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山内俊吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山内 俊吉(やまうち としよし、1899年5月1日 - 2001年10月17日) は、日本材料科学者。東京工業大学名誉教授。東京工業大学出身者として初となる同大学長や、科学技術庁無機材質研究所所長、窯業協会会長、日本セラミックス協会名誉会長などを務めた。藍綬褒章受章。

人物・経歴

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鹿児島県国分市生まれ。1924年東京高等工業学校(現東京工業大学)附属工業教員養成所卒業。福岡県立中学校教諭を経て、1930年九州帝国大学工学部採鉱学科卒業。同年東京工業大学講師[1][2]。1939年東京工業大学工学博士[3]。1941年東京工業大学教授[2]

1945年から1948年まで窯業協会会長[4]。1947年東京工業大学窯業研究所長[5]。1948年大学設置委員会臨時委員[6]。1949年から1950年まで窯業協会会長[4]。1955年航空技術審議会専門委員[7]。1958年から1962年まで東京工業大学出身者としては初となる同大学学長を務めた[8][9]。1958年から1975年まで日本学術振興会先進セラミックス第124委員会委員長[10]

1963年藍綬褒章受章[11]。同年文化功労者選考審査会委員、文化勲章受章者選考委員[12]。1964年から1966年まで窯業協会会長[4]。1966年初代科学技術庁無機材質研究所(現物質・材料研究機構)所長就任[13]。日本セラミックス協会名誉会長[14]原子力委員会専門委員[15]旭化学工業奨励会理事なども歴任[16]

1969年勲二等旭日重光章受章[17]。1972年鮎川武雄伊奈長三郎田所芳秋森本貫一らとともに日本セラミックス協会名誉会員の称号を受けた[18]。2001年老衰のため死去。享年102。増上寺光摂殿で葬儀・告別式が行われた[19]。同年正四位[20]。1周忌にあたる2002年には東京工業大学ディジタル多目的ホールで偲ぶ会が開催された[8]

著書

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脚注

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  1. ^ 岡田大士, 「東京工業大学における戦後大学改革に関する歴史的研究」 東京工業大学 博士論文, 甲第6209号, 2005年, NAID 500000351703
  2. ^ a b 山内 俊吉(読み)ヤマウチ トシヨシ20世紀日本人名事典
  3. ^ ポルトランドセメント中ノセリツト部分ニ関スル研究 山内, 俊吉 ヤマウチ, トシヨシCiNii
  4. ^ a b c 「歴代代表者」日本セラミックス協会
  5. ^ 官報 本紙 第6136号 228頁
  6. ^ 官報 本紙 第6553号 155頁
  7. ^ 官報 本紙 第8459号 268頁
  8. ^ a b 「山内先生を偲ぶ会 2002.10.21. p.10」窯業同窓会会報東京工業大学 無機材会
  9. ^ 「歴代学長」東京工業大学
  10. ^ 「先進セラミックス第124委員会」の設置継続科学学術振興会協力協会
  11. ^ 官報 本紙 第11047号 17頁
  12. ^ 官報 本紙 第11030号 17頁
  13. ^ 「この人に聞く "無機材質研究所長"に就任した山内俊吉氏」工業材料 = Engineering materials. 14(6)(159)
  14. ^ 敬愛 -思い出の記-
  15. ^ 「人事異動」 原子力委員会
  16. ^ 第 1編 -旭硝子財団
  17. ^ 表1 東工大学長経験者の受章実績FIRST NEWS No.06 May, 2019
  18. ^ 公益社団法人日本セラミックス協会 名誉会員 公益社団法人日本セラミックス協会
  19. ^ 山内俊吉氏死去/東京工業大名誉教授、無機材料工学四国新聞2001/10/19 10:39
  20. ^ 官報 本紙 第3249号 9頁


先代
新設
日本学術振興会先進セラミックス第124委員会委員長
1958年 - 1975年
次代
田賀井秀夫
先代
大野政吉
窯業協会会長
1964年 - 1966年
次代
森谷太郎