阪田貞一
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阪田 貞一(さかた ていいち、1857年10月14日(安政4年8月27日[1][2]) - 1920年(大正9年)12月1日)は、明治-大正期の日本の工学者。
経歴
[編集]江戸(後の東京府東京市、現・東京都区部)生まれ。阪田長十郎の二男、阪田貞明の叔父[1]。工部大学校(東京大学工学部の前身の1つ)卒業。1890年、欧米に留学し機械工学を研究。帰国後、東京工業学校教授。のち同校の校長や後身の東京高等工業学校(現: 東京工業大学)校長などを務めた[3]。
日本機械学会の第3、15、18、20、23期幹事長を務めた[4]。
1920年12月1日、胃潰瘍の療養中に心臓麻痺で死去、享年63歳[注釈 1]。
栄典
[編集]著書
[編集]単著
[編集]翻訳
[編集]- Charles E. Lucke『動力』大日本文明協会、1913年10月。
校閲
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 人事興信所 1903, 959頁.
- ^ 『大正人名辞典』(東洋新報社、1917年)382頁
- ^ 「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」 講談社
- ^ 一般社団法人日本機械学会:日本機械学会について:会長挨拶:歴代幹事長・会長就任記録(2018年6月6日閲覧)
- ^ 「死亡広告 阪田貞一」『朝日新聞』1920年12月4日、7面。
- ^ 「蔵前高工の新校長は吉武教授 昇格運動に身命を賭した故阪田博士」『朝日新聞』1920年12月2日、5面。
- ^ 「阪田博士逝く 東京高等工業学校長 葬儀は四日」『読売新聞』1920年12月2日、5面。
- ^ 『官報』第1024号「叙任及辞令」1915年12月29日。
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
外部リンク
[編集]学職 | ||
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先代 島安次郎 井口在屋 井口在屋 井口在屋 井口在屋 |
機械学会幹事長 1919年 - 1920年 1916年 - 1917年 1914年 - 1915年 1911年 - 1912年 1899年 - 1900年 |
次代 加茂正雄 田中富士太 井口在屋 斯波忠三郎 井口在屋 |
先代 (新設) |
早稲田大学理工科長 1908年 - 1916年 |
次代 浅野応輔 |