コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

勘左衛門堰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
勘左衛門堰
延長 10km
灌漑面積 323.9ha
取水 奈良井川松本市島立小麦淵)
合流 万水川安曇野市
流域 長野県松本市安曇野市
備考 分類:横堰
テンプレートを表示

勘左衛門堰(かんざえもんせぎ)は、安曇野を流れる灌漑用に作られた用水路)である。この堰は、奈良井川の小麦淵(松本市島立)から揚水し、北流して安曇野の中央部に向かい万水川に至る。

概要

[編集]
  • 取水口:松本市大字島立字荒井
  • 補助取水口:安曇野市豊科高家字飯田
  • 延長:約10km
  • 灌漑面積:約323.9ha

歴史

[編集]
  • 1662年寛文2年)2月 - 安曇郡成相組の代官・二木勘左衛門により着手された。当時は、梓川から揚水していた。
  • 1685年貞享2年)3月 - 飯田村から下鳥羽村にかけて、開削が着手された。
  • 1685年(貞享2年)5月 - 現在の堰が完成した。
  • 1782年天明2年) - 奈良井川の小麦淵から梓川まで大改修がおこなわれる。
  • 1798年寛政10年) - 下堀金村・吉野村・新田村が加わり、再び大改修がおこなわれる。下堀金村の平倉六郎右衛門が工事担当人兼堰廻役になり、小麦淵から保高組境まで改修。
  • 大正時代 - 梓川の横断は底樋により通水するようになる。
  • 1931年昭和6年) - この底樋をヒューム管(内径1.35m、長さ370m)にかえた。

特徴

[編集]
  • 拾ヶ堰と同様に、等高線に沿って同じ標高を流れる横堰である。
  • 東日本旅客鉄道大糸線が2度跨る。
  • 取水口からすぐアルピコ交通(通称・松本電鉄)上高地線が跨る。
  • 松本市にある取水口から上高地線の下から国道158号付近まで暗渠になる。
  • 開削当時は、成相新堰と呼ばれていたが、拾ヶ堰が開削されてからは、勘左衛門堰と呼ばれるようになった。
  • 梓川と拾ヶ堰をサイフォンでくぐる。
  • 拾ヶ堰をサイフォンでくぐったあと1kmほど拾ヶ堰と並行する。
  • 拾ヶ堰の測量を行った平倉六郎右衛門が1798(寛政10)年に大改修を行った。

備考

[編集]
  • 流域の小地名としては「勘左ヱ門堰」と表記されることがある。(例:地価公示標準地番号:松本-4)

ギャラリー

[編集]