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寺西和史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
寺西事件から転送)
最高裁判所判例
事件名  裁判官分限事件の決定に対する即時抗告
事件番号 平成10(分ク)1
1998年(平成10年)7月24日
判例集 民集 第52巻9号1761頁
裁判要旨
  1. 裁判所法五二条一号にいう「積極的に政治運動をすること」とは、組織的、計画的又は継続的な政治上の活動を能動的に行う行為であって裁判官の独立及び中立・公正を害するおそれがあるものをいい、具体的行為の該当性を判断するに当たっては、行為の内容、行為の行われるに至った経緯、行われた場所等の客観的な事情のほか、行為をした裁判官の意図等の主観的な事情をも総合的に考慮して決するのが相当である。
  2. 裁判官が積極的に政治運動をすることを禁止する裁判所法五二条一号の規定は、憲法二一条一項に違反しない。
  3. 裁判官が、その取扱いが政治的問題となっていた法案を廃案に追い込もうとする党派的な運動の一環として開かれた集会において、会場の一般参加者席から、裁判官であることを明らかにした上で、「当初、この集会において、盗聴法と令状主義というテーマのシンポジウムにパネリストとして参加する予定であったが、事前に所長から集会に参加すれば懲戒処分もあり得るとの警告を受けたことから、パネリストとしての参加は取りやめた。自分としては、仮に法案に反対の立場で発言しても、裁判所法に定める積極的な政治運動に当たるとは考えないが、パネリストとしての発言は辞退する。」との趣旨の発言をした行為は、判示の事実関係の下においては、右集会の参加者に対し、右法案が裁判官の立場からみて令状主義に照らして問題のあるものであり、その廃案を求めることは正当であるという同人の意見を伝えるものというべきであり、右集会の開催を決定し右法案を廃案に追い込むことを目的として共同して行動している諸団体の組織的、計画的、継続的な反対運動を拡大、発展させ、右目的を達成させることを積極的に支援しこれを推進するものであって、裁判所法五二条一号が禁止している「積極的に政治運動をすること」に該当する。
  4. 裁判官が積極的に政治運動をしたことは、裁判所法四九条所定の懲戒事由である職務上の義務違反に該当し、当該行為の内容、その後の態度等判示の事情にかんがみれば、当該裁判官を戒告することが相当である。
  5. 裁判官分限事件には、憲法八二条一項は適用されない。
  6. 民事訴訟又は非訟の手続を主宰する裁判所は、その手続を円滑に進行させるために与えられた指揮権に基づいて、期日を開く場所の収容能力、当該期日に予定されている手続の内容、裁判所の法廷警察権ないし指揮権行使の難易等を考慮して、必要かつ相当な場合には、期日に立ち会う代理人の数を合理的と認められる限度にまで制限することができる。
最高裁判所大法廷
裁判長 山口繁
陪席裁判官 園部逸夫小野幹雄千種秀夫根岸重治尾崎行信河合伸一遠藤光男井嶋一友福田博藤井正雄元原利文大出峻郎金谷利廣北川弘治
意見
多数意見 山口繁・小野幹雄・千種秀夫・根岸重治・井嶋一友・福田博・藤井正雄・大出峻郎・金谷利廣・北川弘治
意見 なし
反対意見 園部逸夫・尾崎行信・河合伸一・遠藤光男・元原利文
参照法条
裁判所法49条,裁判所法52条1項,憲法21条1項,憲法82条1項,裁判官分限法2条,裁判官の分限事件手続規則7条,非訟事件手続法6条,非訟事件手続法13条,民訴法55条,民訴法148条,刑訴法35条,刑訴規則26条,刑訴規則27条
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寺西 和史(てらにし かずし、1964年昭和39年〉8月26日 - )は、日本の元裁判官兵庫県出身。

判事補であったときに組織的犯罪対策法案などに反対する集会に出席し法案に反対したととれる発言をしたことにより、1998年に分限裁判を受けた経緯がある。

人物

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寺西は洛星高等学校卒業、京都大学法学部卒業。1990年司法試験に合格。1993年判事補に任官。

寺西は、被疑者代用監獄(現:代用刑事施設)に送るべきではないという考えから、令状審査では拘置所に送る決定を常に下していた。しかし、検察官準抗告によってほとんどの決定を覆されたため、やむなく被疑者が被疑事実を否認した事件に限って拘置所に送る決定を出すようにしたが、それでも大半が準抗告によって覆されたという。

1997年に令状によって傍受を可能とする組織的犯罪対策法案(犯罪捜査のための通信傍受に関する法律)の骨子が発表されると、旭川地方裁判所判事補であった寺西は「信頼できない盗聴令状審査」と題する批判を朝日新聞の読者欄に投稿、10月2日に掲載された。これによって、旭川地裁所長である鬼頭季郎から厳重注意処分を受けた。この時、田尾健二郎判事が寺西を批判する投書をし(「事実に反する令状言いなり」10月8日号掲載)、前田知克弁護士が田尾への反論を行っている(「事実に合った寺西氏の意見」10月10日号掲載)。なお、田尾判事は法案の元となる骨子の作成に携わっていた[1]

1998年、組織犯罪対策法案反対派主催の集会で寺西(仙台地方裁判所に転任していた)に対してパネリストとして出席と発言を依頼された。一方、裁判所からはこれが裁判所法52条1号の「積極的に政治運動をすること」に該当するとしてパネリストとしての出席辞退を求められ[注釈 1]、寺西はパネリストとしてではなく一般参加者として出席する(1998年4月18日)。「集会でパネリストとして話すつもりだったが、泉山禎治仙台地裁所長に『処分する』と言われた。法案に反対することは禁止されていないと思う」と発言するに留まった。

しかし、当該集会に出席したことが裁判所から問題視され、仙台高等裁判所分限裁判で裁判所法49条の職務上の義務に違反するとして戒告処分を受ける。寺西は即時抗告最高裁判所の判断を仰ぐが、最高裁でも賛成10と反対5で戒告処分が妥当と判断された[3]

その後、裁判官として再任拒否されるのではと危惧されたが、10年の任期を迎えた2003年4月に再任され、判事となった。

2012年4月1日付で神戸地方裁判所判事、2016年4月1日付で大阪高等裁判所判事、2019年4月1日付で高松高等裁判所判事に補せられている[4]

2020年8月15日、寺西は依願退官した[5]

著作

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共著

脚注

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注釈

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  1. ^ これについて寺西は日本国憲法21条1項に反するとして反発している[2]

出典

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外部リンク

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