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堤ツルヨ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堤ツルヨ
つつみ つるよ
生年月日 1913年2月15日
出生地 日本の旗 日本 滋賀県
没年月日 没年不明
出身校 京都府女子師範学校卒業
(現・京都教育大学
前職 小学校訓導
所属政党日本社会党→)
右派社会党→)
(日本社会党→)
民主社会党
配偶者 堤隆

選挙区 旧滋賀県全県区
当選回数 4回
在任期間 1949年1月23日 - 1955年1月24日
1958年5月22日 - 1960年10月24日
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堤 ツルヨ(つつみ ツルヨ、1913年大正2年)2月15日[1] - 没年不明)は、日本政治家。元民主社会党衆議院議員(4期)。

経歴

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滋賀県出身[2][注 1]1932年(昭和7年)京都府女子師範学校(後の京都教育大学)を卒業する[2]。小学校訓導を経て、堤隆と結婚、戦後の1946年の総選挙で夫の隆が滋賀県から日本社会党公認で立候補して当選、しかし、翌1947年(昭和22年)2月に死去[2]。同年4月の総選挙に夫の後継者として日本社会党公認で立候補したが落選。次の1949年の総選挙で初当選した[1]。以来、当選4回。1959年(昭和34年)に佐々木良作春日一幸らとともに社会党を離党し、「社会クラブ」を結成[3]、その後、民社クラブと合流し、民主社会クラブを経て[4]、翌1960年(昭和35年)1月、民主社会党に入るが[5]同年の総選挙で落選。その後は再び立候補しなかった。

この他全国未亡人連合会顧問、婦人問題研究会理事などを歴任した[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』399頁では「京都府」と記載。

出典

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  1. ^ a b c 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』399頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』86頁。
  3. ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』684頁。
  4. ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』687頁。
  5. ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』688頁。

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
  • 『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。