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宮川用水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
七保大橋からみた粟生頭首工
宮川用水粟生頭首工管理事務所(多気郡大台町粟生)
宮川用水中央管理事務所(伊勢市河崎一丁目)

宮川用水(みやがわようすい)は、宮川を水源とする三重県南勢地区の灌漑用水路群の総称である。

概要

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  • 宮川総合開発事業の中の農業用水事業として建設された。
  • 多気郡大台町の宮川流域で取水し、多気郡大台町、多気町明和町度会郡玉城町伊勢市の農地に配水されている。
  • 宮川下流域の水不足が解消、受益地域での圃場整備が進み、県下有数の先進農業地域となった。
  • 受益面積:4,681ha(水田 4,066ha、普通畑 530ha、樹園地 85ha、2003年3月現在)

主な施設

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  • 国営線 - 農林省(現・農林水産省)が建設した水路及び施設
    • 粟生頭首工(あおとうしゅこう) - 多気郡大台町粟生にある取水のための可動堰
    • 導水路 - 粟生頭首工から笠木分水工(多気郡多気町笠木)までを接続する用水路
    • 第1号幹線水路 - 笠木分水工から斎宮調整池(多気郡明和町池村)を介し、伊勢市小木町までを接続する用水路
    • 第2号幹線水路 - 笠木分水工から度会郡玉城町宮古を接続する用水路
  • 県営線 - 三重県が建設した水路や施設で、国営線から各地へ配水する
  • 団体営線 - 宮川用水土地改良区が建設した水路や施設で、国営線や県営線から各地へ配水する

沿革

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  • 1951年昭和26年) - 宮川総合開発事業の中に農業用水が組入れられる。
  • 1957年(昭和32年) - 宮川用水土地改良区が設立する。
  • 1958年(昭和33年) - 国営導水路を起工、宮川用水事業の起工式が行われる。
  • 1961年(昭和36年) - 県営用水路を起工する。
  • 1962年(昭和37年) - 粟生頭首工、国営幹線水路、団体営用水路を起工する。
  • 1964年(昭和39年) - 粟生頭首工、国営導水路が完成する。
  • 1966年(昭和41年) - 国営幹線水路が完成、国営事業の完工式が行われる。
  • 1976年(昭和51年) - 県営用水路が完成する。
  • 1982年(昭和57年) - 団体営用水路が完成、宮川用水事業の総合竣工式が行われる。
  • 1995年平成7年) - 国営宮川用水第二期土地改良事業の起工式が行われる。
宮川用水に対する反対運動
  • 1957年から1965年にかけて、受益予定地域の各地で宮川用水に対する反対の陳情が行われた。主な理由は「現状でも農業用水は足りており、負担金を払ってまで宮川用水を引かなくても良い」、「地元負担が大きすぎる」などである。農林省および宮川用水土地改良区による交渉で、補償などを行う協定を結び、多くの地域で決着を見た。
河川水位低下に対する補償
  • 伊勢市円座町は宮川用水の受益地域ではなく、宮川本流からの揚水によって灌漑していたが、宮川ダム建設により川の水位が下がり揚水が苦しくなった経験から、粟生頭首工建設による更なる水位低下を懸念し、1958年、農林省に対策を求めた。農林省による調査の結果、「渇水期における水位低下は不可避」と判断し、新たな揚水施設の補償工事(1963年完成)を行った。
漁業補償
  • 1957年頃、宮川河川沿岸の漁協より、宮川用水事業による漁獲量の低下に対する補償要求が農林省に陳情された。この後、農林省と漁協との交渉が続き、1962年に補償金額の協定と取水制限量の覚書が交わされ決着した。
  • 宮川河口の漁協に対しても養殖海苔減収に対する補償を行っている。
国営宮川用水第二期土地改良事業
  • 用水路等の施設の老朽化および用水不足により、1995年から水路施設の改修を行っている。
  • 主な内容は、導水路・幹線水路の改修、斎宮調整池の造成などで、2010年に完了予定である。

参考資料

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  • 『宮川用水史』(1986年3月25日発行、編集発行:宮川用水土地改良区)
  • 『水土里の森 宮川用水の概要』(2008年発行、宮川用水土地改良区)

関連項目

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外部リンク

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脚注

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