コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小笠原道生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小笠原道生

小笠原 道生(おがさわら みちなり、1899年明治32年)9月16日[1] - 1955年昭和30年)11月27日[2])は、文部官僚。

経歴

[編集]

和歌山県出身[3]。小笠原誉至夫の長男として生まれた[4]旧制和歌山中学時代には野球部員として第1回および第2回全国中等学校優勝野球大会に出場している[5]第四高等学校を経て東京帝国大学医学部に進み[5]1925年大正14年)卒業[3]。文部省に入り、体育官兼体育研究所技師、大臣官房体育課長を経て[3]、体育局長となる[3]体育研究所長となり、戦時中に退官した[4]

戦後は大映監査役、同取締役[6]、文部省厚生振興会会長[7]横綱審議委員を務めた[6]

著書

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『人事興信録 第17版 上』お2頁。
  2. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、264頁。
  3. ^ a b c d 日本官界情報社 編『日本官界名鑑. [昭和17年版](5版)』日本官界情報社、1942年、オ(ヲ)の部1頁。NDLJP:1271159 
  4. ^ a b 『人事興信録 第15版 上』オ1頁。
  5. ^ a b 甲子園大会中止を命じた文部省幹部の苦悩〜第1回大会に出場した元球児 スポニチ Sponichi Annex 野球 - 2022年9月17日閲覧。
  6. ^ a b 『毎日新聞』1955年11月28日夕刊7面。
  7. ^ 『近世日本相撲史』第3巻、15頁。

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]
  • 日本官界情報社編『日本官界名鑑. [昭和17年版](5版)』日本官界情報社、1942年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第17版 上』人事興信所、1953年。
  • 日本相撲協会博物館運営委員監修『近世日本相撲史』第3巻、ベースボールマガジン社、1978年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。