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原田聖二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原田 聖二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県
生年月日 (1960-04-30) 1960年4月30日(64歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 栗東・松元正雄(1983年 - 1988年)
栗東・フリー(1988年 - 1989年)
栗東・領家政蔵(1989年 - 1994年)
栗東・フリー(1994年 - 1999年)
栗東・福島信晴(1999年 - 2001年)
栗東・服部利之(2001年 - 2003年)
初免許年 1983年3月12日
免許区分 平地・障害
騎手引退日 2003年2月28日
2002年11月17日(最終騎乗)
重賞勝利 4勝
通算勝利 3038戦202勝
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原田 聖二(はらだ せいじ、1960年4月30日 - )は、福岡県出身の元騎手調教助手

来歴

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1983年3月栗東・松元正雄厩舎からデビューし、同12日小倉第2競走4歳未出走・マンノミシガン(13頭中9着)で初騎乗[1]を果たすと、4月3日の小倉第2競走4歳未勝利・シマノトウショウで初勝利[2]を挙げる[3] [4]5月14日京都では障害初勝利[5]翌15日の京都でも勝利を挙げて初の2日連続勝利[6]を記録するなど、1年目の同年から2桁勝利で20勝台となる22勝[7]をマーク。

2年目の1984年には1月22日中京で初の1日2勝[8]3月17日の小倉で初の1日3勝[8]を記録したほか、美浦から転厩してきたライバコウハク[9]京都大障害(秋)を制し重賞初勝利[3] [10]を挙げるなど、自己最多の31勝[7]をマーク。

ライバコウハクには関西だけで騎乗し[9]、人馬共に重賞初勝利[9] [3] [10]となった京都大障害(秋)は果敢な逃げを打ち、最終障害の飛越後に並びかけたスナークシルバーを直線では突き放す大差勝ちであった[11]

3年目の1985年にはライバコウハクで京都大障害(春)をレコード勝ちし[11]、同レース秋春制覇で人馬共に重賞2勝目を挙げる[9] [3] [10]桜花賞では22頭中14番人気のニシノユニバックでエルプスの5着[12]と健闘し、3年連続2桁勝利となる14勝[7]をマーク。

1986年は7勝[7]に終わるが、青森・タケミファーム生産馬キョウエイウオリア阪神障害ステークス(春)を11番人気ながら3着[13]と好走。

1987年には2年ぶりの2桁となる11勝をマークし、1991年まで5年連続2桁勝利を記録[7]

1988年からはフリーとなり、ホクトボーイ産駒の牝馬ワイドガールで阪神障害ステークス(秋)を制し[14]、2年ぶりの重賞勝利[3] [15]を挙げる。

11月12日福島第5競走4歳未勝利ではデビュー2戦目のダイユウサクに騎乗したが[16]、勝ち馬から7秒3遅れたタイムオーバーで入線[17] [18]

CBC賞では引退レースとなった福島産馬トーアファルコンに騎乗し[19]、16頭中14番人気の同馬で良馬場の中京コースの大外を豪快に捲ると、最後は猛追するシンウインドにハナ差まで詰め寄られたものの、ラストランを重賞勝利で飾った[20]。単勝8540円はCBC賞の最高払戻として記録に残り[21]、原田にとっては自身唯一の平地重賞勝利が最後の重賞勝ちとなった[3] [15]

1989年には領家政蔵厩舎に移籍し、高松宮杯では格上挑戦で重賞初出走となったダイユウサクの手綱を取り[16]メジロアルダンバンブーメモリーシヨノロマンに次ぐと同時にコスモドリームに先着の7着[22]であった。

1989年のカブトヤマ記念ではトップハンデ59kgのプレジデントシチーで3着[23]1990年中京記念では13番人気のタニノスイセイでオサイチジョージとアタマ差の2着[24]に入った。

1994年には再びフリーとなり、3年ぶりの2桁となる11勝をマークすると、1997年まで4年連続2桁勝利を記録[7]

1994年と1995年にはミスタートウジンに騎乗し、1994年の根岸ステークスでは13頭中12番人気で最後方から上がり最速35秒5の脚を使ってフジノマッケンオーの7着、キャリア最後の芝のレースとなった福島記念10着、明け10歳になった1995年にはフェブラリーステークスライブリマウントの6着、1番人気に支持された佐賀開設記念ではアドマイヤボサツの6着であった[25]

1995年の京都障害ステークス(秋)では障害重賞初挑戦のポレールに騎乗し[26]、55kgの軽量を活かして終始2番手からレースを進め、最終障害で躓きながらも逃げたマヤノギャラクシーに並びかけ、直線での叩き合いでクビ差2着と惜敗[27]

中央競馬最後のアラブ系競走となったアラブ大賞典[28]ではエスエムファイヤーでムーンリットガールの5馬身差2着[29]に入った。

1997年にはテイエムオーロラで小倉3歳ステークス2着[30]に入り、最後の2桁となる11勝[7]をマーク。

1999年には福島信晴厩舎に移籍し、2000年9月16日の阪神第10競走仲秋特別・フレンチパッションで通算200勝を達成[31]

2001年には服部利之厩舎に移籍し、8月5日の小倉第7競走2歳新馬でユウキャラットに騎乗しタムロチェリーを抑えたのが[32]最後の勝利[31]となった。

2002年11月17日京都第12競走花背特別・タイヨーキャプテン(16頭中16着)が最後の騎乗[33]となり、2003年2月28日付で現役を引退[3]

引退後は昆貢厩舎の調教助手を務めた[21]

騎手成績

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通算成績 1着 2着 3着 4着以下 出走回数 勝率 連対率
平地 176 224 234 2174 2808 .063 .142
障害 26 15 25 164 230 .113 .178
202 239 259 2338 3038 .066 .145
主な騎乗馬
  • ライバコウハク(1984年京都大障害 (秋)・1985年京都大障害 (春))
  • ワイドガール(1988年阪神障害ステークス (秋))
  • トーアファルコン(1988年CBC賞)

脚注

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  1. ^ 原田聖二の近走成績”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  2. ^ 原田聖二の近走成績”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g JRAホームページ|データファイル|騎手・調教師データ”. jra.jp. 2024年12月26日閲覧。
  4. ^ 原田聖二のプロフィール”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  5. ^ 抽出[通算 1着レース]|原田聖二の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  6. ^ 抽出[通算 1着レース]|原田聖二の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g 原田聖二の年度別成績”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  8. ^ a b 抽出[通算 1着レース]|原田聖二の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  9. ^ a b c d ライバコウハク (Raiba Kohaku)”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  10. ^ a b c 抽出[通算 1着レース]|原田聖二の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  11. ^ a b 名障害馬の置き土産〜ライバコウハク〜”. uma-furi.com. 2024年12月26日閲覧。
  12. ^ 桜花賞|1985年4月7日”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  13. ^ キョウエイウオリア (Kyoei Warrior)”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  14. ^ ワイドガール (Wide Girl)”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  15. ^ a b 抽出[通算 1着レース]|原田聖二の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  16. ^ a b ダイユウサク (Dai Yusaku)”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  17. ^ 優駿』1992年3月号 32頁
  18. ^ 4歳未勝利|1988年11月12日”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  19. ^ トーアファルコン (Toa Falcon)”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  20. ^ トーアファルコン (昭和63年 CBC賞)”. 2014年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月26日閲覧。
  21. ^ a b 【昔のニホンをさがして】皆... - 競馬ニホン 競馬新聞|専門紙ネット新聞|専門紙(予想紙)電子新聞(株式会社前夜通信社)”. www.facebook.com. 2024年12月26日閲覧。
  22. ^ 高松宮杯|1989年7月9日”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  23. ^ カブトヤマ記念|1989年10月22日”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  24. ^ トヨタ賞中京記念|1990年3月18日”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  25. ^ ミスタートウジン (Mr.Tojin)”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  26. ^ ポレール (Polaire)”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  27. ^ 京都障害S(秋)|1995年9月16日”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  28. ^ 「今月のトピックス『数々の名馬を残して閉幕… JRAのアラブ競走、「アラブ大賞典」で終了』」『優駿』、日本中央競馬会、1996年2月、74頁。 
  29. ^ アラブ大賞典|1995年12月9日”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  30. ^ 小倉3歳ステークス|1997年8月31日”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  31. ^ a b 抽出[通算 1着レース]|原田聖二の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  32. ^ 2歳新馬|2001年8月5日”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。
  33. ^ 原田聖二の近走成績”. netkeiba.com. 2024年12月26日閲覧。