富士見村 (長野県)
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ふじみむら 富士見村 | |
---|---|
御射山神社鳥居 | |
廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 富士見村、境村、本郷村、落合村 → 富士見町 |
現在の自治体 | 富士見町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 諏訪郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
5,931人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 諏訪郡茅野町、本郷村、落合村、原村、上伊那郡三義村、美和村 |
富士見村役場 | |
所在地 | 長野県諏訪郡富士見村 |
座標 | 北緯35度54分26秒 東経138度14分13秒 / 北緯35.90719度 東経138.23681度座標: 北緯35度54分26秒 東経138度14分13秒 / 北緯35.90719度 東経138.23681度 |
ウィキプロジェクト |
富士見村[1](ふじみむら)は、かつて長野県諏訪郡にあった村。現在の富士見町大字富士見にあたる。
後述の通り当村と3つの村の新設合併によって富士見町が誕生したため、現在の富士見町とは別の自治体である。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1874年(明治7年)10月25日 - 筑摩県諏訪郡木間村・休戸村・花場新田村・横吹新田村、とちの(草冠に子)木新田村・若宮新田村・松目新田村・大平新田村・栗生新田村・御射山神戸村が合併して富士見村となる。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 長野県の所属となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、富士見村が単独で自治体を形成。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 境村・本郷村・落合村と合併して富士見町が発足。同日富士見村廃止。
行政
[編集]村長
[編集]- 細川直行 1889年5月27日 - 1890年12月5日[2]
- 丸山亀三郎 1890年12月19日 - 1894年4月6日[2]
- 小川忠作 1893年2月22日 - 1893年2月10日[2]
- 矢沢正雄 1895年4月5日 - 1899年4月4日[2]
- 小林勘治郎 1899年5月5日 - 1900年5月29日[2]
- 小林定市 1900年6月13日 - 1901年1月31日[2]
- 窪田染右衛門 1901年2月16日 - 1903年12月26日[2]
- 細川鳥角 1904年1月20日 - 1906年3月28日[2]
- 名取久吉 1906年3月30日 - 1907年3月31日[2]
- 名取為吉 1907年4月14日 - 1908年9月13日[2]
- 追川利重 1908年9月14日 - 1909年5月6日[2]
- 樋口長兵衛 1909年6月6日 - 1912年4月4日[2]
- 小林定市 1912年4月18日 - 1912年10月18日[2]
- 小林勘治郎 1914年4月4日 - 1918年4月7日[2]
- 伊藤五郎右衛門 1918年4月13日 - 1919年4月10日[2]
- 細川玖琅[1]
- 小川脩平[1]
- 樋口隆次[2]
助役
[編集]- 前島久長[1]
収入役
[編集]- 久保田源一[1]
経済
[編集]産業
[編集]- 企業
- 富士見銀行本店、支店[1]
- 農業
土地は田239町6反歩、畑281町2反歩[1]。山林官有地1155町歩[1]。民有地1143町3反歩[1]。原野1562町8反歩[1]。
施設
[編集]- 富士見町立富士見高原中学校
- 長野県富士見高等学校
- 裁判所出張所[1]
- 御射山神社[1]
- 富士見公園[1]
交通
[編集]鉄道
[編集]上記に加えて、現在は旧村域にすずらんの里駅が所在するが、当時は未開業。
道路
[編集]現在は旧村域に中央自動車道の諏訪南インターチェンジが所在するが、当時は未開通。
出身・ゆかりのある人物
[編集]- 小川金治 - 銀行家。富士見銀行取締役。
- 小川三郎 - 医師。
- 小川平吉[1] - 弁護士・衆議院議員。司法大臣、鉄道大臣等を歴任。
- 三浦こう - 女医。
- 河角廣 - 地震学者。
- 私市保彦 - フランス文学者。戦争中に富士見村に個人疎開。
- 樋口勘次郎 - 教育学者。
- 名取小一 - 実業家。なとり代表取締役社長。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。
- 諏訪郡元長会編『諏訪郡歴代町村長名簿』諏訪郡元長会、1937年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 20 長野県』角川書店、1990年。
関連項目
[編集]- 長野県の廃止市町村一覧
- 満蒙開拓移民 - 1939年(昭和14年)現地に分村成立。