名古屋市立若葉中学校
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名古屋市立若葉中学校 | |
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北緯35度11分41秒 東経136度55分37秒 / 北緯35.194611度 東経136.927056度座標: 北緯35度11分41秒 東経136度55分37秒 / 北緯35.194611度 東経136.927056度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
校訓 | 誠 -規律・勤勉・自主・友愛・協調- |
設立年月日 | 1947年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C123210000118 |
所在地 | 〒462-0855 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
名古屋市立若葉中学校(なごやしりつわかばちゅうがっこう)は、愛知県名古屋市北区石園町にある名古屋市立中学校。
概要
[編集]校章は校名より「若」と「中」の字を組み合わせ図案化したものを使用している[1]。
沿革
[編集]経緯
[編集]1947年(昭和22年)4月1日、大曽根国民学校の在校生および名古屋市立飯田小学校・名古屋市立下飯田小学校の卒業生をもって名古屋市立若葉中学校として創立された[2]。校舎は飯田小学校に併置された[3]。翌1948年(昭和23年)12月13日、校地を現在地に移転し[4]、さらに翌1949年(昭和24年)には前述二小学校に加え名古屋市立名北小学校・名古屋市立杉村小学校を当校通学区に編入した[2]。以降数度の学区域変更を行い、現在は名北・杉村両小学校区の生徒を受け入れている[4]。
歴代校長
[編集]- 1947年(昭和22年) - 佐々木 憲[5]
- 1949年(昭和24年) - 加藤 栄助[5]
- 1952年(昭和27年) - 早川 鉦一[5]
- 1961年(昭和36年) - 藤崎 文夫[5]
- 1963年(昭和38年) - 富田 義孝[5]
- 1967年(昭和41年) - 松本 辰夫[5]
- 1973年(昭和47年) - 下山 裕次[5]
- 1975年(昭和49年) - 戸松 滋正[5]
- 1979年(昭和53年) - 宮部 敏義[5]
- 1982年(昭和56年) - 長谷川 進[5]
- 1985年(昭和59年) - 鶴見 利政[5]
- 1990年(平成2年) - 出原 行[5]
- 1992年(平成4年) - 伊藤 光壽[5]
- 1994年(平成6年) - 村上 博彦[5]
- 辻 直志[4]
この節の加筆が望まれています。 |
- 2015年(平成27年) - 高瀬 由有紀[WEB 1]
学校行事
[編集]行事等の日程は2013年(平成25年)度[WEB 2]
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部活動
[編集]運動系部活動
[編集]文化系部活動
[編集]- 名古屋市内の中学校におけるジャズ・アンサンブル部としては一番長い活動期間をもつとされる[新聞 1]。
通学区域
[編集]通学区域は以下の通りである[WEB 4]。
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生徒数の変遷
[編集]『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、生徒数の変遷は以下の通りである[6]。
1947年(昭和22年) | 890人 | |
1957年(昭和32年) | 1222人 | |
1967年(昭和42年) | 857人 | |
1977年(昭和52年) | 885人 | |
1987年(昭和62年) | 676人 | |
1997年(平成9年) | 483人 | |
2007年(平成19年) | 348人 | |
2017年(平成29年) | 287人 |
交通
[編集]
脚注
[編集]WEB
[編集]新聞
[編集]- ^ 清水裕介 (2020年3月13日). “<あそび場 まなび場> KITA JAZZ! 体操(名古屋市北区)”. 中日新聞朝刊 (中日新聞社) 2020年3月20日閲覧。
書籍
[編集]参考文献
[編集]- 杉浦正巳『校章と自然 愛知県における校章の研究』1977年8月。全国書誌番号:77017456。
- 『校区の歴史散歩』東洋経済出版社、1982年。
- 北区制50周年記念事業実行委員会 編『北区誌』北区制50周年記念事業実行委員会、1994年2月11日。
- 名古屋市立小中学校長会 編『名古屋市立小中学校長会50周年記念誌』名古屋市立小中学校長会、1997年3月。
- 愛知県小中学校長会 編『六三制教育五十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校長会、1998年3月。
- 六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌 合同記念誌編集特別委員会 編『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校校長会・名古屋市立小中学校長会、2018年2月15日。