韓国の歴史年表
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大韓民国の歴史年表(だいかんみんこくのれきしねんぴょう)、または、韓国の歴史年表(かんこくのれきしねんぴょう)。
大韓民国臨時政府期(非独立)
[編集]連合軍軍政期(非独立)
[編集]→詳細は「連合軍軍政期 (朝鮮史)」を参照
第一共和国期
[編集]- 1948年
- 1949年
- 1950年
- 1951年
- 1952年
- 1月8日 - 李承晩ラインの宣言
- 2月4日 - 第一大邦丸事件
- 4月25日 - 基礎自治体である市・邑・面の議会議員選挙、翌月の5月10日には道議会の議員選挙が行われた。→1952年韓国地方議会選挙[1]
- 5月25日 - 政府は「共産ゲリラの掃討」を名目に、釜山と周辺地域23郡に非常戒厳令を布告、翌26日に野党系の国会議員多数がスパイ容疑で憲兵隊に連行され、恫喝される(釜山政治波動)。
- 7月4日 - 大統領を国会議員による間接選挙制から、国民からの直接選挙で選出する直選制に変更するための憲法改正案が可決される(抜粋改憲)。
- 8月5日 - 大統領選挙、直接選挙制によって実施された選挙で李承晩大統領が2回目の当選を果たす。
- 1953年7月27日 - 朝鮮戦争休戦協定締結。北朝鮮との軍事境界線(DMZ)確定。
- 1954年
- 1955年
- 1956年
- 5月5日 - 民主党の大統領候補、申翼熙が遊説移動中の列車内で急死。
- 5月15日 - 大統領選挙、李承晩(自由党)が大統領に3度目の当選を果たす。同時に行なわれた副大統領選では、張勉(民主党)が当選。
- 8月8日 - 市・邑・面の首長と基礎議会の議員選挙。8月13日にはソウル特別市市議会と道議会の議員選挙が行われた。ソウルや釜山、大邱などの都市部では野党民主党が圧勝したが、全般的には与党自由党が過半数を占める結果となった。→1956年韓国地方選挙
- 9月28日 - 5月の大統領選挙で当選した張勉副大統領(民主党)が、狙撃を受ける(張勉副大統領暗殺未遂事件)。
- 11月10日 - 曺奉岩を中心とする進歩主義勢力が結集した進歩党が結成される。
- 1958年
- 1959年
- 1960年
第二共和国期
[編集]- 1960年
- 1961年
- 5月16日 - 5・16軍事クーデター。
国家再建最高会議
[編集]第三共和国期
[編集]- 1963年
- 12月16日 - 国家再建最高会議解散
- 12月17日 - 第三共和国憲法発効、第6代国会の召集、朴正熙大統領の就任宣誓式挙行。第三共和国体制のスタート。
- 1964年
- 1965年6月22日 - 日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)締結
- 1966年
- 1967年
- 1968年
- 1969年
- 1月7日 - 尹致暎共和党議長代理、大統領の3選出馬を可能とする為の憲法改正、所謂「3選改憲」を検討することを表明。同日、野党新民党の金泳三院内総務は「いかなる改憲にも反対する」する旨の声明を発表。
- 4月7日 - 権五柄文教部長官に対する野党提出の不信任案が、与党共和党の一部議員の造反で可決(4・8抗命事件)。現職閣僚の不信任動議が可決されたのは史上2番目。
- 4月15日 - 共和党、4・8抗命事件を主導したと断定した議員5名を除名。
- 7月25日 - 朴正熙大統領、大統領3選出馬の意志を表明(7・25談話)。
- 7月29日 - 与党民主共和党、議員総会を開催。全員一致で朴大統領(同党総裁)の3選出馬意思表明を支持すると共に、改憲案の早期処理を決定。
- 9月14日 - 憲法改正案、与党議員のみで強行可決。野党議員が本会議場を占拠する中、国会別館に集結し与党議員のみで改憲案を可決。
- 10月17日 - 憲法改正国民投票。6割以上の賛成多数で改正案は承認。
- 10月21日 - 改正憲法公布
- 12月10日 - 大韓航空機YS-11ハイジャック事件
- 1970年
- 1月7日 - 兪鎮午新民党総裁、病気を理由に辞意表明。
- 1月26日 - 新民党の臨時党大会で、辞意表明した兪鎮午の後継総裁に、柳珍山副総裁を選出。
- 4月8日 - 臥牛アパート崩壊、27名圧死、3~4名行方不明
- 5月1日 - 李王朝最後の皇太子である李垠が死去
- 4月22日 - セマウル運動
- 6月2日 - 「五賊」筆禍事件、金芝河ら拘束
- 7月1日 - 郵便番号制実施
- 7月7日 - 京釜高速道路大田IC-東大邱IC開通。(これをもって全線開通)
- 8月15日 - 朴正熙大統領、光復節の演説で初めて北朝鮮政権の存在を認める。同時に北朝鮮の対韓武力行使と戦争挑発行為の即時放棄を前提に、南北間の人為的障害を除去する方策を採る用意があることを表明(8・15宣言)。
- 9月29日 - 新民党、翌年の大統領選挙における同党候補として金大中候補を選出。
- 10月15日 - 金大中、新民党大統領候補指名後初の記者会見で當選後の政策目標を発表。
- 11月13日 - 平和市場の被服工場に裁断士として勤務していた全泰壱が同工場における劣悪な労働条件に抗議して焼身自殺
- 12月30日 - 湖南高速道路懐徳JCT-全州IC開通
- 1971年
- 3月19日 - 釜山広域市古里で国内初の原子力発電所起工
- 3月31日 - ソウル~釜山間に長距離自動電話が開通。
- 4月27日 - 大統領選挙。朴正煕、金大中を破り大統領三選。
- 5月25日 - 第8代総選挙で野党新民党躍進。
- 7月8日 - 公州武寧王陵発掘。
- 8月10日 - 広州大団地暴動
- 8月23日 - 実尾島事件
- 10月2日 - 10・2抗命波動
- 10月15日 - 政府、衛戍令[3] を発動(11月9日に解除)。武装軍人を延世大学校、高麗大学校に出動。またソウル大学校や高麗、延世など8大学に無期休校令を布告。
- 11月8日 - 米の消費節約に関する行政命令施行。全国の飲食店に対し、主食への雑穀20%以上混入と、毎週水曜と土曜には粉食のみの販売を義務づける。違反した店に対しては営業停止処分、場合によっては営業許可の取り消しの処分。
- 12月6日 - 朴正熙大統領、「北朝鮮による南侵の脅威」を理由として「国家非常事態宣言」を布告。同月22日、与党共和党は大統領に非常大権を与えることを内容とした「国家安全保障に関する特別措置法」を国会に提出、単独で強行成立させた。
- 1972年
第四共和国期(維新体制)
[編集]- 1972年
- 1973年
- 1974年
- 4月3日 - 民青学連事件
- 4月28日 - 新民党柳珍山総裁が病死
- 8月15日
- 文世光事件(陸英修大統領夫人暗殺)
- ソウル市地下鉄開通(ソウル駅~清凉里駅、現・ソウル交通公社1号線)
- 8月19日 - 陸英修の国民葬。日本からは田中角栄総理が参列。
- 8月23日 - 新民党、臨時党大会を開催。新総裁に金泳三を選出。
- 10月24日 - 東亜日報の記者約180名が社内で集会を開き、「自由言論実践宣言」を採択。東亜放送、韓国日報、朝鮮日報、中央日報でも記者らによる集会が行われ、言論の自由を求める決議を採択した。
- 11月22日 - フォード大統領が訪韓、朴正熙大統領と会談し、共同声明を発表。翌23日に離韓。
- 11月27日 - 民主回復国民会議発足。
- 1975年
- 2月12日 - 維新憲法の是非を問う国民投票実施(→大韓民国の国民投票 (1975年))。維新体制支持が多数を占めた。
- 3月17日 - 東亜日報、12日より言論の自由や解職記者の復職を求めて新聞製作を拒否し籠城していた同紙記者ら約150名を強制排除、新聞発行を正常化。
- 4月9日 - 人民革命党再建委員会事件
- 5月13日 - 大統領緊急措置第9号布告、反政府活動全面禁止
- 9月1日 - 新国会議事堂竣工
- 9月22日 - 民防衛隊発足式
- 1976年
- 1977年
- 1978年
- 1979年
- 2月10日 - カーター米大統領、在韓米軍撤退中止を発表
- 5月30日 - 新民党定期党大会で、総裁に対政府強硬派の金泳三を選出。
- 6月29日 - カーター米大統領来韓
- 8月11日 - 警察機動隊が新民党本部に籠城していたYH貿易の女子工員150名余りを強制排除。その際に女子工員や党職員と殴り合いになり、女子工員一名が死亡(→YH事件)。新民党は強制排除に対し、強く抗議。
- 10月4日 - 国会、新民党総裁・金泳三除名(金泳三総裁議員職除名波動)
- 10月16日 - 釜山で反政府デモ、馬山などに拡大(釜馬民主抗争)
- 10月26日 - 朴正熙大統領、金載圭中央情報部長に射殺される(10・26事件)
- 10月27日 - 済州道を除く全土に非常戒厳令
- 11月3日 - 朴正熙大統領の国葬挙行。
- 11月24日 - ソウル市明洞のYWCA講堂に在野人士が結婚式を名目に結集、統一主体国民会議による大統領選出に反対する「統一主体国民会議による暫定大統領選出阻止国民大会」を開催(YMCA偽装結婚式事件)。
- 12月6日 - 統一主体国民会議、崔圭夏を大統領に選出
- 12月12日 - 大統領緊急措置令第9号、政治犯を釈放
- 12月12日 - 粛軍クーデター、全斗煥保安司令官など新軍部が、韓国軍の実権を掌握。
- 1980年
- 2月29日 - 政府はこの日、金大中や尹潽善など687名の公民権回復を発表。
- 4月21日 - 江原道舎北邑の東原炭鉱で労働組合員など3,000名がデモ、賃金の大幅引き上げや労組支部長退陣などを要求し、村を数日間占拠した(舎北事態)。警察官1名が死亡、重軽傷者40名余り。
- 5月2日 - 民主化を求める学生デモ全国に拡大
- 5月17日 - 非常戒厳令を全国に拡大(5・17非常戒厳令拡大措置)。
- 5月18日 - 戒厳軍、光州で武装した学生・市民と衝突(~27日、光州事件)
- 5月24日 - 金載圭中央情報部長の死刑執行
- 5月30日 - 国家保衛非常対策委員会が設置。トップの委員長には全斗煥保安司令官兼中央情報部部長代理が就任。
- 7月31日 - 『創作と批評』や『シアレソリ』など、定期刊行出版物172誌の登録取り消し(言論統廃合の一環として行なわれた)。
- 8月1日 - 戒厳司令部は、金大中など24名を内乱陰謀罪で軍法会議に起訴したことを発表。
- 8月13日 - 金泳三新民党総裁が政界引退を表明。
- 8月27日 - 統一主体国民会議、全斗煥を大統領に選出(→1980年大韓民国大統領選挙)
- 9月17日 - 普通軍法会議。金大中被告に対し内乱罪を適用、死刑判決が下される。その他の被告23名にも2~20年の実刑を言い渡された。
第五共和国期
[編集]第六共和国期
[編集]- 1987年
- 6月29日 - 大統領候補盧泰愚、大統領直接選挙制への改憲や金大中氏の赦免・復権など八項目からなる「民主化宣言」を発表
- 7月1日 - 電話の全国完全自動化達成[4]
- 8月5日 - 盧泰愚、民正党総裁就任
- 8月29日 - 京畿道龍仁郡で32名集団遺体発見[5](五大洋集団死事件)
- 10月27日 - 大統領直接選挙制の改憲案、国民投票で成立→1987年大韓民国の国民投票
- 11月29日 - 大韓航空機爆破事件
- 12月3日 - 中部高速道路開通(江一インターチェンジ-南二ジャンクション)
- 12月15日 - 真由美こと金賢姫ソウル移送
- 12月16日 - 大統領選挙、16年ぶりの大統領直接選挙で民主正義党の大統領候補である盧泰愚が、当選
- 1988年
盧泰愚大統領
[編集]金泳三大統領(文民政権)
[編集]金大中大統領(国民の政府)
[編集]- 1998年
- 2月25日 - 金大中、第15代大統領に就任。
- 6月4日 - 第二回全国同時地方選挙。与党国民会議は地盤の全羅道以外にソウル特別市市長選挙や京畿道知事選挙など首都圏で勝利を収めた。
- 2000年
- 1月12日 - 約460の市民団体により2000年総選市民連帯(総選連帯)結成。(以降、総選挙に向けて落選運動を展開。)
- 1月13日 - 朴泰俊議員、首相就任(~5月18日)
- 3月10日 - 訪欧中の金大中大統領、「ベルリン宣言」発表(現地時間9日)
- 4月13日 - 第16代総選挙。ハンナラ党133議席、新千年民主党(民主党)115議席、自民連17議席。
- 5月23日 - 李漢東(イ・ハンドン)議員(自民連)、首相就任(~6月28日)
- 6月13日 - 金大中大統領、平壌訪問。金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長と会見
- 6月15日 - 「6.15南北共同宣言」署名
- 8月15日 - 「第1回南北離散家族相互訪問」。南北100人ずつが各首都のソウルと平壌を訪問。
- 8月24日 - 韓国政府、南北自由往来に備え京義線鉄道・道路建設計画発表。
- 9月18日 - 京義線復旧工事着手
- 9月25日 - 現代峨山グループ4,000億ウォン対北支援疑惑発覚
- 10月1日 - それまでの生活保護法に代わり新たに「国民基礎生活保障法」(参照)が施行される。
- 10月13日 - 金大中大統領、ノーベル平和賞受賞
- 11月10日 - 超高速インターネット加入者1,000万人突破
- 11月20日 - 現代建設自救案発表
- 2001年
- 1月6日 - IMF資金先払い返済発表
- 2月1日 - 政府、現代建設債権者に支払い保証発表
- 2月19日 - ストライキ中の大宇自動車富平工場に機動隊4,200人突入し、労組員らを排除。(この年労働運動高潮)
- 3月21日 - 現代財閥創業者鄭周永(チョン・ジュヨン)死去
- 3月29日 - 仁川国際空港開港。
- 5月18日 - 金大中大統領三男、金弘傑(キム・ホンギョル)斡旋収賄容疑で逮捕
- 6月3日 - ストライキ中の暁星蔚山工場に警官3,600人突入。
- 6月21日 - 金大中大統領次男、金弘業(キム・ホンオプ)斡旋収賄容疑で逮捕
- 10月26日 - SBSにおいてアジア初のデジタル地上波放送開始。
- 11月5日 - KBS、EBSが地上波デジタル放送開始。
- 11月13日 - 金大中大統領、新千年民主党総裁職を辞任。
- 2002年
- 5月31日 - 日韓ワールドカップ開催(~6月30日)ブラジル優勝、韓国4位
- 6月13日 - 京畿道楊州郡広積面孝村里で女子中学生2名が米第2歩兵師団工兵隊装甲車にひき殺される。(議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件)。同日、第三回全国同時地方選挙が行われ、首都ソウル市の市長に李明博(イ・ミョンバク)が当選するなど野党ハンナラ党が圧勝。
- 6月29日 - 黄海上で南北警備艇軍事衝突、韓国側6人戦死。(第2延坪海戦)
- 7月11日 - 梨花女子大総長・張裳(チャン・サン)、首相代理に就任
- 7月31日 - 国会、張裳の首相就任案を否決
- 8月15日 - 女子中学生追悼と主権回復のための人間の鎖市民集会
- 9月29日 - 第14回釜山アジア競技大会(~10月14日)
- 11月20日 - 米軍事裁判で女子中学生2名をひき殺した米兵2名に無罪判決
- 12月7日 - ソウル市民2万人、米大使館前でローソク・デモ
- 12月19日 - 大統領選挙の投開票。盧武鉉候補1,202万票、李会昌(イ・フェチャン)候補1,144万票。盧武鉉が大統領に当選。
- 12月21日 - キャンドル・デモ、在ソウル米大使館包囲
- 2003年
- 1月25日 - SQL Slammer(ワーム)により約9時間に渡りインターネットがマヒ。(『インターネット大乱』)
- 2月18日 - 大邱地下鉄1号線放火事件。192名死亡、148名負傷。
盧武鉉大統領(参与政府)
[編集]- 2003年
- 2月25日 - 盧武鉉、第16代大統領に就任。
- 2月27日 - 高建・元首相(官僚出身)、首相に就任
- 5月11日 - 盧武鉉大統領訪米(~17日)
- 6月6日 - 盧武鉉大統領、権良淑(クォン・ヤンスク)夫人とともに国賓として訪日。
- 8月4日 - 鄭夢憲・現代峨山会長、社屋屋上から投身自殺(対北送金事件)。
- 8月8日 - 大邱市内の京釜線において列車衝突事故(無窮花列車と貨物列車)
- 8月21日 - 第22回夏季ユニバーシアード大邱大会開催(-31日)。北朝鮮も統一旗の下で参加。
- 9月12日 - 台風メミ(蝉)韓国南部を襲う。死亡・失踪131名、負傷376名。
- 11月17日 - ドナルド・ラムズフェルド米国防長官韓国を訪問し、盧武鉉大統領と会見
- 11月18日 - ラムズフェルド国防長官、東豆川市の米第2歩兵師団基地キャンプ・ケーシーを訪問
- この年の自殺率は10万人中24で、1983年統計開始後史上最高となった。これまで最高だった1999年の19.9より4ポイント高い(統計庁、2004年9月22日)。
- 2004年
- 2005年 - 2005年韓国の事件も参照
- 2006年
- 2007年
李明博大統領(実用政府)
[編集]- 2008年
- 2月25日 - 李明博、第17代大韓民国大統領に就任。
- 4月9日 - 第18代総選挙、与党ハンナラ党が過半数を制する議席を確保(153議席)。旧与党勢力が主体となって結成された統合民主党は惨敗。
- 4月18日 - 韓米牛肉交渉が妥結。農林水産食品部、米国産輸入牛肉の全面開放を発表。
- 4月19日 - 韓米首脳会談、ワシントンで開催される。李明博大統領、ブッシュ大統領と会談。
- 4月21日 - 日韓首脳会談、東京で開催。李明博大統領、福田康夫内閣総理大臣と会談。日韓経済連携協定については、6月に実務協議を再開することで合意した。
- 5月2日 - 米国産輸入牛肉の全面開放に抗議するキャンドル集会、開始。
- 5月29日 - 第17代国会が任期満了。韓米FTA批准同意案などが廃案となる。
- 6月4日 - 地方自治団体長(2箇所)と地方議員(12名)の再補選でハンナラ党が惨敗。
- 6月10日 - キャンドル集会が最大規模に達する。警察発表で10万人、主催者推定では70万人余りが参加。
- 6月19日 - 李明博大統領、特別記者会見の席において牛肉輸入を巡る騒動で国民に謝罪。朝鮮半島大運河は国民が反対するなら推進しないと言明。
- 7月3日 - ハンナラ党、新代表(代表最高委員)に朴熺太を選出。
- 7月6日 - 民主党、新代表に丁世均を選出。党名を「統合民主党」から「民主党」に改名。
- 7月10日 - 第18代国会議長に、ハンナラ党の金炯旿を選出。
- 7月11日 - 北朝鮮の金剛山で韓国人観光客が射殺される。
- 8月9日 - 韓中首脳会談、ソウルで開催。李明博大統領と胡錦涛国家主席が会談。
- 9月4日 - ポスコ、世界最大規模、年間発電量50メガワットの燃料電池工場を稼働。
- 10月7日 - 100大国政課題発表。大運河事業については除外。
- 10月16日 - 東洋建設工業、新安に世界最大規模の太陽光発電所(発電容量:24メガワット)の建設を発表
- 10月21日 - LG電子は、太陽電池事業の本格に向け、約2,200億ウォンの投資することを決定。
- 11月20日 - 統一部、北朝鮮向けのビラ散布に対して遺憾の意を表明。
- 11月22日 - ペルーの首都リマで韓米首脳会談。李大統領、ブッシュ大統領と最後の会談。
- 12月1日 - 北朝鮮、南北間の通行を大幅に制限する「12月1日付措置」実施
- 12月13日 - 日韓中首脳会議、福岡で開催。李大統領、麻生太郎首相、温家宝中国首相と会談。
- 2009年
- 1月6日 - 政府、4大江(漢江、洛東江、錦江、栄山江)整備事業をはじめとする「グリーンニューディール事業」の内容を確定。
- 1月9日 - 上海汽車、双竜自動車の法廷管理をソウル中央地裁に申請
- 1月20日 - ソウル竜山地区の再開発に反対して籠城した住民が警官隊と衝突、双方の6名が死亡。
- 4月22日 - 韓米FTA批准案が国会外交通商統一委員会を通過
- 4月26日 - 検察、不正資金疑惑と関連して盧武鉉前大統領に出頭を要請。
- 4月29日 - 国会議員再・補欠選挙、与党ハンナラ党は全敗
- 4月30日 - 検察、不正資金疑惑と関連して盧前大統領を調査
- 5月26日 - 盧前大統領を調査が自宅裏山から投身して死亡。
- 5月29日 - 26日に死亡した盧前大統領の国民葬が執り行われた。
- 6月8日 - 政府、本事業費規模約17億兆ウォンの4大江整備事業マスタープランを発表。開城工業団地入居企業が注文減少と身辺安全の問題で撤退を決定。
- 7月1日 - 非正規職法が施行。非正規雇用は最大2年に制限。
- 7月22日 - 国会でメディア3法(新聞法、インターネットマルチメディア放送事業法、放送法)を強行採決で可決
- 8月6日 - 双竜自動車労働組合、ストライキ突入。76日後に労使交渉妥結。
- 8月18日 - 金大中元大統領が肺炎により死亡。
- 8月23日 - 金大中元大統領の国葬。
朴槿恵大統領
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文在寅大統領
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尹錫悦大統領
[編集]- 2022年
- 3月 - 2022年大韓民国大統領選挙では、尹錫悦が当選した[8]。
脚注
[編集]- ^ 未修復地域のソウル特別市と京畿道、江原道については実施されず。
- ^ 関係者が暴露した「進歩党ねつ造事件」 民族時報 第893号
- ^ 軍隊が1地域に駐屯して当該地域における施設の警備にあたるものである。参照:衛戍令(韓国Web六法)
- ^ 「전국 電話 완전 自動化」 1987年7月1日付東亜日報11面
- ^ “女社長등 32명 集團사체로 [女社長など32名 集団死体で]” (韓国語). 東亜日報: p. 1. (1987年8月31日) 2012年2月29日閲覧。
- ^ 今日の歴史(3月12日) 聯合ニュース 2009/03/12
- ^ シンシアリー, 1970- author.. 韓国人による沈韓論. ISBN 9784594070885. OCLC 890112798
- ^ “野党第1党候補が第20代大統領に当選、5年ぶりに保守政党の政権へ”. 2024年5月1日閲覧。
参考文献
[編集]- アジア経済研究所 アジア動向データベース(大韓民国)
- 尹景徹『分断後の韓国政治 : 一九四五〜一九八六年』木鐸社(ぼくたくしゃ)、1986年11月30日。NDLJP:12173192。