大島久直
生誕 |
1848年10月1日 出羽国(現在の秋田県) |
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死没 | 1928年9月27日(79歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1870年 - 1913年 |
最終階級 | 陸軍大将 |
指揮 |
軍事参議官 教育総監 近衛師団長 第3師団長 |
戦闘 |
戊辰戦争 西南戦争 日清戦争 日露戦争 |
大島 久直(おおしま ひさなお、1848年10月1日(嘉永元年9月5日) - 1928年(昭和3年)9月27日)は、明治・大正期の日本の陸軍軍人[1]。軍事参議官、教育総監、近衛師団長等を歴任し、官位は陸軍大将正二位勲一等功二級子爵に昇る。
経歴
[編集]久保田藩士で槍術師範・大島久徴の次男として生まれる。戊辰戦争に参戦後明治3年(1870年)4月、第3番大隊に配属され、明治4年(1871年)5月、陸軍中尉に初任。同11月大尉に進み翌年第7番大隊副官、1874年(明治7年)、歩兵第2連隊大隊長となり、少佐進級の後1875年(明治8年)12月、東京鎮台幕僚参謀副長に任ぜられる。1877年(明治10年)の西南戦争では別働第4旅団の歩兵第1連隊大隊長として従軍する。
戦後、東京鎮台参謀、総務局次長を経て1882年(明治15年)10月、東京衛戍司令官、1883年(明治16年)6月に歩兵第11連隊長に就き、1887年(明治20年)4月、陸軍大佐に進む。1889年(明治22年)4月、近衛歩兵第3連隊長、1890年(明治23年)6月、陸軍大学校長、1892年(明治25年)には陸軍少将に進級し歩兵第5旅団長に就任する。監軍部参謀長の後1893年(明治26年)11月、歩兵第6旅団長に移り、この時日清戦争に出征する。
戦後、台湾総督府参謀長兼陸軍局長官などを務める。1895年(明治28年)8月20日、日清戦争の戦功により男爵を授けられ華族に列せられる。また、同日功三級金鵄勲章を賜る。1896年(明治29年)4月、立見尚文の後を受け陸軍大学校長に就任し、同6月歩兵第12旅団長に移る。翌年4月には再び陸軍大学校長に就き1898年(明治31年)10月上田有沢に代わる。大島は陸軍中将に進級し新設の第9師団長に任ぜられる。1903年(明治36年)、勲一等瑞宝章受章。
1904年(明治37年)の日露戦争では乃木希典大将の指揮する第3軍に属し旅順攻略戦・奉天会戦に参加した。1906年(明治39年)4月、功により勲一等旭日大綬章・功二級金鵄勲章を受章する。同5月に陸軍大将に進み7月、近衛師団長に移る。1907年(明治40年)9月、子爵に陞爵し、1908年(明治41年)、陸軍三長官の一つ教育総監に就任する。1911年(明治44年)の軍事参議官を経て、1913年(大正2年)9月5日、後備役に編入となり[2]、1918年(大正7年)4月1日に退役した[3]。1928年(昭和3年)9月27日薨去。享年81歳。同日付けで勲一等旭日桐花大綬章を賜る。墓所はかつて秋田藩下屋敷があった付近の田端の与楽寺。
栄典
[編集]- 位階
- 1874年(明治7年)3月8日 - 正七位[4]
- 1875年(明治8年)2月24日 - 従六位[4]
- 1881年(明治14年)3月25日 - 正六位[4]
- 1889年(明治22年)7月15日 - 従六位[4]
- 1892年(明治25年)3月29日 - 正五位[4]
- 1897年(明治30年)5月31日 - 従四位[4][5]
- 1902年(明治35年)8月20日 - 正四位[4][6]
- 1905年(明治38年)8月26日 - 従三位[4][7]
- 1908年(明治41年)9月30日 - 正三位[4][8]
- 1913年(大正2年)10月10日 - 従二位[9]
- 1924年(大正13年)10月15日 - 正二位[10]
- 勲章等
- 1885年(明治18年)11月19日 - 勲三等旭日中綬章[11]
- 1895年(明治28年)8月20日 - 男爵・功三級金鵄勲章・旭日重光章[12]
- 1895年(明治28年)
- 1903年(明治36年)5月16日 - 勲一等瑞宝章[15]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功二級金鵄勲章・旭日大綬章・明治三十七八年従軍記章[16]
- 1907年(明治40年)9月21日 - 子爵[17]
- 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章[18]
親族
[編集]- 嗣子 大島久忠(陸士23期、陸軍大佐)- 妻の千代子は長崎省吾の三女[19]。
- 男 大島佐
- 七男 大島卓 (陸士31期、陸軍大佐、妻は貴族院議員 井芹典太孫)
- 兄 大島久誠(陸軍大尉。1897年9月6日卒去。墓石は真田山陸軍墓地にあり。文字は松邨乾堂の書。)
邸宅
[編集]1910年(明治43年)11月に大島が建てた邸宅は1912年(明治45年)3月財団法人上智学院に売却され後に校舎となるが、1976年(昭和51年)7月解体された。
脚注
[編集]- ^ 朝日日本歴史人物事典「大島久直」
- ^ 『官報』第333号、大正2年9月6日。
- ^ 『官報』第1702号、大正7年4月9日。
- ^ a b c d e f g h i 「陸軍大将子爵大島久直特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A12090166600
- ^ 『官報』第4172号「叙任及辞令」1897年6月1日。
- ^ 『官報』第5740号「叙任及辞令」1902年8月21日。
- ^ 『官報』第6650号「叙任及辞令」1905年8月29日。
- ^ 『官報』第7581号「叙任及辞令」1908年10月1日。
- ^ 『官報』第362号「叙任及辞令」1913年10月11日。
- ^ 『官報』第3646号「叙任及辞令」1924年10月16日。
- ^ 『官報』第736号「賞勲叙任」1885年12月12日。
- ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
- ^ 『官報』第3578号「叙任及辞令」1895年6月5日。
- ^ 『官報』第4022号・付録「辞令」1896年11月24日。
- ^ 『官報』第5960号「叙任及辞令」1903年5月18日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
- ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 長崎省吾『人事興信録』第11版(昭和12年) 下
参考文献
[編集]- 上法快男 編『陸軍大学校』芙蓉書房出版、1989年。国立国会図書館書誌ID:000002006515。
- 海野福寿『日清・日露戦争』集英社〈日本の歴史 : 集英社版 18〉、1992年。国立国会図書館書誌ID:000002217163。
- 渡部由輝『東北人初の陸軍大将大島久直』芙蓉書房出版、2019年。国立国会図書館書誌ID:029609191。
軍職 | ||
---|---|---|
先代 西寛二郎 |
教育総監 第5代:1908年 - 1911年 |
次代 浅田信興 |
日本の爵位 | ||
先代 陞爵 |
子爵 大島(久直)家初代 1907年 - 1928年 |
次代 大島久忠 |
先代 叙爵 |
男爵 大島(久直)家初代 1895年 - 1907年 |
次代 陞爵 |