホーム1面2線を有していたが、晩年は駅舎から見て右側の1線だけが使われていた。
廃止後
[編集]駅跡地には道路が新設され、残りの用地は駅前広場の拡張に使われている。
隣の駅
[編集]- 北陸鉄道
- 山代線
- 庄駅 - 新動橋駅
脚注
[編集]- ^ a b c 川島 2010, p. 44.
- ^ a b c d e f g h i j k 朝日 2012, p. 21.
- ^ a b c d e f g h 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 II(初版)、JTB、1998年10月1日、135頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b 北國新聞朝刊「いしかわ文化万華鏡 愛と人情の無人駅」、2020年9月17日[要ページ番号]
- ^ 広辞苑第3版「いぶる」[他四]162頁昭和58年12月6日発行第1刷
- ^ “いぶる(動ラ四)ゆすぶる”. goo国語辞書. 2009年4月25日閲覧。
- ^ “【難読駅名クイズ】「上ゲ」「開発」「金手」「動橋」中部編”. NEWSポストセブン (2015年1月21日). 2021年9月2日閲覧。
- ^ a b 石川県 1984, p. 598.
- ^ a b 『国鉄監修 交通公社の時刻表』1965年10月号「みどりの窓口」案内②、③
- ^ 石川県 1984, p. 599.
- ^ “開業50年 加賀温泉駅沸く 出店やステージ発表 フェスタ開幕”. 北陸中日新聞Web. (2020年11月15日). オリジナルの2021年4月18日時点におけるアーカイブ。 2021年9月2日閲覧。
- ^ a b c d 朝日 2011, p. 18.
- ^ a b c d 朝日 2011, p. 26.
- ^ a b c d e f g 朝日 2011, p. 19.
- ^ 『国鉄監修 交通公社の時刻表』1970年1月号・11月号「みどりの窓口」案内
- ^ 動橋駅駅舎内掲示「動橋駅の移り変わり」
- ^ 『北陸線(大聖寺駅~金沢駅間)IRいしかわ鉄道線、城端線(高岡駅~新高岡駅間)4月15日ICOCAサービスご利用開始~石川と富山がICOCAでつながる~』(PDF)(プレスリリース)西日本旅客鉄道/IRいしかわ鉄道/あいの風とやま鉄道、2017年1月31日。オリジナルの2019年5月25日時点におけるアーカイブ 。2020年2月1日閲覧。
- ^ 『交通ICカード「ICOCA」の利用範囲拡大等について』(PDF)(プレスリリース)あいの風とやま鉄道、2017年1月31日。オリジナルの2019年5月25日時点におけるアーカイブ 。2020年2月1日閲覧。
- ^ “JR西日本、ICカード「ICOCA」を金沢地区・新高岡地区へ導入”. トラベルWatch (2016年2月16日). 2021年9月23日閲覧。
- ^ “富山に続き石川も「ICOCA」エリアに 4月15日、3社相互利用開始”. 乗りものニュース (2017年2月1日). 2021年9月23日閲覧。
- ^ “金沢でイコカ利用可能に 石川、富山の19駅”. 産経フォト (2017年4月15日). 2021年9月23日閲覧。
- ^ a b “動橋駅時刻表”. IRいしかわ鉄道. 2024年8月17日閲覧。
- ^ “令和4年度版 加賀市統計書” (PDF). 加賀市. p. 80. 2023年8月18日閲覧。
- ^ “【よみがえる 鉄路の記憶 西脇恵さん撮影】バスにバトン引き継ぐ”. 北陸中日新聞Web. (2020年9月28日) 2021年9月2日閲覧。
- ^ “【よみがえる 鉄路の記憶 西脇恵さん撮影】北鉄加南線・庄学校前駅”. 北陸中日新聞Web. (2020年7月20日). オリジナルの2020年9月20日時点におけるアーカイブ。 2021年9月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 『石川県史 現代編(5)』石川県、1984年3月。
- 川島令三『【図説】日本の鉄道中部ライン全線・全駅・全配線 第6巻 加賀温泉駅 - 富山エリア』講談社、2010年9月20日。ISBN 978-4-06-270066-5。
- 『週刊歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄 28 えちぜん鉄道 福井鉄道・北陸鉄道・のと鉄道』朝日新聞出版、2011年10月2日。
- 『週刊JR全駅・全車両基地 18 北陸本線②(森本〜米原) 越美北線』朝日新聞出版、2012年12月9日。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 動橋駅 - IRいしかわ鉄道