コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ショウ王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尾崎宮から転送)

晶+⺣(しょうおう/じょうおう[注釈 1]、生年不詳 - 延元3年/暦応元年(1338年6月)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけての皇族公卿官位正三位弾正尹弾正尹宮とも号した。出自を巡っては諸説ある。

経歴

[編集]

「ショウ王」という諱で記載される資料としては、『公卿補任』のみであり、以下の経歴が記録されている。

出自を巡る学説

[編集]

ショウ王の出自を巡っては、複数の学説がある。

尾崎宮と同一人物であるとする説

従来の有力説では、公卿補任の「雅明親王」を「惟明親王」の誤写とみなし、『本朝皇胤紹運録[1]惟明親王の曾孫として見える尾崎宮や『太平記[2]に見える弾正尹宮を、晶+⺣王に比定する『大日本史料』の説が有力であった。

尾崎宮は、南朝方の武将として活躍しており、『太平記』によれば、1335年、中先代の乱後も鎌倉に留まる足利尊氏を討伐するための討伐軍の内、東山道軍を副将として率いる。首将は大智院宮(性円法親王)であり、尾崎宮は、法親王が相続していた大智院に祖父の国尊王が入寺していた縁から、副将をつとめたものと思われる[3]。また、翌延元元年(1336年)8月10日、本拠としていた美濃国尾崎で軟調軍を率いて足利方と合戦に及んでいる[4]

近年、『本朝帝系抄』という史料に、惟明親王の孫・大和宮天豊王(大豊王か)の子・照王という人物が確認された[5]

雅成親王の後裔であるとする説

赤坂恒明は、ショウ王が無位から従三位に新叙されるのは破格の扱いであり、この時期(鎌倉幕府の滅亡直後)に特に功績をあげていない四世王の尾崎宮への叙位としては高すぎることから、別人説をとる[6]

ショウ王が叙位を受けたのは、六波羅攻めが終わり、後醍醐天皇が船上山から京へ立った翌日にあたる。この時期から推測すると、ショウ王は、六波羅攻めで武功を挙げて、その足で天皇の帰京の出迎えのため船上山へ向かい、天皇から叙位を受けたものと思われる[6]

六波羅攻めに功績のあった皇族は、後醍醐皇子の大塔宮護良親王但馬宮(四宮)[注釈 2]がいる。但馬と由縁があった皇族としては、承久の変の戦後処理で同地に配流された雅成親王がおり、親王は「但馬宮」と名乗り、同地で生涯を終えた。そのため、「雅明親王」は「雅成親王」の誤写であり、ショウ王は但馬宮雅成親王の末裔であり、但馬宮を名乗って討幕軍に参陣したのではないかとされる[7]

系譜

[編集]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
80代天皇
高倉天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鳥羽三宮
惟明親王
 
 
 
 
 
82代天皇
後鳥羽天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
片野宮/交野宮
国尊王
 
 
 
 
 
83代天皇
土御門天皇
 
但馬宮
雅成親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
醍醐宮
大豊王
 
 
 
 
 
〔現皇室〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高桑宮
某王
 
尾崎宮
ショウ王
 
 
 
 
 
但馬宮
ショウ王
 

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 晶+⺣」の字はこの人名のために作字されたものらしく、字書類にも見出すことが出来ない字であるという(笹原宏之)。そのために本来の読みは不明とすべきであるが、晶+⺣王を対象とした人名事典・索引においては「ショウ」ないし「ジョウ」という読みが与えられていることが多く、本項の記事名においてもこの慣例に倣うこととした。
  2. ^ 通説では、静尊法親王後醍醐天皇の皇子)に比定されている。

出典

[編集]
  1. ^ 類従本『本朝皇胤紹運録』
  2. ^ 『太平記』巻14,15
  3. ^ 赤坂, p. 206.
  4. ^ 赤坂, p. 205.
  5. ^ 赤坂, p. 210.
  6. ^ a b 赤坂, p. 208.
  7. ^ 赤坂, pp. 208–209.

参考文献

[編集]
  • 大日本史料』6編3冊、延元元年8月10日条
  • 岸本愛彦 「高倉天皇皇子惟明親王の皇胤について」(『家系研究』第39号 家系研究協議会、2005年4月、NCID AN10258954
  • 笹原宏之 『日本の漢字』 岩波書店岩波新書〉、2006年、ISBN 9784004309918
  • 赤坂恒明王考 ―建武期前後の傍流皇族をめぐって―」(阿部猛編 『中世政治史の研究』 日本史史料研究会企画部、2010年、ISBN 9784904315095
  • 赤坂恒明『「王」と呼ばれた皇族』吉川弘文館、2020年1月10日。ISBN 978-4-642-08369-0 

外部リンク

[編集]