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天上天下唯我独尊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
唯我独尊から転送)
七歩を歩む釈迦。左端に摩耶夫人が、中央右に執金剛神が彫られている。

天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん[1][2][3][4]、または、てんじょうでんがゆいがどくそん)とは、釈迦が誕生した時に言ったとされる言葉。意味は諸説ある。

釈迦は摩耶夫人の右脇から生まれた[5]とされるが、その直後に七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」と言った、という逸話から出てきたものである。しばしば釈迦を崇める言葉として使われる。

古い仏典には「天上天下唯我為尊」との表記が見られる[6]

形成過程

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元来、「天上天下唯我為尊」あるいは「天上天下唯我独尊」は、釈迦が言ったのではない。『長阿含経』では釈迦以前に出世したといわれる過去七仏の第1仏である毘婆尸仏(びばしぶつ)が誕生した際に言った[7]とされる。

しかしそれが、釈迦が生まれた際に、他の人々がそのように讃嘆したという説が生じて[要出典]、のちに釈迦自身が誕生直後に自ら言ったと信じられるようになったものである[8]

釈迦の誕生を伝える漢訳仏典には、『佛本行集経』卷八・樹下誕生品下、『佛説太子瑞應本起経』卷上など様々あるが、代表的な『修行本起経』卷上・菩薩降身品第二には、

天上天下唯我為尊 三界皆苦吾当安之

欲界・色界・無色界の三界の迷界にある衆生はすべてに悩んでいる。私はこの苦の衆生を安んずるために誕生したのだから、尊いとしている(利他)。

大唐西域記』(646年成立)の中に記載されている、釈迦の誕生当時を伝える誕生偈と呼ばれる偈文には、

天上天下 唯吾獨尊
今茲而往 生分已盡
[9]

という一節が記されている。 これを訳すと

世界の中で我のみが尊い。
今ここに生まれてきたが再び生きることはない。

つまり釈迦がこの世で解脱するから「唯我独尊」としている。

残存するパーリ仏典も『大唐西域記』と同じように釈迦自身の解脱という点で尊いとしている[要出典]。この利他の面で尊いとするのか、解脱という利自の面で尊いとするのかに、時代による釈迦観の違いが現れている。

意味

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伝統的には「この世で自分こそが尊い」と解釈されるが、「この世のすべてが尊い」とする解釈もある[10]。後者の解釈は、仏教学者中村元や、浄土宗真宗大谷派浄土真宗本願寺派などの出版物が提示している[10]。同様の解釈は前近代からあったが、広まったのは近代からとされる[11]

天台宗尼僧の露の団姫は、「この広い世界のなかで、私たち人間にしかできない尊い使命がある」と解釈している[12]

日本語の慣用句としての「唯我独尊」は、「この世で自分ほど偉いものは居ない」といううぬぼれの意味で用いられる[13]

関連項目

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脚注

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  1. ^ 天にちあ、やおらあり、たつやおま、用語 | 読むページ | 大谷大学
  2. ^ 禅語「天上天下唯我独尊」: 臨済・黄檗 禅の公式サイト
  3. ^ 禅語に親しむ 平成26年度: 天上天下唯我独尊(著・木村文輝)
  4. ^ コトバンク:故事成語を知る辞典 「天上天下唯我独尊」の解説
  5. ^ 「致令摩耶國大夫人立地之時。童子自然從右脇出。國大夫人胸脇腰身不破不缺。」(『仏本行集経』)など
  6. ^ 門川徹眞「佛傳における誕生偈の形成過程」『印度學佛教學研究』第15巻第2号、日本印度学仏教学会、1967年、614-615頁、doi:10.4259/ibk.15.614ISSN 0019-4344NAID 130003828683 
  7. ^ 毗婆屍菩薩當其生時。從右脅出。專念不亂。從右脅出。墮地行七步。無人扶侍。遍觀四方。舉手而言。天上天下唯我為尊ウィキソース出典 長阿含經 (中国語), 長阿含經/卷一, ウィキソースより閲覧。 」(『長阿含経』)など
  8. ^ 「到四月八日夜明星出時。化從右脇生墮地。即行七歩。擧右手住而言。天上天下。唯我爲尊。」(『仏説太子瑞応本起経』)などにおいては、明らかに釈迦の誕生譚となっている。
  9. ^ ウィキソース出典 玄奘 (中国語), 大唐西域記/06, ウィキソースより閲覧。 )
  10. ^ a b 清水俊史『ブッダという男 初期仏典を読みとく』筑摩書房〈ちくま新書〉、2023年。ISBN 978-4480075949 161頁。
  11. ^ 西義人「近代における「天上天下唯我独尊」の説示(発表要旨)日本仏教学会、2018年
  12. ^ 「人生が100倍オモシロくなる仏の教え」露の団姫
  13. ^ 新明解四字熟語辞典(三省堂)