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大韓帝国年表

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大韓帝国年表は、李氏朝鮮の国号変更によって1897年に成立した大韓帝国に関する年表である。

19世紀

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1894年光緒19年・高宗31年、明治27年)

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1895年(光緒20年・高宗32年、明治28年)

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1896年建陽元年、明治29年)

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  • 1月1日:太陽暦を採用.建陽の元号を使用.
  • 1月31日:儒生李弼熙の檄文.乙未義兵(-10月).
  • 2月11日:高宗と世子(のちの純宗)が宮女用のかごに乗り、ロシア公使館へに逃げ込む(露館播遷).金弘集ら殺害され、親露派内閣が成立.
  • 2月18日:仁川で4000余名の暴徒が蜂起し官衙官宅を毀壊.
  • 2月22日:内閣更新.李範晋が法部大臣兼警務使となり大院君派の粛清を開始.
  • 3月16日:大院君一派の人々、漢城府観察使金経夏、呂圭亨等従犯等数十名を逮捕.
  • 3月27日:アメリカ、雲山の金鉱採掘権、漢城電灯電話電車の敷設権取得.
  • 4月7日:徐載弼独立新聞」発行.
  • 4月22日:ロシア、慶源鍾城両処の鉱山採掘権を取得.
  • 5月14日:小村・ウェーバー協定
  • 6月3日:露清密約(李鴻章・ロバノフ協定).
  • 6月9日:山縣・ロバノフ協定
  • 6月12日:ロシア、月尾島西南地段の租借契約を取得.
  • 7月:フランス、京義線敷設権を取得.
  • 7月:徐載弼尹致昊らが独立協会結成.
  • 8月4日:地方制度改正(13道制).
  • 8月20日:レムネフなど機械厰でのロシア技士雇用契約.
  • 9月:ロシア、豆満江上流地域・鴨緑江上流地域・鬱陵島茂山の森林伐採権を取得.
  • 9月24日:内閣を廃し、議政府を復す.
  • 10月25日:ロシア人軍事教官プチャータ大佐一行来韓.
  • 11月21日:漢城で独立門起工式(97年11月11日竣工).旧臣ら、高宗に還宮請願計画(未遂).
  • 12月:「大朝鮮独立協会会報」発刊.

1897年(建陽2年・光武元年、明治30年)

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  • 1月:ロシア人ビルコフをロシア語教師として雇用.
  • 2月13日:機械厰でのロシア技士雇用契約(雇用期間3年).
  • 2月20日:高宗、独立協会の要求により、慶運宮に還宮(露館播遷の終わり).
  • 8月16日:光武に改元.
  • 8月29日:独立協会、第1回討論会を開く.
  • 10月6日:ロシア公使アレクセイ・ニコラビッチ・シュペイエルが、度支顧問を自国人にする要求書を提出(度支顧問事件).
  • 10月11日:高宗、国号を「大韓」に改める
  • 10月12日:高宗、皇帝に即位.
  • 10月25日:露韓合同条約.ロシア人アレクセーエフを財政顧問に任命.
  • 12月27日:イギリスの派遣した東洋艦隊が仁川に到着、ブラウンは度支衛門の最高顧問を留任.

1898年(光武2年、明治31年)

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  • 1月21日:ロシア軍艦が絶影島に入港し、韓国内の日本人所有地に貯炭庫を設置しようとする(絶影島問題).
  • 2月:ロシアが漢城に露韓銀行を設立.
  • 2月-3月:独立協会、反露闘争を起こす.
  • 2月21日:独立協会が救国宣言上疏(救国運動宣言)を行う.
  • 3月7日:金鴻陸謀殺未遂事件.
  • 3月11日:韓国政府、ロシア人軍事教官・財政顧問を継続雇用しないことを決定.
  • 3月27日:旅順・大連租借に関する露清条約.
  • 4月25日:西・ローゼン協定
  • 4月28日:米西戦争起こる.
  • 7月:高宗譲位計画事件
  • 7月6日:量地衙門設置(1999年7月、量田事業開始).
  • 9月5日:「皇城新聞」創刊.
  • 9月11日:毒茶事件
  • 10月15日:独立協会、政府に中枢院改編を要求.
  • 10月28日:独立協会、官民共同会を開催(-11月2日).
  • 11月2日:中枢院官制改正.議官の半数を独立協会から選出することとなる.
  • 11月4日:匿名書事件李商在ら独立協会幹部を逮捕.
  • 11月5日:独立協会、万民共同会を開き、弾圧抗議・改革実施要求の運動.
  • 11月26日:独立協会、皇帝親諭による解散命令.
  • 12月16日:中枢院会議、大臣とすべき人材を選出.
  • 12月23日:軍隊が出動し、万民共同会を解散させる.
  • 12月25日:民会禁圧令.

1899年(光武3年、明治32年)

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1900年(光武4年、明治33年)

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20世紀

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1901年(光武5年、明治34年)

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1902年(光武6年、明治35年)

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1903年(光武7年、明治36年)

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  • 1月18日:清国が義和団の乱の賠償金支払い不能を宣言.
  • 3月24日:中央銀行条例公布.
  • 5月:龍岩浦事件.ロシア、鴨緑江を越境して韓国領土内に進出し、軍事拠点をつくる.
  • 5月20日:ロシア、満洲還付条約を破棄.
  • 6月23日:御前会議満韓交換を軸とする対露策を策定.
  • 7月20日:龍岩浦租借条約
  • 8月12日:栗野慎一郎駐露公使、ウラジーミル・ラムスドルフ露外相に日本案(日露協商基礎条項)を伝達.
  • 8月12日:ロシア、黒竜江省関東州を管轄する極東総督府を旅順に設置(総督はアレクセーエフ提督).
  • 8月:駐日公使高永喜、戦時局外中立の承認を求める高宗密書を小村外相に手交.高宗、中立承認を各国に打診.
  • 8月29日:セルゲイ・ヴィッテ、満韓武力推進派に敗れ失脚.
  • 9月:「皇城新聞」に「満韓交換の風説を破る」掲載.
  • 9月30日:小村・ローゼン会談開始.
  • 10月3日:ロシア、北緯39度線以北の韓国の中立化・非軍事化を提議.
  • 10月4日:日清追加通商航海条約
  • 10月8日:ロシアが第三次満洲撤兵条約を反故にして奉天省城を占領.
  • 10月30日:日本、満韓境界南北50kmの中立地帯設置を提議.
  • 12月:日本の閣議、日露開戦時の対清韓方針決定.
  • 12月4日:ロシア軍艦が仁川に集結.
  • 12月26日:ロシア極東全軍に動員令出される.

1904年(光武8年、明治37年)

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1905年(光武9年、明治38年)

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  • 1月3日:旅順開城、駐箚軍司令官漢城地区の治安警察権を掌握.
  • 1月5日:乃木希典ステッセルと水師営で会見.
  • 1月:日本貨幣の韓国内流通公認.第一銀行、韓国政府と国庫金取り扱い、貨幣整理事業委託契約(中央銀行化).
  • 1月:駐箚軍漢城地区の治安警察権を掌握.
  • 1月28日:竹島島根県に編入することを閣議決定
  • 2月3日:丸山重俊を警務顧問に招聘.
  • 2月22日:竹島編入の島根県告示.
  • 3月10日:奉天会戦で日本軍勝利.
  • 4月1日:日韓通信機関協定調印.
  • 4月:駐箚軍全州地区の治安警察権を掌握.
  • 4月8日:日本政府、「韓国保護権確立の件」を閣議決定.
  • 5月25日:京釜鉄道開通式.
  • 5月:イギリス外相、日英攻守同盟を提案.
  • 5月27日:日本海海戦
  • 6月9日:アメリカ大統領、日露両国に講和勧告.両国政府承諾.
  • 7月1日:貨幣整理開始.
  • 7月18日:『大韓毎日申報』創刊
  • 7月29日:桂・タフト協定成立.
  • 8月10日:日露講和会議交渉始まる.
  • 8月12日:第二次日英同盟成立.
  • 9月5日:ポーツマス条約調印.日比谷焼討事件
  • 9月:小村全権、韓国保護化につきアメリカ大統領の了解をうる.
  • 10月:朴斉純外相、新日英同盟への条約違反を駐韓日英公使に抗議.
  • 10月12日:桂・ハリマン覚書交換.
  • 11月15日:伊藤博文、高宗に保護国承認を強要.
  • 11月17日:第二次日韓協約調印.
  • 11月:保護国化に対し義兵闘争起こる.ホーマー・ハルバート、高宗のアメリカ大統領あて親書をたずさえアメリカ国務長官に調停依頼.
  • 12月21日:日本、統監府及理事庁官制公布(初代統監伊藤博文).
  • 12月22日:満洲善後条約

1906年(光武10年、明治39年)

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  • 1月:高宗、イギリス人ストーリー記者を通じて国書を列国に送付し、共同保護を要望.
  • 2月1日:韓国統監府設置.
  • 3月:興業借款1000万円供与.
  • 3月21日:農工銀行条例公布.
  • 4月3日:京義鉄道全通.
  • 4月4日:大韓自強会創立.
  • 5月19日:閔宗植義兵洪州を占領(30日陥落).
  • 6月:崔益鉉泰仁で挙兵.
  • 6月:梅謙次郎、韓国政府法律顧問となる(法典編纂).
  • 8月:関東都督府官制公布.三土忠造、韓国政府学部参与官となる(教科書編纂).
  • 9月24日:管税官官制公布(税務監・税務官・税務主事を置く).
  • 9月:日本人参与官を朝鮮各地に配置.
  • 10月:鴨緑江豆満江森林経営に関する共同約款調印.
  • 10月:内田良平、一進会顧問となる.
  • 10月26日:土地家屋証明規則公布(12月1日施行).
  • 11月26日:南満洲鉄道会社設立.
  • 12月:ロシア外相、日露協商を示唆.

1907年(光武11年・隆煕元年、明治40年)

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  • 1月:国債報償運動起こる.
  • 1月1日:崔益鉉、対馬で獄死.
  • 3月2日:伊藤博文統監、韓国に赴任.
  • 4月:新民会結成.
  • 5月:李完用内閣成立.
  • 6月10日:日仏協約調印、韓国・インドシナに勢力分界を設定.
  • 6月14日:議政府を内閣に改編.
  • 6月25日:李相卨英語版ハーグに到着.ハーグ密使事件
  • 7月:高宗からの各国元首あて親書を携えたハルバートがニューヨークに到着.日本の閣議、韓帝譲位などの方針決定.
  • 7月20日:日本の圧力で高宗退位.純宗が即位.
  • 7月24日:第三次日韓協約調印.新聞紙法公布.
  • 7月27日:保安法公布.
  • 7月30日:第一次日露協約調印.
  • 8月:純宗即位式.
  • 8月1日:韓国軍解散.解散に反対して原州江華島の部隊が反対して蜂起(丁未義兵闘争).
  • 8月2日:隆煕に改元.
  • 8月9日:日本人次官を任命(次官政治始まる).
  • 8月:間島に統監府出張所を開設(清国、撤去を要求).
  • 10月:警察事務執行に関する取極書調印(警察合併).
  • 11月17日:大韓協会創立.
  • 11月:純宗、昌徳宮へ遷る.
  • 12月:李麟栄らの義兵が楊州に1万人集結.

1908年(隆煕2年、明治41年)

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1909年(隆煕3年、明治42年)

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1910年(隆煕4年、明治43年)

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  • 2月:小村外相、在外使臣に韓国併合方針を伝え、各国の反応を打診.
  • 3月26日:安重根、旅順で処刑.
  • 5月30日:寺内正毅陸相、韓国統監を兼任(7月23日着任).
  • 6月3日:「併合後の韓国に対する施政方針」を閣議決定.
  • 6月24日:韓国警察事務委託に関する日韓覚書調印.
  • 7月1日:憲兵警察制度発足.
  • 7月4日:第二次日露協約調印.
  • 7月:日本の閣議、併合条約案等を決定.
  • 8月:日本政府、イギリスに対し、併合後の対韓貿易における関税据え置きを表明.
  • 8月16日:寺内統監、李完用首相に併合に関する覚書を手交.
  • 8月18日:韓国閣議で併合条約調印を了承.
  • 8月22日枢密院会議で併合条約案を可決.韓国併合に関する条約(日韓併合条約)調印
  • 8月23日:土地調査法公布.
  • 8月29日併合条約公布(即日施行).韓国併合に関する宣言発表.韓国を「朝鮮」と改称.
  • 9月12日:大韓協会・一進会などが解散させられる.
  • 9月30日:朝鮮総督府官制公布.
  • 11月:喜田貞吉『韓国の併合と国史』刊行.

参考文献

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  • 海野福寿『韓国併合』岩波書店〈岩波新書〉、1995年5月。ISBN 4-00-430388-5 
  • 武田幸男(編著)『朝鮮史』山川出版社〈新版 世界各国史〉、2000年8月。ISBN 4634413205 

関連項目

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