吉武剛
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名前 | ||||||
愛称 | ツヨ | |||||
カタカナ | ヨシタケ ツヨシ | |||||
ラテン文字 | YOSHITAKE Tsuyoshi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1981年9月8日(43歳) | |||||
出身地 | 三重県 | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 66kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1997-1999 | 津工業高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000-2006 | 横浜FC | 151 | (14) | |||
2007-2008 | 東京ヴェルディ | 7 | (1) | |||
2009-2010 | チャールストン・バッテリー | 30 | (8) | |||
2010 | クリスタルパレス・ボルチモア | 24 | (3) | |||
2010 | オースティン・アズテックス | 7 | (0) | |||
2011-2012 | FCタンパベイ | 40 | (7) | |||
2012-2014 | 横浜FC香港 | 25 | (7) | |||
2014-2015 | 元朗 | 18 | (4) | |||
通算 | 301 | (45) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
吉武 剛(よしたけ つよし、1981年9月8日 - )は三重県出身の元プロサッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。妻はモデル、タレントの岡田真寿美。
来歴
[編集]Jリーグの横浜FC、東京ヴェルディを経て、2009年シーズンより、アメリカ合衆国のメジャーリーグサッカーの下部に位置する独立リーグ、ユナイテッドサッカーリーグ、チャールストン・バッテリーのトライアウトを経て入団。ルーキーイヤーより10番のユニホームを与えられ、チーム内2位となる6ゴールをあげる活躍をし、チーム内の「新人王」を獲得。フリーキック、コーナーキックなど全てのプレースキックも担い、吉武のドリブルは「創造性豊かで、1対1で止めることはほぼ不可能」とチャールストン・バッテリーのマイケル・アンハウザー監督に称された[1]。
2010年1月、チャールストン・バッテリーが財政的理由からユナイテッドサッカーリーグ2部降格を決定したことより、ボルチモアを本拠地とするクリスタルパレス・ボルチモアへ移籍をし、ここでも背番号10を与えられる。ボルチモアではフォワードとしてもプレー。西村卓朗とチームメートであった。
2010年9月、リーグ制覇を狙うオースティン・アズテックスからの要望により、期限付きで移籍を果たした。背番号は9[2]。
2011年シーズンより、山田卓也と同じFCタンパベイに完全移籍[3]。背番号は10。
2012年8月、古巣の横浜FCが経営権を持つ横浜FC香港へ移籍し、主将に就任した[4]。香港リーグベスト11や、2013年蛇年賀歲盃に出場をする香港リーグオールスターチームに選出されるなど、クラブの顔として大活躍[5]。
2014年6月、自身の公式ブログ上にて、同じ香港リーグの元朗足球會に移籍をしたことを発表した[6]。
2015年6月12日、自身の公式ブログ上にて、現役引退を発表した[7]。
所属クラブ
[編集]- 1990年 - 1993年 鈴鹿市立国府小学校(小学校3年生でサッカーを始める)
- 1994年 - 1996年 鈴鹿市立平田野中学校
- 1997年 - 1999年 三重県立津工業高等学校
- 2000年 - 2006年 横浜FC
- 2007年 - 2008年 東京ヴェルディ
- 2009年 - 2010年 チャールストン・バッテリー
- 2010年 クリスタルパレス・ボルチモア
- 2010年 オースティン・アズテックス(期限付き移籍)
- 2011年 - 2012年 FCタンパベイ
- 2012年8月 - 2014年 横浜FC香港
- 2014年6月 - 2015年 元朗足球會(中国語: 元朗足球會)
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 横浜FC | 3 | JFL | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2001 | J2 | 16 | 1 | 0 | 0 | 4 | 2 | 20 | 3 | ||
2002 | 8 | 41 | 2 | - | 3 | 1 | 44 | 3 | |||
2003 | 14 | 2 | - | 2 | 1 | 16 | 3 | ||||
2004 | 9 | 0 | - | 0 | 0 | 9 | 0 | ||||
2005 | 27 | 2 | - | 2 | 0 | 29 | 2 | ||||
2006 | 16 | 26 | 2 | - | 1 | 0 | 27 | 2 | |||
2007 | 東京V | 24 | 5 | 1 | - | 0 | 0 | 5 | 1 | ||
2008 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | USオープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | チャールストン | 10 | USL | 27 | 6 | - | 3 | 2 | 30 | 8 | |
2010 | ボルチモア | USSFディビジョン2 | 23 | 3 | - | 1 | 0 | 24 | 3 | ||
オースティン | 9 | 7 | 0 | - | - | 7 | 0 | ||||
2011 | FCタンパベイ | 10 | NASL | 25 | 1 | - | - | 25 | 1 | ||
2012 | タンパベイ・ラウディズ | 15 | 6 | - | - | 15 | 6 | ||||
香港 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2012 | 横浜FC香港 | 18 | 香港1部 | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
日本 | J2 | 138 | 10 | 0 | 0 | 12 | 4 | 150 | 14 | ||
日本 | JFL | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
アメリカ | NASL/USL/USSF D2 | 97 | 16 | - | 4 | 2 | 101 | 18 | |||
香港 | 香港1部 | ||||||||||
総通算 | 235 | 26 | 1 | 0 | 16 | 6 | 252 | 32 |
指導歴
[編集]- 2020年 - 名古屋グランパス
- 2020年 - 2022年 U-12 コーチ
- 2023年 U-15 コーチ
- 2024年 - トップチーム コーチ
脚注
[編集]- ^ Yoshitake's Gamble The Post and Courier
- ^ Austin Adds Midfielder to Playoff-Bound Club Archived 2010年9月22日, at the Wayback Machine.
- ^ [1]
- ^ 横浜FC香港に吉武剛選手 Tampa Bay Rowdies (NASL) より 完全移籍加入のお知らせ 横浜FC公式サイト 2012年8月4日
- ^ [2]
- ^ 移籍報告
- ^ 引退のご報告
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 吉武剛 - Soccerway.com
- 吉武剛 - FootballDatabase.eu
- 吉武剛 - WorldFootball.net
- 吉武剛 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 吉武剛 - J.League Data Siteによる選手データ
- 吉武剛のアメブロ『! YOSHI 10 !』
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