富沢清司
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名前 | ||||||||||||||
カタカナ | トミザワ キヨシ | |||||||||||||
ラテン文字 | TOMIZAWA Kiyoshi | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||
生年月日 | 1943年12月3日(80歳) | |||||||||||||
出身地 | 静岡県藤枝市 | |||||||||||||
身長 | 170cm[1] | |||||||||||||
体重 | 65kg[1] | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | DF[1] | |||||||||||||
ユース | ||||||||||||||
藤枝東高校 | ||||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
?-1976 | 八幡製鉄/新日鐵 | 164 | (22) | |||||||||||
通算 | 164 | (22) | ||||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||
1965-1971 | 日本 | 9 | (2) | |||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
富沢 清司(とみざわ きよし、1943年12月3日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはフルバック(FB)[1]。
人物・来歴
[編集]八幡製鉄(現・日本製鉄)サッカー部に所属。19歳にして日本代表に選出された経歴を持ち、1964年の東京オリンピック、1968年のメキシコシティオリンピックに出場。国際Aマッチ通算9試合に出場し、2得点を挙げた。主にストッパーを担当し、1対1の場面における粘り強いディフェンスを得意としていた。
2009年に開催された全国健康福祉祭(ねんりんピック)の静岡県選抜チームのメンバーとして出場したと報じられた[2]。
所属クラブ
[編集]- 静岡県立藤枝東高等学校
- -1976年 八幡製鉄/新日本製鐵
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1965 | 八幡 | JSL | - | ||||||||
1966 | - | ||||||||||
1967 | - | - | |||||||||
1968 | - | ||||||||||
1969 | - | ||||||||||
1970 | 新日鐵 | - | - | ||||||||
1971 | - | ||||||||||
1972 | JSL1部 | - | |||||||||
1973 | |||||||||||
1974 | - | ||||||||||
1975 | - | ||||||||||
1976 | |||||||||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 164 | 22 | |||||||
総通算 | 164 | 22 |
代表歴
[編集]- 日本代表初出場(国際Aマッチ):1965年3月14日 対香港代表戦(香港)
- 日本代表初出場:1963年10月14日 対日本代表B戦(秩父宮ラグビー場)
- 日本代表初得点:1971年9月27日 対フィリピン代表戦(ソウル)
出場大会
[編集]- 1964年東京オリンピック(ベスト8)
- メキシコシティオリンピック(銅メダル)
- 1970年アジア競技大会
- ミュンヘンオリンピック予選
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 9試合 2得点(1965-1971)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1963 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
1964 | 0 | 0 | 8 | 0 | 8 | 0 |
1965 | 2 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 |
1966 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1967 | 1 | 0 | 5 | 0 | 6 | 0 |
1968 | 1 | 0 | 9 | 0 | 10 | 0 |
1969 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 |
1970 | 2 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 |
1971 | 3 | 2 | 2 | 0 | 5 | 2 |
通算 | 9 | 2 | 33 | 0 | 42 | 2 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1965年03月14日 | 香港 | 香港 | ○2-1 | 長沼健 | 国際親善試合 | |
2. | 1965年03月27日 | クアラルンプール | マレーシア | △1-1 | 国際親善試合 | ||
3. | 1967年09月27日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | フィリピン | ○15-0 | オリンピック予選 | |
4. | 1968年03月31日 | メルボルン | オーストラリア | ●1-3 | 国際親善試合 | ||
5. | 1970年12月14日 | バンコク | ビルマ | ○2-1 | 岡野俊一郎 | アジア大会 | |
6. | 1970年12月16日 | バンコク | インドネシア | ○2-1 | アジア大会 | ||
7. | 1971年09月23日 | ソウル | マレーシア | ●0-3 | オリンピック予選 | ||
8. | 1971年09月27日 | ソウル | フィリピン | ○8-1 | オリンピック予選 | ||
9. | 1971年10月02日 | ソウル | 韓国 | ●1-2 | オリンピック予選 |
得点数
[編集]# | 年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
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1 | 1971年9月27日 | 大韓民国、ソウル | フィリピン | 8-1 | 勝利 | ミュンヘン五輪予選 |
2 | 8-1 | 勝利 |
参考文献
[編集]- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
脚注
[編集]- ^ a b c d 朝日新聞、1968年9月2日、2015年11月20日閲覧
- ^ 「元五輪コンビが大活躍 ねんりんピックで県勢、サッカーブロック1位」朝日新聞静岡県版、2009年9月9日、2015年11月20日閲覧
外部リンク
[編集]- 富沢清司 - 国際オリンピック委員会
- 富沢清司 - オリンピックチャンネル
- 富沢清司 - Olympedia
- 富沢清司 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 富沢清司 - National-Football-Teams.com
- 富沢清司 - WorldFootball.net
- 富沢清司 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 富沢清司 - FIFA主催大会成績