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吉田耕平 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉田 耕平(よしだ こうへい、1831年10月15日天保2年9月10日[1]) - 1905年明治38年)6月4日[2])は、明治時代の政治家銀行家衆議院議員(1期)。

経歴

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吉田詠甫の子として美濃高須藩石津郡高須町岐阜県下石津郡高須町、海津郡高須町、海津町を経て現海津市)に生まれる[3]漢学和歌茶道を修める[2]。学区取締、地租改正掛を経て[2]1879年(明治12年)4月、岐阜県会議員に当選[3]。同議長を歴任し、1881年(明治14年)1月、病のため辞した[3]。その後、1884年(明治17年)に再び県議となった[3]。ほか、第七十六国立銀行を興し同頭取を務めた[3]

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では岐阜県第3区から出馬し当選[2]大成会に属し衆議院議員を1期務めた[2]

脚注

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  1. ^ 大久保 1890, 1148頁.
  2. ^ a b c d e 衆議院、参議院 編 1962, 551頁.
  3. ^ a b c d e 篠田 1891, 256頁.

参考文献

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