尾形六郎兵衛
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尾形 六郎兵衛(おがた ろくろうべえ、1901年(明治34年)3月29日 - 1973年(昭和48年)7月24日)は、日本の漁業家、政治家、参議院議員、自由党所属、栄典は正五位・勲三等・瑞宝章・藍綬褒章、幼名は昌作。
経歴
[編集]- 1901年(明治34年)3月29日 - 北洋漁業の先覚者・(先代)尾形六郎兵衛の長男として加茂村(現・鶴岡市加茂)に生れる。
- 1920年(大正9年) - 荘内中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)卒業、六郎兵衛襲名
- 1924年(大正13年) - この年に行われた農務局調査では、約94町歩の農地を所有していた。
- 1925年(大正14年) - 欧米各国を周遊。
- 1933年(昭和8年) - 鋼鉄製大型漁船を建造
- 1937年(昭和12年) - 高坂の洞春院の隣に楠公館を建設
- 1939年(昭和14年) - 中国の海南島で漁場開拓
- 1944年(昭和19年) - 山形県水産会長就任
- 山形県漁業協同組合連合会長
- 山形県漁港協会長
- 日本水難救済会山形県支部長
- 1947年(昭和22年)
- 電気通信省政務次官
- 1950年(昭和25年)6月4日 - 第2回参議院議員通常選挙(山形県選挙区・自由党公認・221358票獲得)落選
- 1952年(昭和27年) - 山形県漁業協同組合連合会長辞任
- 1957年(昭和32年) - 日本相撲協会木戸御免
- 原敬句碑建設委員会(足達兼一郎会長)の発起人となる。
- 1963年(昭和38年)10月17日 - 同句碑建立除幕式に出席(碑文には9月17日)
- 鶴陵文化懇話会会長
- 1973年(昭和48年)7月24日 - 死去。鶴岡市加茂の少林寺に墓がある。
叙勲
[編集]著作物
[編集]著書
[編集]- 1961年(昭和36年) - 『六十年目の自画像 - 旅と相撲と人生と - 』 東都書房(出版)
- 1964年(昭和39年) - 『秋の蝶』 原敬句碑保存会(出版)
- 1966年(昭和41年) - 『岩手の歌人と山形の文豪 - 啄木と樗牛と - 』 三山中央会(出版)
- 1967年(昭和42年) - 『待望の月山ハイウェー - 六十里越は変貌する - 』 鶴陵文化懇話会(出版)
- 1969年(昭和44年) - 『松前から筑紫まで - その旅路に史跡を探る - 』 講談社(出版)
- 1969年(昭和44年) - 『木簡で知る奈良朝時代の魚介類』 漁船保険中央会(出版)
共著
[編集]- 1974年(昭和49年) - 『藤の花』 尾形昌夫(共著者・出版)
関連書籍
[編集]- 1999年(平成11年) - 『海南島水産物語 昭和14年~昭和17年』 尾形昌夫(著)
脚注
[編集]- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、417頁。ISBN 978-4-487-74410-7。
参考資料
[編集]- 『庄内人名辞典』 大瀬欽哉(代表編者) 致道博物館内「庄内人名辞典刊行会」(発行)
- 郷土の先人・先覚
- 『官報』 1966年11月22日 本紙 11983 褒賞
- 『官報』 1971年04月30日 号外 49 叙位・叙勲
- 『官報』 1973年08月03日 本紙 13982 叙位・叙勲