染谷 (さいたま市)
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■染谷 | |
---|---|
大宮聖苑 | |
北緯35度54分26.41秒 東経139度41分10.03秒 / 北緯35.9073361度 東経139.6861194度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市 |
区 | 見沼区 |
地域 | 大宮地区 |
人口 | |
• 合計 | 1,782人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
337-0026[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
染谷(そめや)は、埼玉県さいたま市見沼区の町名および大字。現行行政地名は染谷一丁目から染谷三丁目および大字染谷。住居表示未実施地区[4]。郵便番号は337-0026[2]。
地理
[編集]さいたま市見沼区の東部の大宮台地上に位置する。地区の東部に染谷一丁目 - 三丁目が、西部に大字染谷が存在する。地区の東側で加田屋に、南側で片柳に、西側で御蔵や笹丸に、北側で大谷および加田屋新田に隣接する。
至近に駅はないが、大宮駅や浦和駅までの路線バスおよびさいたま市見沼区コミュニティバスが通っている。
地価
[編集]歴史
[編集]もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡南部領に属する染谷村であった[6]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では41石余(田4石余、畑37石余)、『元禄郷帳』では65石余、『天保郷帳』では染谷新田分が合算され206石余であった[6]。助郷は日光御成街道大門宿に出役していたが、寛保・宝暦年間は中山道大宮宿にも出役していた。化政期の戸数は40軒で、村の規模は東西30町、南北6町余であった[6]。名前の由来は諸説あるが、染め物屋(紺屋)がこの地に居住していたことにちなむ[6][7]。
- 初めは幕府領、1625年(寛永2年)より幕府領の一部が岩槻藩領、1633年(寛永10年)より幕府領の一部は旗本朝比奈氏の知行、1661年(寛文元年)幕府領の一部は旗本伏見氏の知行となる[6]。
- 1681年(天和元年)より幕府領および旗本2氏による相給となる[6]。
- 1828年(文政11年)より大門宿寄場34か村組合に所属[6]。
- 幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、幕府領(代官・佐々井半十郎支配所)および常泉寺領、および伏見猪之助・朝比奈鐘之助の知行[8]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1874年(明治7年)12月28日 - 染谷村と明和年間(1764年 - 1772年)より存在した新染谷村(江戸期のさらに古く1615年(慶長20年/元和元年)以前は染谷新田と称されていた[6])が合併し、新たな染谷村が成立[9][10]。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)
- 1923年(大正12年)9月4日 ‐ 関東大震災により逃げてきた朝鮮人を自警団が殺害する事件が発生(関東大震災朝鮮人虐殺事件、のち常泉寺に埋葬)。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 指扇村・馬宮村・植水村・片柳村・七里村・春岡村が大宮市へ編入合併され[12]、大宮市の大字となる。
- 1972年(昭和47年)11月21日 - 地内に染谷幼稚園が開園する[13]。
- 1983年(昭和58年) - 地内に染谷花しょうぶ園が開園する[14]。
- 1990年代 – 町名地番変更により、大字染谷および大字加田屋新田の各一部から染谷一丁目 - 三丁目が成立(大字染谷の一部から染谷一丁目が、大字染谷および大字加田屋新田の各一部から染谷二丁目・三丁目がそれぞれ成立)。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。同市の町名および大字となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、同市見沼区の町名および大字となる。
- 2004年(平成16年)7月1日 - 地内に大宮聖苑が開苑する。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 地内に片柳コミュニティセンターが開設される[15]。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字・丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大字染谷 | 265世帯 | 657人 |
染谷一丁目 | 100世帯 | 247人 |
染谷二丁目 | 74世帯 | 155人 |
染谷三丁目 | 318世帯 | 723人 |
計 | 757世帯 | 1,782人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[16]。
大字・丁目 | 区域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
大字染谷 | 全域 | さいたま市立片柳小学校 | さいたま市立片柳中学校 |
染谷一丁目 | 全域 | ||
染谷二丁目 | 全域 | ||
染谷三丁目 | 全域 |
交通
[編集]鉄道
[編集]地内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅は東武野田線(東武アーバンパークライン)七里駅などがあるが[17]、3 km以上の道程があり徒歩圏ではない。
道路
[編集]西部に都市計画道路大間木丸ヶ崎線と大宮中央通線が計画されているが、未整備となっている[18]。
バス
[編集]- 国際興業バス
- さいたま東営業所
- 大01:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 浦和大学入口 - 浦和美園駅西口
- 大02:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 浦和学院高校
- 大02-2:大宮駅東口 - 氷川参道 - 自治医大医療センター入口 - 片柳支所 - 浦和学院高校《新道経由》(平日および土曜の夜間のみ4本)
- 大02-3:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 浦和東高校(平日の午後のみ3本)
- 大03:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 片柳支所 - 染谷折返場(平日の朝夕のみ)
- 大81:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 片柳支所 - さいたま東営業所
(大宮駅東口→さいたま東営業所に深夜バスも運行・平日4本、土曜および日曜/祝日各1本) - 浦08-2:浦和駅東口 - 駒場運動公園入口 - 浦和パークハイツ - JA埼玉三室前 - 市立病院 - 南台 - 上山 - 染谷新道 - 野田宝永 - さいたま東営業所
- さいたま東営業所
- さいたま市コミュニティバス
施設
[編集]- 大字染谷
- 氷川神社
- やどかり情報館 - 就労支援施設
- 思い出の里市営霊園(一部)
- 染谷一丁目
- 八雲神社
- 顕徳寺
- 染谷二丁目
- 染谷三丁目
- 曹洞宗常泉寺
- 片柳コミュニティセンター
- さいたま市立片柳図書館を併設
- 染谷共栄自治会館
- 介護老人福祉施設 さいたまかがやきの里
- 見沼天然温泉 小春日和
脚注
[編集]- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月25日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ “住居表示実施地区一覧” (PDF). さいたま市 (2019年2月26日). 2019年11月5日閲覧。
- ^ “鑑定評価書”. www.land.mlit.go.jp. 2021年4月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 521-522頁。
- ^ 染谷(さいたま市)という地名の由来を教えてほしい。 - 国立国会図書館(レファレンス協同データベース)(2010年12月24日).2018年11月10日閲覧。
- ^ a b c d 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 489頁。
- ^ 『大宮のむかしといま』 資料-7頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 230頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
- ^ 『大宮のむかしといま』 資料-29頁。
- ^ “さいたま「染谷はなしょうぶ園」 花ショウブが早くも見頃に”. 大宮経済新聞 (みんなの経済新聞ネットワーク). (2017年6月2日) 2019年11月5日閲覧。
- ^ “片柳コミュニティセンター”. さいたま市役所 (2016年11月17日). 2019年7月23日閲覧。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ 埼玉県さいたま市見沼区染谷の住所一覧 - いつもNAVI(ゼンリン). 2022年2月6日閲覧。
- ^ 外部リンク節の『さいたま市地図情報』を参照。
- ^ 染谷花しょうぶ園ホームページ.2018年11月10日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 『大宮のむかしといま』大宮市、1980年11月3日。全国書誌番号:81007009、NCID BN03449939。
- 旧高旧領取調帳データベース