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基隆市 (日本統治時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
きいるんし
基隆市
基隆港周辺(1930年代)
基隆港周辺(1930年代)

基隆市章
1925年(大正14年)11月制定
廃止日 1945年10月25日
廃止理由 中華民国による台湾接収
基隆市基隆市台湾省省轄市
現在の自治体 中華民国の旗 中華民国 台湾省基隆市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 台湾
都道府県 台湾 台北州
面積 46.7624km2.
総人口 107,683
(1942年)
隣接自治体 基隆郡瑞芳街、万里庄、七堵庄
基隆市役所
所在地 台湾台北州基隆市日新町1丁目1番地
座標 北緯25度07分53.9秒 東経121度44分40.4秒 / 北緯25.131639度 東経121.744556度 / 25.131639; 121.744556座標: 北緯25度07分53.9秒 東経121度44分40.4秒 / 北緯25.131639度 東経121.744556度 / 25.131639; 121.744556
地図
ウィキプロジェクト

基隆市(きいるんし)は、日本統治時代の台湾に存在した台北州に属した。市域は現在の中華民国台湾省基隆市中山区中正区仁愛区信義区の全域、安楽区の大部分に相当する。

歴史

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基隆市管内地図(1926年)
基隆市街図(1933年)
町:寿町中国語版義重町中国語版日新町中国語版入船町中国語版幸町中国語版緑町中国語版曙町中国語版東町中国語版田寮町中国語版天神町中国語版双葉町中国語版玉田町中国語版元町中国語版福徳町中国語版高砂町中国語版旭町中国語版明治町中国語版宝町中国語版西町中国語版観音町中国語版大正町中国語版昭和町中国語版滝川町中国語版堀川町中国語版仙洞町中国語版真砂町中国語版浜町中国語版社寮町中国語版
大字:大水窟・八斗子・深澳坑・大武崙・大竿林・内木山・外木山・基隆嶼・花瓶嶼・棉花嶼・彭佳嶼[3][4]

歴代首長

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氏名 写真 在任期間
基隆市尹
1 佐藤得太郎 1924年12月23日 - 1928年9月18日
2 加藤守道 1928年9月18日 - 1931年6月1日
3 吉富保之 1931年6月1日 - 1932年4月21日
4 桑原政夫 1932年4月21日 - 1936年10月20日
5 川添修平 1936年10月20日 - 1937年9月29日
6 矢野謙三 1937年9月29日 - 1939年7月1日
7 横山竹男 1939年7月1日 - 1940年10月28日
基隆市長
1 横山竹男 1940年10月28日 - 1942年7月23日
2 竹中憲二 1942年7月23日 - 1945年7月27日
3 丸岡道夫 1945年7月27日 - 1945年10月25日

施設

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基隆港
基隆駅

教育

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基隆第一尋常小学校

中等教育

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初等教育

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小学校

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公学校

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観光

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基隆神社

ギャラリー

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 日治時期臺灣市街「町」名之探討—以臺灣總督府檔案相關資料為範圍” (中国語). 國史館臺灣文獻館. 國史館 (2024年4月10日). 2024年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月31日閲覧。
  2. ^ 『台湾総督府府報』府令第四十三号、1931年7月21日。
  3. ^ 《台湾総督府行政区域便覧》
  4. ^ 《新旧対照管轄便覧》
  5. ^ 漁港重生成網紅打卡景點!回顧基隆正濱漁港的前世今生” (中国語). 報時光 (2024年4月10日). 2024年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月31日閲覧。
  6. ^ 臺灣建制市的市轄區變遷” (中国語). 聯邦的誕生. 2024年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月31日閲覧。