土井宏二
どい こうじ 土井 宏二 | |
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生誕 |
1913年9月19日[1] 日本 愛知県[1] |
死没 | 1993年10月5日(80歳没)[2] |
出身校 | 慶應義塾大学法学部[1] |
職業 | |
肩書き |
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土井 宏二(どい こうじ、1913年9月19日[1] - 1993年10月5日[2])は、日本の実業家、馬主。
経歴・人物[編集]
1913年、愛知県出身[1]。1939年に慶應義塾大学法学部を卒業後、日本製鋼所を経て1941年に中央製作所庶務課長に就任[1]。1944年に土井航空機工業を設立したのち翌年に土井産業に改称[1]。1954年に土井商事を設立[1]。1993年に死去[2]。80歳没。
馬主活動[編集]
日本中央競馬会(JRA)に登録した馬主としても知られた。勝負服の柄は水色、袖赤三本輪、冠名には「ヤマニン」を用いた。没後は親族の土井肇がヤマニンゼファーなどの所有馬と服色を引き継いだ[注釈 1]。
後述する土井家の馬主のほか、土井商事としても競走馬を所有し、所有馬には1994年の阪神3歳牝馬ステークスなどを制したヤマニンパラダイスや、種牡馬として活躍したヤマニンスキーがいた。さらに、土井の経営する会社の株主や取締役などに名を連ねていた杉浦宗一郎、川田武、小林信夫、橋本長政ら[4]も馬主であった。特に川田は1964年の京阪杯を制したヤマニンルビーに1986年の中京記念を制したシャイニングルビー、中央競馬で99戦したヤマニンバリメラなどを、小林は1967年の優駿牝馬などを制したヤマピット、1978年のセントウルステークスを制したヤマニンミノルなどを所有していた。
主な所有馬[編集]
八大競走・GI級競走優勝馬[編集]
- ヤマニン(1958年宝塚杯)
- ヤマニンモアー(1960年京都特別、阪神大賞典、1961年天皇賞・春、金杯)
- ヤマニンウエーブ(1972年天皇賞・秋、京都記念・秋)
- ヤマニンゼファー(1992年安田記念、1993年京王杯スプリングカップ、安田記念)
重賞競走優勝馬[編集]
- ヤマサカエ(1961年毎日杯)
- ヤマジョシイ(1962年愛知杯、京都大障害・秋)
- ヤマヒロ(1965年京阪杯)
- ヤマニンダイヤ(1967年中山大障害・秋)
- ヤマニンファバー(1976年阪急杯)
- ヤマニンゴロー(1978年高松宮杯)
- ヤマニンダンディー(1979年CBC賞)
- ヤマニンファルコン(1985年デイリー杯3歳ステークス)
- ヤマニンアーデン(1987年シンザン記念)
- ヤマニンアピール(1988年京都大障害・春、京都大障害・秋、中山大障害・秋、阪神障害ステークス・春)
- ヤマニングローバル(1989年デイリー杯3歳ステークス、1991年アルゼンチン共和国杯、1992年目黒記念)
- ヤマニンマリーン(1991年サンスポ賞4歳牝馬特別)
親族の所有馬[編集]
土井肇[編集]
勝負服の柄は宏二と同様。2023年現在所有馬がおり、馬主活動を継続している。
- GI級競走優勝馬
- ヤマニンゼファー[注釈 2](1993年天皇賞・秋)
- ヤマニンシュクル(2003年阪神ジュベナイルフィリーズ)
- ヤマニンアンプリメ(2019年クラスターカップ、JBCレディスクラシック、北海道スプリントカップ)
- 重賞競走優勝馬
- ヤマニンフォックス[注釈 3](1994年中日新聞杯)
- ヤマニンアクロ(1999年共同通信杯4歳ステークス)
- ヤマニンセラフィム(2002年京成杯)
- ヤマニンアラバスタ(2005年新潟記念、府中牝馬ステークス、2006年中山牝馬ステークス)
- ヤマニンキングリー(2008年中日新聞杯、2009年札幌記念、2011年シリウスステークス)
- ヤマニンメルベイユ(2008年クイーンステークス、中山牝馬ステークス)
- ヤマニンサルバム(2023年中日新聞杯、2024年新潟大賞典)
- その他の所有馬
- ヤマニングローバル[注釈 4]
土井薫[編集]
勝負服の柄は水色、赤二本輪、水色袖で、1987年に土井雄二より引き継ぐ。2021年3月にヤマニンラッセルの登録を抹消されたのを最後に所有馬がいなくなった。
- 重賞競走優勝馬
- ヤマニンミラクル(1991年京成杯3歳ステークス)
- ヤマニンシアトル(1991年愛知杯)
- ヤマニンアビリティ(1993年京成杯3歳ステークス)
- ヤマニンリスペクト(2002年函館記念)
- その他の所有馬
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 『人事興信録 第24版 下』(人事興信社、1968年)
- 『日本職員録 第14版 中』(人事興信所、1972年)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- ヤマニン倶楽部(関係者公認ファンサイト)