コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

川上正光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川上 正光(かわかみ まさみつ、1912年1月1日[1] - 1996年5月15日)は、日本の工学者。専門は電子回路学[2]。第10代東京工業大学学長・初代長岡技術科学大学学長・第46代電子通信学会会長などを務めた。文化功労者

経歴

[編集]

栃木県大田原市生まれ[3][1]。栃木県立大田原中学校(現在の栃木県立大田原高等学校)を経て[4]1935年東京工業大学電気工学科を卒業して東京電気株式会社(現在の東芝)に入社し[2]無線機器の開発などを行なった。1948年、東京工業大学助教授に就任した[2]。1949年に工学博士号(学位論文「振幅変調波の伝送に関する研究」)を取得した。1953年に教授[2]、1969年に電子通信学会会長[5]、1971年に工学部長[2]1972年に電子通信学会編集長[6]を務め、停年退官した。翌1973年から[2]4年間、同大学で学長を務めた。すずかけ台キャンパスの設立や、大学院理工学研究科の開設を推進した。1978年長岡技術科学大学の初代学長となり[2]、1月から3月までの三学期は講義を行なわずに研究に従事する三学期制や、企業に数カ月出向く実務訓練などユニークな制度を取り入れた。

また、様々な委員会に所属し、

などの委員を務めた。

これらの功績から1972年紫綬褒章1974年NHK放送文化賞1982年文化功労者として表彰を受け、1984年には勲二等旭日重光章に叙せられている[3]脳出血のため歩行困難となり、1996年5月15日に84歳で死去した[3]。同日付で正四位に叙せられた[7]

研究面では電子回路の構成論の確立やアクティブフィルタの構成などに貢献した。また、教科書も精力的に執筆した。指導学生に元東京工業大学学長の内藤喜之などがいる[8]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『朝日現代用語 知恵蔵 1990』朝日新聞社、東京都中央区築地5-3-2、1990年1月1日。雑誌60031-01。 
  2. ^ a b c d e f g h i 電子情報通信学会知識ベース 3編 電子情報通信人名録” (PDF) (日本語). 電子情報通信学会『知識の森』. 電子情報通信学会. p. 21 (2012年10月). 2016年8月31日閲覧。
  3. ^ a b c 川上正光 かわかみ まさみつ東京工業大学130年史
  4. ^ 那須野が 原扇状地にある大田原市。東京大学
  5. ^ 「歴代会長一覧」電子情報通信学会
  6. ^ 歴代編集長一覧電子情報通信学会
  7. ^ 官報平成8年本紙第1918号 11頁
  8. ^ ■3.創造に対する一考察電子情報通信学会

参考文献

[編集]
  • 柳沢健『川上正光先生を偲んで』 電子情報学会誌、Vol.7、P.665-666、1996年


先代
斉藤信義
(学長事務取扱)
長岡技術科学大学学長
1977年 - 1983年
次代
斉藤信義
(学長事務取扱)

齋藤進六
学長

先代
喜安善市
電子通信学会編集長
1972年 - 1974年
次代
西巻正郎
先代
黒川廣二
電子通信学会会長
1969年 - 1970年
次代
清宮博