臺光章
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(台光章から転送)
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1976年1月1日(48歳) | |||
出身地 | 広島県広島市 | |||
ラテン文字 | Mitsuaki Utena | |||
身長 | 183cm | |||
体重 | 71kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | 広島サンダーズ | |||
愛称 | ウッちゃん | |||
役職 | 事務局長 | |||
ポジション | S | |||
指高 | 234cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 310cm | |||
ブロック | 297cm |
臺 光章(うてな みつあき、1976年1月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。
来歴
[編集]広島県広島市出身。小学校5年の時に地元のスポーツクラブ・八木スポーツ少年団に入り[要出典]、バレーボールを始める。高校は地元名門の崇徳高等学校へ進学し[1]、3年次には教育実習で来ていた本多洋から影響を受けた[要出典]。その後、中央大学へ進学する[2]。
1998年、日本たばこ産業 (JT) に入社し、JTサンダーズに入団[2]。同期に苅谷淳司、河野裕輔、下田悟、齋藤学[3]。順調に試合出場を重ね、1999年2年目からチームキャプテンを務めた[2]。2001年、黒鷲旗で優勝しベスト6。同年のアジア選手権で全日本に選出されて金メダルを獲得し、2002年釜山アジア大会では銅メダル獲得に貢献した[2]。2003-04シーズンVリーグでベスト6賞を受賞した。
選手晩年には前田悟がレギュラーを取ったために控えに回ることが多くなり、2007-08シーズンは腰の故障[2]に加え、栗生澤淳一が監督代行に就任したことに伴い平野信孝と共にコーチ兼任選手として活躍した[4]。2008年6月に現役を引退し、JTでの社業に専念した[2]。
2016年に副部長としてJTサンダーズに復帰し、現在は事務局長を務めている[5]。
球歴
[編集]受賞歴
[編集]- 2001年 - 黒鷲旗 ベスト6
- 2003年 - Vリーグ ベスト6
- 2004年 - 黒鷲旗 ベスト6
所属クラブ
[編集]脚注
[編集]- ^ “OB会役員のご紹介”. 崇徳高校バレーボール部OB会 (2016年4月7日). 2019年6月2日閲覧。
- ^ a b c d e f “臺・平野が引退 バレー男子JT”. 中国新聞 (2008年6月4日). 2011年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月17日閲覧。
- ^ “JT男子バレー部 チームとぴっくす NO.4”. 日本たばこ産業 (1998年). 1999年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月17日閲覧。
- ^ “JT最終戦飾り6位 バレープレミアL男子”. 中国新聞. (2008年3月24日) 2010年9月17日閲覧。
- ^ “2023/24シーズン JTサンダーズ広島新体制のお知らせ | JTサンダーズ広島 | JTウェブサイト”. JTサンダーズ | JTウェブサイト. 2024年2月11日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- JT男子バレー部 選手プロフィール Profile - ウェイバックマシン(2003年12月10日アーカイブ分)