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南部宗経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
南部宗経
時代 鎌倉時代中期
生誕 寛元4年(1246年
死没 弘安6年5月17日1283年6月13日
改名 彦三郎(幼名)、宗経
戒名 西来院殿直山示公
幕府 鎌倉幕府
氏族 南部氏
父母 南部時実
兄弟 政光政行宗経義元宗実実政
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南部 宗経(なんぶ むねつね)は、鎌倉時代中期の武士南部氏5代当主(『南部系譜』)。

略歴

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3代当主・南部時実の三男として誕生。幼名は彦三郎(『南部史要』)。

4代当主・南部政光に子がいないため跡を弟・義元の嫡子・義行に決めたが、義行は政光の意向に反して甲斐国に戻る。このため政光の弟の宗経が家督を継ぐ。この時から家運が衰えて京都への大番や、鎌倉への参勤も絶つという。

弘安6年(1283年)5月17日、没する。享年38。法号は西来院殿直山示公。

参考文献

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  • 熊谷考『南部史要』熊谷印刷出版部、1972年。ISBN 4877202277 

外部リンク

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