コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

呂号第五百一潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
呂号第五〇一潜水艦から転送)
U1224
呂号第五百一潜水艦
基本情報
建造所 ドイチェ・ヴェルフトハンブルク
運用者  ナチス・ドイツ海軍
 大日本帝国海軍
艦種 潜水艦
二等潜水艦
級名 IXC40型Uボート
艦歴
発注 1941年8月25日
起工 1942年11月30日
進水 1943年7月7日
竣工 1943年10月20日
最期 1944年5月13日戦没
除籍 1944年10月10日
その後 1944年2月15日、日本に譲渡
要目
排水量 1,144トン
水中排水量 1,257トン
全長 76.76m
水線長 58.75m
最大幅 6.86m
水線幅 4.44m
高さ 9.60m
吃水 4.67m
機関 ディーゼルエンジンx2基
電動発電機x2基
推進 2軸
出力 水上:4,400ps
水中:1,000ps
速力 水上:18.3kt
水中:7.3kt
航続距離 水上:10ktで13,850海里
水中:4ktで63海里
潜航深度 230m
乗員 将校4名、兵卒44名
兵装 10.5cm砲x1門
3.7cm高角砲x1門
2cm Flakvierling38x2基
53cm魚雷発射管x6門(艦首4門、艦尾2門)/魚雷x22本
テンプレートを表示

呂号第五百一潜水艦[1](ろごうだいごひゃくいちせんすいかん)は、大日本帝国海軍潜水艦ドイツ海軍の潜水艦IXC40U1224が日本に譲渡されたもので、ドイツ海軍が日本海軍に無償譲渡したUボート2隻のうちの1隻である。

概要

[編集]

「呂501」は「呂500」とともに、日本海軍によるインド洋での通商破壊実施を望んだドイツがそれらをモデルとして通商破壊戦用の潜水艦を建造してもらうため譲渡したものであった[2]。この譲渡に際して、無償と理解した日本側と、有償だと考えていたドイツ側との間で齟齬が生じたが、最終的にヒトラーが「贈り物だ」といったことで落着した[3]

艦歴

[編集]

U1224として

[編集]

ハンブルクドイチェ・ヴェルフトで建造され、1942年11月30日に起工、1943年7月7日に進水。同年10月20日に竣工し、ゲオルク・プロウス(Georg Preuss)大尉が艦長となった[4]

第31潜水隊群での訓練の後、出撃に備えていたものの哨戒に出発することなく、日本海軍に譲渡される潜水艦に指定された。そのため、ドイツ艦として戦果を挙げることはなかった[4]

呂501として

[編集]

1944年2月15日、「U1224」は日本海軍の艦籍に入り、呂号第五百一潜水艦と命名された[4]伊8で運ばれていた回航員(艦長:乗田貞敏少佐)はドイツ海軍の潜水艦学校において数か月間のUボート操艦のための日独合同訓練を行った。

同年3月30日、「呂501」は日本に向けてキールを出港[5]。「呂501」にはジェット機の設計資料を携えた吉川春夫など、4名が便乗した[6]

連合国軍は「呂501」の行動を暗号解読により把握し、護衛空母「ボーグ」を中心とする部隊を派遣[7]5月13日大西洋カーボベルデの北西でアメリカ海軍バックレイ級護衛駆逐艦フランシス・M・ロビンソン英語版」によって撃沈され、乗員五十余人全員が戦死した[8]

艦長

[編集]
  • 乗田貞敏 少佐:1944年2月15日[9] - 1944年8月26日 戦死認定、同日付 任海軍中佐[10]

戦後

[編集]

1965年3月、来日した西ドイツ練習艦隊の乗組員らが希望して靖国神社銀杏を持ち帰り、駐独日本大使を招いて「呂501」の将兵らの合祀祭を行ったのち、キール軍港の慰霊塔に植樹が行われた。1970年に、ドイツ空軍総監ヨハネス・シュタインホフが返礼としてドイツのシンボル)の苗を靖国神社に奉納している[11]

脚注

[編集]
  1. ^ 昭和19年2月15日付 達第39号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070124200 。五〇一ではない。
  2. ^ 消えた潜水艦イ52、112-115ページ
  3. ^ 消えた潜水艦イ52、122-123ページ
  4. ^ a b c Helgason, Guðmundur. “The Type IXC/40 boat U-1224”. German U-boats of WWII - uboat.net. 25 November 2023閲覧。
  5. ^ 消えた潜水艦イ52、180ページ
  6. ^ 消えた潜水艦イ52、180-181ページ
  7. ^ 消えた潜水艦イ52、182-183ページ
  8. ^ 拳骨拓史 (2015). 昭和の戦争の真実. 扶桑社BOOKS 
  9. ^ 昭和19年2月15日付 海軍辞令公報(部内限)第1324号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072095800 
  10. ^ 昭和19年11月8日付 秘海軍辞令公報 甲 第1638号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101800 
  11. ^ 拳骨拓史 (2015). 昭和の戦争の真実. 扶桑社BOOKS 

参考文献

[編集]
  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争続篇』光人社、1984年 ISBN 4-7698-0231-5
  • 新延明、佐藤仁志『消えた潜水艦イ52』日本放送出版協会、1997年、ISBN 4-14-080307-X

関連項目

[編集]