大滝伝十郎
大滝 伝十郎(旧字体:大瀧 傳十郞、おおたき でんじゅうろう、1861年8月1日(文久元年6月25日[1])- 1944年(昭和19年)11月15日[2])は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、新潟県会議長。長男の岳母は衆議院議員 牧口義矩姉。四男は衆議院議員 丸山豊治郎 弟笠原謙治郞養子。
経歴
[編集]越後国頸城郡梶村(新潟県[2]中頸城郡梶村、旭村[3]、吉川町梶[4]を経て現上越市吉川区梶)で、素封家・大滝甚十郎の二男として生まれた[1]。儒者に師事して漢学を修めた[2][3][5]。1883年(明治16年)12月、家督を相続した[1]。
1886年(明治19年)梶村外23カ村戸長に就任[2][5]。1889年(明治22年)町村制施行により旭村会議員に就任した[5]。同年7月、新潟県会議員に選出され常置委員となる[2][3][5]。1892年(明治25年)11月、稲岡嘉七郎県会議長らの収賄事件により第11代県会議長に就任した[2][3][5]。
1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(新潟県第8区)で初当選し[5][6]、次の第6回総選挙でも再選され[5][6]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3][4][7]。
実業界などでは、1898年、高田市成資銀行頭取に就任[1][5]。その他、高田株式取引所理事長、高田貯蓄銀行頭取、旭村農会長、新潟県農工銀行監査役、同取締役、旭村地主会長、中頸城郡及高田市地主会副会長、地方森林会議員、六十三銀行取締役、旭信用組合理事組合長、新潟県農会特別議員、旭村耕地整理組合長、八十二銀行監査役、県農政協会長、県耕地協会副会長、新潟県山林会副会長などを務めた[1][2][4][5][7]。
国政選挙歴
[編集]- 第3回衆議院議員総選挙(新潟県第8区、1894年3月、自由党)落選[8]
- 第4回衆議院議員総選挙(新潟県第8区、1894年9月、自由党)落選[6]
- 第5回衆議院議員総選挙(新潟県第8区、1898年3月、自由党)当選[6]
- 第6回衆議院議員総選挙(新潟県第8区、1898年8月、憲政党)当選[6]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 金子信尚『新潟県人名辞書』新潟県人名辞書編纂事務所、1941年。
- 牧野利平編『越佐人物誌 上巻』野島出版、1972年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。