山口権三郎
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山口 権三郎(やまぐち ごんざぶろう、1838年7月29日(天保9年6月9日) - 1902年(明治35年)10月12日[1])は、日本の政治家、実業家である。
来歴・人物
[編集]越後国刈羽郡横沢村(現在の新潟県長岡市)で大庄屋格の家柄の長男として生まれる[2]。1848年に庄屋見習役が拝命され、1851年に庄屋に昇格し、1855年に庄屋格に昇格し、同時に帯刀も許された[2]。1879年に新潟県会議員に当選し、1880年と1889年に県会議長を務めた[2]。1893年に日本石油の設立に参画[2]。1894年に欧米を視察し、翌年に第一回衆議院選挙に立候補した[2]。第四国立銀行、新潟鉄工所、北越鉄道、長岡銀行などの設立にも携わり、新潟県における事業の振興に貢献した[2]。