小深作
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(小深作村から転送)
■小深作 | |
---|---|
北緯35度56分28.8秒 東経139度40分4.99秒 / 北緯35.941333度 東経139.6680528度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市 |
区 | 見沼区 |
地域 | 大宮地区 |
人口 | |
• 合計 | 5,940人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
337-0005[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
小深作(こふかさく)は、埼玉県さいたま市見沼区の大字。郵便番号は337-0005[2]。本項では同地域にかつて存在した北足立郡小深作村(こふかさくむら)についても記す。
地理
[編集]さいたま市見沼区北東部の大宮台地上に位置する。東で宮ヶ谷塔・深作(飛地)に、西で堀崎町・島町・春岡に、南で風渡野・東門前(飛地)に、北で深作に隣接する。町域は主に住宅地だが耕作地も混在する。
東部を見沼代用水東縁が、中央部を埼玉県道322号東門前蓮田線が縦貫する。見沼代用水東縁に沿って緑のヘルシーロードが整備されている。また、南部を東武野田線(東武アーバンパークライン)が横断する。また、埼玉県道2号さいたま春日部線が見沼代用水と交差する半縄橋でわずかにかすめる。七里駅が至近に所在するため、春岡地区に属しながら七里地区と一体で把握される場合もある。
縄文時代後期の小深作遺跡と称する縄文遺跡がある[4][5]。
河川
[編集]地価
[編集]歴史
[編集]こふかさくむら 小深作村 | |
---|---|
廃止日 | 1892年9月21日 |
廃止理由 |
新設合併 丸ヶ崎村、小深作村、深作村、宮ヶ谷塔村 → 春岡村 |
現在の自治体 | さいたま市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 北足立郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
321人 (埼玉県市町村誌、1889年) |
隣接自治体 | 深作村、宮ヶ谷塔村、風渡野村、大砂土村 |
小深作村役場 | |
所在地 | 埼玉県北足立郡小深作村 |
ウィキプロジェクト |
地名の由来
[編集]深作と同様に綾瀬川の狭間の場所であることから[5]。また、台地が突き出した場所であることから。
沿革
[編集]もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡南部領に属する小深作村であった[5]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では329石余(田178石余、畑151石余)、『元禄郷帳』では348石余、『天保郷帳』では350石余であった[5]。助郷は日光御成街道岩槻宿に出役していたが、寛保・宝暦年間は中山道大宮宿にも出役していた[5]。化政期の戸数は39軒で、村の規模は東西7町、南北3町余であった[5]。
- 初めは幕府領、1682年(天和2年)より一部の知行が旗本新見氏となる[5]。なお、検地は1629年(寛永6年)、1792年(寛政4年)、に実施。
- 1728年(享保13年)2月に見沼代用水(東縁)の開削が行なわれ、完成する。
- 1828年(文政11年)より岩槻宿寄場西組39か村組合に所属する。
- 幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、知行は代官大竹左馬太郎管轄の幕府領と旗本新見弥太郎の相給であった[7]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法の埼玉県での施行により北足立郡の所属となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、北足立郡小深作村が単独で自治体を形成[5]。
- 1892年(明治25年)9月21日 - 丸ヶ崎村・深作村・宮ヶ谷塔村・小深作村が合併し、春岡村が発足[8][9]。同日小深作村廃止。春岡村の大字小深作となる。
- 1951年(昭和26年)2月25日 - 地内に七里村組合立春里中学校(現・さいたま市立春里中学校)が創立される[10]。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 春岡村が大宮市に編入される[8]。大宮市の大字となる。
- 1965年(昭和40年)11月10日 - 地内に「小百合幼稚園」が開園する[11]。
- 1971年(昭和46年)
- 1985年(昭和60年)7月10日 - 町名地番変更により、大字宮ヶ谷塔・大字深作・大字小深作の各一部から宮ヶ谷塔三丁目・四丁目が成立[13]。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。同市の大字となる。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、同市見沼区の大字となる。
- 2009年(平成21年)1月10日 - 深作西部土地区画整理事業の換地処分が前日に行われた[12]ことに伴い、町名地番変更が行われ[14]、大字深作および大字小深作の各一部から春岡一丁目が成立[15]。
小字
[編集]- 小深作前・藤十郎原・程島・中島・半縄・鍛冶屋敷・小山[16]
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
小深作 | 2,645世帯 | 5,940人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[17]。
区域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | さいたま市立春岡小学校 | さいたま市立春里中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]- 町域の南東部を東武野田線(東武アーバンパークライン)が通るが鉄道駅はない。最寄り駅は七里駅となる[18]。
道路
[編集]- 埼玉県道322号東門前蓮田線
- 埼玉県道2号さいたま春日部線
- 大間木丸ヶ崎線
- 東大宮岩槻線
バス
[編集]地域
[編集]- 県営住宅
- 大宮小深作はるさと住宅 - 通称名:県営大宮小深作はるさと住宅団地
- 市営住宅
- 春岡住宅
- マンション
- 大宮東パークホームズ(三井不動産)
公園・緑地
[編集]- 小深作公園
- 小深作北公園
- 小深作第二公園
- 小深作前公園
- 中島第二公園
- 小深作自然の森
- 春里自然の森
施設
[編集]- さいたま市立春里中学校
- 春里どんぐりの家 - 社会福祉法人 埼玉聴覚障害者福祉会
- 小百合幼稚園 - 学校法人 小百合モンテッソーリ学園
- 小深作自治会館
- 小深作自警消防団
- 神明神社
- さいたま市春おか広場 - 大字宮ヶ谷塔にまたがる
脚注
[編集]- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』957頁。
- ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 377-378頁。
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 704頁。
- ^ 学校概要 - さいたま市立春里中学校.2019年7月23日閲覧。
- ^ 『大宮のむかしといま』 資料-29頁。
- ^ a b c d e さいたま市土地区画整理事業一覧表 (PDF) - さいたま市
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 増補5-6頁。
- ^ “さいたま市/合併後の住所の移り変わり”. www.city.saitama.jp. 2020年7月20日閲覧。
- ^ 深作西部土地区画整理事業 旧新住所対照表 (PDF) - さいたま市
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1387頁。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ 埼玉県さいたま市見沼区小深作の住所一覧 - いつもNAVI(ゼンリン). 2022年2月5日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県(増補版)』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 『大宮のむかしといま』大宮市、1980年11月3日。全国書誌番号:81007009、NCID BN03449939。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- さいたま市見沼区役所
- さいたま市地図情報 - さいたま市