新潟県立小千谷高等学校
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新潟県立小千谷高等学校 | |
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北緯37度18分24.5秒 東経138度48分40.5秒 / 北緯37.306806度 東経138.811250度座標: 北緯37度18分24.5秒 東経138度48分40.5秒 / 北緯37.306806度 東経138.811250度 | |
過去の名称 | 新潟県立小千谷中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新潟県 |
併合学校 | 新潟県立小千谷女子高等学校 |
設立年月日 | 1901年3月6日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学校コード | D115220800019 |
高校コード | 15151D |
所在地 | 〒947-0005 |
新潟県小千谷市旭町7-1 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
新潟県立小千谷高等学校(にいがたけんりつおぢやこうとうがっこう)は、新潟県小千谷市に所在する県立高等学校である。愛称は「谷高」(やこう)。
概要
[編集]本校の起源は1901年に中越地方南部・魚沼地域初の旧制中学校開校に遡る。
1924年に南魚沼地方に(旧制)新潟縣立六日町中學校が開校するまで、魚沼地域では唯一の旧制中学校であった。
1948年に新制高校へ改組し、1950年に小千谷女子高校(旧制:小千谷高等女学校)を統合し、現在に至る。
学科も多種多様で、高度成長期にかけては商業科や家庭科を有したこともあるが、現在は廃止されている。
設置課程
[編集]- 全日制課程
- 普通科
かつて設置されていた課程
[編集]- 全日制課程
- 家庭科(募集停止:1964年度→新潟県立小千谷西高等学校へ移管)
- 商業科(募集停止:1970年度・廃止:1973年度)
- 定時制課程(募集停止:1997年度・廃止:2000年度)
沿革
[編集]- 1901年3月6日 - (旧制)新潟県立小千谷中学校として開校。
- 1948年
- 1950年 - 新潟県立小千谷女子高等学校(旧制:小千谷高等女学校)を統合し、男女共学開始。
- 1952年 - 小出分校が独立(現:新潟県立小出高等学校)。
- 1955年 - 定時制吉谷分校を開校。
- 1963年 - 団塊の世代による高校進学者数増加に伴い、全日制普通科10学級・商業科2学級・家庭科1学級編成となる。
- 1964年 - 全日制家庭科が募集停止(新潟県立小千谷西高等学校開校に伴う)。
- 1966年
- 昭和41年度入試より中学区制へ移行、入試教科が9教科→5教科となる。
- 野球部が全国高等学校野球選手権大会に出場。
- 1969年 - 全日制普通科7学級、商業科1学級編成となる。
- 1970年 - 1970年度より全日制商業科が募集停止、普通科8学級編成となる。
- 1971年 - 1971年度より定時制片貝分校募集停止。
- 1973年
- 3月31日 - 商業科を閉科。
- 定時制吉谷分校募集停止。
- 1974年3月31日 - 定時制片貝分校を閉校。
- 1976年3月31日 - 定時制吉谷分校を閉校。
- 1978年 - 校舎新築に伴い、第3学年が新校舎へ移転。
- 1979年 - 校舎新築に伴い、第1・2学年が新校舎へ移転。
- 1990年 - プール竣工に伴い、プール開きが行われる(平成2年度より水泳授業を開始)。
- 1997年 - 定時制募集停止。
- 2000年3月31日 - 定時制閉課程。
- 2002年10月26日 - 創立100周年記念式典・記念講演会挙行。
- 2003年 - 2003年度入学生より普通科7学級編成となる。
- 2004年10月23日 - 新潟県中越地震発生。校舎・校地に甚大な被害。第一体育館と会議室が小千谷市住民の避難所となる。
- 2007年7月16日 - 新潟県中越沖地震発生。
校歌
[編集]学校行事
[編集]- 4月 - 入学式
- 5月 - 中間考査
- 6月 - 体育祭
- 7月 - 期末考査・球技大会
- 9月 - 舟陵祭(文化祭)
- 10月 - 中間考査
- 12月 - 期末考査・2年修学旅行(沖縄)
- 1月 - 百人一首大会(クラス対抗)、中間考査
- 2月 - 1・2年学校スキー
- 3月 - 卒業式・学年末考査
なお過去に各界著名人による講演会が行われている。
- 2001年 - 鈴木大地(ソウルオリンピック水泳100M背泳ぎ優勝)
- 2002年 - 藤原正彦(著書『国家の品格』)
- 2006年 - 関淳(松下政経塾塾長・本校出身)
- 2006年 - 井村雅代(2004年アテネオリンピックシンクロヘッドコーチ)
部活動
[編集]運動部
[編集]- 野球部 - 1966年夏(第48回)出場、初戦で奈良県立郡山高等学校に1-5で敗れている。なお、グラウンドには甲子園出場記念碑が設置されている。
- バレーボール部
- スキー部
- 陸上競技部
- テニス部
- ソフトテニス部
- 山岳部
- 剣道部
- バドミントン部
- バスケットボール部
- サッカー部
- 卓球部
文化部
[編集]著名な出身者
[編集]- 横山正松(医師・ノーベル平和賞団体受賞者(1985年核戦争防止国際医師会議)会長[2])
- 荒川正昭[3](元:新潟大学学長、元:大学入試センター理事長、魚沼市名誉市民)
- 池田恒雄(ベースボールマガジン誌創刊者・平成元年に野球殿堂入り)
- 岡田紅陽(富士山撮影で著名な写真家・旧五千円札裏面の富士山写真は彼の作品・兄は元:新潟県知事の岡田正平)
- 金子鋭(富士銀行頭取・第6代プロ野球コミッショナー)
- 工藤郁弥(漫画家)
- 関淳(松下政経塾塾長)
- 関広一(元小千谷市長)[要出典]
- 鳥嶋和彦(編集者・集英社 取締役)
- 西脇順三郎(詩人・英文学者・本校校歌を作詞・ノーベル文学賞ノミネート)
- 坂東克彦(新潟水俣病訴訟弁護団・幹事長)
- 藤井精一(元:群馬県前橋市長)
- 星野行男(弁護士・元小千谷市長・衆議院議員)
- 堀澤祖門(戦後初の十二年籠山行満行者。天台宗大僧正)
- 鷲尾雨工(作家・昭和11年に第二回直木賞受賞)
- 渡辺彰(フランス料理人・新調理システム推進協会会長)
- 渡辺徹(広島ホームテレビアナウンサー)
- 渡辺瑠海(テレビ朝日アナウンサー)
- 高山奈々(ウェザーニュースキャスター)